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邪道甲子園  作者: 馬河童
22/48

『九回の攻防』

 さて、伊賀中央が2点のビハインドで迎えた九回表、マウンドには内野陣が集まっていた。

「剣蔵、ここは絶対点をやれんぞ、わかってるな」

 キャッチャー・学が念を押す。

「ああ。散々、小馬鹿にしてきやがったからな。ここを零封して、意気消沈させてやる」

 剣蔵の顔に焦りはない。むしろ、ピンチを楽しんでいるかのような表情であった。

「その意気だ、頼むぞ」

 と幸太郎が言うと、

「うるせえ、お前に頼まれなくてもやってやらぁ」

 剣蔵は負けん気を見せる。相変わらず犬猿の仲で、他の伊賀者は苦笑いするしかない。

「まあ、剣蔵が意気込むのは良い事だや」

「うむ。その覇気を相手にぶつけてくれればな」

 猿飛そして才之助も笑みを浮かべる。

「よし、しまっていくぜ」

「おうっ」

「おいおい、俺の役目だろう、それは」

 剣蔵が号令し、皆が応答したのを見て、慌てる学。しかし、決して息が合わない訳ではない。このやり取りが、伊賀中央ナインの独特の波長で結束を促したのは間違いない。


 剣蔵はここに来て全力投球。伊加佐間は一番からの好打順だったが、絶妙なコントロールと伸びのある速球を駆使し、二者連続三振を奪った。打席には相手のエース・偽真実を迎えた。

「さぁて、こいつを打ち取らにゃ腹の虫が治まらんぜ」

 剣蔵の目が一層鋭いものになった。初球、外角低めの直球。偽真はこれを打ちに来るも、後ろに飛ぶファールとなった。二球目は内角を抉りに来るシュート。上野城の比土などに投じた殺人シュートだ。

「ぐっ……」

 偽真は打ちに行きながらそれを躊躇した為、見事にどてっ腹に命中した。彼は死球と判断し、一塁へ進もうとするが

「ストライーク!」

 アンパイアはボールがベースを過ったのをしっかりと見ていた。偽真は痛みに顔をしかめながら抗議するが、審判は判定を変える気はなく、ストライクである事を強調する。渋々打席に入り直す偽真を見て、剣蔵は

「ざまぁみさらせ」

 と小声で呟き、ほくそ笑む。勝負球は分身投法、偽真は手も足も出ず、三振となった。

「見たか、こんにゃろう」

 マウンド上で吠え、ガッツポーズをする剣蔵。だが、さすがにこれはアンパイアにマナー違反を注意された。


 剣蔵が最高の形で相手を抑えた為、最後の攻撃に臨む伊賀中央ナインのムードは上々であった。

「このくらいのピンチ、甲子園行くならちょうど良いハンデだぜ」

 決して強がりではない感じで剣蔵が言う。

「こいつら、下らねえ真似、幾つも仕掛けて来やがって、倍にして返してやろうぜ」

「ああ、甲賀とやる良い試金石だ」

「仮想甲賀か。あいつらも順当に勝っているようだしな」

 学が呟いた通り、甲賀擁する甲陰高校も一回戦を順当に突破していた。残念ながら試合がかち合っていた為、試合振りは見られなかったが、伊賀者同様、一回戦は普通に野球で勝ったようだった。

「甲賀もいいが、まずここをしっかり勝たねばだぞ」

「風間、お前、さっき無様に打ち取られたじゃねえか。デカい口叩くなよ」

 剣蔵が幸太郎の言葉に突っ込む。

「お前もやられただろう。あれは不正投球だ。普通ならあんな揺れ方はしない」

「不正だぁ? マジかよ」

「ああ。間違いなく何か液体のような物をボールに付けている」

「風間らしくないな。わかっているなら何故指摘しない?」

 学が尋ねる。

「俺もお前達の片棒を担いでいる以上、そう相手の非難ばかりは出来ん」

「ぷっ……」

「あっはっは」

「なるほどな。風間らしいや」

 伊賀者は、真面目な顔をして言う幸太郎を笑いに包む。

「なりふり構わないという意味では、お前達に近いものがあるじゃないか。ならば俺はそれを正々堂々と打つ」

「あのピッチャー、偽真だったか。これはとんでもない奴を敵に回したな」

 才之助が呟く。幸太郎の恐ろしさを知るからこその発言だ。

「よし、一気にぶっ叩くぞ」

「逆転勝ちで決めようぜ」

「俺達にしては少し大人し過ぎたな。最後は派手に倍返ししてやろうぜ」

 劣勢ながら、伊賀者の士気は全く落ちていない。

「さぁ、行け、学」

 皆に送り出されるように、学が打席に向かう。ここまでそんな様子は見られなかったが、夏バテでもしたのか足元がふらついている。そして、

「おっと……」

 その結果、足をもつれさせてキャッチャーとぶつかった。ぶつかられた方は怪訝そうな顔で睨む。

「す、すみません」

 学は言葉では謝っているが、あまり悪びれる様子はない。打席内を念入りに踏み込んで、地ならしをしている。

「さあ来いっ……」

 大きな声を出して構える。次の瞬間、

「うっ……臭っ」

 とキャッチャーが声を漏らした。苦みのある異様な匂いがバッターボックス周辺に漂い出していたのだ。その香りはマウンドまで届いたようで、投手・偽真は利き手で鼻を塞いだ。ここで学がアピールする。

「ちょっと審判、相手のピッチャー、鼻を触ってますが、もしかして不正投球でもしてるんじゃないですか」

「む……」

 自身も匂いに戸惑っていたアンパイアだが、言われて実の仕草を見過ごす事が出来ず、マウンドへ向かう。何やら注意と確認がされているようであった。

 この間に匂いはさらに一帯に充満した。グラウンドの暑さに加えて、強烈な腐臭が吐き気を催させる。

「キミぃ、この匂い、キミだろ? 何とかならんのかね」

 たまりかねたアンパイアがキツい口調で学に言う。

「は?」

「いくら何でもこの匂いは酷い。待っていてあげるから着替えて来るなりしたまえ」

「俺じゃないですよ。疑うのなら調べて下さい」

 と言って学は両手を広げて無実を訴えると、アンパイアは鼻を利かせながら身体検査を始めた。

「ち、違う……。汗臭いが、匂いはしない」

「でしょう」

 学は得意げな顔をする。そこでアンパイアはキャッチャーを見る。違うと言い張る彼を立たせ、犬のように匂いを嗅ぎ、

「ここが臭い!」

 と尻の辺りを指差した。キャッチャーは指摘され、慌てて尻ポケットをまさぐる。

「な、何だこれ……」

 彼がポケットから取り出したのはハンカチだった。それは薄汚れて強烈な異臭を放っていた。

「は、早くそれを始末しなさい」

 アンパイアは具合の悪そうな顔で命じる。返事をして、慌ててベンチに下がるキャッチャー。匂いが染みついたユニフォームも替える気なのか、なかなか戻って来ない。

「困りますねえ、こういうのは……」

 退屈そうにバットを立てて寄り掛かる学。その視線は投手・偽真実に向いていたが、彼は明らかに苛立っていた。


「やるな、学」

「こっちに流れを取り戻すには最高の展開だ」

 ベンチで伊賀者が絶賛する中、

「全くお前達は……」

 一人呆れ顔の幸太郎。言うまでもなく、この一連の流れは学が仕組んだものだ。キャッチャーにぶつかった際に、強烈な匂いのするハンカチをスリのような手つきで相手の尻ポケットに忍び込ませたのだ。相手の集中力を乱しつつ、動揺を誘う悪質な作戦だ。

「勝つ為だ。何でもやるぜ、この局面は」

 剣蔵が強く言い切った。


 数分して、ようやくキャッチャーが戻って来た。しかし、周囲に染み渡った匂いは消えなかった。

「オイオイ、時間稼ぎですか。異臭といい、勝ってるのになかなか手が込んでいる事だ」

 学は相手を煽る。キャッチャーは何も言い返せず、黙りこくっていた。自ら仕掛けておいて、他者のせいにするあたり、相当悪辣だ。

「いいから。プレイ」

 アンパイアも苛立った調子で注意し、試合再開した。待たされた上、異臭を嗅がされイライラした偽真は乱調で、学はバットを振る事なくストレートのフォアボールを得た。

「タイム」

 キャッチャーがマウンドへ駆け寄るが、これがまた伊加佐間側の内紛を引き起こした。怒りの収まらない偽真は、原因を作った相手の話を聞く耳持たない様子であった。困惑した表情で戻って来るキャッチャー。

「太ぃ、頼むぞ」

 学が一塁から声を揚げる。

「おお~っ」

 太は両腕を揚げて、巨熊のように応える。彼は張り切って、バットを振り回す。巨漢が猛スイングする様は、バットが風になびく小枝のように見えた。ブレーキ気味の三番打者ではあるが、やはりパワーと迫力は侮りがたいものがある。

 その様子を仏頂面で見ていた投手・偽真は、カッカしたまま投球動作に入る。今まさにリリースしようとしたその時、バッターボックスで耳をつんざくような爆音が響いた。

「なっ」

 音に驚いた偽真の手から離れたボールは、勢いなくホームベースへ向かう。その本塁周辺では、爆撃でも食らったかのように、キャッチャーとアンパイアが後方に吹っ飛んでいた。一体、何が起こったのか……


 打席で唯一平然としていたのは、バッターの太のみであった。その周囲には先程とは異なる、食べ物の焦げたような強烈な異臭が漂っている。轟音、風圧、異臭を引き起こした犯人は、太の放屁であった。

 太は溜めに溜めていた一発をここで放ち、偽真の失投を引き出す事に成功したのだ。

「ふんむぅ~!」

 叫びと共に強振した一打は、目にも止まらぬ速さで三遊間を抜けて行き、フェンスを直撃した。鈍足の太は一塁でストップ、学は三塁まで到達した。

「よーし。お膳立ては整ったな」

 気合を込めて、幸太郎が打席に向かう。

「風間、てめえ、ここは打てよ」

 剣蔵が背後から強い語気で言う。

「言われんでもここは打つ。一年の頃、お前達に憤って以来の気分だ。こんな奴らには負けられん」

 と言い切る幸太郎の顔は、真剣そのものであり、声を掛けた剣蔵の方が気圧されそうになっていた。幸太郎はベンチに威圧的な背中を向けたまま、黙って打席に入る。何も言わずにピッチャーの偽真を見据えると、偽真自身もその迫力を感じ取ったのか、思わず一度後ろを向いた。幸太郎は目線を外さず、泰然自若として微動だにしない。

「プレイ」

 アンパイアの声に偽真は向き直り、初球を投じてくる。幸太郎の気迫に動じたのか、外角に大きく外れるボールとなった。その後、二球連続、はっきりと分かるボール球が来た。


「へっ、イカサマ野郎の癖に風間にビビってやがんのか」

 ベンチから見ている剣蔵が呟く。

「確かに風間の気迫は相手を圧する程だや。だが、ビビっているというのはどうだやかな」

「猿飛、どういう意味だよ」

「剣蔵がイカサマ野郎と言うだけあって、あの偽真という男、なかなかしたたかだや。ビビっている振りをして、次に勝負球が来るやも知れんだや」

 冷静な目で状況を分析する猿飛。

「勝負球……例の不正投球か。あいつ、本当に打てんのかよ」

 

 運命の四球目、ハーフスピードの変化球が外角に来た。絶好球と見て、これを打ちに行く幸太郎。しかし、ボールはまたも揺れ動き、バットから外れようとする。偽真の狙いはここを打ち損じさせ、ゲッツーを取ろうという魂胆であっただろう。2点差ある為、三塁ランナーが還っても支障はないという判断に違いない。

 だが、そうは問屋が卸さない。ここぞという時の幸太郎の集中力とバットは、この不正球を完全に捉えていた。揺れたボールはバットと点で衝突し、破裂音を立てて、レフト方向の場外へ消えて行った。

「うおおおおぉ~っ」

 劇的な逆転サヨナラスリーランに、球場全体に轟音が響き渡る。まばらではあるが、集まっていた伊賀中央高校の応援団がこの日一番の大歓声を揚げる。

「やりやがった、あいつ」

「さすがだぜ」

 ベンチの伊賀者も喜びを隠せず、ベンチから飛び出す。

「ちっ、面白いような面白くねえような……」

 剣蔵だけが渋い顔で舌打ちしながらゆっくり動いた。


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