八・世界は君を助けてはくれない
耳を劈く金属音と共に戦いの火蓋は切られた。
一気に距離を詰めた二人は警棒と腕を十字に交えている。バイオレット色の目とレモン色の目がお互いを睨みつける。
「はぁっ!」
掛け声を上げたクルッカは、左手でガドールを殴り、鈍い音が辺りに響く。
「効かねぇよ」
ガドールは警棒を素早く手元へ戻すと、クルッカの右肩に先端を突き立てた。その瞬間、バチバチっと高圧の電気が流れる。
「クルッカ!」
思わず、声を上げてしまうロック。張り裂けそうな胸が、言いようのない痛みで満たされる。
――何でだよ。
ガドールの電撃を受け続けているクルッカは、苦しげに顔を歪める。それでも、目に宿っている殺気は消えない。むしろ、増している気さえする。
「そのセリフ、そっくりそのまま返す」
クルッカはニィっと笑みを浮かべる。何か策でもあるのか。そんな予感がした、その時。
「っ!?」
突如として、ガドールが数十メートル先に吹っ飛ぶ。コンクリートの壁を抉り、めり込むガドール。一瞬の出来事にロックは言葉も出ない。
――何でなんだよ。
「くっ……」
壁から床へ落ちたガドールは、口から血を流している。今の一撃がだいぶ効いたらしく、ふらついている。
一方のクルッカはガドールの電撃を受けても平気そうに立っている。見れば、服が一切爆ぜていない。それに気付いて、ロックはガドールを見る。
――ガドール……。
「手加減して、勝てると思っているのか?」
クルッカには、それが許せなかったようだ。ガドールを見下し、不機嫌そうな表情を浮かべている。どうやら、彼女自身の本質は変わっていないらしい。
「ふざけんなよ、この阿呆が」
ギロリっとガドールがクルッカを睨みつける。その目には、怒りと同じくらいに悲しみが混じっていた。ガドール自身も悲しいのだ。クルッカの裏切りが。
「今の一撃、倍返しにしてやる」
ガドールはパチンっと指を鳴らした。すると、張り詰めていた空気が一気にカラリと乾く。その事に気付いたクルッカは、タンっと床を蹴った。
「無駄だ」
今までにないくらいの大きな電撃が、空中にいたクルッカを襲う。部屋中に帯電されていた電力は雷並みの攻撃力をほこる。俗に言う所のフラッシュ・オーバーだ。さっきの電撃はフラッシュ・オーバーを起こすための仕込みだったのだ。
しかし、そんな電撃を受けてもなお、クルッカは声1つ上げない。見ているだけでも、目を背けたくなる光景にロックはただ呆然としている。
「ガドール!」
ロックがガドールの名を叫ぶ。それと同時に軽い音を立てて、クルッカの黒いジャケットが落ちてくる。本体の方はマジックにかかったかのように消えてしまった。
「そうだ、本気で来い!」
頭上から声がして、ガドールが顔を上げるとそこにはクルッカがいた。体を小さくして、空中でクルクルと回っている。ガドールの頭目掛けて、クルッカの右足が振り上げられる。
――回転式踵落とし!?
人間離れした、クルッカの動きに目が追いつかない。避けられないと思ったガドールは、クルッカの一撃を腕で受け止める。
「憎き男が待っているぞ!こんな所でもたもたしていて、いいのか?」
「クルッカ、お前……」
「何も語るな。聞きたくもない」
クルッカはもう片方の足でガドールの腕を蹴ると、素早く距離を取った。
「行きたいなら、あたしを倒せ。その覚悟は、もう出来ているはずだ」
クルッカの言葉にガドールは黙り込む。何を考えているかは、ロックには分からない。ただ、前髪から覗いている目がたゆたっていた。さっきまでの殺気は、すっかりと鳴りを潜めている。
――ガドール、お前……。
そんなガドールを見て、気付けばロックは拳銃を握っていた。素早くリロードすると、ロックは躊躇う事なく、引き金を引いた。
「クルッカ!」
ロックの威嚇射撃にクルッカは目の端でロックを捕らえる。ひどく冷めた目には、もう光は届かない。というより、光を拒んでいるように見える。
「ロック、お前は手ぇ出すな!」
ガドールが声を荒げ、ロックを制す。
「けど……!」
「面倒だ。二人まとめて、かかって来い」
クルッカがパキポキと指を鳴らす。気だるいと言わんばかりに、クルッカはロックとガドールを見ている。ロックは改めて、クルッカが敵であると感じた。
「なめんなよ」
「そっちこそ」
垂れた血を手の甲で拭い、ガドールとクルッカは対峙する。傷だらけのガドールと無傷のクルッカ。小さな差かも知れない。けれど、それは明らかな実力の差だった。
「もう一発、見舞ってやるよ」
「ガドール!」
ガドールがクルッカ目掛けて走り出した。この時、ロックは気付いてしまった。気付いてはいけない、現実に。この戦いを終わらせる術がたった1つだけという事に。
この戦いはどちらかが死ぬまで終わらない、という事を。
______________
考えてみれば、クルッカには怪しい所があった。
貿易の街で襲われた時も、Fake numbersの事を尋ねた時も…。疑い出すときりが無い。
けれど、ガドールはクルッカの事を信頼していた。ロマノフ=ジョーヴァンと同じく、裏切り者であるクルッカを。戦っている今でも。
――何考えてんだ、クルッカ。
喉から出かける言葉は、動く度にせり上がって来る。叫びたくてたまらない。今までに味わった事のない感覚にガドールは戸惑う。
『憎き男が待っているぞ!こんな所でもたもたしていて、いいのか?』
クルッカの言葉が脳内で再生される。皮肉にも聞こえるが、その一方でガドールに言い聞かせているようにも聞こえる。だからこそ、ガドールは本気を出せないでいた。
何度も蹴られ、何度も殴られる。クルッカは至って本気だ。手加減なんて微塵も感じない。クルッカはガドールを倒そうとかかって来ている。
口の中が切れ、血の味がする。そのせいか、気持ちが悪い。ガドールは警棒で応戦しながら、床に血の混じった唾を吐いた。どういう訳か、雷の効かないクルッカにガドールは苦戦を強いられていた。
「っ………!」
ガドールの警棒がクルッカの額を突き、そのまま顔をはたくと小さな声が漏れる。
――胸糞悪りぃ。
派手な音を立てて、床へと倒れ込むクルッカ。はたかれた頬は赤く腫れ上がっている。敵とはいえ、クルッカのそんな姿を見るのは心が痛む。
「クルッカ……」
ロックもそれは同じようで、目を伏せている。見れば、握っている拳銃はガタガタと震えている。
一方のクルッカは、床から素早く起き上がると、何事もなかったかのように手を構える。刺々しい程の殺気がガドールの肌を撫でる。
『あたしはあたしの思う道を行く。その生き方は今更変えられない』
――クルッカ……、これが、お前の選んだ道なのかよ。
警棒を握る手に力が入る。ガドールはギリィと歯を食いしばると、クルッカの方に警棒を投げた。綺麗な弧を描いて、警棒が床に突き刺さる。
「魔障壁・五芒星」
警棒を軸として、クルッカの周りに大きな円が浮かび上がる。警棒から流れた電流は床を這い、円に星印を描く。
「っ!?」
中にいたクルッカは魔障壁に閉じ込められた。少しでも動けば、電撃の効かないクルッカでも消し炭になってしまう程の電流がそこには流れていた。
「動くな。じゃねぇと、死ぬぞ?」
ガドールのドスの効いた声に、流石のクルッカも動かない。その様子にホッと胸を撫で下ろすロック。
「……何を遊んでいる。銀の光輪」
その時、部屋中に一人の男の声が響いた。憎くてたまらない、男の声が。声のした方を見ると、そこにはあの男――ロマノフ=ジョーヴァンがいた。
「やはり、お友達は殺せないか?銀の光輪…いや、クルッカ」
「ハッ…!お前だって知ってるだろう?あたしは金のためなら何でもする、と」
クルッカの言葉にロマノフ=ジョーヴァンは薄い笑みを浮かべる。どうやら、今の返答が気にいったらしい。
――やっぱ、こいつが銀の光輪か。
鳴りを潜めていた、ガドールの殺気がロマノフ=ジョーヴァンに注がれる。ガドールの殺気に気付いた、ロマノフ=ジョーヴァンはまるで歓声に答えるかのように、ガドールを見下す。
「久しいな、ガドール=クーリッジ。よくも私の奴隷を奪ってくれたな」
「てめぇにとっては、ただの玩具だろうが」
――命を弄びやがって…。
「胸糞悪りぃんだよ」。ガドールがロマノフ=ジョーヴァンに吐き捨てる。
「お前さえ……いなかったら……」
ロックが伏せていた顔を勢いよく上げる。
「お前が村に来なかったらっ…!」
怒号と共にロックが握っていた拳銃の銃口を、ロマノフ=ジョーヴァンに向けた。けれど、怒りで震えた銃口はフラフラとして、定まらない。
「自分の無力さ故の結末だろう?」
「何だと……」
「いや、実に滑稽だ。そう思わないか?」
ロマノフ=ジョーヴァンがクルッカに尋ねる。
「生憎、そんな変態的趣味はない」
クルッカがバッサリとロマノフ=ジョーヴァンに言った。誰にも媚びない、堂々とした目はいつものクルッカの目だ。
「そうか、それは残念だ」
「何が…残念だ……」
怒り心頭なロックは歯を食いしばる。殺気の泉と化したロックからは、底知れぬ殺気が溢れ出している。
「ふざけんじゃねぇっ!!!!」
勢いのままに引き金を引くロック。一発目がロマノフ=ジョーヴァンの足元を抉る。それが更にロックを煽り、引き金を引かせる。続け様に何発もの銃弾がロマノフ=ジョーヴァン目掛けて飛んでいく。
「やめろ、ロック」
弾が切れてもなお、引き金を引き続けるロックをガドールが制す。感情が溢れ出したロックは目から大粒の涙を流している。
「止めんなよ……。俺は、あいつをっ!!」
「言っただろ。復讐はさせねぇって」
ガドールの一言にハッと我に返るロック。自分が何をしたのかを思い出し、拳銃が力なく床に落ちていく。目に溜まっていた涙が次々と流れていく。
「お……俺……」
「これだけ撃って、一発も当たらないとは……流石は愚者と言った所か」
ロマノフ=ジョーヴァンの言葉にガドールが勢いよく壁を殴った。拳に帯電していた電力が熱を帯び、コンクリートの壁を貫いた。
「黙れよ、殺すぞ」
「随分物騒だな」
言葉とは裏腹に、ロマノフ=ジョーヴァンは楽しげに口角を上げている。見ている方からすれば、吐き気のする笑みだ。
「だが、こちらには銀の光輪…クルッカがいる。果たして、お前は私に辿り着けるかな?」
「あいつも、てめぇの玩具の一つってか?」
「あぁ。私のお気に入りだ」
――キモイんだよ、このロリコンが。
ガドールはチラっとクルッカの方に目をやった。クルッカは魔障壁の中でじっとしている。傍から見れば、クルッカは普通の少女だ。普通と言っても、クルッカの場合は希少価値の高い、超絶美少女だが。
――クルッカ、お前は何を伝えたい?
「ガドール=クーリッジ。お前はクルッカが憎くないのか?」
ロマノフ=ジョーヴァンがガドールに問う。ガドールは殺気を帯びた目で、ロマノフ=ジョーヴァンを睨む。
「私と同じ、裏切り者だぞ?」
「てめぇみたいなクズと一緒にすんな」
ガドールはファーの中に手を入れ、一本のナイフを取り出した。
「そんなナイフで何が出来る?」
「出来るんだよ、これが」
ガドールは不敵に笑うと、手に持ったナイフをロマノフ=ジョーヴァンに向かって、投げた。ストンっと軽い音を立てて、ナイフが壁に突き刺さる。
「ふん。当たっていないぞ」
「ほざけ」
タンっと床を蹴り、ガドールが一気に距離を詰める。
「馬鹿が」
ロマノフ=ジョーヴァンは懐からクリスタルを取り出す。黒い薔薇の刻印の入ったクリスタルは、間違いなくダミーだった。
ガドールの拳に流れていた電流がクリスタルから溢れ出した炎により、かき消される。やはり、雷と炎は相性が悪い。
――それでも、やるしかねぇんだよっ!
炎の攻撃を避けながら、ガドールは壁に刺したナイフを握った。しっかりと壁に突き刺さったナイフを軸に、グリンと体を回転させる。間一髪の所で、炎の渦がガドールの頭上を通り過ぎていく。
「っ!?」
しかし、次の瞬間、ガドールの腹に激痛が走った。何事かと、視線を下ろすと、そこにはクルッカがいた。
――こいつ、どうやって……っ!?
ガドールの体が力なく、床にバウンドする。二、三回バウンドした所で、床に刺さっていたキューにぶつかった。魔障壁はいつの間にか消えてしまっていた。
「ぐぁっ……」
口から血を吐くガドール。満身創痍のガドールの体は、今までにないくらいに重い。それでも、ガドールは力を込めて、よろよろと立ち上がる。
「よくやった。クルッカ」
満足げなロマノフ=ジョーヴァンとは対照的に、クルッカはただガドールを見据えていた。
______________
ぽたぽたと降り始めた何かが、勢いを増していく。熱くて、しょっぱい雫が頬に幾つもの線を描いていく。
――俺、何泣いてるんだろ……。
途切れそうな意識の中、ロックは視界に映っている拳銃を見つめていた。全ての銃弾を撃ち終えた拳銃は、今やただの鉄の塊と化している。
『あいつを一発、殴れればいい』
そう言ったのは、紛れもなくロックだった。それで終わらせようと甘んじていた。けれど、ロマノフ=ジョーヴァンを前にし、言葉を裏切ったのもロックだった。全てが甘かった。言葉の責任も何一つ、まともに果たせなかった。
――どうすりゃ、いいんだよ。
床にへたり込んでいるロックは、大きな音がして、力なくそちらに目をやる。視線の先には、満身創痍のガドールがいた。
「ガ……ドー……ル…」
医者のロックには分かる。ガドールの体はもう限界に近い。クルッカの一撃一撃はガドールの急所を突いており、通常の攻撃よりも重い。この状況はかなり不利だ。
――決めたじゃねぇかよ。
拳銃を握っている手に力が込もる。途切れそうになっていた意識かゆっくりとだが、はっきりとしてくる。ただ、純粋に人を守りたい。そう思った事をなかった事にはしたくない。なかった事にするのは、逃げる事だからだ。
『俺にはこの手がある』
――求めてるだけじゃダメなんだ。俺だって、やってやる!
ロックは傍らにあったトランクを開けた。銃弾を素早くリロードすると、ロックはガドールの元へ駆け寄った。
「お前っ…」
「愚者か」
不思議と心は落ち着いている。さっきまでブレていた銃口もしっかりとロマノフ=ジョーヴァンを捕らえている。あれ程恐れていたロックは、すっかり鳴りを潜めている。
「クルッカ。俺は、お前と戦う気はない」
ロックの言葉に背後にいるガドールが呆れたようにため息をついた。それでも、かまわずロックは続ける。
「お前は言ったよな。世界はお前を助けてくれないって」
ロマノフ=ジョーヴァンの前に立っている、クルッカが冷め切った目でロックを見ている。果たして、クルッカに言葉は届くのか。分からないが、ロックは必死に言葉を紡いでいく。
「お前に何があったか何て、俺には分からない。けど…、俺は信じたいんだ……クルッカを」
無表情だったクルッカの目が、一瞬だけたゆたった。ガドールもその事に気付いたらしく、息を呑んだ。
「世界がお前を助けないなら、俺が助けてやるっ!だから……」
そして、ここに来てから、一番言いたかった事をロックは口にする。
「だから、帰って来い」
精一杯の思いを込めた、ロックの一言にクルッカは驚きの表情を見せた。
「やりゃぁ、出来んじゃねぇかよ」
ポンっとガドールがロックの頭を撫でる。血が滲んでいても、ガドールはとてもかっこいい。こんな状況で改めて、ロックは思った。
「ったく、お前のおかげで計画が台無しだぜ」
「計画?」
「あっ?何でもねぇよ」
ガドールはロックを押し退けると、床に刺さっている警棒を抜いた。どこか吹っ切れた様子のガドールはクルッカに警棒の先端を向けた。
「つー訳だ。腹くくれよ、クルッカ」
ガドールの一言に今まで黙っていたクルッカが口を開く。
「もちろん」
「何っ!?」
クルッカは言うが早いとばかりに、ロマノフ=ジョーヴァンの腹に肘鉄砲を食らわせた。鮮やかすぎる動きにロックは目を丸くした。
「かはぁっ……!」
ロマノフ=ジョーヴァンは驚きのあまり、持っていたクリスタルを手放した。それを目で確認したガドールが床を蹴る。
「はぁっ!」
しなる警棒が落ちかけていた、クリスタルを砕く。クリスタルの欠片は黒く変色し、燃え上がった炎と共に消えていった。素晴らしい連携プレーに、思わず拍手を送りたくなるロック。だが、その一方で状況が掴めないでいた。
「くっ…!貴様……裏切ったのか……」
「裏切り者のお前に言われたくない」
クルッカはロマノフ=ジョーヴァンの前に立つと、ロマノフ=ジョーヴァンに向かって、こう言い放った。
「あたし、クルッカ=クレセントは罪深きお前らを牢獄にぶち込むのが仕事のバウンティーハンターだ」
「バウンティーハンター……だと?」
ロマノフ=ジョーヴァンが驚いたというように目を見開く。どうやら、ロマノフ=ジョーヴァンはクルッカがバウンティーハンターである事を知らなかったらしい。
「銀の光輪っというのは、衆生の煩悩を砕く智慧の光の事。それをお前は皮肉めいた通り名だと勘違いした。だから、利用させてもらった」
口の端に笑みを浮かべるクルッカ。役目を終え、ホッとした様子のクルッカの笑みは少しだけぎこちない。
「恨むなら、罠にハマった自分を恨むんだな」
ガドールはニヤリと皮肉たっぷりに笑みを浮かべた。キューでその体を叩けば、弾みで懐から、残り四つのダミーのクリスタルが飛び出す。
「これでてめぇも終わりだ」
ダミーのクリスタルをガドールは足で踏みつける。パリンっと甲高い音がして、それぞれの欠片が消えていった。
「まだだ……」
ロマノフ=ジョーヴァンが呟く。口から垂れる血が喋る度に飛び散る。
「まだだ、まだだ……まだだっ!!」
呪文を唱えるように、ロマノフ=ジョーヴァンが叫んだ。何かしてくる気かと思い、ロックは拳銃を構えた。
「まだ、私の野望は終わってなどいないっ!今頃、街は……」
「残念だけど、そっちも鎮圧されたよ」
聞き覚えのある声がして、入口の方に目をやると、そこにはマティアスが立っていた。
「マティアス!」
「ロック。お前の覚悟、ちゃんと見せてもらったよ」
マティアスが嬉しそうにロックに向かって、微笑む。
「マティアスって、あの咎追いのか…」
――咎追い……、マティアスが?
「遅かった?クルッカ」
「いや。バッチリ」
マティアスは「よかった」と頬を綻ばせる。少し赤みのさした顔は、少年だというのにとてつもなく可愛い。
「和んでるとこ、悪いんだけど」
「そろそろ、ロマノフ=ジョーヴァンの身柄を拘束したいのですが」
再び声がして、一同が振り返ると、オレンジ色の髪に緑色の目をした男二人はこちらの様子を伺っていた。鏡写しのようにそっくりな美形二人の登場に一番驚いていたのは、ロマノフ=ジョーヴァンだった。
男の一人が青いコートを翻し、オレンジ色のセミロングを靡かせる。左耳の上辺りから編んだ三つ編みは歩く度に揺れており、気品に満ち溢れている。
――何者なんだ…?
男が近付くにつれ、そのシャツの襟で光っているバッジが徐々に鮮明に見えてくる。白い刃の剣2本と蛇と、アダムとイヴが食べたとされる禁断の果実のシンボルマークの入ったバッジは、王立騎士団員の証だ。
「ロマノフ=ジョーヴァン。貴方の身柄はこちらで拘束します」
「妙な考えは起こさない方がいいぜ?」
もう一人の男がハンドガンを構えて言った。目の前にいる男とは対照的に若干露出度の高い男は、艶めかしいオーラを放っている。
「くっ……」
男によって、ロマノフ=ジョーヴァンに拘束魔法がかけられる。両手足を拘束されたロマノフ=ジョーヴァンは生気を失ったみたいに黙って、項垂れている。
あまりに呆気ない終わり方に、ロックは言葉が出てこない。八年間の思いが心の中で混ざりあって、何とも複雑な気持ちになる。
「終わった……のか…」
「あぁ。終わったんだよ」
ロックの肩を掴んで、ガドールが答える。終わったという実感のないロックは未だに信じられない。
――あ…、あれ忘れてた。
ロックはロマノフ=ジョーヴァンの前に立つと、腕を引き、力任せにロマノフ=ジョーヴァンを殴った。無抵抗な相手にいきなり殴りかかったロックに男二人は驚いたようだった。
「そうか……。終わったのか……」
ロマノフ=ジョーヴァンを殴った拳を見つめ、しみじみとロックが言った。涙は一切出ない。恨んでいた気持ちは、どこか遠くへ飛んで行ってしまった。
「クルッカ」
ロックはマティアスの隣にいる、クルッカに目を向ける。名前を呼ばれたクルッカは、ビクリと肩を揺らす。
「帰ろう、一緒に」
ロックの言葉に今まで堪えていたのか、クルッカのレモン色の目から涙が溢れた。涙は次々と頬を伝って、ぽたぽたと床に落ちていく。
「さっさと来ねぇと置いてくぞ」
ガドールが少し意地悪く、クルッカに声をかける。クルッカは涙を拭いながら、ロックとガドールの方を見た。涙でぐちゃぐちゃな顔でも、クルッカは可愛い。そんな事を思っていたロックは、不意に腕に温かなモノが飛びついて来たのに気付く。見ると、ロックとガドールの間にクルッカがいた。小刻みに震える手でロックとガドールの腕をひしと抱きしめているクルッカ。泣きじゃくりながらも、必死で言葉を紡いでいく。
「あ……りが……とう……っ」
こうして、ロックとガドールのロマノフ=ジョーヴァンとの因縁の対決は幕を閉じた。