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主戦場 河越城周辺
北条氏康は息子である氏政からの連絡を聞くとすぐに軍を動かし上杉両軍まで進軍していた。まさにその素早さと徹底された一言も発しない静かさは武田の代名詞風林火山の風のように素早く行動し、林のように静かに行動しているようだった。
上杉両軍の配置はそこそこの長さで滞在していたためハッキリと居場所が分かっている。それにこちらが詫び状を入れた事、それをサクラが流布したことによって農民兵主体の上杉両軍は緩み切っていた。上杉方の将でも油断しているものは多く、この戦が終わった後の皮算用をし始めているものも多かったのが拍車をかけたのだろう。
その隙をわざわざ作り出した北条氏康が見逃さないはずがなかった。史実での布陣は上杉朝定が河越城を直接狙える場所に、そこからみて左側の小畔川を渡ったところに上杉憲政軍が荒川側に古河公方が布陣をしていた。
しかし、この歴史においては古河公方が出てこずに上杉両軍で十二分に包囲ができていた。北側に下野諸将が布陣。入間川側に上杉朝定が布陣。史実で古河公方勢力がいた場所には上杉憲政が布陣、そして、憲政本人もその場所に布陣しており氏康が将本人の背中をつく事は無くなってしまっていた。この違いは戦況を大きく動かす違いになるのだった。
〜〜〜
「氏康様、そろそろ相手側からも気づかれる頃合いでございますが如何されますか?」
「うむ、今宵は月が輝いており視界も良く取れているため松明は無しで移動だ。騎馬隊には左翼から突撃を、足軽歩兵(取り回しやすい短槍と刀、脇差にバックラーのような軽盾を装備した近接主体兵)を前に出し圧殺するのだ。
敵が川を渡って援軍を送ってくるまでに河越城から相模まで続く道を確保して補給路を安全にさせる。また、川を渡ってこようとする敵に対して鉄砲隊と弓隊(改造型連弩、鉄砲隊の補佐)を配置して妨害させよ。
彼らの護衛に盾隊(盾のみを装備、前から来る兵を止める重盾と、バックラーの様な取り回しのしやすい軽盾装備)と槍隊(長槍を使う)を使え。」
これらは、伊豆開発訓練など様々なことを取り組んでいる韮山城下での報告書にあったものを氏康が試験的に試し自分直轄の軍に配備させ始めたものである。
「はっ!」
多目が全軍の指揮をとりながら氏康が考えた戦略を形にする。諸将は自分の土地の兵を使うことがなくなり、北条軍の歯車の一つとして兵を率いる。将は勿論軍学校で選び抜かれた精兵達だ。元々の諸将達の中でも戦闘に向かないもの達は文官に転向し、向いているもの達はこうして兵の指揮を取る。そうすることで北条軍の質は劇的に上がっていた。
「では!河越城を助けに行くぞ!我らは関東の民を守る鬼とならん!いざ!突撃いいいいい!」
相手から分かる一歩手前の位置から雄叫びをあげ突撃を敢行する。上杉憲政軍は背後を警戒していたと言っても篝火の見える範囲しか見ておらず、火の明るさに目がなれていた為遠くの暗い場所がより見えづらくなっていた。そのため、雄叫びを上げられるまで気づくことができずに上杉朝定軍は無防備に攻撃を受けることとなってしまったのだ。
あちらこちらで刀や槍が打ち合う音、そして悲鳴が上がり始めるが、それもだんだん遠ざかっていくのだった。北条軍が優勢で敵を追い込んでいる証拠だった。
「歩兵隊の後ろから槍隊を後詰めに進めさせよ。死体に紛れて伏兵がいるかもしれぬ油断するなよ。また、歩兵の側面からの攻撃は来ないと思うが一応警戒だけさせておけ。」
多目が氏康の作戦を成立させるために現場の動きを支配していく。元々用意していた騎馬隊の突撃が迂回して背後から斜めに切り裂く様になったため、敵は逃げること叶わずその場で降伏するか無防備に突撃して命を散らせていった。
しかし、その中でも才能のあるもの達が周囲の兵を纏めて抵抗し始める。彼らは地元の国人衆やその息子達、または農民の中でもできる奴等が主体となっていた。こうなると北条軍の逆襲も最初ほどの勢いがなくなってきていた。とは言っても負けることはほぼないのだが。
「お前達!統率の取れた敵には無闇に近づかずに短槍を使い遠距離から攻撃するのだ!無理をするな!訓練通りにやればいい!」
北条軍の小隊長クラスの将が足軽歩兵の装備短槍を後列に構えさせて投擲させる。前列には防御を固めた兵達がいるため彼らは安心して投擲に集中できていた。
上杉軍はなんとか身を守ろうと盾を構えたりするが囲まれた状態で、鍛えられた兵の投擲槍を防ぐ手段はなくなすすべなく貫かれていった。




