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質問があったので明日の分を先に投稿します
偏諱と養子って年下にできるのですか?
偏諱はワンチャンありそうですけど年下の元に養子ってありなんですか?、
里見義堯。彼は安房里見氏の最盛期を築き上げた英傑である。仇敵北条家の前当主、北条氏綱の手助けを借りて父・実堯と共にクーデターを起こし、家督を奪い取る下剋上を起こした。犬掛の戦いだ。
それ以降は安房の水軍衆をまとめ上げ里見軍を統括、上総の真里谷氏が内紛を起こすとその隙に突け込むように下剋上を起こした側の真里谷信応に付いて、逆に真里谷信隆についた北条氏綱と敵対関係になる。
1538年氏政が生まれた年に第一次国府台の戦いが発生すると、上総をまとめていた小弓公方を名乗る雑魚の足利義明の元に馳せ参じるが、戦いには加わらずに見殺しにする。
一定の権威を持っていた小弓公方が死ぬことで上総周辺は大きな混乱に包まれ、群雄割拠の世界に舞い戻る。ここから義堯の飛躍が始まる。
義堯は本拠地久留里城を手に入れた後、上総を次々に手に入れていった。千葉と争うことは避け、小弓城は千葉臣下の原氏のものであった為、抵抗もせずに明け渡し、それ以外の城を奪った。
そうして里見氏の最盛期を作り上げた義堯だったが…、
「クソッ!何故だ!何故だ!何故だっ!」
ワシは苛立ちを隠さずに感情を発露する。周りに控えている小姓たちはワシの怒気に気圧され震えている。それを見て少しは気を落ち着かせる。
ワシの考えでは北条が出張ってきても千葉の方からで、この前の笹子城奪還の時のようになると予想しておったのが、前本拠地の稲村の方だと!?我が水軍は何をやっていたのだ!
クソッ、ワシが真里谷攻略のために椎津方面に回していたせいで、警戒が薄くなっていたのだ。分かってはいる、が納得はできん!
冷静になれ、とりあえずは稲村城を落とされ、挟撃の形になってはいるが、先日の戦で上総方面の軍は甚大な被害を受けた筈だ。
今のうちに久留里城と真里谷城に抑えの兵を置いて、万喜城と久留里城の兵で水軍と連携しながら安房方面を奪還すれば良いだけのことだ。せっかく椎津城を追い詰めたのに口惜しいが、今は背後を守るのが先決だな。
水軍衆に連絡を出すかと伝令を呼ぼうとした時、
「殿っ!万喜城より来た伝令がございまする!」
「よしっ!通せ!」
「万喜城、陥落!また、城代の土岐為頼様、敵方に寝返ったとの事にございまする!」
「なんだとっ!?」
信じられぬ。ワシの妻の父、つまり養父殿に裏切られたということだ。膝から崩れ落ちそうになるのをグッと堪えて、伝令によく伝えてくれた、休めと伝える。
そして、冷静に事態を分析しようとする。大多喜城に詰めている正木一族は大丈夫だろう。時茂がいる限り裏切ることはない、はずだ。
だが、ここら辺は山がちであり、すぐに援軍をと言うのも難しい。安房、上総の北・西・東それぞれを押さえられ、四面楚歌になっているのだ。しかもタチの悪い事に身内からの離反者、これはいつ面従腹背の連中が裏切ってもおかしくないという事だ。
情報が漏れて動揺が走り裏切られるよりも、自分から伝えてまとめ上げた方がいいな、と僅か数十秒で皮算用をし、久留里城周辺の諸将を集める。
「皆に集まってもらったのは伝えるべきことがあるからだ。勿体ぶっても仕方がないため単刀直入に言う。万喜城の養父、土岐為頼が裏切って四面楚歌になった。」
諸将に動揺が走る。
「我はこの件で妻を罰するつもりはないし、離縁もしない。そのことは心に留め置いてくれ。そしてその上でお主たちは好きにしてもらって構わない。我らについて北条と最後まで戦うも良し、奴らに降るのも良しだ。」
諸将を見渡しながら大きな声ではっきりと伝える。そうしていると正木時茂が一歩前に出てきて臣下の礼を取り、
「殿っ!我ら正木一族は殿についてまいりまするぞ!北条などこの前みたく追い返してやりましょうぞ!」
時茂の言葉の勢いに流されたのか、皆がそうだそうだと士気を高める。この流れは評定が始まる前に時茂にサクラを頼んでおいたのだ。これで少しでも結束を固めて裏切りづらくしておく。
「敵は見たことも聞いたこともない妖術のような武器を使うらしい。一応の情報としててつはうのような大きな音がして、盾持ちがバタバタとやられるそうだ。気にかけておいてくれ。」
なんとか一応の統制を保ったまま、里見軍は北条と対陣する事となる。




