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邪道甲子園  作者: 馬河童
18/48

『高知キャンプの異変』

 太平洋を臨む四国地方、高知県安芸市。冬でも温暖な気候を保つこの地で、プロ球団・大阪ナンバーズは春季キャンプを行っており、各選手、開幕に向けて順調な調整を重ねていた。昨シーズンは、夏の甲子園で優勝しドラフト一位指名で入団した大和学園卒の岩本が大活躍し、日本シリーズまで駒を進めていた。惜しくも日本一は逃したものの、選手達はその雪辱に燃え、濃密な練習をこなしていた。

 わーっという歓声と大きな拍手が起こり、フリー打撃に岩本が登場した。プロに入って一段と成長した彼は、打撃投手が機械のように投げる球を軽々と何本もスタンドインさせる。その度に観衆は沸き立ち、球場は試合さながらの興奮状態となっていた。

 ここで不思議な事が起こった。岩本が突然連続で空振りしたのだった。いや、練習なので空振りがあってもおかしくはないが、それにしても岩本程の打者がフリーバッティングで空振りを繰り返すのは珍しい。

 手を挙げて、少し待つように指示する岩本。一度打席を外し、滑り止めを付け直した後、数回素振りをする。再び打席に入り、改めて指で丸印を作りOKのサインを出す。今度はピンポン玉のように打球が飛んで行く。何球もスタンドインして、豪打をファンに見せ付けた。

 既定の球数が終わったのか、岩本は打席を外す。だが、何か納得がいかないのか、マウンドの打撃投手をしばらく見つめていた。その視線は、次に打席に入った助っ人外国人のジョンソンが打つ時も外されなかった。ジョンソンも凄まじい怪力で、バットに当たっただけで柵越えを連発する。

 ところがそのジョンソンも一球空振りし、その後連続でもう一球、転倒する程の空転を見せた。

「ちょっと待った」

 手を挙げて岩本がマウンドへ行く。

「崎本さん、どうなってんですか。俺達の調子を崩す気ですか」

 打撃投手・崎本に詰め寄る岩本。

「どうもこうも……。一体どうしたと言うんです?」

 崎本は素知らぬ顔で応える。

「しらばっくれないで下さいよ。先程から俺やジョンソンに妙な変化球投げてるでしょ」

「ええっ。そんな筈は……」

 身に覚えのない、という顔をする崎本。

「ちょっとあんた、その手……」

 岩本は何かに気付き、崎本の手を取る。その手は豆だらけになっていた。

「崎本さん、もしかして投げ過ぎで、この豆……」

「もしかして、引っ掛からないように投げたから、それで妙な変化をしちゃったのかも知れません。すみません……」

 頭を下げる崎本。

「いえ……そういう事なら仕方ない。無理しないで下さいね。崎本さんに負傷されたら練習にならないですよ」

 岩本は逆に恐縮して謝る。

「ジョンソンが終わったら代わります。ご迷惑をお掛けしました」

「いえ……」

 岩本は戻って行く。彼は背を向けており気付かなかったが、その時、崎本はいたずらっ子のように舌を出していた。

 ジョンソンの打撃が再開した。崎本は淡々と投げ込み、ジョンソンは再び豪快な当たりを連発した。

「ラスト!」

 ジョンソンが最後の一球だと宣言する。その一球、何故か崎本のフォームが豪快なものに変わり、外角低めに投げられた速球は、見事に空振りを奪ったのだった。

「センキュー」

 そう言って、足早に引き揚げて行く崎本。皆が唖然としてそれを見送った。


 この日の練習後、ちょっとした事件が起きた。練習を終え、宿舎に戻った選手達は、無人の食堂に縄で縛られて猿轡を咬まされている男を発見した。若手が慌てて解放すると、何と打撃投手の崎本だった。

「た、助かりました……」

 崎本は緊縛を解かれ、息を切らしながら礼を言う。

「崎本さん、一体何があったんですか」

 岩本が尋ねる。それから崎本が語ったのは次のような次第だ。

 

 崎本は昼、フリーバッティングで投げようと肩を作っていたところ、突然、何者かに背後から襲われ眠らされてしまった。おそらく麻酔のようなものを嗅がされたのだろう、一気に意識が遠のいていったという。そして気付いたら、縛られてここに寝転がされていたという訳だ。あまりの早業に相手の姿は全く見えなかったそうだ。


「……という事は、崎本さんはさっき投げていない?」

 岩本が不思議そうな顔をしながら聞く。

「も、勿論……。投げられる筈がないです」

「じゃあさっきのは誰なんだ」

 食堂がざわつき出したが真相はわからない。崎本は何かを盗られたりした形跡はないようで、強盗ではないようだが、

「被害届を出すか。ウチの主力に投げて逃げて行くなんて、スパイの可能性もある……」

「崎本さんに怪我がないようであれば、あまり騒がない方が良いのでは……」

 などと意見が飛び交った。しばらく皆が騒めいていたが、岩本がおもむろに口を開いた。

「この件、良ければ俺に任せてくれませんか」

「岩本……。何か心当たりがあるのか」

「確証はないですが、俺とジョンソンに投げて来た事を考えると、もしやというのは……。いいですか、崎本さん」

「え、ええ」

 崎本は小さく頷いた。とりあえず球団も納得してくれて、解明後の報告を条件として岩本に一任される事になった。


「俺の予想通りなら、奴がこれだけで済ます筈がない」

 岩本にはそれとなく犯人の検討が付いているようであった。だから一人で夜間練習したり、休日に出歩いたりする機会を増やしたりして、餌を撒いた。

 その日も彼は夜間に単独でマシン打撃をしていた。百六十キロにマシンをセットし、それを黙々と打っていた。相当なスピードにもかかわらず、ほとんどが会心の当たりで、さすがの打棒であった。だが、次の球が投じられる、という時にそのボールに横から別なボールが飛んで来て、岩本の打席に届く前に地に落とされてしまった。

「現れたな……」

 岩本の視線の先に、黒装束の男が立っていた。顔も覆い隠しており、まるで忍者だ。鍵の掛かった練習場にどうやって入ったのか、男は音も立てずに忍び寄って来ていた。

 しかし、岩本の表情にも驚いた様子はない。まるでこうなる事を予期していたかのようであった。

「こんな賊が侵入しているのに驚かぬとは、さすが岩本選手と言うべきか……」

 自らを賊と名乗った男が口を開く。覆面のせいか、籠ったような低い声だ。

「随分と大それた事をしてくれたなあ。打撃投手と入れ替わるとは……」

「今更言い逃れはしない。確かに打撃投手に変装していたのは俺だ。ただ、その俺が誰だか知っているような口振り……。はて?」

 賊はそらとぼけたような口を利く。岩本はそれを無視して、

「まあいい。ここへ何しに来た。まさか自首という訳でもあるまい。俺と勝負でもしたくて来たんじゃないのか」

 と尋ねる。

「ご名答。洞察力に長けていらっしゃる。その言葉通り、俺と勝負してもらおうか」

 賊は足元に落ちていたボールを拾い、それを指で回して玩ぶ。人差し指の上でボールが回っており、神業という他ない。

「今、俺が警察でも呼べばお前は捕まるぞ。よくもそんなに大胆でいられるものだ」

「ふふ。ならば呼んでみるがいい。俺は決して捕まらん。それに……」

 賊は勿体つけて言葉を切る。

「それに……何だ」

 岩本が苛立って問い詰める。

「あんたは勝負を挑まれて逃げる輩ではないだろう」

 そう言って賊は覆面の奥でくっくと笑った。それを見て、岩本も笑う。

「ふふふ。やはり俺が睨んだ通りのようだな。よし、勝負を受けてやろう。だが、俺が勝ったら、その覆面を取って球団に突き出す。それで良ければ受けてやる」

「そんな事か。いいだろう」

「男に二言はないな」

 岩本の確認に賊は頷いた。そのまま彼は、室内練習場の中でも特に広く作られている、マウンドと打席がある一角へ導いた。その間、言葉は交わさない。無言で賊がマウンドに、岩本が打席に入る。

「グローブは?」

 岩本が素手のままの賊に問い掛ける。

「いらぬ。このままでいい」

「ピッチャーライナーが行っても知らんぞ。怪我してもそのまま警察に突き出すからな」

「さすがプロ、言う事が違うな。だが、その自信打ち砕いてくれる」

 開始のコールもなく、対決は始まった。初球、賊の右腕から繰り出されたのは外角低めの速球。ややボール気味だが、岩本は手を出し、真後ろに飛ぶファール。

「ほう……結構速いな」

 岩本は少し驚いた顔をした。予想していたより、スピードがあったようだ。

 二球目、何の変哲もないど真ん中の直球と思いきや、岩本のバットは空を切った。

「ボールが消えた……」

 ちょうどベースの辺りでバットが当たる所でボールが消失したのだった。そして空振り後にボールは後ろの金網に当たった。呆然自失とする岩本。

「消失球……。プロと言えど打てる筈がない」

 賊は自信満々に言い切る。

「そうか、この前俺とジョンソンに投げたのも今の球か……」

 岩本は合点がいったという顔をした。そして、打席内の位置を一番後方、キャッチャーがいればモロにキャッチャー寄りになる辺りに変えた。

「それに何か意味があるのかぁ」

 賊は煽るように言葉を投げ掛け、勝負球を放って来る。ボールはまたもベース手前で消えた。岩本はその直後から振り出す。現れたボールに掠って何とかファール。

「ふう……」

 汗を拭う岩本。

「よく当てたな。だが、マグレは続かんぞ」

 賊は引き続き消失球なる魔球を投げてくる。だが、岩本はこれもカット。さらに二球連続続けてファールした。岩本は不格好ではあるが、何とか消えた球が再び出現する瞬間を捉え、ファールにしていた。

「マグレでは……ないな」

 賊もようやく気付いたようだった。

「大した球だが、それで三振はせんぞ。何故なら俺には消えた球が再び現れる瞬間を捉える事が出来る」

 これは岩本だからこそ為せる業であった。彼の目、特にその超人的な動体視力は、過去に服部剣蔵の分身投法を見切って打ち破った程である。その彼が打席後方ギリギリに構え、球が消えてから再度出現した瞬間にバットを振ってカットしているのであった。こんな芸当は常人においそれと出来るものではない。

「さすがと言うべきか……。だが、前に飛ばせた訳ではあるまい」

 そう言って投げる賊だが、またしても岩本は当ててきた。

「このまま行けばお前の方がへばりそうだがな。どうやら体力はともかく、精神力を消耗する技と見た」

 岩本の指摘通り、この消失球は結構なエネルギーを使うようで、投げている覆面男の方が肩で息をし始めていた。

「うるせぇ」

 賊は捨て台詞を吐きながらまたしても消失球を投げて来るが、今度は岩本のバットが快音を発し、わずかに一塁線を切れるファールとなった。

「消える時間が短くなっているな。これなら俺が打つのも時間の問題だ」

 岩本はニヤリと笑みを浮かべる。

「黙れっ」

 賊は逆上して怒りに任せて次の球を投げる。またもベース手前でボールが消えるが、何とその消えたボールに横から何かが飛んで来て、実体を暴き出した。ぶつかったボールが飛んできて、慌てて避ける岩本。

「おいおい、こんな楽しそうな勝負、勝手にやってんじゃねーよ」

 何と白装束白覆面姿の男が、打席の岩本から見て正面の方角から歩いてくる。この男が消失球に脇からボールを投げてぶつけたのであった。

「白い覆面……。何者だ」

 岩本と勝負をしていた方の黒覆面が尋ねる。だが、白覆面は答えない。

「おいおい、分身の術か。本当に身体を分けられるようになったのか」

 両方を見ながら岩本が言う。

「あんた、何を言ってるんだ」

 黒覆面は両手を開き、意味が分からないといった仕草を見せる。

「……まあいい。何だか収拾がつかなくなってきたが、俺はどうすればいいんだ」

 岩本はうんざりした表情で、二人に問う。

「突然脇から入って来て、何だ、お前は」

 黒が白に突っ掛かる。白は全く気にする素振りもなく、

「こいつは俺の獲物だ。どこの馬の骨かわからん奴には渡せん」

 と岩本を指差す。差された岩本はニヤニヤして呟く。

「俺も人気あるんだな。もっともこんな得体の知れん奴らの人気ばかりじゃ困るが……」

「下らん話はいい。勝負していたのは俺だった筈だ。後から来た奴はその後だろう」

 黒が言い放つ。岩本も頷く。

「まあそうだな。後から来たんだから、順番くらい守れ。ちゃんと相手はしてやるよ」

 不満げな白だが、二対一で言われてはどうしようもない。腕組みしてファールグラウンドに退いた。

「とはいえ、もうお前の消える球は通用しない。それでもやるのか」

「ナメるなよ」

 黒覆面は何と左腕で放って来た。やや真ん中よりの速球がベースへ伸びてくる。打席の岩本は少し戸惑ったようだが、その眼力は投げた腕など関係なく球だけを見ていた。バットが振り出される。

 しかし、黒覆面は二重に罠を張っていた。速球と見せ掛けた球は高速のフォークだった。打ちに行った岩本のバットは空転するかと思われたが、

「ふんっ」

 気合一閃、スイングはボールの落差に付いて行く。岩本の目はボールをはっきり捉えており、彼の身体能力はそれに同調した。快音が響き、黒覆面の脇を強烈なライナーが通り過ぎて行った。試合なら間違いなくセンター前ヒットだ。

「服部剣蔵、お前の負けだ。潔く顔を見せろ」

 岩本は黒覆面に通告する。やはり最初から剣蔵の仕業と見切っていたようだ。ところが、敗北を認めた相手が覆面を取ると、

「何っ……。服部剣蔵じゃ……ない……」

 全く違った顔が現れ、岩本は驚く。

「誰だ、お前」

「俺は……」

 覆面を取った男が答えようとした時、

「待った。そんな敗北者は置いておいて、俺と勝負してもらおうか」

 白覆面が岩本の前に立ち塞がり、勝負を迫った。

「そうだったな、もう一匹いたか。いいだろう。相手になってやる。ただし、負けたお前は逃げるなよ」

 岩本は覆面を取った賊に念を押す。

「ほら、どけってよ」

 白覆面はマウンドから敗北者を押し退ける。素顔を晒した男は苦々しい顔をして、ファールグラウンドに歩を進めて行った。

「さあて、第二ラウンド、いや本番開始だぜ」

 白覆面がマウンド上で不敵に叫ぶ。岩本は黙って再び打席に入る。そして、例によってその目は相手をしっかりと捉えていた。

「行くぞっ」

 初球、外角低めの直球。これがベース手前で小さな変化を起こし、さらに逸れて外へ逃げて行く。

「くっ……」

 岩本は何とかカットしてファール。

「まあ、あんたならカット出来るわな」

 白覆面は予想通りといった感じで余裕綽々だ。

「なかなか面白い勝負が出来そうだな」

 岩本も笑みを浮かべる。強者との戦いがこの上なく楽しいと思えるが故の笑みだ。

「面白がってられるのも今の内だぜ」

 二球目、白覆面は奇妙なモーションから、印を唱え、投げ込んできた。何の変哲もない棒球であったが、岩本は全く手を出せなかった。

「しまった……。催眠術か……」

 岩本は相手を見過ぎた事で、術中に嵌まってしまったのであった。とはいえ、野球にこんな細工をしてくる相手がいるとは誰が思うであろう。

「そう言えば……一人いたな。そんなピッチャーが」

 岩本は首を振って、気を確かに取り戻した。

「言っておくが、今のはカウント稼ぎだ。あんたからストライクを取るのはなかなかしんどいんでな」

「もう食らわん。何でもやってくるがいい」

 打席で構え直した岩本からは気迫が漲っていた。

「ふふ。あんたのその気迫、俺が食らってやる」

 白覆面は楽しそうに呟きながら、勝負の一球を投じて来る。

「忍投・阿修羅っ」

 叫びの通り、彼の右腕が阿修羅のように三本になり、上中下全ての手から球が投じられたように見えた。三つの方向から来たボールが、ホームベース近くで一つになるように見える魔球であった。

「くっ」

 岩本は何とかこのボールに掠った。

「ちっ……掠ったか」

 白覆面は舌打ちする。

「面白い事をするな」

 汗を拭きながら岩本が呟く。その目は一層ギラついていた。

「あんた用の秘密兵器だ。通用しなきゃ困るんだよっ!」

 白覆面は引き続き忍投・阿修羅を連投。しかし、岩本はまたもこれをバットに当て、三振を逃れた。その後もしっかりと振れてはいないが、三球連続ファールした。

「なるほどな……」

 ここで岩本が納得したように頷いた。

「何がなるほどな、だ。手も足も出てねえ癖に……」

「大体の原理はわかった。以前、ある投手が分身投法なる違反投球をやってきた事があるが、お前が今やっている投法も本来は違反投球だ」

 岩本は自信満々に言う。

「あんたの目はそれを捕らえてるってか……」

「お前の今の投法は、投げる瞬間に腕を高速に上下に振り、そのスピードを維持しつつ、前方に球を投じている。余程、筋肉や関節が柔らかいのか、常人では考えられない動きだ。だからこそこんな球が成立するんだろうが……」

「そこまで見切っていたか……」

「俺用の秘密兵器とか言ったが、ボールが三つに見えるあたり、確かに目の良さがウリの俺にはうってつけの球かも知れんな」

「だったら違反投球だと主張するかよ」

「バカな……。そんなつもりはない。むしろ、次の一球で打ち砕く」

 岩本はバットを前方に突き出し勝利宣言した。

「原理がわかったくらいで何をほざきやがる。打てるもんなら打ってみやがれっ」

 白覆面は半ば逆上して、再度、右腕を阿修羅にして投げ込んできた。しかし、その一球を岩本が打ち砕いた。打球は大きく上がり、最後方のフェンスまで飛んで行った。

「何だと……」

 打球の行方を見て立ち尽くす白覆面。

「はっはっは。確かに面白い球だったが、俺には通用しない」

「くそっ……何故だ」

「ちゃんと理由はある。無謀な投法だけに、このボールにはスピードが足りないのだ」

「スピードだと……」

「腕を上下に振りつつ前に投げ込むなど、力学的にも無理がある。確かに目は幻惑されるが、スピードは百二十キロ程度しか出ていないだろう。俺にしてみれば、目さえ慣れてくれば、ボールが一つになる瞬間に捕らえれば良いだけの話……。さあ覆面を取れ」

 舌打ちしながら白覆面が素顔を晒す。

「服部剣蔵! そうか、こっちがお前だったか……」

「くそっ……。リベンジならずか」

 剣蔵の顔は悔しさで一杯であった。苛立ちでマウンドを蹴り続けている。

「で、そっちの男はお前の仲間か」

「いや……知らねえな。誰だ、お前」

 岩本と剣蔵が同時に元黒覆面の男を凝視する。

「この状況では名乗らずにはいられぬようだな……」

「当たり前だ。負け犬野郎」

「それはお前もだろう」

「何いっ」

 男と剣蔵は醜い言い争いをする。

「こら、負け犬同士で吠え合うな。とにかくお前、何者だ? 崎本さんに化けて、彼を縛り付けたのもお前だな」

「ご明察。もっともあんたは犯人をこの男だと思っていたようだが……」

 男は剣蔵を指差す。

「というより、お前を服部剣蔵だと思っていた。まさか別の新手がいたとはな」

「俺は腕試しに来たまで。プロで活躍する打者がどの程度か、実力を見せてもらいにな」

 男は不敵に笑う。

「こっちはいい迷惑だぜ。犯人扱いされるわ、先を越されるわ……」

「乱入して対戦を求めるあたりは大して変わらんだろう」

 岩本が剣蔵に対して呆れ顔で言う。

「さすがプロ、いや、さすが岩本と言うべきか。俺は負ける予定ではなかった。確かに超一流の実力見せてもらった」

「そうか。俺も面白かったぜ。それに免じて名乗れば突き出すのは勘弁してやろう」

「それはかたじけない。俺の名は甲賀誠児、サッカー日本代表・甲賀誠助の弟だ」

「何っ。甲賀……」

 男の名乗りに瞬時に反応したのは剣蔵だ。

「服部の直系、剣蔵だったか……我ら甲賀がサッカーで成功したのを見て、伊賀も野球で一旗揚げようという狙いのようだが、そう簡単に行くと思うなよ」

「てめえ……」

 睨み合う伊賀甲賀の忍者達。岩本がその間に割って入る。

「おいおい、お前らがやり合うのは勝手だがな、突然挑んできて俺に詫びもないのか。それも負けたくせに……」

「む……」

 剣蔵と甲賀誠児は一度互いの顔を見合わせてから、岩本に向き直り、

「負けは認める。罪も免除してもらえるとの事、感謝する」

「俺も負けた。やっぱりあんたすげえな」

 二人共素直に頭を下げた。そして、甲賀誠児は

「だが、この借りは必ず返す。忘れるな。そして伊賀よ、この夏、覚悟しておくんだな」

 と岩本と剣蔵を挑発すると、瞬時にその場から姿を消した。移動したのか、何か術を使ったのか、とにかく奴の身体は二人の前から消失した。

「あの野郎……」

 剣蔵は誠児がいなくなった空間を見つめながら呟く。

「何とも大胆不敵な賊だったな。まあ、お前もだが」

「ちっ、俺がこっそりと挑戦に来たつもりが、先にあんな奴が来るとは……」

「お前、そんなに俺と再戦したかったのか。俺の最後の夏には甲子園来なかったくせに。俺がどんだけ楽しみにしてたと思ってんだ」

「こっちも色々事情があるんだよ。あんたが馬鹿げた全国放送するもんだから、あんな奴まで出て来ちゃったじゃねえか。こちとら使命を全う出来なくなったら困るんだよ」

 剣蔵は怒り顔で言うが、それを見て岩本は笑った。

「ぷっ、何を言い出すかと思えば……。元々挑戦して来たのはお前じゃないか。結果的に俺の方が再戦したいと思うに至ったが……」

「確かにそうだった。自分の蒔いた種か……」

 剣蔵は苦々しい表情になる。

「それにしてもさっきの男、かなり出来るな。お前と遜色ない雰囲気があった。あの消える球には少し焦ったな」

「あんたに挑んでくるなんて……。甲賀め、やはり俺達の邪魔をするつもりだな」

「俺にはよくわからんが、忍者同士、ただならぬ因縁があるといったところか」

「へっ、返り討ちにしてやるさ」

 剣蔵は強がる。

「いい根性、そして面構えだな」

 岩本はその顔を見て微笑むが、

「さて、どうする。せっかくだからもう少しやっていくか?」

 と誘って来た。

「いいのかよ。こんな不審者が」

 思わぬ提案に剣蔵は驚く。

「もう一時間くらいなら付き合ってやる。俺も全国でお前を宣伝した手前、活躍してもらわんと困るからな」

「ありがてえ」

 こうして剣蔵は岩本のフリー打撃の相手をし、みっちり実戦練習を積む事が出来たのであった。


 ちなみにこの後、岩本は「思い当たる所はあったが、自分の検討違いだった」と報告し、球団もそれを受け、警察に被害届を出したが、犯人が捕まる事はなかった。



 高知から戻って来た剣蔵は早速、大阪ナンバーズのキャンプに甲賀者が現れた事をナインに知らせた。

「甲賀誠児……か」

「こりゃ才之助の件といい、いよいよ甲賀が俺達の前に立ちはだかるのは間違いないな」

「奴ら、次代の伊賀者を叩き潰した上で、甲子園出場の名声を得ようという魂胆か」

 皆がざわつく中、

「しかし、甲賀は滋賀だろう。俺達と甲子園でやるつもりか」

 と剣蔵が疑問を口にする。

「そんなエキジビジョンマッチで良ければこっちも気楽だが、編入でも越境入学でもやろうと思えば出来るからな。滋賀からわざわざこっちへ来る可能性もあるやも知れん」

 学が険しい顔で呟く。甲子園出場に命が懸かっている伊賀者としては、そこまでの道程に宿敵の甲賀が立ち塞がってくるのは嫌な展開であった。

「ご苦労なこった」

「戦国の世からの因縁をまだ引き摺っているだや」

「もっともそれにムキになってりゃ俺達も同じようなもんか」

 皆、口々に言葉を発し、笑う。

「それはそうと、服部、お前、岩本さんの所へ行ったのか。被害届が出たと新聞に書いてあったが、何かしでかしたんじゃないだろうな」

 幸太郎が不安そうな顔で尋ねる。

「違わい。その被害届こそが甲賀の仕業だ。俺の前に来ていた甲賀誠児が、打撃投手と入れ替わってキャンプで投げていやがったんだ」

「大胆な真似を……」

「それだけなりふり構わねえ奴らって事だ。岩本のお墨付きもあるし、確かに注意が必要かもな」

「あの岩本が……」

「まあ気にしても仕方ねえ。俺らは俺らで地力付けるしかないだろ」

 剣蔵にしては珍しく建設的な意見が発せられた。


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