お菓子の家
「こんばんは」
声をかけてもノックしても、返事も物音も聞こえません。
試しにドアノブを回してみると扉には鍵がかかっていませんでした。
「ごめんくださぁい」
ドアを開けて声をかけても、中を見渡してみても、やっぱり誰もいません。
でも、ソファはふんわりしたカステラだし、戸棚もダイニングテーブルも椅子もクッキーでできています。
「おはなしのとおりだわ! あっ、勝手に入ってごめんなさい!」
せわしなく家の中を見回しながら歩き回っていた少女は、山のようにお菓子が並んだテーブルの奥にいた少年の姿に気づいて慌てて謝りました。
でも、少年はぴくりとも動かず、なにも言いません。
「――なぁんだ、お人形ね。でも、すごい。こんな大きなお人形もお菓子でできてるなんて」
少女は自分と同じ歳くらいに見えるお菓子の少年をしげしげと観察します。
目の前のお菓子の山を夢中で食べているような格好の王子様です。身体はビスケット。金の髪は糸飴。瞳は琥珀糖――人間と見間違えるほど精巧に出来たお菓子の王子様。
少女は食いしん坊の王子様の真似をして、その隣の椅子にちょこんと座ってみました。
すると目の前にはたくさんのお菓子が並んでいて、特に少女が大好きな焼き林檎が甘い香りの湯気を立てているのが目に付きます。
少女は思わず唾を飲みました。
人の家のものを勝手に盗って食べてはいけないとママに教えられています。けれどたくさん歩いたのでとってもおなかが空いていたのです。
ふわふわと漂う熱々の湯気はシナモンの香り。それに林檎と甘いカスタードの。
「こんなにたくさん……食べきれないくらいくらいにあるんだもの、ひとつくらい……いいわよね……」
我慢ができなくなった少女はほんの一口だけ、遠慮がちに焼き林檎をほおばりました。
「ああ、おいしい!」
一口かじると、もう止まりませんでした。
はふはふと焼き林檎をほおばって全部食べてしまうと、隣にあったかわいらしい星形のクッキーを。その次はレモンのシャーベット、その次はモンブラン……次から次にむしゃむしゃとほおばりました。
少女は夢中でお菓子をほおばりながら、ちらりと横目に王子様をみました。
まるで一緒にお菓子を食べているような王子様の格好に、一人じゃないならなおのこと叱られるのを恐れる気持ちも和らいで、夢中で目の前のお菓子を手当たり次第に食べました。
――魔法のお菓子はもっとずぅっとおいしいよ――。
ひとしきり満足するまでお菓子を食べ終えてから、ふと少女は水飴売りの言葉を思い出し、魔法のかかった特別なお菓子はどれだろうかと考えて家の中を見回しました。
「きっと、このお人形のことだわ。本物のこどもみたいだもの」
少女は改めてお菓子の王子様を見つめました。
食べてみたい――けれど、精巧な人形の手や顔を食べるのはなんだか怖かったから、金色の髪の毛をちょっとだけ割ってみました。
ドキドキしながら口にしたキラキラ輝く糸飴は、本当にとっても甘くて口の中でほどけるように溶けていきました。
「おいしい……!」
水飴よりも焼き林檎よりも、クッキーよりもシャーベットよりも。
このお菓子の家で食べたどんなものより――少女がこれまでの人生で食べたどんなものよりもその糸飴はおいしくて、「やっぱりこれが特別な魔法のお菓子だわ」と思いました。
おなかがはちきれそうなほどに食べた少女は、またおなかが空いてからゆっくり特別なお菓子を味わってみようと思いながら、ふんわりしたカステラのソファに横になりました。