『波乱の新体制』
数日後、まだ残暑厳しい中、伊賀中央高校野球部の三年生は引退し、二年生を筆頭とする新体制が始まった。剣蔵ら伊賀者も最初は二年生の指示に従っていたが、段々とある事に気付き始めた。
「何だ、二年の先輩達、大した事ねえな」
浦田ら三年生は、レベルは低くてもまがりなりにも三年以上の野球経験者であり、剣蔵達を納得させるだけの威厳と実力があった。しかし、代わってリーダーシップを執る事になった二年生はそうもいかなかった。あらゆる面で三年生より実力が落ちる上、一癖も二癖もある伊賀者を押さえつける威厳も持ち合わせていなかった。
例えば浦田の代わりの新キャッチャーは剣蔵の変化球を取れなかった。ミットに触るのが精一杯で、ポロポロ落とす様は「こんなんも捕れないのかよ」と呆れさせた。また、二年生がランニングで持久力もスピードも劣る様は「もうへばってんの?」「遅いだや」と伊賀者にキツい言葉を吐き出させた。連日こんな声が聞こえよがしに囁かれ、二年生はフラストレーションがたまっていった。これに怒ったのは幸太郎だ。
「貴様らの身体能力の高さは認めよう。だが、目上の者に対する無礼な振る舞い、これ以上続けるようであれば許さん」
彼は強い口調で伊賀者の無法振りを批難した。
「目上だか何だか知らねえが、勝負の世界は実力主義じゃねえのかよ。実力のある者が主導権を握って戦いに赴く。弱肉強食、この世の絶対真理だろ」
これに猛然と反発する剣蔵。
「人を敬う気持ちなくして何が勝負だ。伊賀では礼節を尽くす事も教えないのか」
「否、俺達に礼節云々を求めるのならば、実力を示すべし」
「弱い奴、語る資格なしだや」
両者は完全に決裂した。部活動としては何とか機能しているが、いつ爆発してもおかしくない雰囲気だった。
幸太郎は二年生を鼓舞して、伊賀者を見返してやろうと頑張った。しかし、いかんせん身体能力の差は元より、彼ら自身が「甲子園を目指す」などという大望を抱いていない故、身体も気持ちも追い付いて来なかった。そして、「下級生のくせに生意気な」という苛立ちばかりが募っていった。
やがて剣蔵達はあからさまな行動に出てきた。彼らにしてみれば、役にも立たない上級生は邪魔者で、練習時間を食われ、グラウンドを使われる事すら腹立たしく感じ始めていたのだった。
「あんたら、辞めたら。向いてないよ」
「下手糞はいらん」
こんな言葉を平然と投げ付けるようになっていた。幸太郎が「いい加減にしろ」と割って入るが、そうすると伊賀者はそっぽを向く。幸太郎は発言者に詰め寄るが、「うっせえな、練習中だろ」と取り合わない。こんな状況がしばらく続いた。
そして、事件は起こった。伊賀の大巨漢、山嵐太はとんでもないパワーを誇るが、野球の技術自体はさほど進歩していなかった。守備ではファーストに就いていたが、送球をポロポロとこぼす事も多く、二年生よりも明らかに劣っていた。
「散々威張りくさってこのレベルか」
「図体だけの奴もいるなぁ」
二年生はここぞとばかりに嫌味を言った。これを耳にした太は怒ったが、学ほか伊賀者の面々は何とかそれを宥めた。規格外のパワーを誇る彼が暴れては元も子もなくなってしまうからだ。
やがて打撃練習になった。太は好物のストレートは物凄い打球を放ったが、変化球になるとからきしダメで、大型扇風機と化した。同じファーストの二年生が思わず失笑する。それに気付いた太の顔が仁王のように真っ赤になった。
次の一球、彼はまた大きな空振りをした。しかし、同時にその手からバットが吹っ飛んで行き、ファーストの股間に命中。故意か偶然か、太本人しか知る由もないが、いずれにしてもこれで大爆発が起こった。
「この野郎っ」
と不満を抱えていた二年生は全員、太に向かって行く。学が他の伊賀者に止めるように命じるが、止める者、迎え撃つ者、各自勝手に立ち回り、グラウンドはバットやグラブが乱れ飛び、大乱闘状態。何人かの伊賀者は、ここぞとばかりに明らかに攻勢に回っていた。土埃が舞い上がり、各人の周囲もよく見えなくなっていた。最終的には、太に向かって行った二年生は皆、のされてしまった。
「やめろっ」
一喝して全員の動きを止めたのは幸太郎だ。何人かはそれでも争いを止めなかったが、その全てを引き離し、ようやく場を鎮めた。彼は倒れている二年生、不敵な表情の伊賀者を見回し、言い放った。
「とんでもない事をしてくれたな。お前達の望んだ結果はこれか」
「わざとじゃない。太にそんな器用な真似は出来ない」
学が弁明するが、
「どうであれ、今までの蓄積がこういう形で爆発してしまったのは間違いない」
と言われると、伊賀者は返す言葉もない。
「先輩、大丈夫ですか」
幸太郎はバットが直撃した二年生の下へ足を向けた。自力で立ち上がって、ジャンプを繰り返しており、大事には至ってないようだった。
「俺。もう辞めるわ。これじゃ命が幾つあっても足りない。お前ら好きなようにやれよ」
彼はそう宣言すると、皆に背を向けて歩いて行った。他の二年生も「俺ももういいや」「つまんねえ部活は辞めるわ」「こんな暴力野球部にいられるか」とこれに同調して、起き上がると続々とグラウンドから去って行く。いたのかいないのかわからないような他の一年生部員数名も恐れをなしたかのように逃げ去って行った。
残ったのは伊賀者と幸太郎の九人のみ。両者は無言で睨み合っていたが、おもむろに剣蔵が口を開いた。
「図らずもこっちの望み通りになったって訳だ。風間君よぉ、お前はどうすんだ」
「ふざけるな!」
幸太郎はいきり立って剣蔵の顔面を殴り付ける。吹っ飛ぶ剣蔵。
「オイオイ、暴力野球部らしく、いきなりパンチかよ。面白え、そっちで勝負すっか」
剣蔵はすぐさま起き上がって向かって行こうとするが、学と猿飛がそれを止めた。
「やめろ剣蔵、これ以上はマズい」
「甲子園どころじゃなくなるだや」
「ちっ……」
剣蔵は舌打ちして、足を止めた。幸太郎はそれを呆れたように見ながら、
「俺も退部する。お前達と一緒にやっていく気はない」
と宣言した。
「へっ、そうかい。これでやりやすくなるってもんだ」
へらず口を叩く剣蔵を睨み付け、幸太郎はゆっくりとグラウンドを離れて行った。
この事件は学内に知れ渡り、学校側としても看過は出来ず、来春までの対外試合自粛という処分が下された。結果的には「三年の夏までに甲子園」という照準を定めた伊賀者にとってはさほど大きなダメージにならなかった。ただ、試合をするのに一名足りなくなってしまったのは間違いなく、そこは彼らも気になるところであった。
「剣蔵、本当にこれで良かったのか」
「何がだよ、スッキリしたじゃねえか」
「二年はともかく風間だよ。あいつをこのまま辞めさせていいのか」
「自分で辞めるって言ってるんだからちょうどいいじゃねえか」
「そういう事じゃない。負けっ放しでいいのか、って事だ」
「お、俺は負けてねえ……。それに勝ち負けで言えば、辞めた奴の負けだろ」
剣蔵は強がった。
その頃、幸太郎は前キャプテン・浦田に今回の件を報告していた。
「キャプテン、すみません……。ご期待に添えず、伊賀者達と衝突してしまい、俺は退部しました」
幸太郎は頭を下げる。
「決裂してしまったかぁ。すまなかったな。俺達がしっかりまとめあげられなくて……」
謝られた浦田の方が逆に深々と頭を垂れた。
「いえ。キャプテンのせいじゃありません。俺の力不足です……」
「自分を責めるな。あの曲者たちと上手くやっていこうなんて、そう簡単な事じゃない」
「ですが、こんな形で野球部が空中分解するなんて……」
「まだ終わった訳じゃない。風間、君は本当に辞めてしまうのか」
「今更あいつらともう一回一緒にはやれません」
幸太郎は決然として言うが、
「そうかなあ。あいつら、そんなにひどい奴らか?」
浦田は同感してはいないようだ。幸太郎は少し不服そうな顔で
「キャプテンは服部の事、どう思います。あいつ、キャプテン達の最後の試合、上野城を抑える力がありながら手を抜いていた。……俺は許せません」
と述懐する。その言葉を聞いて、浦田は少し驚いた顔をしたが、
「どうしてそんな事がわかる。俺には一生懸命投げているように見えたが」
と逆に尋ねた。
「それは……」
幸太郎はしばし考えるような仕草を見せたが、程なく口を開いた。
「本当に疲れていたのならば、あんな風に比土さんを抑える真似は出来ません。あいつはあの試合を捨てて掛かっていた……」
「どうして服部がそんな事をする」
「あいつらは、三年の夏に照準を合わせているんです。三年の夏までに甲子園へ行くのがあいつらの目的で、その為にはどんな手を使っても良いと思っているんです」
「ふむ……」
幸太郎の言葉を聞いて、今度は浦田が考え込んだ。そして、一度頷くと
「まあ、だからと言って、俺は気にしないよ」
と軽やかに言い放った。
「な、何故?」
今度は幸太郎が驚きを見せた。
「チームってのは九人いるんだ。色んな思惑があってもいい」
「で、でも、あの試合は先輩達の最後の……」
「それはそうだが、奴を起用したのも俺だ。君の気持ちは嬉しいが、他の三年生が怒った訳でもない。あえて元キャプテンとして言うなら、そんな事は君が考えなくてもいい」
「そんな……」
「風間、君は何の為に野球をしている? 君の目的は綱紀粛正か? むしろ、服部達の目的へ向かう意志の強さは見習うべきものがあると思うが。三年の夏までに甲子園……、素晴らしいじゃないか。こんな公立校で俺なんかじゃとても達成出来ない偉業だ」
「キャプテン……」
幸太郎は返答に窮した。
「風間、君ももっと自分の目的の為に頑張ってもいいんじゃないか。奴らを利用するくらいでもいいんだぜ。俺はな、この数ヶ月で思ったよ。君と奴らが真に手を組んだ時、とんでもないパワーを生み出しそうだと。あの上野城にも通用していた君等なら!」
「しかし、あいつらは二年生を……」
「それも仕方ないんじゃないか。志の高い者とそうでない者が相容れないのはよくある事だ。俺はたまたま三年生で、まだ入部当初の奴らよりは野球を知っていたから、そんな目には遭わなかったが、遅かれ早かれ甲子園に行こうなんて人間とは溝が出来た筈だよ。部活をやっていればよくある話だ。そして、君と二年生も違う。むしろ君は服部達に近い。君と奴らは手段が違うだけで、ベクトルは同じ方向を向いていると思うがなあ」
結局、幸太郎は浦田に相談して、逆に説得されたのだった。そして、浦田の話を聞いて思いを新たにしていた。確かに自分の目的・目標を捨ててまで、伊賀者と相争う意味はない。幸太郎自身、甲子園は大目標なのだ。ならば……
翌日、伊賀者が我が物顔で練習している中、幸太郎が姿を見せた。全員がざわつく。
「どうした退部者。もうここに用はないんじゃねえか」
剣蔵が寄って行き、挑発する。
「退部は……撤回する」
仁王立ちで剣蔵を睨みつけ、幸太郎は言い放った。
「何ぃ。そんなワガママが通じると思ってんのか」
「ワガママはお互い様だろう」
幸太郎は平然としている。このやり取りを見て身に染みたのか、何人かが笑った。
「オイ。笑うところじゃねえだろ」
茶化されたと思ったのか、剣蔵が仲間を睨む。笑っていた者は黙る。彼はそれを見ると、改めて幸太郎に向き直った。
「てめえ、俺達のやり方が気に食わねえんじゃなかったのか」
「ああ、気に食わん。だから、お前達がこの野球部を潰さないよう、俺が監視する」
「何だと!」
剣蔵はカッとなったが、学が薄ら笑いを浮かべて、それを制した。
「素直じゃないなあ、風間君。野球やりたいんだろ、お前」
そう言われて、幸太郎は顔付きが変わったが、ふふふと笑い出した。
「そうだ、俺は野球がしたい。そして、お前達と同じく、甲子園へ行きたい」
「素直になったじゃねえか」
剣蔵が茶々を入れる。
「ああ。自分に素直になる事にした。お前達をどうにかする以上に、俺にはなすべき事がある! その為にはお前達の力も必要だ。甲子園へ行く為にお前達を利用してやる」
「言うねえ。だが、お前は一度辞めたんじゃねえのか。その落とし前はどう付けるんだ」
剣蔵が意地悪そうな顔をして煽る。彼にとっては、幸太郎を困らせるのがこの上ない喜びであるかのようだ。すると、
「俺を野球部に戻してくれ」
と言って、幸太郎は頭を下げた。
「ほう。らしくねえ事するな」
剣蔵はニヤニヤしてそれを見ている。だが、幸太郎はさらに地べたに膝をつき、両手もついて、頭を下げた。
「頼む。俺をもう一回部員にしてくれ」
これには剣蔵も度肝を抜かれた。プライドの高い幸太郎がここまでしても野球をしたいのだと、驚かざるを得ない。とはいえ、
「まあ、俺でもそうするか……。命懸かってるしな」
剣蔵は我が身を思うと、幸太郎の行為が肯ける気がした。「勝つためには手段を選ばず」ではないが、忍びたるもの、生きる為にはどんな事だってする。要は最後に勝てばいいのだ。今の幸太郎の姿はそれに通じるものがあった。
「仕方ねえ。俺達の目的の為にもお前は使える。「仲良く」野球しようじゃねえか」
「剣蔵、お前、キャプテンじゃないだや」
猿飛がツッコむ。苦笑いの剣蔵を尻目に、騒動後にキャプテンとなった学が口を開く。
「まあ俺達が甲子園へ行く為にも風間の打棒は捨て難い。それに試合をするのに部員が一名足りないしな。俺達の流儀を変える気はないが、それでも良ければ戻って来いよ」
「戻っていいって事だな」
幸太郎は平伏の姿勢を解き、立ち上がった。その顔には活力が漲っていた。
「俺も流儀を変えるつもりはない」
「何っ」
何人かが身構える。
「だが、甲子園へ行くという目的だけはお前達と同じだ。それに関してはもう揺らがん。お前達と絶対に甲子園に行く」
燃えるような目で語る幸太郎に、伊賀者も感じ入ったのか、数名が頷いたり笑顔になったりしていた。ふて腐れた顔をしていたのは剣蔵だけだった。
ともかく幸太郎は野球部に復帰した。練習メニューはキャプテンの学が考えているのだが、基本的にはそれに従った。たまに「こうした方がいい」といった指摘を行う事はあったが、確かにその通りなので学も変更に応じていた。
幸太郎が驚いたのが、練習量だ。走る・投げる・飛ぶを繰り返す、伊賀者の体力は半端ではなく、まさに修行と言うに相応しいものだった。「こんなレベルを求められては二年生が脱落する訳だ」と納得せざるを得なかった。
一方、学及び他の伊賀者も幸太郎には改めて驚かされた。伊賀流の厳しい練習にも関わらず、幸太郎は付いてきた。いや、走力や遠投、持久力などは、伊賀者で一番の者とも双璧であり、さらにスピードの猿飛やパワーの太など、図抜けた存在に対しても、さほど劣る事の無い能力を見せ付けて来たのには、皆、驚嘆せざるを得なかった。
その上、例の打撃力である。やはり野球という競技においては、現状、伊賀者の上を行く存在なのは間違いなかった。
これに悔しがったのが剣蔵だ。彼は幸太郎が自分より上だとはどうしても認めたくない。だが、入部当初同様、フリーバッティングで勝負を挑めば、簡単に痛打される。それも上野城高校の比土を三振に仕留めた殺人シュートでさえ、幸太郎にはうまく腕を折り畳まれて打たれた。あらゆる工夫を重ねても、幸太郎の野球センスは剣蔵の投球を凌駕するのだった。「野球」で勝負した場合、剣蔵が通用する余地はないと思える程であった。
だが、剣蔵自身が思っている以上に彼は投手として成長していた。実際、球速は上がりコンスタントに百四十キロ台後半が出ていたし、変化球のキレもより鋭くなっていた。それは口には出さないものの、幸太郎も実感していた。だが、幸太郎にも意地があった。
「俺が伊賀者共の野球部でやっていくには絶対的な実力を示すしかない。そして、その頭領格である服部に負ける事は絶対に許されない。常に奴の上を行かなければ!」
裏で彼はこんな思いを抱いていた。だから、剣蔵がどんなに素晴らしい投球をしても、それ以上の打棒で力を誇示した。




