『忍者対イカサマ野球』
伊加佐間高校のエース・偽真実は幼少からリトルリーグでプレイしてきた、純粋な野球少年だった。しかし、生来の真面目な性格が影響してか、あと一歩のところで相手の策に屈して敗北を喫する事が多く、目立ったタイトルを獲得出来ぬまま高校野球の世界に入った。その生い立ちは伊賀中央の風間幸太郎に似ていなくもない。
そんな彼がある時を境に、野球、いや勝負への姿勢を一変させた。そのきっかけは例の夏の甲子園での優勝校、大和学園・岩本のマイクであった。
「あのプロでも活躍し続ける超高校級の打者に、一目置かれた男が同じ県にいる」
それを知った彼は服部剣蔵に興味を持ち、伊賀中央へ足を運んだ。最初は「何故、こんな奴が……」と興味本位で集まった観衆と大差ない感想を抱いた。
しかし、真面目な性格の通り、彼は粘り強かった。伊賀者が野外で練習するのも隠れて追い掛けた。そこで剣蔵をはじめとする忍者達の真の姿を見て衝撃を受けた。身体能力は勿論だが、他県で行っている練習試合などでの戦い振りには特に圧倒された。
「こいつら……、何て卑怯なんだ」
最初はそう思った。今まで真面目に戦ってきた彼には嫌悪感を覚える程、理解し難い世界だった。だが、忍者達を見ている内に思い直した。
「待てよ……。確かに卑劣な真似はしているが、これも野球には違いない。そして、こいつら、それを真剣にやっている。これがあの岩本を追い詰めた力か……」
実は自分の中で妙な気分が湧き上がってくるのを感じた。
「勝つ為に、勝つ事に真摯なんだ、こいつらは。真面目のベクトルの向け方の問題だ。手段にこだわらず、とにかく勝つ事に対して真面目に取り組むか……。ふはははは」
独り言を言いながら、笑いが止まらなくなった。
「やれる! 俺の方が野球では一日の長がある筈。同じ真似をすれば俺の方が上だ」
独白だけを聞いていれば、ただの危ない男だが、実際、これを境に彼は変わった。何より、これ以降、勝ちにこだわり、簡単に負けなくなった。それはチームにも浸透し、練習試合では連勝を重ね、秋の大会ではあの上野城に接戦での敗退までいったのだった。
その戦い方は手段を選ばず、一例を挙げると、強打者への勝負を避けた四死球に始まり、意図的な打撃妨害狙いや、嘘の時間稼ぎ、負傷した振り、挑発行為など、とにかくありとあらゆる手を使って勝ちにこだわった。
こうして迎えた夏の大会、実は初戦に勝ち、ついに目標としていた伊賀中央戦を迎えたのだった。
決戦の日は晴天に恵まれた野球日和であった。試合前の整列、実は伊賀中央の選手達を見て、武者震いした。投手の服部剣蔵は不敵な面構えをしていたし、強打の四番・風間幸太郎は凄い威圧感を放っていた。他にも巨漢の山嵐太、名前の通り猿のような猿飛、三つ子の外野手など、強烈な個性を漂わせる面々が居並んでいた。
「さすがにあの大和学園を破ったというだけあって、目の前にすると風格あるじゃないか。だが、こいつらが今日、俺の前にひれ伏すんだ」
曲者揃いの伊賀者を前にしても、実自身は臆するところはなかった。ただ、自分以外のメンバーの心持が気になり、彼はベンチ前で円陣を組んだ。
「いいか、わかっていると思うが、あいつら見た目は異質な雰囲気を放っているが、所詮、野球では素人だ。野球の勝ちにこだわるなら、俺達の方に分がある。飲まれるなよ」
「オウッ」
全員の返事を聞き、各人の顔付きを見て、実は味方が試合前に気後れしていないのを感じ取り、ひとまず安堵した。
先攻は伊加佐間高校、一番の宇早が打席に入る。小柄な左打者だが、打席でさらに縮こまるような構えを取った。
「プレイボール」
審判の声がグラウンドに響き、伊賀中央のエース・服部剣蔵が初球を投げ込んできた。
「ボール」
外角へ少し外れて宇早は見送った。次の一球も内角やや高めのボール。宇早の小ささに剣蔵は投げにくそうで明らかに嫌な顔をしていた。
次に宇早は大きく構えた。ただし、立ち位置は、縦がキャッチャー寄り、横はベースから離れた端っこだった。この不自然な位置取りに、剣蔵は頭に血が上ったのか、キャッチャーも捕れない大暴投。
「ふふふ、早速作戦にハマってくれたな。宇早には一切振らなくていいから、相手をイラつかせてボールを投げさせるよう指示したんだが、こんなに上手くいくとは」
実の言葉通り、剣蔵はストライクが入らずフォアボール。二番・布酒がバントで送って、ワンアウト二塁となり、ここで実が打席に立った。
初球、剣蔵は得意の外角低め。しかし、実はこれを待っていた。うまく流し打って、先制の二塁打となった。スタンドの伊加佐間応援団が湧く。
「狙い通り。データでは、外角を初球に持ってくる事が多かったからな」
滑り込んだ二塁で土を払う実は、してやったりの表情。
「ここはもう1点取る」
ランナーとなった実は、大胆なリードを取る。これに苛立った剣蔵はしきりに牽制するが、実の戻りが良く、アウトには出来ない。
「へいへい、ピッチャー、そんなんじゃ俺は殺せないぜ」
実は声を出して煽る。そしてさらに大きいリード。
「へい。リーリーリー」
手を叩きながらわざとらしい声を出す実。剣蔵はまたも二塁に牽制球を投げるが今度は暴投。実は労せずして三塁を手に入れた。
三塁でも剣蔵を揺さぶる陽動作戦を取った実は、四番・滴藤の叩きつけるようなセカンドゴロの間にホームへ生還した。これで2対0。完全に伊賀中央を、いや、投手・服部剣蔵を翻弄した結果で、実の作戦勝ちだった。
「ふぅ~」
初回から走った実はさすがにくたびれた顔をした。
「綾士、頼むわ」
「オーライ」
頼まれた男、五番の綾士は待球作戦。ツーストライクまで振らない上、一球毎に打席を外してのんびりするわ、ファールで粘るわ、剣蔵をさらに苛つかせた。結局、十三球粘った末、キャッチャーフライに倒れ、ようやくチェンジとなった。
「ありがとよ、お陰で息も整えられた」
意気揚々とマウンドへ上がる実。彼の疲労を気遣ってか、チームメイトもゆっくりと守備位置に就いた。実はそれを見回すと、投球練習を済ませ、一番の猿飛を左打席に迎えた。
「快速野郎だな。だが、塁に出さなきゃ怖くはない」
初球は半速球で内角高めへ。快音が響くが、一塁寄りに守っていたセカンドがキャッチ。さすがに猿飛の俊足でもセーフには出来なかった。
続いて二番の真田学が打席に立った。
「ガリ勉君か。こういう頭の切れる奴には力だ」
実は全力投球でコーナーに投げ分け、学を三振に切って落とした。次打者は三番の山嵐太。その名の通り、嵐でも巻き起こしそうな巨漢が打席を埋め尽くしている。迫力だけなら相当なものだ。
「パワーはあっても小細工は出来まい」
実はよく研究していた。山嵐が変化球に弱いのを熟知しており、外角への逃げるカーブを引っ掛けさせ、ピッチャーゴロに仕留めた。
二回表、服部剣蔵は落ち着きを取り戻し、七八九番を三者連続三振に抑えた。
「さすがにやるな。ウチの下位打線ではそう簡単に打てんか」
ベンチ脇で投球練習をしていた実は、それを止めるとマウンドへ向かった。
打席には四番・風間幸太郎を迎えた。これまでの実績もあり、彼の豪打は本大会でも評判の的となっていた。
「こいつだ。昔の俺以上の真面目野球少年……。曲者揃いの中、一人だけまともな強打者がいるのが、このチームの恐ろしいところだ」
実も幸太郎の怖さは良く理解していた。それこそ曲者に変貌した彼は、勝負すると見せ掛けて、くさいところを突きまくり、四球で歩かせた。天を仰ぎ、悔しがって見せる実だが、当然それは演技だった。
「こいつさえ警戒すれば、後は俺の投球でどうにかなる。次は剣道野郎だろ」
実の自信は決して過信ではなく、次の霧隠才之助を迎えても全く動じていない。そして、快音を発した打球はセカンドのファインプレイでゲッツー。六番の服部剣蔵も当たりは強烈だが、ショートがいい所に守っていてアウトにした。
三回・四回・五回は両投手が好投し、共に無得点。伊加佐間高校打線はイヤらしくファールで粘るなど、策を弄しはしたが、さすが忍者投手・服部剣蔵、キレのいい変化球にはなす術なかった。
実の方はいい当たりはされるものの、打球がことごとく野手の正面に飛び、結果的に球数の少ない省エネ投球になっていた。
これには訳があった。実は執拗な偵察で、これまでの伊賀中央打線をよく調べていた。得意なコース、苦手なコース、打球の飛びやすい所などをデータ化しており、あえて打ちやすい球を放る事でヒットコースに守備陣を置き、快打をアウトにしていた。気持ち良く打っている相手が気付かぬまま、試合終了まで持っていきたいところだが、
「さて、奴ら、気付くかな……」
実はベンチでしてやったりと笑みを浮かべていた。
そして六回裏、伊賀中央の攻撃は九番の松岡黄太から。実はここまで幸太郎への故意の四球を除けば、何とノーヒットノーラン状態であった。決して三振の山を築いている訳ではないのだが、いい当たりが野手の正面に飛びまくり、相手打線を退けていた。
松岡黄太も会心の当たりだったが、二塁ベース寄りに守っていたセカンドがライナーでキャッチ。引き下がって行く黄太と入れ替わりに、一番の猿飛が打席に向かう。
「ん?」
実はベンチから四番の風間幸太郎が飛び出して来て、猿飛に何やら耳打ちするのを見た。渋い顔をした猿飛だったが、最終的には頷いて打席に入った。
「ふん。何を吹き込んだか知らんが、負のスパイラルを脱却出来るかな」
実は不敵な笑みを浮かべながら初球を投じる。甘い棒球が内角高めに入る。猿飛はこれを窮屈そうに引き付けて流し打った。三塁方向へのボテボテのゴロになったが、ややショート寄りに守っていたサードは逆を突かれたのか反応できず、慌てて捕りに行くも猿飛の快足に間に合わずセーフ。ノーヒットノーランもこれで途切れた。伊賀中央ベンチがはしゃぐ様を見て、実は唾を吐き、
「ちっ……」
舌打ちをして次打者の真田に向かう。真田も腕を折りたたみ、一二塁間へ流し打ち。これがまた大した打球ではなかったが、守備陣の穴を突いて外野まで抜け、ワンアウト一塁三塁となった。
「タイム」
実は内野陣を集めた。
「どうやら見破られたらしいな」
実の言葉に全員が頷く。
「どうする。ここから本気を出すとして、次のデカブツはいいが、四番はマズいだろ」
キャッチャーが尋ねてくる。
「うむ。まあ、四番まで行かないようにするさ」
実はそう言うと手で口を覆い、何やら囁いた。忍者を警戒しての事のようだが、それを聞いて皆頷いた。そのまま円陣を組み、
「イカサマ~ファイ!」
「オーッ」
と全員で叫び、各自守備位置へ散って行った。
ピンチにもかかわらず、実の表情は涼しいものだった。ロージンバッグを掴み、ゆっくりと手で弄ぶ。そして、緩慢な動作でようやくセットポジションに入ろうとした瞬間、
「アウトォ」
三塁ベース上で審判が叫ぶ。何と実はボールを持っていなかった。先の円陣の最中にボールをサードへ渡し、隠し球で猿飛を仕留めたのだった。その名の通り、猿のように飛び上がって悔しがる猿飛を見て、実は高らかに笑った。
「はっはっは、これで四番まで回さずに済む」
実は自信を持って変化球を連投。三番・山嵐は球場全体に暴風を巻き起こしそうな程の猛スイングをするが、バットとボールは天と地程離れており、全く当たる気配はない。ツーストライクを奪った後、外へ逃げる変化球が投じられ、これまた豪快な空振り。しかし、この猛烈スイングの影響か、キャッチャーも捕球出来ず、
「走れ! 太」
伊賀中央ベンチの声に反応して、山嵐が激走。巨体が土煙を起こしながら走り、ヘッドスライディングした。
「セーフ」
タイミング的にはアウトであったが、山嵐の勢いがファーストを吹き飛ばし、セーフになった。伊賀中央ベンチは湧き返る。対照的に、伊加佐間校側は苦い表情になっていた。ベースから弾き飛ばされたファーストは砂埃を払って立ち上がる。怪我はないようだった。
「タイム」
実は再び内野陣を集める。
「すまん」
振り逃げを許してしまったキャッチャーが頭を下げる。
「仕方ないさ。あんな人間離れしたスイングをされたら捕れんわな」
実も一塁ベース上の巨人・山嵐を見て呆れ顔をした。
「次、四番だぞ、歩かせるか」
「いや、ここは勝負だ。一度奴らのムードを消沈させたい」
「奴は怪物って言われてるんだろう。大丈夫か」
キャッチャーが不安そうな顔で聞くが、実は
「逃げっ放しは性に合わないしな。ただ、今度は空振りさせたら捕ってくれよ」
と自信満々の表情で言い放つのだった。キャッチャーはその言葉に頷く。守備陣を去らせてマウンド上に立つ実は、またも不敵な面構えをしていた。
初球、内角へのブラッシングボール。幸太郎は難なく避けたが、実は帽子を取って頭を下げた。しかし、これはわざとだ。
二球目、これもまた相手の懐を突くような際どいボール。踏み込みかけていた幸太郎は、慌てて腰を引いた。言葉とは裏腹に歩かせる気なのか、カウントを悪くして投げにくくなった実は、執拗に二塁へ牽制し、ランナーの学をベースに釘付けにした。
数球の牽制の後、セットポジションから投じた一球は外に逃げるカーブ。しかし、コースが甘い。幸太郎はストライクを入れに来ると読んでいたのか、これを打ちに行く。ところがバットが捉えんとした瞬間、何とボールが宙で揺れた。幸太郎はミートし損ない、ピッチャーゴロに倒れた。
「やった」
大喜びでベンチへ引き上げる伊加佐間高校ナイン。ピンチを切り抜け、皆、ハイタッチを交わした。
「実、今の球、何なんだ」
ダグアウトの奥でキャッチャーが尋ねてくる。
「へへへ。ワセリン投法ってあるだろう。アレの原理でボールが揺れるのさ。練習で色々と試してきたが、上手くいったな」
実は白い歯を見せて笑う。
「ふ、不正投球かよ」
「ああ。そうでもしないとあの風間って奴は打ち取れん」
「で、でもよ、バレたら……」
キャッチャーは青い顔をする。
「バレなきゃイカサマじゃないんだぜ」
そう言い切る実の顔付きは自信満々であった。キャッチャーはまだ心配そうな顔をしているので、実はその肩を叩き、
「まあ、そんなに使わないさ。ピンチの時の切り札だ。あと三回締めて行くぜ」
と言って、ようやく落ち着かせた。
「よーし、ピンチを脱したんだ、ここで追加点頼むぜ」
実が全員に声を掛ける。
「おーし」
この回は一番・宇早からの好打順。宇早は打席に入り、ミートに徹するように短くバットを構えた。初球のストレートはバックネットへのファール。タイミングは合っている。二球目、内角へ食い込む変化球、これも上手くカットした。
ここで宇早は立ち位置を変えた。自分の足と進塁を考えてか、打席のピッチャー寄りに立っていたのだが、かなり下がってキャッチャー寄りのベース寄りに構え直した。
三球目は外角ギリギリの速球。内角は上手く当てられたし、短く持ったバットでは届かないと見ての一球であったろう。しかし、宇早は瞬時にバットを長く持ち直し、これに付いて行く。それでもボールには届かなそうであったが……
何かを叩いたような音が響き、ボールはキャッチャーの後ろに転がっていた。
「打撃妨害! テイクワンベース」
宇早のバットはボールではなく、キャッチャー真田のミットを捉えていた。最初からボールを打つ気などなく、これを狙っていたのだった。宇早は一塁へ進む。やられた、という顔をする伊賀中央バッテリーを見て、
「所詮、野球においてはまだキャリアの浅い素人よ。こういうところは甘いな」
と実は笑う。二番の布酒が素振りをして打席に入る。初球、宇早が単独スチールを仕掛けた。布酒が大きく空振ってそれを助け、二塁はセーフ。ここで、実が何やらサインを出すと宇早は頷いた。
宇早は大胆なリードを取って、相手投手・服部剣蔵を煽る。これに苛立ったのか、剣蔵は執拗な牽制球を放るが、宇早の戻りが速くオールセーフ。それでも投手に球が返ると再び大きく塁を離れて、挑発を繰り返す。初回に実がやったのと同じような展開だ。
「蠅め!」
剣蔵は叫びを揚げ、半ば怒りの表情で二塁へ牽制。しかし、これが暴投となり、宇早は労せず三塁へ進んだ。伊加佐間高校はノーアウト三塁の絶好のチャンスを迎えた。
これで布酒はバントの構え―スクイズの姿勢を見せる。伊加佐間側としては、忍者達を野球の駆け引きで揺さぶるつもりであった。スクイズをするぞ、するぞと見せ掛けて、バットを引く布酒の前に、翻弄される伊賀中央バッテリー。カウントを悪くして、結局、四球で歩かせてしまった。これでノーアウト一塁三塁。
ここで伊賀中央の内野陣が集まった。何やら話し込んでいる。次打者である実は打席からそれを見つめる。
「ふふん。考えたって無駄だ。ここはもう一点捥ぎ取る」
キャッチャーが戻って来て、試合は再開。実も最初からバントの構えをする。初球、内角へのブラッシング気味のボールが来て、実は慌てて避けた。
「しまった……当たれば良かったか」
今の対処を悔いたが、咄嗟の対応の為、仕方がない。気を取り直して、再びバント体勢を取る。ここから服部剣蔵は二球連続外角へ大きく外れるボールを投じた。
「くそっ……」
剣蔵は長い髪を振り乱しながら苛立ち、マウンドを蹴っている。
「苛つけ、苛つけ。こっちの思う壺だ」
実はそれを見て、薄笑いを浮かべる。四球目、失投なのか、やや内角に甘いボールが来た。実はこれを素直に三塁側へスクイズ。三塁走者・宇早は確かにホームへ向かって来ていた。
しかし、それよりも早く、実へ突進するかの如く向かって来ている者がいた。サードの風間幸太郎だ。彼はバントされた球を素手で瞬時に掴み取り、宇早にタッチした。
「アウトォ!」
主審のコールが響くと同時に幸太郎は一塁へ送球。ボールは実の足より速くファーストに到達し、これもアウトとなった。
「よっしゃぁ」
叫びを揚げ盛り上がる伊賀中央守備陣。皆、「してやったり」といった顔をしており、実は三塁にバントするように仕向けられたようであった。
「あいつの指示か……」
実はサードの風間幸太郎を睨む。わかっていなければ出来ないプレイだった事を考えると、野球経験者が企てたとしか思えない。実は地面を蹴り上げて、ベンチへ戻った。
このまま四番の滴藤も打ち取られ、この回の伊加佐間高校の攻撃はチャンスを生かせずに終わった。相手を意気消沈させようとして、逆に調子づかせる形となってしまった。
「仕方ない……。しめていこう」
実はナインに声を掛ける。皆、「おう」としっかり応答があり、士気が落ちた感じはなく、実は安堵した。
七回裏の伊賀中央の攻撃は五番の霧隠から。剣の達人らしく、バットを木刀のように縦横に振り、左打席に入って来た。
「さてと、打たされているのは気付いたようだし、慎重に行かんとな」
実はグラブの中で握りを確認し、初球を投じる。ややストライクゾーンを外れる外角の変化球だったが、相手は手を出してきた。剣を操るかの如く片腕を伸ばしてバットの真っ芯に当て、切っ先を返すように一本の腕で振り切った。
「何っ……」
驚く実。流し打ちの要領で打球は三遊間を抜け、ヒットとなった。まさに剣技を見るような一打であった。実としては、様子見の一球―それも慎重に行こうとしてのボールだっただけに、不本意な打たれ方だった。
続く服部剣蔵が打席に入って来た。先の回でのスクイズ防止といい、今のランナーがいる状況といい、気を良くしてノっている様子であった。
「ここで切らんと、調子付かせる事になりそうだな……」
実は真面目な顔をする。少し長めに構えて投じた一球は、打ち頃の直球に見えた。ところが、打者がこれに食らい付く寸前にボールが奇妙な揺れを見せ、ミートポイントを外した。結果、ピッチャーゴロでゲッツー完成となったのであった。実が投じた一球は当然、例のワセリンボールである。このまま次打者も打ち取り、チェンジとなった。
八回の攻防も、伊加佐間はイレギュラーによるラッキーヒットと四球でランナーを出したものの後続が続かず、伊賀中央もツーアウトランナーなしから猿飛が快音を発したものの、セカンドのファインプレイでアウトとし、三者凡退で切り抜けた。
「よし、イケる」
実は残り一回まで漕ぎ着け、勝利を確信し始めていた。ナインも高揚感を示していたし、この回を乗り切った事でスタンドも勝ったような大騒ぎであった。




