マッスルゲートで優勝した時の話
筋トレと呼ばれる、体に負荷をかけて強化する謎の苦行を、もう十年以上続けている。8年ほど前「ベストボディジャパン」 という大会が新設された年に出場してみたところ、運よく東京の決勝大会まで進めることになり、以後ほぼ毎年コンテストに参加していた。
とは言え、もともと運動全般が苦手で素質などあるとは思えない私のこと。どう足掻いても関西で5位、県大会で3位というのが自己ベスト記録だった。そして筋トレやボディメイクの文化は年々隆盛をきわめ、コンテストのレベルもどんどん上がり続けていく。あの時に勝てなかったから、次は無いだろうと思っていた。
やる気と勝ち目が無いので昨年は出場をサボった。もういいや。そして今年も出ないことにして引退、隠居しよう。と考えているところに、後輩が勢いよく誘ってきたのだった。こいつはパワーリフティングの日本王者である。
しぶしぶ出場を承諾したが、よく考えるとマッスルゲート関西大会は8月22日開催である。お盆休みも減量を続けなあかんのは本当にきつい。いざ食事制限を始めてから、そのことに気付き、元々あまりない気力はさらに失せた。
減量と言っても、私の場合どうするのか。まったく同じ内容の食事を毎日続けることと、できる範囲でこまめに運動をすること。この二つくらいのものである。食品は仕事帰りに翌日の分までセブンイレブンでまとめ買い、毎度それだけ。メニューを考える余裕も無ければ、作る余裕も無い。
そして大会2週間前。私は空腹と焦燥で精神がおかしくなり、カフェインの錠剤をじゃらじゃら飲み込んだ後、バックプレスという危険な肩のトレーニング種目を敢行した。それも普段なら絶対に使わない75kgという重量のバーベルで。結果、頸椎と右肩が壊れた。
加えて腰も膝もエネルギー不足のせいで慢性的に痛み、最早まともなトレーニングは出来ていなかった。大会が終わったら筋トレ辞めようと思った。そして盆休み明け、何故か出勤して来なかった盆暗の尻拭いなどもあって、最後の一週というのに体調もすこぶる悪化。
8月22日。大会当日、朝から風呂に入り、以後は大会が終わるまで水をほとんど飲まない。皮膚のむくみを少しでも抑えるためだ。前日の仕事で疲れきっていたので、起き抜けから頭痛がある。
今回は知人が車で送迎してくれることになり、それは僥倖と言えた。私は致命的に方向音痴なのだ。まず会場に辿り着くのが難しい。明らかにヤクザな黒のメルセデス・ベンツに乗せてもらって、私は一言ことわって助手席で寝ようとしたのだけども、あろうことか車内に蚊がおり、肌を刺されたら困るので目を瞑ることが出来なかった。
知人の趣味であるらしいムード歌謡を聴きながら、ぐったりと座席を倒し、1時間と少し経過。目的地の神戸芸術劇場が見えてきたが、どこから入ればいいのか、周辺をぐるぐる回った。ようやく駐車場に停まり、私は礼を言って、一緒に出場する予定の後輩を待った。
今回は出場者多数のため、大会が午前と午後に分かれていた。私たちは午後の部。集合時間まで、客席から少しだけ観戦した。特別に広いことも狭いこともない、丁度よいホールだった。
13時30分。選手は呼び出され、検量が始まった。とは言っても私は身長が176cmあるので、リミット体重が86kgにもなる。73.9kgで軽々クリアした。あんなに鍛えて残ったのは70kg前半という空虚な現実に、乾いたような笑いが出た。
検量結果を申告、ゼッケンを受け取り、控室の場所を案内されるまでの流れ作業が終わりかけたところで、私の後に続いていたはずの後輩が、未だ体重計のところで留まっているのを目にした。
不思議に思って近付き、どうしたのかと尋ねた。
「体重オーバーしてるんで……失格らしいっす」
マジで周囲に響くほど笑った。私は今でも、あれを動画撮影しておいてYouTubeで流せば良かったと思っている。迷子センターの世話になる大きな子供といった感じ。周囲のスタッフはゴールドジム所属の一流ボディビルダーで構成されており、錚々たる面々の気まずそうな表情が余計に面白かった。
「ぼく、やる気失せてるんですけど」
「せやな。まあ仕方ないわな」
控室は広い会議室のような場所だった。私は空いていた席に陣取って座ったが、悪条件が重なりすぎたせいで具合が悪くなり、椅子をどけて床で寝ていた。
一応言っておくと、控室での待ち時間というのは皆がギリギリの状態なので、けっこう多くの選手が横になっている。マットを持参している者も多い。
後輩は途中抜けしてメロンパンとか買ってきて食ってた。私は持ってきたグミを一袋あげた。グミは水分が少ない糖質であり、たんぱく質まで摂取できる優れものである。いろいろ買っておいたが、やはり日本製のやつがおいしい。
「クラシックフィジーク175cm級、175cm超級の方々は集合してください。繰り返します……」
やっとお呼びのようだ。私はゴムチューブを手に舞台袖へ向かう。番号順に並んでみたところで、やっと同階級のライバルがどいつなのか判明する。
私はあまりコンテストを観るほうの興味がないため、エントリー表じたい自分からは見ない。しかし今回は研究熱心な後輩が事前に教えてくれていた。
「ロバートっていうのも出ますよ」
海外の名前を見かけると、私には敗北の記憶ばかり甦ってくる。セスとアーロンにはボロ負けだったし、フランシスには舞台上で押されてバランスを崩し、なぜか私のほうが注意を受けたこともある。
ロバートはリバプール出身、日本語がとても流暢で、筋肉は大きかった。仕上がりでは私のほうが上だと感じたが、それぞれ舞台のライトに照らされた時にどう見えるか、までは読めない。
まだ出番まで時間があるというのに、周囲の選手は皆チューブを引っ張ったり腹筋運動をしたり、筋肉に張りを出すのに躍起だった。私は頭痛がひどいので、壁際に積み上げられた長椅子にもたれ、ぼんやりしていた。
そんなことをしている間にも時は流れ、気が付くともう出番だ。そろそろ私もチューブを引っ張ろうと思ったが、栄養も水分も抜けた体である。力が全然入らなかった。それでも過酷な減量をしてきたんだから、仕上がりの良さで勝負できるだろうと踏んでいた。おそらくは、そこにしか勝ち目が無い。
「続きましてクラシックフィジーク、175cm超級の審査を行います」
舞台袖から手を挙げつつ、客の前に半裸の男たちが次々と出て行く。ゼッケン266番、私もその一人だった。客席の最前列、審査員席に並んでいるのは、日本ボディビルのトップばかりだ。鈴木雅に田代誠、佐藤貴規、加藤直之。この世界にいる人間なら皆知っている。
さあ、規定ポーズで勝負。私は年齢の割に大会歴が長いので、舞台はけっこう慣れているから平気だ。もともと本番だけ力を発揮するような性格である。
予選審査が終わり、選手退場。私は最後にエイシンフラッシュ式のお辞儀をして、舞台から消えた。わからない人は検索してみてほしい。
「もう俺が優勝やろ」
「うーん、でも隣の奴のほうがデカくないっすか?」
控室に戻り、客席から後輩が撮っていた動画を確認してみた。遠目なので何とも言えないが、たしかに左隣にいる奴のほうが大きい。そもそも身長はクラスでギリギリの私がいちばん低いので、小さく見えるような気もした。
「あと、バキュームポーズはクソでしたね。なんも出来てない」
後輩はフルーツオレを飲みながら辛辣な言葉を吐いてくる。まあ冷静な評価ではあるだろう。今大会は失格となったが、もともとこいつはパワーの日本王者である。
「あかん。しんどい。寝る」
もはや実家の如くに気兼ねせず、私は寝ていた。もう帰りたいと思うほど頭痛がして、思考は鈍っている。これが大学の授業だったら確実にサボったはずだ。
控室は予選落ちの選手がいなくなり、当初とはうってかわって閑散としていた。次また呼ばれるまで寝ていよう。
「クラシックフィジーク、175cm……」
やはり時は来る。決勝審査には60秒間のフリーポーズというのがあって、各自持参した好きな音楽をかけて演技をする。舞台上にはただ一人、またとない機会。
結果から言うと、これはしくじった。というのも、私は様々な団体の大会に出場してきたせいで「今大会の」ルールを正しく把握できていなかったのだ。
具体的には「音楽が流れ始めてから登場していって60秒」の心積もりをしていたが、規定で「選手が舞台に出てから音楽が始まる」形式しか認められないらしい。それを知ったのがゼッケン265番の演技中、つまり私の出番の30秒ほど前であった。
まあグダグダ。10秒近くの時間が空白になってしまったのを埋めようとして練習していないポーズを複数取り入れ、最後に尺の帳尻だけ一応合っていたのが救いであると言っていい。
決勝の比較審査も終わり、再び控室へ。スタッフからはもうすぐ表彰式が始まると言われたが、私の体調が悪すぎる。また部屋の床で寝た。もし大会が無かったとして、これほど頭痛がひどかったら自宅で一日中寝てると思う。
「ぼく事務仕事あるんで帰ります。お先っす」
後輩は私の表彰式を無視、さっさと帰っていった。もうええわ。
既に審査は終了しており、最後に表彰を残すのみ。緊張が弛んだのか、周囲の選手が話しかけてきた。頭が回らんのでテキトーに応えた。かなり疲れてもいるらしい。けっこう限界だ。
さて舞台上。6人のうち、下位から順に番号がアナウンスされていく。6位は私じゃなかった。5位も。4位も。しかしまだロバートが残っている……あ、呼ばれた。ロバートは3位。あれ? じゃあ残っているのは誰だ? しかし客席の視線があるため、顔を横に向け相手を確かめることもできない。
「第2位、ゼッケン番号……」
私は呼ばれなかった。つまり、優勝ということ。
金色のメダルを受け取り、カメラマンに向けて入賞者全員でポーズ。その後、舞台袖へ消えていく。やっと終わった。通路で待ち構えていた一人の記者にインタビューを受けた。
「次に狙う大会は?」
「ゆっくり休んでから考えたいですね」
凡人として生まれ、何かで一番になれたことなど無かった。これからも無いと思っていた。かつて自分が憧れた「金メダル」の世界に足を踏み入れ、その憧憬を自らの足跡で打ち砕いたのだった。
重圧から解放され、少しは冷静な思考を取り戻した。荷物をまとめて知人に連絡。入口付近の撮影スペースに集合、二人で記念撮影。
帰り道も寝ていたかったが、各方面から祝いのメッセージが届いており、その対応に追われる。明日の朝一からまた仕事だ。いつもの私に戻らなければならない。
高速道路、景気よく進むメルセデス。トンネルを抜ける。不意に、私は今ここで死んでしまえば、最も幸せな人として終われるのではないか、と考えた。
そんな時、Bluetoothの車内スピーカーから、サザンオールスターズ「君こそスターだ」が流れる。永遠に見果てぬ夢、という詞が今の自分と重なるような気がした。終わりはどこにも存在していない。
私も、誰かにとってのスターになれたろうか。鳴り止まぬ着信の音に睡眠を妨げられながら、頭痛を受け容れつつ、時速100kmで移り変わる無機質な景色を眺めていた。
(終)
ちなみに後輩は帰り道マクドナルドに寄り、ベーコンレタスバーガーを食べたところ胃が受け付けなくて帰って寝込んだらしい。だから早退した上に仕事もしていない。