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邪道甲子園  作者: 馬河童
27/48

『九回裏の攻防』

 逆転に成功した伊賀中央ナインは意気揚々と守備に就く。

「風間、頼むぞ」

 学が幸太郎にボールを渡す。

「ああ、ここは死に物狂いで抑える」

 八回裏同様、幸太郎は気合いの入った表情で応える。さすがの剣蔵もレフトで立って、中腰で構えていた。


 確かに幸太郎の球には気迫が籠っていた。九回にも関わらず、球に勢いはあったし、容易に前に飛ばさせない雰囲気はあった。

 しかし、敵もさるもの、それをすぐに悟ったのか、甘い球が来るまでファールし続ける手段に出て来た。いい球は全てカットし、コントロールミスでボールになる球は見逃す。本職の投手でない幸太郎は、これを続けられて、ストライクとボールがはっきりしてきた。結局、二人を相手に二十球以上投げた末、連続四球を与えてノーアウトランナー一塁二塁となってしまった。

 内野陣が集まる。幸太郎はいつになく険しい表情で、顔面を汗びっしょりにしていた。

「風間の球が完全に見切られている……」

 寄って来た学も渋い顔だ。

「くっ……すまん」

 幸太郎は皆に頭を下げる。

「何を謝る。お前は一生懸命投げてるさ」

「んだんだ」

 才之助と太が幸太郎を庇う。

「二人の言う通りだ。風間は悪くない。ただ、相手が上手なだけだ」

 学も同意するが、幸太郎の表情は曇ったままだ。

「とにかく、苦手なコースを突くよう指示するんで、思い切り投げ込んで来るんだ」

「わかった」

 幸太郎は学の指示に頷く。それを見て、内野陣も守備位置に戻って行った。

 

 幸太郎は再び鬼気迫る投球を見せた。だが、現実は甘くなかった。学の見立て通り、鈴鹿商の打者は幸太郎のボールを完全に見極めていた。スピードもコースもさほど悪くない一球だったにもかかわらず、バッターはそれを完璧にとらえた。速いゴロの打球が三遊間を抜ける―というところで才之助が飛び付いて捕球。しかし、何処にも投げられず、オールセーフでノーアウト満塁となってしまった。

 球場は異様な雰囲気に包まれていた。鈴鹿商応援団は大盛り上がりで派手に騒ぐ。耳障りな音響が伊賀中央ナインに降り注いでいた。


「どうすんだよ、これ」

 再び内野陣がマウンドに集まる。幸太郎は俯き、学は腕組みをして黙ったままだ。打開策は出てこない。そこへ

「俺が……投げる」

「け、剣蔵」

 驚く内野陣。レフトから剣蔵がよろめきながら歩いて来たのだった。

「お前そんな身体でどうやって……」

「そんな事言ってる場合じゃない……だろ。こうなりゃ俺が投げるしかねえ。風間、てめえ……、何てザマだ。打つだけのでくの坊かよ」

「何だと」

 幸太郎は剣蔵の物言いに腹を立てるが、

「寄越せ……」

 立っているのがやっとのような状態でボールを奪った姿を見て、黙って引き下がった。

「服部、ここでお前に投げさせる俺は確かに不甲斐ないかも知れん。だが、あえて言う。ここを抑えられなければ、お前達の大願成就もない。それが試される場面という事だ」

「へっ……、わかってら。だから、レフトくんだりからわざわざ歩いて来たんだ」

「じゃあ頼むぞ」

 幸太郎は背を向けて、本来の守備位置サードに歩いて行った。

「剣蔵、本当にやれるのか」

 学が心配そうな顔で尋ねるが、

「やれるのか、じゃなくてやるしかねえ。風間の奴も言ってやがったが、こういう危機を乗り越えるのが、じいちゃんの言う覚悟なんだろうよ」

 剣蔵は疲弊感を漂わせながらも眼光鋭く言い放った。

「剣蔵、さすが伊賀の直系と言うべきか。凄い事を言うようになったなあ」

「学よ、茶化してる場合じゃ……ねえよ。正直辛いんだ、とっとと終わらすぜ」

「おう」

 学は駆け足で戻って行った。伊賀中央の守備陣は基本形に戻り、再び幸太郎がサード、猿飛がセカンドへ、松岡三兄弟が外野に就いた。


「さて……と」

 袖で汗を拭い、剣蔵が投じた初球は、ハーフスピードのストレート。これが外角に決まった。相手が見送りワンストライク。

「さっきより遅いぞ」

「打って決めてしまえ」

 鈴鹿商ベンチが囃し立てる。打者は初球なので、様子見であえて見送ったようだ。

 二球目、剣蔵は懲りずにもう一球同じようなボールを投じる。コースは内角高めのボール球だったが、相手は手を出してきた。快音が響き、鋭い当たりが三塁線の脇を過ぎて行き、ファール。

「ふーっ」

 剣蔵は早くも息切れして、明らかに余裕がない。しかし、ダイナミックなフォームで

「にゃろうっ」

 と吠えながら投げた渾身の一球は何と超スローボール。これには相手も面食らって、全くタイミングが合わず、バットが空回った。

「ナイス剣蔵っ。ワンアウトだ」

 学が剣蔵を讃え、ナインを鼓舞する。バックも剣蔵を盛り立てんと声を出す。投げた剣蔵はたった三球ながら早くも疲労していた。いや、疲労というよりは、やはり身体の調子が優れない様子であった。

「二人目……」

 初球、何と剣蔵はソフトボールの投手のモーションで下から放るように投げてきた。大した球ではなかったが、意表を突かれた相手は手が出ず、ワンストライク。この土壇場に繰り出してきた奇手に場内がざわつく。

 二球目、今度は同じモーションで、さらに自分の肘を身体にぶつけた反動を利用したライザーボール。打者は迂闊にもこれに手を出してきて、完全に球の勢いに押された。フラフラっとした打球がピッチャー手前に上がる。

「オーライ……」

 剣蔵は体調不良が響いたのか、投球後によろめいたが、これに何とか飛び付き、ノーバウンドで捕球した。しかし、満塁のランナーに気を配ってはいるものの、すぐに立ち上がれない。

「ナイスキャッチ、剣蔵」

 学がタイムを掛けて、内野陣が駆け寄る。

「よく捕っただや」

「だが、本当はワンバンにして欲しかったがな」

 学が苦笑する。ワンバウンド捕球でダブルプレーに出来る可能性があったのだ。

「ちっ。そうだった。そこまで頭が回ってなかったぜ」

 剣蔵は己れのミスに気付き、舌打ちする。

「服部、大丈夫か」

「大丈夫だよ。お前に任せらんねえんだし、俺が締める」

 幸太郎の心配を振り払い、剣蔵は膝を突きながら立ち上がった。やはり顔色は青白く、肩で息をしている。

「今のソフトボール投げの奇策は良かったぞ。続けるか」

 学が確認する。

「いや、奇策は奇策だ。もう通じねえだろう。相手もさすがにここまで勝ってきているだけあってバットが振れてるしな」

「じゃあどうする」

「なるようになるだろ。全力で抑えるさ。わかったら戻れや」

 剣蔵は内野陣を追い払った。

「あと一人じゃねえか。抑えてやるぜ……」

 剣蔵は息を切らしながら初球を投げ込むが、何と投げた後に「うぐっ……」と呻いて嘔吐した。そのまま棒球が行ったが、飛び散る嘔吐物に意表を突かれた打者は手が出ず、ワンストライク。

「タイム」

 すぐさま学が走り寄る。マウンド周辺には吐瀉物が散乱していた。

「大丈夫か」

「大丈夫……だよ。勢いで出ちまった」

 剣蔵は笑みを浮かべるが、顔色はさらに悪くなっていた。

「交代するか」

「バカ言え。今だって相手が驚いてワンスト取れただろ。作戦だよ作戦……」

 具合が悪そうでも剣蔵は強がる。

「オイ、君ぃ、本当に大丈夫なのかね」

 見かねたアンパイアが声を掛けてきた。

「大丈夫だって。汚しちゃってすみませんねえ」

 剣蔵は形式的に頭を下げる。

「九人しかいないのはわかったが、君の身に何かあったら高校野球そのものがただじゃ済まん。これ以上、危ない兆候が見えたら試合を没収するからね」

 へいへい、という剣蔵の生返事を受け、アンパイアは戻って行った。伊賀中央内野陣はすぐに清掃用具を取りに走り、マウンドの周りを掃き清めた。


「剣蔵、本当に大丈夫なのか」

「大丈夫だって……。学よぉ、作戦ってのもまんざら嘘じゃねえんだぜ」

「こんな状態で作戦も何もあるかよ」

 不安げな表情の学だが、

「こんな状態だからこそ、出来る作戦ってのがある。耳貸せ、ゲロ臭くて悪いが」

 剣蔵は顔色こそ悪いが、自信満々で耳打ちする。

「お前……そんな……」

 話を聞いて驚く学。しかし、納得は出来たようで大きく頷く。

「たぶん上手く行くぜ。空振った時だけ逸らさないよう気を付けろよ」

「ああ、わかった」

 学は戻って行った。

「ここで仕留めんと、確かにもたなそうだぜ……」

 剣蔵は意志こそ強く持っているものの、虚ろな表情になっていた。握りを確かめるかのように長めにグローブの中で右手を動かしていたかと思うと、よろめきながら投球動作に入り、投げ込んだ。またも半速球気味のボールだったが、今度は打者も打ちに来た。

「ぐうっ……」

 同時に剣蔵も倒れこんだ。既に限界だったのだ。打者の猛スイングに対し、剣蔵の甘い球は簡単に捉えられるかと思いきや、何とそのボールが曲がりながら揺れ、奇妙な変化を見せた。打者は何とか当てたが、これがボテボテのゴロになった。

 しかし、投手・剣蔵が倒れており、これを捕りに行く者がいない。打球はゆっくりと投手脇へ転がり、全てのランナーが次の塁へひた走る。

 次の瞬間、転がるボールへ一陣の風のように駆け寄り、素手でキャッチして、矢のような送球をした者がいた。誰あろう、サードの幸太郎であった。このプレイで間一髪、一塁をアウトにした。

「ゲームセット」

 アンパイアの試合終了宣言と共に、伊賀者達は叫びを揚げ、剣蔵に殺到した。まばらではあるがスタンドに駆け付けていた伊賀中央応援団も声や拍手で勝利を讃えていた。

「その身体でよくやったな」

 幸太郎が俯せに倒れている剣蔵を抱き起した。

「へ、へへっ、これで甲賀を……ぶっ潰せるぜ」

 剣蔵は相変わらずぐったりとしているものの、目にだけは精気が漲っていた。

「まだ、その前に強敵がいるがな」

「だったな……。まあ、次は俺も大丈夫だろ……」

 言うと、剣蔵は気を失ってしまった。

「限界だったようだな」

 才之助が力が抜けて気絶している剣蔵を担ぐ。

「しかし、服部の救援がなければ負けていた。こんな状態でよく抑えたものだ。最後の球も奇妙な変化で相手にミートさせなかったな」

「最後の球、ゲロを塗っていたんだ……」

 学が苦笑いしながら言う。剣蔵の耳打ちした作戦とは、吐いた物をボールに刷り込み、異常な変化をさせる事だったのだ。効果としては、いわゆるワセリン等を使った違反投球に等しいものであろう。

「そんな真似を……。決して褒められたものではないが、こんなになりながらそこまで考えていたとはな」

「意地だろう。剣蔵の性格からして、甲賀にやられっ放しで気が済む訳がない」

「大した気力だな。次も強敵だ。奴の復調がカギだな」

 幸太郎が再三言っているように準決勝の相手は、伊賀中央とも因縁のある上野城高校なのだ。剣蔵達が入学以後、伊賀者が本気であったかどうかはともかく、これまで二敗しており、次が三度目の対決だ。幸太郎をも手玉に取る男、エース・榊、そして四番には一年生の比土弟を擁し、今年も優勝候補の一角であった。


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