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来年以降には館山を里見義弘と富永直勝に任せて城砦化させる。山を整備して砲台を設置する。そして江戸湾の監視の目の役割を任せ、水軍衆の拠点とする計画だ。
土肥、下田、熱田、江戸、椎津、館山方面をぐるりと蹄のような形で北条の港とした。海賊が出ない安全な海という事でこれから商人がよく来ることになるだろう。実際にポルトガル船も来ていることから堺や博多などからも交易船が来ており、徐々に商人が集まりやすい土地となっている。
海の関所ではないが、商船には土肥か下田あたりで津料の代わりとして北条発行の通行手形を買ってもらう。そして、それがあれば江戸湾を自由に航行できる。北条の海ではキャラック船の見回り船が何隻も組んで航路を監視しており、抜き打ちで商船を検査をする。そこで通行手形を持っていない商船はその場で通行手形を割高で買わせるか、拒んだ場合は船ごと接収する。こうすることで不正な密貿易は許さない。
それとは別に、港に入る際に停泊する場所によって停泊料を払わせる。交易地に近いほど値段は上がり日数が長いほど割引が効く。毎回早い者勝ちだけではなく、莫大な資金を払えば1月分を独占契約することも可能だ。
海だけではなく陸上の方も変更した。銭だけで計算するなら、領内で売った以上の価値の商品を買い付ける、若しくは物々交換だけで取り引きする節税が横行したのだ。商品価値を元に算出しようとしても、定価の無い時代には煩雑な上にトラブルの元になり、何度も警ら隊が出てきてこちらで裁定を下すことになり、大きな手間となった。
これは俺のミスだ。その解決方法として宿泊施設や市の場所代等を徴収することにした。宿は民営のものと公営のものがある。今まであったのは民営のものだ。そこに税を納めてもらっていたが、北条が運営する公営宿も用意した。公営宿では北条の兵が護衛に就き、商品や馬などを責任を持って守る。さらに営業時間が過ぎても公営宿前には地元の屋台や飯屋が開いており、その店は全て石造や煉瓦造りのため壁の松明や篝火がいくつも置いてあり、夜もそこら辺で商売が出来たりする。
場所代に関しては毎日エリアを決めて場所代を取る。下の方は地面にゴザを敷いて露店の物売りが出来る。真ん中の方になると机や椅子、屋台のような物が使え、上の方になると店を貸し出す。店は石造やレンガ作りで見回りの兵も常駐しているが、その分値段は高いし、4ヶ月借りなければいけない。
海の通行手形、港の停泊料、土地代、店代、を全て一括して利用する制度もある。大抵の大商人はすぐさまこれを利用しようとする。ただし土地は貸しても売ることはしない。というのも史実であった外国への土地売却などが起こる危険性があるし、将来土地は全てまとめる予定だからだ。今はまだ土地を民に与えるつもりはない。
この海上警備には水軍の調練の意味も含んでいるため相乗効果が見込めるし、安房方面の荒くれ者を野放しして海賊にせずに全て北条で雇って管理できる。海賊なんて存在できないように小さな漁船や北条が認めた船以外は全て買い取るか、拒否した海賊衆にはキャラック船から砲弾を撃ち込んでやった。
それを何回か熟していると、何故かみんな向こうから頭を下げて配下に入れてほしいと言ってくるのだ。不思議だなあ。[すっとぼけ]
ここに至っては北条水軍に関しては隠せなくなる。それはそうだろう。商人達に見せているのだからしょうがない。だが大砲に関しては極力見せないようにしている。木板で大砲を出す窓を閉じて内側で固定している。
商人には大きな未知の船と思われているだろう。ダミーとして甲板の上から焙烙玉や弓矢を見えるように威嚇させている。これで北条の海上兵力や戦い方を見誤ってくれるといいのだが。
陸に関しては新たに房総忍びを加えた風魔が大立ち回りしている。各風魔からまとめ役を選んで、半数以上を風魔、残りを房総風魔にした訓練部隊を編成して山狩兼訓練をさせているらしい。風魔に反抗的な者は少なく、銭雇いから召し抱えになったことでやる気も見せているらしい。韮山や小田原など相模や伊豆の重要拠点は風魔が、残りの甲斐や駿河、遠江、三河、尾張、武蔵、上野、房総などは房総風魔が働いているらしい。
土地を任されてから5年ほどの内政の結果まとめがそろそろ現れてきたので、報告を聞きながらまとめていく。
公事目安制度について、北条家直轄領では1515年ぐらいにはあったものを伊豆や相模に広げた。家臣達から土地を切り離したおかげでほぼ全てが北条直轄領となり、広く浸透することが出来た。
伝馬制度は平安時代の律令制があった時代からあり、古くから主要街道の宿場町に馬を用意して移動するのに乗ったり荷を運んだりした制度を改良し、重要な連絡用の早馬制と交易を行う商人のための荷馬用に分けた。荷馬用は昔からの短足の日本馬で軍馬の現役を引退した丈夫な足腰を持つ馬だ。
最近では西洋馬とアラブ馬、トルコ馬、北アフリカのバルブ馬などを輸入して交配させている。だが、現代の競走馬のサラブレッドは足首が細いため、山道の多い日本では怪我しやすく不向きだろうな。既に2世代目が成馬となり数を増やしまくっている。日本の在来馬はポニーのような馬で、日本馬と比べて大きな西洋馬は北条家中にも大きな驚きを与えたようで褒美にせがむ奴らが多い。煩いので数が増えるまで黙らせているが。
家臣の中には諦め切れないのか、「木曽馬や奥州馬などガタイのいい馬を集めて日本馬との混血を!」とか色々利点をまとめた書類を提出してきたため、種付けを実験させられる事になった。こういう家臣の主体性による、より良い試みは嬉しいのだが、初めてが馬ってどういうことよ。
それに合わせて馬具も多く輸入して量産している。鞍はともかく、日本の鐙などは使いづらいため、西洋のものを分解して学ばせて量産させている。これによって竜騎兵は実現していたのだ。実際、馬上戦闘では日の本一の騎馬隊が出来たと自負している。武田の騎馬隊に与えたくはないので、北条家でも限られた家臣にだけ渡しており、数や所有者を明記して月一の検査をさせている。
いずれは見た目だけでも真似されるだろうが、現物を持って行かれるよりはマシだ。武田の被害を受ける他の大名には申し訳ないが逝ってくれ。




