『才之助の宿敵』
この夏、高校総体は三重県で開催されていた。夏真っ盛り、その剣道会場である、ゆめドームうえのへ足を運んだのは、伊賀の若手随一の剣士・霧隠才之助だった。地元でのインターハイは見ずにはいられないのか、試合に出る訳でもないのに木刀を持参して、食い入るように試合を注視していた。真夏の体育館は剣士達の汗と熱気でむせ返るようだった。
この日は個人戦で、幾つかのブロックに分かれて各県を代表する剣士が鎬を削っていた。ほとんどの剣士の実力は紙一重と言える程、大きな差は見られなかったが、その中でも一人、圧倒的な強さで勝ち上がっている者がいた。昨年、一年生にして高校王者になった滋賀県代表の時任司で、今年もその剣は猛威を振るっていた。彼の剣はとにかく速く、相手の動きがスローモーションに見えるくらい、先を制して面や小手が華麗に決まっていた。才之助の目も常に彼の動きに注がれていた。
全く危なげなく勝ち進んだ時任は、決勝戦でも相手を翻弄した。途中、木刀を下げるなどおちょくるような動きを見せながらも、高段者の相手が手も足も出ない。大人と子供くらいの実力差を感じさせる程、圧倒的な勝利であった。そのせいか、勝った後も彼の顔には笑みもなく、さも当然と言った表情で澄ましていた。
「貴様、圧倒的実力差がありながら、相手を弄ぶとは何たる卑劣漢」
引き上げる時任に声を掛けたのは才之助だ。その顔はいつになく真剣なものであった。
「お前……ああ、伊賀のクズ野郎か」
「貴様っ」
才之助は時任の物言いに珍しく感情を露にする。
「試合にも出ずに何をしに来た? 俺に中学の頃、完敗を喫して剣の道から外れたか」
「使命で今は野球なる競技をしている。だが、お前を打倒する事を諦めた訳ではない」
目の前にいる時任司こそ、彼がずっと追って来た甲賀者なのであった。
「バカな奴だ。俺に復讐する為にここまでノコノコ出てきたか」
「視察に来た、と言いたいところだが、ここで貴様を殺れるなら、殺らせてもらう!」
才之助の全身に殺気が漲る。時任もそれを感じ取ったのか、
「面白い。いいだろう、抜け」
と言うと、荷物を放り投げ、片手で木刀を携えた。同時に才之助も背負っていた木刀を袋から出し、しっかりと両手で持ち、構えを取った。
「こいつ……隙だらけだが、それだけに動けん……」
時任は片手で木刀を持っているだけで、無防備に見える状態なのだが、それが逆に不気味な感じを醸し出しており才之助を躊躇させた。
「ふっ、来ないなら行くぞ」
時任は斜に構え直し、フェンシングのように振り下ろし、突き、払ってくる。先程の試合とは全く違う動きだ。
「くっ」
繰り出される攻撃を何とか受ける才之助。完全に出鼻をくじかれてしまった。
「伊賀者ぉ、さらに弱くなったんじゃないかぁ」
時任は嘲笑を浮かべながら片手で攻撃を続ける。連撃の雨は止むことなく才之助を襲う。しかし、
「舐めるなっ」
才之助は気合一閃、突いてきた剣を大きく振り払うと攻勢に転じ、一気に形勢を逆転させた。不動の構えを保ちつつ、的確に相手の面や胴を狙い撃つ。
「ほほう、さすがにヘタレになった訳ではなかったか」
真顔に戻った時任は受けながら数歩引くと、構えを取り直し、しっかりと両手で木刀を握った。
「これが奴本来の構え……。あの時は何をされたかすらもわからなかったが、今回はそれを見極め、お前を倒す!」
才之助は言葉通り相手を凝視しながら少しずつ相手との距離を詰める。
「ふっ、慎重だな。剣において、確かに隙の無さは重要。しかし、俺はそれを超越する」
時任は才之助の倍近い速さで歩を進めてくる。その動きには全く迷いがない。
「たぁーっ!」
叫ぶと共に才之助の高速の突きが時任の喉元を狙う。普通なら一本入ってもおかしくない速度と勢いのある一撃だが、
「何っ……」
才之助の目は驚愕で大きく見開かれていた。いつの間にか己れの剣はすかされ、胴を薙ぎ払われていたのだった。防具もしていないので、この一撃は効いた。胸の下辺りを強打されたショックで身体がぐらつき震えている。
「な、何故だ……、全く認識しない内に……」
「俺の剣は時空をも超える。お前ごときクズに見極められる訳がなかろう」
「おのれ……」
「さてと、もう反撃する力は残っていまい。公式戦でもないし、誰も止めはしない。このまま滅多打ちさせてもらうとするか」
時任は悪意を含んだ笑みを浮かべ、動きの鈍った相手を撃ちまくる。何とか木刀と腕で急所は避ける才之助だが、撃たれた個所から血は吹き出し、今にも崩れ落ちそうだ。
「はっはっは。これは痛快。サンドバッグを叩くというのはこんな感じなんだろうなぁ」
時任は悪趣味な戯言を吐き、楽しそうに剣を振るう。才之助の手から木刀が落ち、今にも無防備な面に一撃入らんとしたその時、
「待てっ! 何をしている、貴様っ」
それを止めに割って入る者があった。
「誰だ、お前」
楽しみを邪魔された時任は不快な表情を見せる。しかし、相手はそれには取り合わず、
「霧隠、大丈夫か」
と才之助を助けに駆け寄った。
「か、風間……」
止めに入ったのは誰あろう、伊賀中央高校野球部のチームメイト・風間幸太郎であった。
「あの男……、個人戦で優勝した奴だな」
「気を付けろ。奴は甲賀者だ」
「そういう事か」
才之助の言葉を聞き、納得した顔で頷く幸太郎。
「オイオイ、何だお前。俺は止めに入ったから助けてやろうなどとは思わんぞ。まとめて始末してやろうか」
「始末……とは穏やかじゃないな。インターハイで優勝する強者の姿勢とは思えん」
「あんな試合……何の意味もない。俺は自分が楽しいようにやるだけよ」
時任は残忍な笑みを浮かべながら言い放つ。
「お前達の経緯はよくわからないが、引いてくれる気はないようだな」
幸太郎は才之助が落とした木刀を拾うと身構えた。
「や、やめろ、風間」
「やめたくても逃がしてくれそうにはない。ここはやらねばお互いの身を守れまい」
幸太郎は両手で木刀を握り時任に対峙する。
「ほう、素人の構えではないな」
「子供の頃から剣道は嗜んでいた。お前に敵うとは思えないがな」
「よく身の程を知っているではないか。だが、容赦はしない」
時任はロクに構えもせず速足で近付いてくる。幸太郎はそれを見ると、一歩後退り、構えを変形させて、何と木刀で豪快に打者の素振りをして見せた。勿論当たらなかったが、凄まじい風切り音はさしもの時任を一歩後退させた。
「確かに殺気の籠もったいい一振りだ。だが、そんな奇策が何度も通用すると思うな」
気を取り直して迫る時任に、幸太郎は踏み込んで再度フルスイング。しかし、時任はギリギリで見切ってこれをかわすと、
「台風の目を叩く!」
一気に踏み込み、上段を繰り出してきた。その攻防一体の動きは神業的な速さだ。
「ふんっ」
だが、幸太郎もさるもの、瞬時に握りを替え、左打者のスイングで薙ぎ払う。その凄まじい勢いを感じたのか、時任は慌てて身体と剣の向きを変え、これを受けた。しかし、幸太郎の暴風とも言うべきスイングは止まらず、受けた相手を後方に弾き飛ばした。軽い足取りで着地する時任。
「やるな……。お前も伊賀者か。いや、違うな」
「俺は打者だ」
「打者……。そうか、今のは野球とやらの振り方か。ふはは」
自分で納得した感の時任は、薄ら笑いを浮かべると、才之助を一瞥した。
「なあ、伊賀者よ。笑える事に、こいつの方がお前より強いな」
「何だと」
才之助は時任の言葉に憤りを示す。
「お前の怒りなどどうでもいい。面白い奴を見つけたんだ。遊ばせてもらうとしよう」
時任は再び幸太郎に近付いて行く。幸太郎は再び猛烈なバットスイングで応戦する。
「何っ」
しかし、時任はいつの間にかその背後を取っていた。さすがの幸太郎もこれには慌て、再度逆スイングを繰り出すが、
「遅いっ」
時任の一薙ぎが左肩を掠めた。幸太郎の衣服は破け、肌が剥き出しになった。打たれた痕は真っ赤になり、少し流血していた。
「今、何をした」
起こった事が信じられないといった顔で幸太郎が聞く。
「いちいち戦い方を相手に教える敵がいるかぁ」
攻勢に転じた時任はさらに攻め掛かろうとするが、急に何かを感じたように後退った。幸太郎が正統な剣道の構えに変わっていたのだが、理由はそれだけではなかった。
「どうした、来ないのか」
幸太郎は挑発する。その目は異様なまでに鋭さを増していた。
「お前……。そのプレッシャー、いや、殺気……。本当に何者だ」
時任が退いた訳は、幸太郎の発する凄まじい威圧感を感じた為のようだった。野球で普段から剣蔵が味わっているものであるが、それは剣の道において特段の実力者である時任をも躊躇させたのだろう。
「だが、迫力だけで勝てるもんじゃないのはお前もわかるだろう」
時任は幸太郎の気迫を認めたものの、逆にそれに対して嬉々として向かって行く。幸太郎は身構えるが、
「何をやっておるか~っ」
突然、大喝する声が響き、皆が動きを止めた。スーツ姿の大人が数名、険しい顔で睨んでいた。大会役員であった。
「時任君じゃないか。こんな所で剣なんぞ構えて何をしておる」
「野試合とでも言いましょうか。勝負を挑まれたものでつい……」
時任は全く悪びれる事なく嘘を吐く。
「こんな事をやっていてはいかん。君は剣道界の宝じゃ。すぐに剣を収めるんじゃ」
「だってよ。命拾いしたな、お前ら」
時任は他人事のように剣を片付け、その場を後にしようとする。
「ま、待て……」
才之助がそれを呼び止める。
「何だ負け犬が」
「俺は……必ずお前に勝つ。見ていろ」
「そんな負け犬の遠吠え聞かされてもなあ。そもそもお前、剣を捨てた身だろう」
「剣を……捨てた訳ではない」
才之助が睨む。
「野球とやらをやっていると言っていたが……、そうか、ウチの誠助兄ぃが蹴球で活躍した二番煎じを伊賀もやるつもりか」
「何だとっ」
才之助は立ち上がり向かって行こうとするが、役員達に引き離された。
「ウチの一族にも伝えておこう。伊賀が妙な事を考えているとな。はっはっは」
時任は笑いながら去って行った。
「待てっ、時任っ」
才之助は叫ぶが、時任が振り返る事もなく、追おうにも役員達が壁になって行く手を阻まれてしまった。
時任が去ると、役員達は才之助と幸太郎に注意を始めた。
「君達ぃ、今時、野試合みたいな真似はイカンぞ」
「見たところ、君達も高校生だろう。しっかり部活に入って、大会で挑みなさい。インターハイ王者にこんな事で怪我や不祥事を起こされちゃ困るんだよ」
「はあ……」
二人は時任から仕掛けてきた事を力説したが、全く信じてもらえなかった。結局、不良少年のように扱われ、役員側も事を荒立てたくないからなのか、叱責の後、今の出来事は固く口留めするようにと言われた。二人としても、野球に影響が出ては困るので、渋々とそれに応じたのだった。
「全く……悪辣な王者だな」
もう薄暗くなった帰り道、幸太郎が不平を述べた。衣服は破れ、喧嘩でもしてきたかのような姿だ。
「強ければ何をしても許されるという論理だ」
「剣道や柔道ではありそうな考え方だな。そういう意味ではお前達の野球観、いや勝負観と変わらんな。忍者の論理とでも言うべきか」
「違いない」
才之助が苦笑する。
「怪我はないか」
「このくらいなら問題ない」
と言いながらも、打たれたダメージがあるようで、才之助は足取りが重い。
「大丈夫……ではなさそうだが、お前ならすぐに回復するか」
「俺の事はいい。ところで風間、お前は何故あの場に?」
「いとこが試合に出ていたので見に来たんだ。帰り際にあんな場面に遭遇するとはな」
「あいつは……俺が倒さなくてはならないんだ。小学校の頃、上野城で行われた剣道大会に乗り込んで来て……。それ以来、ずっと勝てずにいる」
「それであんなに熱くなったのか。いつも冷静なお前があんなに激情を示すなんてな」
「あいつを前にすると冷静ではいられない。精神面が大事な剣道ではあるまじき事だが」
「確かにとんでもない達人だ。剣道をかじった程度の俺が言うのも何だが、お前もかなりのレベルだろうが、奴はずば抜けている。特にスピードが一級品だ」
「うむ。何度もあいつの動きを見極めようとしたが、どういう訳か、目にも止まらぬ速さで踏み込まれていたりする」
「先程、俺もいきなり背後を取られていた。そんな動きを見落とす筈はないんだが……」
「だから言ったのだ。野球などやっていてはあいつには勝てんと……」
才之助は剣を叩きつけ、悔しそうな顔をした。
「そう言うな。野球は野球でお前達の命が懸かった命題なんだろう」
「それはそうだが……」
「それに奴の異常な速さだが、あれは忍術ではないのか。野球で服部が色々やっているように、あの時任という男は剣道でそれをやっているのでは……」
「俺もそうは思っているが……、ただ、術を掛けている形跡はない」
才之助は考え込む仕草を見せる。
「常識では考えにくい技なのでは? 漫画のような話だが、時を止めるとか……」
幸太郎が言うと、才之助は驚いた顔をした。
「お前も……そう思ったか」
「ああ。信じられないが、そうでもなければあんな事は起きないのでは?」
「俺も薄々は感じていたが、あまりに馬鹿げた考えの為、自らを信じ切れずにいた」
「信じていいんじゃないか。奴は甲賀の忍者だ。そして、忍者の性質上、お前達と同じくどんな事をしてでも勝ちに行く信念を持っている筈だ」
「しかし、そんな途方もない術があると言うのか……」
「俺は専門外だが、あってもおかしくはないんじゃないか。お前達が使う分身なんかも常識では考えられない技だろう」
「野球の達人たるお前がそのように感じたのなら、俺も自分の直感を信じて良いのかも知れぬな……。そうか、時を止める術か……」
才之助は考え込む。しばらく黙って歩いていたが、幸太郎が再び声を掛けた。
「奴の事は良いとして、さっきの口振りだと、お前達が野球をしている事が甲賀にバレるかも知れんな」
「む……。そうだった」
才之助はバツの悪そうな顔をした。これも彼にしては珍しい。
「甲賀も参戦して来る……か」
「あり得る事だ……これは失策だった」
才之助は頭を掻く。
「甲賀は既に知っているかも知れんぞ。ほら、例の岩本さんの甲子園での発言もあるしな」
「そう……だったな。いすれにしても、怪我を含めて学に絞られそうだな……」
才之助の言葉に続き、「だな……」と幸太郎も苦笑いした。
「何やってんだ。才之助、お前らしくもない」
翌日、グラウンドで二人が学に報告すると、やはり怒られた。
「すまぬ。奴を前にして、つい……」
才之助はただただ頭を下げる。幸太郎も横で直立不動の姿勢であった。
「才之助因縁の甲賀者か……。風間までやられるなんて一筋縄ではいかぬ相手だな」
「ああ。恐るべき相手だ。あのまま対峙していたらやられていた」
幸太郎が述懐する。
「だからって、お前達二人が怪我してくるなんて……。野球選手失格だ」
学の目は厳しく二人を睨む。
「しかも、甲賀に情報漏洩するなんて……。忍者も失格だ」
「いいじゃねーか、来たら来たで。甲子園のついでに甲賀もぶっ倒せるなんて、願ったり叶ったりさ。じいちゃんも喜ぶだろ」
相変わらず能天気な事を言うのは剣蔵だ。
「剣蔵は気楽でいいだや」
「そうだぞ。障害が増える事を喜んでどうする」
猿飛と学が厳しい顔で咎める。
「わかってるって。だがよ、俺は敵が強ければ強い程燃えるんだ。どうせいつかは強敵に当たるんだから、いいじゃねえか」
「好き勝手言うなあ……。頭を使う俺の立場にもなってくれよ」
学が恨めしそうに言うが、
「いざっていう時の俺のひらめきは知ってるだろ。学の頭が働かなくても何とかなるさ。やっちまったもんは気にせず行こうぜ」
剣蔵は全く気にしていないようであった。
「ダメだ、こりゃ……」
皆、呆れ顔でお手上げと言った仕草をした。




