『剣蔵対怪物・岩本』
「剣蔵、岩本には打たれてもいいからな。あまり色々と出し過ぎるなよ」
チェンジでマウンドに上がった剣蔵に、キャッチャー学が駆け寄る。
「バカ言え。このまま終われるか。今度は絶対に三振取るぜ」
「お前、またか……」
学は呆れ顔だが、
「ここは服部の言う通り、全身全霊で勝負だろう」
幸太郎が口を挟んできた。
「風間、お前が俺を後押しするなんて珍しいじゃねえか」
「後押しというか、お前が岩本さんを抑えられなきゃ甲子園なんて行けないんだよ。俺だって確証が欲しい。お前が全国クラスの打者をちゃんと抑えるところを見せてくれ」
「そういう事か……。ほんじゃまあ、見せてやるぜ、伊賀流の投法ってやつをな!」
ノリノリの剣蔵を見て、学はお手上げと言った表情になり、
「仕方ない、ここは剣蔵に任す。思いっきり来い」
とミットを叩いた。
「さすが恋女房! じゃあ全力で行かせてもらうぜ」
剣蔵を残して、二人は守備位置に戻った。
「風間の奴の後押しまであっちゃ、ここは絶対に打たせる訳にはいかんぜ」
剣蔵は十字を切り、気合いを入れ直し、「行くぞ、岩本っ」と叫びを揚げた。来いっ、と返す岩本の気迫も負けていない。
初球、剣蔵は何とアンダースローで投球。意表を突かれたか、岩本は見送り、ストライク。アンダースローらしくホップする伸びのあるボールで、迂闊に手を出していたら凡打になったであろう。
「こいつ……、何処まで引き出しを持っている。実に面白い!」
岩本は楽しそうな顔で、さらに気合いを入れてきた。
「ふん、意地でも打ち取る為だ。手段は選ばねえ」
二球目、剣蔵はギリギリまで投げ方を悟らせず、結果的にオーバースローで投げた。しかし、岩本は動じず、不動の構え。低めのボールに強振してきた。だが、ボールはそれを嘲笑うかのように落ちて空振りさせた。
「フォーク!」
「へへっ。野球でも通用するじゃんか、俺」
キレの良いフォークで初めての空振りを奪った剣蔵は得意げに笑う。上手と下手で幻惑した上、ボールまで細工する念の入れようだ。
「なるほど、さすが忍者だな。人を惑わす術に長けている。だが、同じ手は通じないぜ」
「わかってら。同じ技を何度も使う程、俺はバカじゃねえ」
勝負の一球、剣蔵は何と三人に分身した。その上、アンダースローで投球する。剣蔵もボールも三つになり、さしもの岩本も幻惑され空振りして転倒した。どうだ、と腕を突き上げて己を誇示する剣蔵。起き上がった岩本は、砂を払いながらそれをしばらく睨み付けていた。
「人間にあんな事が出来るとは……。これが忍者か。だが、次は打つ!」
これで岩本は引き下がったが、替わって監督の水谷がベンチを飛び出してきた。「反則投球ではないのか」という趣旨の抗議だ。これを受け、審判がマウンドの剣蔵を呼ぶ。
「先程の投球、私が見ても君が三人に分裂したように見えた」
「へえ、そうですか」
剣蔵はとぼけた調子で言う。
「特に機器等を用いた反則・違反の投球ではないと思われるが、差し支えなければどうやって投げているのか、聞かせて貰えないかね」
「どうやって……って。普通に投げましたけど」
「普通じゃないから聞いているんだ。違反投球なら認められない」
「ちょっと待って下さい」
ここで口を挟んだのは学だ。
「投手が変化球を投げたら一球ごとに握りを確認しますか。今の服部の投球は技術の一環だと思います。この場合、彼の身体をチェックするならまだわかります。それにその他を調べるならボールやマウンドでしょう。投げ方云々を議論するのは間違ってますよ」
「確かに……」
学の言に説得され、審判は剣蔵の身体検査及びマウンドとボールをチェックしたが、異常は認められなかった。大和学園の監督・水谷は納得していないようだったが、これ以上は無駄と悟ったのか、渋々引き下がった。
「学、やるじゃん」
剣蔵がにやけて相棒を褒める。
「俺の武器は頭だ。ルールなんか逆手に取ってでも勝たないとな。実際、分身は左右に素早く動いてるって意味では、投球時にプレートを外した違反投球だしな」
「なるほど。技術ってごまかしたが、本当は違反か」
「うむ。人並み外れた動きで三人になっているように見えるが、実際はプレート上で足を動かしているからな。そこまで見えないからこそ技術で通じるんだ」
「少し控えた方がいいかな」
「いや、効果的に使おう。打者のバッティングアイを狂わせるのに最適だ。剣蔵、ルールだの何だのはこっちに任しとけ。お前は相手を打ち取る事に集中するんだ」
「了解」
学の指示通り、剣蔵は分身を上手く使って相手打線を幻惑し、凡退の山を築いた。一方、双葉も甲子園投手らしい好投を見せ、幸太郎と才之助以外は打てる気配もなく、スコアボードには0行進が続いた。
そして迎えた七回裏、剣蔵は再び岩本を打席に迎えた。
「服部剣蔵、この打席は負けん」
岩本は並々ならぬ闘志を漲らせ、剣蔵を見据える。
「大した迫力だが、気合いだけでは打てんぜ」
剣蔵は初球、またも分身投法。三人の剣蔵が一斉に投げ込んでくる。これを岩本は打ちに来て、バックネットに突き刺さるファール。早くも当ててきた事に剣蔵も驚かざるを得ない。
「どうした。自慢の分身投球を当てられてビビったか」
岩本は自信満々で胸を張る。
「まぐれだ」
と剣蔵は強がり、二球目もアンダースロー分身で投じる。今度は岩本のバットがボールを芯で捉えた。一塁側への強烈なライナーとなったが、わずかにベースの外側を通りファール。慌てて学がタイムを取り、マウンドへ駆け寄る。
「あいつ、見えてるのか……」
さすがの剣蔵も先程の打球を見て焦りの表情を浮かべていた。
「そうとしか思えないな。それで反則投球を主張しないあたり、余程打つ自信があると見える。しかも、わかっていても普通は困惑しそうなもんだが、まるで動じていない。大した相手だ」
「うむ。こんなにゾクゾクする敵はそうはいねえ」
「とはいえどうする。打ち取る手段は……」
「とりあえずもう一球様子を見させてくれ。奴がどうして打てるのか知りてえしな」
学がポジションに戻り、プレイ再開。剣蔵は再びサイドスロー気味の分身投法。だが、この一球は外角へ逃げるボールで、岩本は平然と見送った。
「ふん、ボール球を振らそうたってそうはいかんぞ」
岩本が学に話し掛ける。
「あんたの選球眼じゃ、ボール球では通じないって?」
「そうじゃない。俺には見えている。奴がどうやって投げているかもな。こんな楽しい勝負、反則投球で終わらす手はない。この手で打ち砕いてやる」
「なるほど……」
学は頷くと、再度タイムを要求し、マウンドへ向かった。
「剣蔵、奴の挑発で原因がわかった。岩本は分身の原理から投げ方まで、全てを見切っている。奴にはお前の動きが見えているんだ」
剣蔵の下へ駆け付けた学が、分析結果を説明する。
「俺が投球の直前に高速でステップして分身しているのを目で捉えているってか」
「たぶんな。これまでの打席を見ても、奴は全て対応してきている。おそらく、常人に比べてあらゆるものがスローモーションにでも見える動体視力を持っているんだ。昔、プロで「ボールが止まって見えた」なんて打者がいたらしいが、そんな感覚かもな」
「だから色んな試行錯誤にもついてくるってか」
「うむ。厄介な相手だ。どうする」
「目が良いんだよな。なら、それを逆利用する」
剣蔵は学に耳打ちした。学はそれを聞いて頷き、ポジションへ戻って行った。
「何度もタイムを取りやがって……。まだ何かあるのか」
岩本は嬉しそうな顔で学に聞く。
「どうですかね。あいつに聞いて下さいよ」
学は剣蔵を指差す。
「あの顔を見る限り、何かやってきそうだな」
剣蔵の顔は楽しそうに緩んでいた。それを見た岩本の顔も実に楽しそうであった。
「へっへっへ。こっちをよーく見てくれちゃってるぜ……」
剣蔵は確かに楽しんでいた。岩本が鬼気迫る表情で自分を見ているのを感じ、嬉しくて仕方がないようだった。
珍しく剣蔵は投球動作に入る前に十字を切って、ゆっくりとボールを投げた。それも分身はせず、単なるチェンジアップ気味のボールをだ。しかし、何故か岩本は酔っ払ったかのようなデタラメなスイングでこれを空振り、打席内でまたも転倒した。
「また俺の勝ちだ!」
ふらふらとベンチに戻る岩本を尻目に、腕を突き上げ吠える剣蔵。岩本は今までの気迫は何処へやら、若干うつろな目をして引き下がって行った。
「おい、何をした」
マウンドに駆け寄った内野陣の中で、幸太郎が尋ねる。
「奴は超人的に目が良い。それを逆利用したのさ」
剣蔵は誇らしげに言う。
「どういう事だ」
「投球動作前から俺を睨みつけていやがったから、催眠術を掛けた」
「催眠術だと」
「ああ。普通なら掛からないかも知れねえな。だが、奴は目が良い事が災いした。俺の細かい動きまで目を離さないから効果はてきめんよ」
「お前……」
幸太郎は呆れ顔だが、伊賀者は、「さすが剣蔵」「忍法の勝利だ」と囃し立てる。それを見て幸太郎も、どんな手を使っても勝つと決めた以上、納得せざるを得なかった。
実際、催眠術を用いた事はさておき、幸太郎は感心していた。今の勝負、全国屈指の強打者・岩本を本気にさせ、彼の特性である動体視力の良さを見破り、逆用して相手を上回る策で打ち取った事自体は賞賛に値するものだった。幸太郎自身、内心、手に汗握ったし、剣蔵が間違いなく全国にも通用する逸材だと再認識出来た瞬間であった。
相手の要を崩した事で、伊賀中央は乗った。調子の上がってきた相手投手・双葉に対しても猿飛がファールで粘って食らいつき、四球で出塁。その後幸太郎のタイムリーで追加点を挙げた。一方、投げる剣蔵も相手にチャンスを与えず、最終回まで来た。
「よーしこのまま終わるぜ」
そして伊賀中央が4対2の2点リードで迎えた九回裏。さすがの剣蔵も二試合目である上に分身投法の疲労などもあり、四球を連発。ツーアウトながら一塁二塁としてしまい、逆転サヨナラのピンチで岩本を迎えた。しかし、剣蔵はさして動じる様子もない。
「確かに疲れたが、もう貴様は怖くない。さっきと同じパターンで試合終了だ」
剣蔵は早速催眠術モーションを交えて半速球を投じた。ところが岩本は体勢を崩さない。若干振り遅れたものの、強烈なライナーが三塁側のフェンスに突き刺さった。
さすがの剣蔵もこれには肝を潰した。この怪物は催眠術すら克服したというのか。タイムを掛けて、学がマウンドに駆け寄る。
「剣蔵、催眠術が効かない理由がわかった。岩本はお前のモーション時に目を閉じて術を防ぎ、瞬時に目を開き打っているんだ」
「あいつ、忍者かよ……」
「無茶苦茶なようだが理にかなっている。催眠術に掛からなきゃ奴は打てる」
「そういう事か……。ならばこちらにも手はあるぜ」
「どうする」
「まあ見てなって」
剣蔵は学をポジションに返すと、自信満々の表情でマウンドに立った。
「なるほど、確かに目を閉じているな」
剣蔵はモーションに入る前から岩本の様子を観察した。よく見ると、目を開けたり閉じたりを繰り返している。
「奴の目ならば瞬間的にも対応出来るってか。けど、そんな状態でこれが打てるかよ」
剣蔵はここで分身投法。だが、岩本はそれに対応してバックネットに刺さるファール。
「にゃろう、これすら反応可能ってか……。瞬時に目を開いて対応するなんて、相当な動体視力と反射神経の良さだな」
「ここまでの借りはこの打席で返す」
岩本は挑発してくる。
「こうなりゃタイミング・投法・球種、全てを駆使して葬ってやるぜ」
まず剣蔵は投球動作を緩慢にした。相手が目を閉じたり開いたりしているので、いつ投げるかを悟らせない為だ。そして、手の動きも付けて催眠術も施した上で分身し、かつサイドスロー、そして速球と見せ掛けて高速スライダーを投じた。しかし、岩本はこれに付いてきた。打球は三塁線を切れるファール。
「化け物め。しかし、全部が全部快打出来る訳じゃねえ」
今度はクイックで分身、アンダースロー、そして内角高めに殺人シュートを投げた。岩本はカッと目を見開き「もらった」と叫ぶと、これを居合切りのように打ち抜いた。打球はセンター方向へ一直線に伸びていく。このままフェンスを越えそうな勢いだ。
しかし、その時、外野の三つ子が打球方向へ集結、瞬時に一人ずつ肩に乗って五メートル近い人間ピラミッドを作り、頂点の男が打球をジャンピングキャッチした。
「アウトっ」
と審判がコールする。劇的な超人プレイで試合は終了した。
茫然として打球の先を見ていた岩本は自身のバットに視線を移した。
「チッ、少なからず幻惑されていたか……」
最後の一打、岩本は芯を外し、根元に近い部分で打った為、木製バットが折れていたのだった。結果的に打球の勢いは落ち、三つ子のコンビプレイが間に合ったという寸法だ。
「危ねぇ。それであれだけ飛ばすかよ。あんた、とんでもねえな。忍者になれるぜ」
剣蔵は頭を掻きながら、マウンドからバッターボックスへ歩み寄る。
「服部剣蔵……、夏は必ず甲子園へ来い。もう一度勝負だ」
岩本は折れたバットを置くと、素直に右手を差し出してきた。手は握ったものの薄ら笑いを浮かべ、言葉は返さない剣蔵。彼は背を向けながら一人呟く。
「残念ながらそれは叶わねえな……。俺もあんたとだったらもう一度勝負してみてえが」
「剣蔵っ」
戻って来る剣蔵を待っていた伊賀者全員がベンチ前で手を上げ、ハイタッチを交わす。
「やったぞ。全国レベルに勝った! 俺達の方向性は間違ってなかった」
皆、笑顔で喜びを分かち合う。
「どうだ風間、俺達も少しはやるだろ」
学が尋ねると、幸太郎は黙って頷いた。彼もこの勝利に手応えを感じたようで、充実感溢れる表情を見せる。
この日、伊賀中央高校は県外の強豪相手に二連勝を挙げたのであった。




