六・絡めた指に託した思い
心地のよい眠りについていたロックは、朝の鐘の音と共に目を覚ます。
「おはよう、ロック」
「クルッカ…、おはよう」
いつの間に眠ってしまったのか。ロックは額に手を当てながら、何処かもやもやあとする頭に首を傾げる。
「ようやく起きたのか」
「おはようございます」
「あぁ、おはよう……って!?」
聞き覚えのない声に寝ぼけたままのロックは反射的に挨拶を返し、ふとそれが誰であったかを考える。そして、行き着いた答えに勢いよく、そちらに目をやると、嬉しげに笑みを浮かべているゾフィがいた。
「ゾフィ、声が…。何で…」
「おいおい、寝ぼけ過ぎだろ。まさか、さっきの事全部忘れたのか?」
「さっき?…あぁ、そういえば…」
おぼろげに思い出したのは女神召喚の儀式の事。不気味に笑う女神を名乗るナニカの顔にゾクリと背中に悪寒が走る。そうだ、あの儀式に成功して、ゾフィは声を取り戻したんだった。――いや、本当にそうだったか?あの時、他にも誰かがいたはず…。
「みなさんのおかげです。ありがとうございます」
「……いや、よかったな」
引っかかる事は多々あれど、今目の前で救われた人がいるのだからそれでいいじゃないか。深々と頭を下げるゾフィの後頭部を眺めながら、ロックは何処か達観したように思う。
「やっと起きたのかよ、寝坊助」
「ガドール」
何でだろう。名前を呼んだだけ、顔を見ただけというのにいつも以上に安心感を覚える。自分でも無意識に身体に力が入り過ぎているのかもしれない。因縁の相手絡みなのだから緊張するなという方が無理な話ではあるが、今からこんな調子ではガドールに揶揄われてしまう。どうにか態度に出さないよう、努めて明るい表情をする。
「それじゃ、話の続きといこうか。あいつは銀の光輪と組んで、ダミーの能力実験をしようとしてたと」
確認とばかりにガドールがヴァルゼルドに視線を投げると、大きく頷いてみせる。
「研究者達からすれば、それは喉から手が出るくらい欲しい情報だろうな。それこそ、大金を積んだって惜しくないくらいの。奴らだって、本部が禁止にしてなけりゃ、幾らだって実験したいだろうからな」
本部というのはCode Numbersを束ねる組織の通称だ。ダミーのクリスタルの保管を担っており、その権利を全て掌握していて、危険性の面から実験などを一切禁止としている。しかし、未知数の力を持ったダミーのクリスタルに魅力を感じる研究者は後を絶たず、ひっそりと実験をしている者もいるのだとか、噂は止まない。
「実験がてら、仲間を増やそうって算段なんだろう。この街を選んだ理由は恐らく、咎人を収容している牢獄があるから。まぁ、咎追い組織の教団の街というリスクはあるが、実験に巻き込んで皆殺しにしようとでも考えたんだろうな」
壁に背を預け、腕組みをしているガドールは軽蔑の眼差しを窓の外に向ける。
「あいつの持ってるダミーの数は?」
「確か…、五つだったはず」
「その内の二つが風と炎の能力か……」
貿易の街での異常気象も実験の一つだったのだろう。そう思うと胸の辺りがムカムカしてくる。それにしても風と炎、奇しくもどちらも受け継がれなかった能力なのは意図的なのだろうか。
そして、最も最悪な事がガドールの能力――雷が炎に不利だという事だ。炎を出し続ける事で、電気を放電し、感電を防ぐ事が出来るからだ。いくら強い能力でも通じなければ、意味がない。それに銀の光輪も、素性が分からない以上要注意だ。
「…い」
「――?」
不意に耳に誰かの声が聞こえた、気がした。誰だと辺りを見渡しても、こちらに話しかけている人はいない。空耳だろうか。
「ぐっ…!?」
思考を邪魔するように頭が痛み出す。いや、空耳なんかじゃない。あの声を自分は知っている。
「おい、起きろ!!」
ガドールだ。しかし、目の前にいるガドールの口は動いていない所か、こちらを見てすらいない。ちぐはぐな状況に頭が回らなくなる。それでも思考を塗り潰されないように必死で考える。
――思い出させてやろうか?
また幻聴だ。ニタリといやらしい笑みを浮かべたような声色にグッと奥歯を噛み締める。
「邪魔、すんなッ…」
――おいおい、悲しい事言うなよ。言ったろ?俺はお前の唯一無二の味方だって。
「都合のいい事ばっか言ってんじゃねぇよ…」
――…少しは信用してくれよ。俺は何度もお前を助けてるっていうのに。
「ロック!」
ガドールの声がはっきりとして来る。と同時に見えていた景色から徐々に色が無くなって行く。崩壊していく世界はさながら夢から覚めるような感覚に似ている。そういえば、ガドールが起きろと言っていた事を思い出す。ならば、今の自分は眠っている状態なのだろうか。
――あ~ぁ、時間切れ。じゃあ、またな、ロック。
クスクスと笑う声と共にロックの意識は白くなった世界に飲み込まれるのだった。
______________
「おい、アンタ!!」
肩を揺さぶられ、閉じていた瞼を開ける。目の前には白衣姿の知らない男が眉間に皺を寄せて、こちらを見ている。
「やっと起きたか。全く、店先で立ったまま寝ちまうなんて器用な事するなぁ…」
「…あぁ?」
寝起きで回らない頭で状況を把握しようと思考を巡らせる。何で街にやって来たのか。確か、買い出しに来て、いつも通りロックが薬屋に寄って――。
「ロック…。俺の連れは?」
「連れ?」
「金髪に灰色の目の、俺と同じ年の男だ」
「金髪に灰色の目…。あぁ!あの妙にテンションが高かったあいつか!」
男は納得したとばかりにポンと手を打った。けれど、すぐにまた眉間に皺を寄せると首を傾げ始める。
「けど、そいつは他の奴と一緒に店を出て行ったぞ?」
「は?」
「長身で銀の長髪の男だったぞ。あぁ、眼鏡もしてたな」
男のいう人物に覚えはない。まさか、ロックを攫ったのかと嫌な汗が頬を伝う。もし、ロマノフ=ジョーヴァンの関係者だったら――。
「クッソ」
忌々しく舌打ちをした後、ガドールは走り出す。店先でどれくらい眠っていたのかなど考える余裕もない。そもそも、それだってその長髪男のせいかもしれないと思うと余計苛立ちを覚える。
「ガドール君、一つ頼んでもいい?」
脳裏に浮かんだのはいつか結んだ約束の事。ガドールの髪を弄るのが好きだった、ロックの母親が髪を編みながら言ったのだ。
「ロックの事、守ってくれる?」
「もちろん」
「ありがとう。じゃあ、指切りしようか」
ロックの母親はそう言うとこちらに小指を差し出して来る。それはとある国での約束の儀式だとか。ガドールはその小指に自身の小指を絡めると、教えてもらった呪文を唱えながら指を揺らす。
「ユビキリゲンマン、ウソツイタラ、ハリセンボンノ~マス」
指切ったと絡めていた指同士を離す。すると、ロックの母親は少し潤んだ瞳で真っ直ぐにこちらを見つめて来る。
「ロックをお願いね、ガドール君」
――…絶対に守ってみせる。
決意を新たにガドールは街を駆けて行く。
そうして、どれだけ過ぎたか。幾ら探しても見つからない状況にクルッカ達の手を借りようと宿に戻って来たガドールはようやくロックを見つけた。床に突っ伏し、倒れたロックの姿に上がっていた息は一瞬止まったように喉から変な音が鳴る。
「ロック!!」
外傷がない事に一旦安堵するも、こちらの呼びかけに反応する素振りはない。何か精神的にされたのではないかと一抹の不安が過る。ただでさえ、精神的に不安定なロックだ。このまま目が覚めないなんて事だけは御免だ。
「おい、しっかりしろ!ロック!!」
両肩を掴み、揺らしてみるも閉じた瞼は動かない。糸の切れた人形のような意思を持たない身体に嫌な汗が止まらない。
「ロック!!」
必死に名前を呼び続けた時、ピクリと睫毛が揺れた。
______________
これは老人も、ガドールも知らない、ロックだけが知っている記憶。ロマノフ=ジョーヴァンが村に来て、少し経った日の事だった。
「ロック。ガドール君、呼んでおいで」
「はーい」
両親を早くに亡くしたガドールは、ロックの家で暮らしていた。同い年だが、しっかりしたガドールをロックは実の兄のように慕っており、ガドールもまた手のかかる弟だと思いながらも、満更ではない様子だった。
「ガドール!」
部屋に行くと、ガドールがいた。いつものように、父親の形見であるスカウターをいじっている。この頃は、茜色の長髪を三つ編みにしていたせいか、よく女の子に間違えられていた。
「母さんが下に来てって」
「あぁ」
そう言って、ガドールが持っていたドライバーを置いた、その時--。
「うわぁーッ!?」
村の人々の叫び声にガドールは勢いよく窓を開けた。
「なっ…!」
そこには、必死に何かから逃げる村の人々がいた。阿鼻叫喚とはまさにこの事だと言わんばかりの、惨状にロックとガドールは言葉を失う。
「おい、あれ……」
ガドールの指がゆっくりと前を指す。それに合わせて視線を動かすと、村の入り口に群がっている魔獣が目に入った。
「何で魔獣が……」
「ロック、お前は逃げろ」
ガドールはロックの肩を強く押した。よろけるロックを他所に、ガドールは素早くマジックアイテムであるファーを肩に羽織る。
「ガドールは!?」
「阿呆。俺はCode NumbersのNumber5だぞ。逃げる訳にはいかねぇんだよ」
窓枠に足をかけ、ガドールは勢いよく飛び降りた。ガドールを止める事の出来なかったロックは、急いで階段を下りる。「何事?」という顔の母親に、ロックは先程の出来事を話すと、母親はロックと祖父を連れ、急いで外へと出た。向かう先は村の避難所だ。ロック達が着いた頃には、父親と村の半分の人が集まっていた。
「ロマノフさんがいない」
誰かが気付いて、声を上げた。見ると、ロマノフ=ジョーヴァンはいなかった。すると、おもむろに父親が立ち上がった。
「捜しに行こう」
「そうね。ガドール君も捜さないと」
母親も立ち上がる。それにつられて、ロックも立ち上がる。内心、生きた心地がしなかった。それでも、ガドールがいるなら、自分も行かないといけないと思った。
しかし、ロックの願いはあっさりと却下されてしまった。
「ロック、あなたはここにいて」
「大人しくしているんだよ」
ロックにそう言い残し、二人は再び村へと戻って行った。その背を見送りながら、ロックはどこか不安でいっぱいだった。そこで、ロックは祖父の目をかいくぐって、一人村に戻った。震える足を何とかいなしながら、辿り着いた先で見たのは地獄のような現状だった。
「え……?」
足元に転がっていたのは、血塗れの両親だった。切り裂かれた傷口から、それが魔獣にやられた事は明らかだったが、ロックが驚いたのはそこではなかった。血塗れの両親を前に不気味な笑みを浮かべた、ロマノフ=ジョーヴァンが魔獣を愛おしそうに撫でていたからだ。
「死に目に息子さんが来たようだ」
ロマノフ=ジョーヴァンは撫でていた手を止めると、持っていたクリスタルを光らせる。その光に、大人しかった魔獣の目がみるみる血走っていく。
「ロック…!」
母親がヨロヨロと立ち上がる。体からは聞いた事のない音が軋み、大きな傷口からは、止まる事なく血が流れ出している。
「一緒に逝け」
地面を蹴った魔獣の血塗れの手が、ロックに迫る。けれど、その手がロックに届く事はなかった。
「っ!?」
貫かれた体から、血がドッと噴出す。ロックのを庇うように前に立ち塞がった母親は、腹に魔獣の手が刺さった状態で、すでに事切れていた。
「っち……」
ロマノフ=ジョーヴァンが忌々しそうに舌打ちをする。ブンっと魔獣が手を振るい、母親の体が嫌な音を立てて、地面にバウンドする。血が辺りに飛び散り、何バウンドかした後、母親の体は止まった。
「ぐわっ!?」
感傷に浸る隙もなく、勢いよく、地面に叩きつけられたロックは衝撃で口の中を切る。ジワっと口の中に血の味が広がり、恐怖が足元からせり上がってくる。
「うっ……!」
ミシミシっと体が軋む。今にも折れてしまいそうな、そんな音にロックの恐怖心が更に増していく。
「ロック!!」
地面に倒れていた父親が何とか起き上がろうとした、その時――。
「………あっ………」
突如、現れた魔獣が父親の頭を食いちぎった。ほとばしる血しぶきで、地面が赤く染まる。
「あ……くぁっ……」
言葉の出ないロックに、ロマノフ=ジョーヴァンは満足気に笑った。
その後、ロマノフ=ジョーヴァンは興が削がれたのか、ロックを殺さなかった。ロックは村の人々が来るまで、ずっと地面に突っ伏して、泣いていた。母親と父親の死体は、どこからも見つからなかった。
老人も、ガドールも知らない、ロックだけが知っている、最期の記憶――。
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聞き慣れた声に目を開ける。何だか嫌な夢を見ていた気がする。滲んだ視界の中、見えたのは心配そうにこちらを見ているガドールの顔だった。
「ガドール?」
「ったく、心配掛けんなよ」
心底安堵したように笑うガドールに申し訳なさを覚えつつ、辺りを見渡す。ふとここにいるはずのクルッカ達がいない事に気付く。
「クルッカ達は…?」
「俺が戻った時には誰もいなくなってた」
ガドールの言葉に目を見開く。こうしている場合じゃない。探しに行かないとと立ち上がろうとするロックをガドールが制す。
「恐らく、連れ去らわれたんだろうな。お前と一緒にここまで来た奴が」
「え?」
「お前、長髪男と一緒に薬屋から出て行ったらしいぞ。…あぁ、らしいってのは俺もそいつに何かしらされたらしく、立ったままぐっすり眠ってたんだと。店の男から聞いた」
ガドールが苦虫を嚙み潰したように眉を顰める。対して、ロックは宿に戻って来てからの出来事を全て思い出し、顔を青くする。
「……俺のせいだ」
俺がゼータをここまで連れて来てしまった。その事実に身体が震え出す。ゼータが何を考えてここに案内させたかは知らないが、そのせいでクルッカ達を危険な目に遭わせてしまったかと思うと生きた心地がしなかった。
――助けるって決めたのに。
「俺が、みんなを…」
「違う、お前のせいじゃない」
キッパリとガドールが言い放つ。その目は先程の不安など何処へやら、いつもの凛とした冷静さを宿している。
「ガドール…」
「ちょっと落ち着こうぜ」
ガドールはポンポンとロックの頭を撫でると、待ってろと声を掛けて、部屋の奥の方へと消えて行く。落ち着かない気持ちでその姿を見送って数分後、甘い香りが漂って来る。チョコレートだろうか。
「ん」
マグカップを二つ持って来たガドールは片方をこちらに渡して来る。それを両手で受け取り、じっと中の液体を見つめる。落ち着く事自体には同意だが、ここでじっとしていてもいいのだろうかという不安もある。しかし、湯気を上げ、甘い香りのチョコレートをそのままにしておくのも何だか申し訳なくて、マグカップに口を付ける。
「…美味しい」
「そりゃよかった」
ロックから少し離れた場所の椅子に腰掛け、ガドールもマグカップに口を付けている。状況は何一つ変わっていないというのに少しだけ余裕が出来る。
「……あいつ、大賢者のゼータって言ってた。クルッカの知り合いだって」
「あの最年少で大賢者になったっていう奴か」
「うん。あいつ、何かの薬品使って俺達を眠らせたみたい。何の薬品かまでは分かんなかったけど…」
薬品という言葉にガドールがピクリと反応する。何か覚えがあるのだろうか。少し考えた素振りを見せた後、ポツリと呟いた。
「そいつ、Numbersかもな」
「え…」
「毒の能力者なら神経毒とかそういうのもお手のもんだろ。まぁ、実際見た事ねぇから断言は出来ねぇけど」
ガドールが再びマグカップに口を付ける。風や火の能力でも厄介なのに更に毒まで敵が使って来るとなると戦力差は歴然だ。ガドールの強さはずっと傍から見て来たロックが一番知っている。けれど、それを差し引いたって自分の存在がどうしても足を引っ張ってしまう。人に向けて発砲する事に恐怖を覚える自分はどう足掻いたって戦力外だ。
――また俺は……。
「なぁ、ロック」
「ん?」
「お前はあいつの事、殺したいか?」
唐突に問われた言葉にロックはポカンと口を開けたまま、呆気に取られていた。
「…何、言ってんだよ。俺は、殺したりなんか――」
「本当にか?」
迷う事なんてないはずなのに、言葉が上手く出て来ない。憎み続ける人生は嫌だと言ったのは自分だというのに、それでも心の底で捨て切れない復讐心がある事は知っている。優しかった両親をあんな殺され方をして許せる人なんているはずがない。頭では分かっている。それでもその道を行かないと決めたんだ。その道はきっと今まで以上に苦しい道だと分かっているから。
「俺は人を殺さない。ただ、あいつを一発殴れればそれでいいよ」
ヴァイオレット色の瞳を真っ直ぐに見て、ロックは言い切った。すると、ガドールは真剣な顔を一瞬で緩め、柔らかい笑みを浮かべて見せる。
「そうか。なら、さっさと見つけ出して、ケリをつけようぜ」
ガドールはマグカップの中身を一気に呷ると、空のマグカップをテーブルに置く。それに倣って、ロックもチョコレートを呷る。口元を手の甲で拭い、気持ちを整える。
――待ってろ、みんな。絶対に助けるから。
陽が落ちて、暗くなった街へ二人は再び繰り出すのだった。