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Panopticon  作者: Chiot
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一・銀髪の天使

 大きな門を街の入り口に構えた、貿易の街は今日も人々で賑わっている。道の両サイドには露店がひしめき合っていて、露店主達は通り掛かる人々の気を引こうと必死だ。この布はここでしか手に入らないだとか、この石は幸運の石で持っているだけで幸せになれるだとか。大半の人間はやんわり断るか、最初から無視を決め込むかのどちらかだが、中には興味を持って立ち止まってしまう人もいる。そうなってしまっては最後、商品を買うまでその場から逃がしてもらえない。上手くその場を逃げたとしても目敏い露店主達がそう簡単に諦める訳がなく、ここぞとばかりにご近所ネットワークを駆使して来るのだから、もう勝ち目はない。そんな話を知っているからか、道行く旅人達はどう声を交わそうかと思案しているように見える。

 そんな様子を裏路地から少年は眺めていた。壁に背を預けるように立つ少年は帽子を深く被り、腕時計に視線を落とす。もうどれくらいここにいるのか、確認する度に溜め息が出た。

 表の活気づいた華やかさとは裏腹に裏路地は同じ街なのかと疑いたくなるような薄暗さに包まれていた。心なしか、空気も淀んでいるような気がする。早くここから離れなければ、自分も誰かに目を付けられるかも知れない。あの露店主達よりももっと厄介な者に。


「お前、さっきから誰待ってんだ?」


 帽子のつばから落ちた影に人影が重なる。そろりと視線を向ければ、そこにはいかにもガラの悪い男二人組がいやらしい笑みを浮かべて立っていた。一人は首や指にこれでもかとアクセサリーを付け、もう一人は顔や腕に趣味の悪いタトゥーを入れている。


「待ちぼーけ?超暇そーじゃん」


 男のアクセサリーの男はフランクな調子で近付いて来ると、少年の首に腕を回す。瞬間、妙に香ばしい匂いがふわりと香る。身なりとは裏腹に品を感じるその香りに少年は眉を顰める。 

 

「そんな暇人に朗報〜。じゃじゃ〜ん!」


 少年の事などお構いなしなタトゥーの男は何処からか、小箱を取り出すとその蓋を開けてみせる。中には小さなカプセルが幾つか綺麗に並べられていて、何処か不気味さを覚える。


「それは…」


「お、知ってる感じ?話が早くて助かる~。ここで会ったのも何かの縁って事で安くしとくぜ?」


 タトゥーの男が指をすり合わせ、こちらの様子を伺って来る。対して、少年は男など気にも止めず、カプセルを凝視している。


「楽になれるぜ?嫌な気持ちは吹っ飛んで、心は快楽で満たされる。一度味わってみないか?」


 どうやら、この二人はドラッグの売人らしい。そういえば、ここに来る前そんな物が流行っていると噂は聞いていたが、実際にそれを目の当たりにするとは思いもしなかった。


「そんなビビるようなもんじゃねぇって。何なら、今やってみる?特別一個無料って事で」


 アクセサリーの男はそう言うとカプセルを一つ、掌に取るとこちらに差し出して来る。慣れたような一連の仕草にこれが彼らのいつもの手口なのだろうと想像が付く。少年は少し思案した後、男の手に自身の手を伸ばす――と、勢いよくその手を払いのける。


「なッ――!?」


 男の手から離れたカプセルは小さな音を立て、地面へと落ちていく。まさか、そんな事をされるとは思っていなかったらしい二人は呆気に取られたまま、地面のカプセルを眺めている。


「…てめぇ、何しやがるッ‼」


  我に返ったタトゥーの男が怒号と共に少年に掴み掛かろうと手を伸ばす。が、すでに二人から距離を取っていた少年にその手は届かない。

 

「おっと、それ以上近付かない方が身の為だぜ?」


 少年は帽子のつばを上げると、不敵な笑みで二人を見る。


「ハッ!ヒョロヒョロのお前に何が出来るってんだ。こっちにはコレがあるんだぜ?」


 少年の言葉にアクセサリーの男が自身の上着の裾をめくって見せる。男の腰には擦れた革のホルスターが付けられていて、その中にある拳銃のグリップは裏路地の切れかけの街灯の明かりを受け、鈍く光っている。


「…これ、何だか分かるか?」


 普通なら動揺するのだろうが、そんな事などとっくに気付いていた少年は臆する事無く上着の内ポケットから一つの小瓶を取り出す。とぷんっと揺れる謎の液体に男二人は揃って首を傾げる。


「これはかの有名な魔女の血だ。知らないか?この世でもっともむごいとされる、病魔の呪い。これにはその呪いが掛けられてる」


「フッ、ハハハハハ!聞いたかよ、魔女の呪いだってよ」


「お前、嘘吐くんならもっとマシな嘘を吐けよな。誰が信じるんだよ、そんな嘘。ハハハ!」


 裏路地に男達の下品な笑い声が響く。けれど、少年は表情を崩さず、真っ直ぐに男達を見据えている。その眼光の強さに馬鹿にしていた男達も徐々に笑い声を止め、気味の悪いモノでも見るような視線をこちらに向けて来る。


「嘘だと思うんなら、ここで中身をぶちまけてみる?ほら」


 小瓶を男達の方へ放る。すると、男達は焦ったように小瓶に駆け寄ると両手でそれを受け止める。あまりの必死さに思わず口の端に笑みが浮かびそうになる。


「ナイスキャッチ!でも、残念」


「え――」


「こっちが本物だよ」


 ホッとした表情の二人の前に少年は先程の物と同じ小瓶を見せびらかすように小さく振って見せる。


「魔女が死んでもなお、効力の切れない呪い薬ってドラッグに似てると思わない?まぁ、こっちは筆舌し難い苦しみらしいけど。でも、それさえも快楽に出来たなら、そいつはきっと幸せなんだろうね」


 坦々と話す少年の靴が地面に落ちたカプセルを踏み潰す。先程までなら怒り狂っていたであろう男達はすっかり鳴りを潜め、少年から距離を取ろうと逃げ腰になっている。

 

「どうした?まさか、ビビッてんの?」


「ち、近寄んな!気味悪りぃんだよ、お前」


「馬鹿、余計な事言うな!さっさと逃げるぞ」


「…ッチ!覚えてろよ」


 アクセサリーの男に制され、タトゥーの男は盛大に舌打ちをした後、そそくさとその場を後にする。捨て台詞とは裏腹に少年が追って来ないか、しきりにこちらの様子を伺う様は滑稽そのもので少年はその背が見えなくなるまで見送った後、我慢していた笑い声を上げた。


「ハハハ!騙されてやんの」


 少年――ロック=ペプラムはくつくつと肩を揺らして笑う。逃げ際、男が落として行った小瓶を拾い上げ、上着の内ポケットへと戻す。もちろん、その中身は魔女の血なんてモノではなく、ただの人の血である。


「何を笑っているんだ?」


 そんなロックに一人の男が声を掛ける。ひとしきり、笑い終えたロックは目尻に浮かんだ涙を指で拭うと、声の主の方に向き直る。


「別に。そんな事より薬は?」


 ロックに言われ、男は持っていたトランクを開ける。中には薬の瓶が綺麗に並べられていて、その中の一つを手に取るとロックはまじまじとそれを凝視する。


「…本物、だな」


「当たり前だろ。いい加減信用しろって」


「毎回遅刻して来るくせによく言う…」


 ロックは呆れながらそう言うと、財布から何枚かの紙幣を取り出す。遅刻して来たというのに男の視線は早く寄越せとこちらを急かしている。対して、ロックは悪戯っぽい笑みを浮かべると手にした紙幣をヒラヒラと振って見せる。


「ついでに教えてほしいんだけど、最近街で変な事起きてたりしない?例えば、異常気象とか、変な奴が大暴れしてるとか」


「お前、この街にマフィアがいるって知ってて聞いてるのか?大暴れしてる奴も、変な奴も日常茶飯事過ぎて、誰も気にも止めねぇって。あ~…、でも異常気象ってんなら心当たりあるぜ?」


 男は腕組をすると、ロック同様悪戯っぽく笑って見せる。


「最近、やけに風が強いんだ。突風って言うのか?前触れもなく吹くもんだから、こけたり、飛ばされたりで怪我人が多いのなんの。そのせいで病院は大忙し、芋づる式に俺ら薬屋も引っ張りだこって訳」


 話し終えると同時に男はロックの手から素早く紙幣をひったくる。薬において信頼を寄せているけれど、男のこういうがさつな所は少し苦手だ。


「お前も医者なら手貸してやれよ。…っと、丁度。んじゃ、またご贔屓に」


 慣れた手付きで紙幣を数え終えた男はロックに幾つかの薬の瓶を渡すと、トランクを閉め、裏路地の奥へと消えて行く。相変わらず読めない奴だと内心思いつつ、ロックも自身のトランクを手に取ると裏路地から表の大通りへと移動する。


「さてと…」


 相棒は何処にいるだろう。辺りをキョロキョロと見渡すと、数メートル先に人だかりが出来ているのが見える。


「イカサマだ…。こんなのイカサマに決まってる!」


「…あいつ、またやってんのか」


 人だかりの中心から男の叫び声が飛んで来る。ロックはその人だかりに近付くと、ちょっと通してと前の方へと移動して行く。すると、二人の男が木箱を挟んで何かをしている様子が目に映る。木箱の上にはカードと一緒に数枚の硬貨と紙幣が積み上げられている。


「誰か、こいつがイカサマしてるとこ見てないか!?…こんなにいて、誰も見てないのか!?」


 向かい側の男が声の主らしい。男は木箱の反対側にいる長髪の男を指差し、血走った目で叫ぶ。


「おいおい、自分が負けそうだからってそんな言い訳は見苦しいぜ?」


 綺麗に整った顔にハーフアップの茜色の長髪、極めつけは今にも獲物を喰わんとする猛獣のような強い眼光を宿したバイオレット色の瞳をした相手の少年は余裕そうに頬杖を突き、涼し気な顔を崩さない。


「くッ…!」


「ほら、席に戻れよ。まだゲームは終わってねぇ」


 少年はトンッと木箱の向かい側を指で突く。怒りで顔を真っ赤にしている男は身体を震わせながら、少年を睨んでいる。


「分かった、やりゃいいんだろ!やりゃあ!」


「そうこなくっちゃな」


 勢いよく男が席に戻ると、少年は木箱の上のカードを集め始める。カードをシャッフルするのだろうと後ろから見ていると、不意にバイオレットの瞳がこちらを向く。


「シャッフルしてくれねぇ?俺がやるとまたイカサマだって言われかねないからさ」


「お前なぁ…。俺まで巻き込むなよ」


 カードを受け取るフリをして、顔を寄せたロックが少年に呟く。すると、少年は口の端に笑みを浮かべ、その手にカードの束を乗せる。


「お前なら俺がイカサマしてねぇって言い切れるだろ?」


「そりゃそうだけど。はぁ…、分かったよ」


 ロックは顔を上げると手にしたカードを慣れない手つきでシャッフルしていく。その様を可笑しそうに見ている少年は相手の男など眼中にないと言わんばかりだ。少し相手に同情してしまうもこういう手段で路銀を稼いでいる手前、自分も共犯なのだと言い聞かせる。


「ほらよ、色男」


「どうも。…アンタもシャッフルしとく?」


「寄越せ」


 少年からカードを奪うと男は荒々しい様子でそれをシャッフルしていく。途中、何度かカードを落としそうになるも念入りに混ぜると満足したのか、男は上からカードを交互に配り始める。


――相手が悪かったなぁ…。


 手札を見るまでもなく、その結果を悟ったロックは男に複雑そうに視線を向ける。男がどれだけの覚悟やイカサマをしようが、少年相手にそれが通じない事を分かっていたからだ。何故なら、この少年――ガドール=クーリッジは狂ったように運がいい。言うなれば、狂運。彼の幼馴染であるロックはそれを嫌と言う程体感して来た。


「くそっ!」


 有り金全部を賭けてしまった男は持っていたカードを乱雑に放るとガドールを鋭く睨み付ける。男の手札はストレートフラッシュ、普通なら勝てる役だったのだから、その悔しさは計り知れない。対して、ガドールはスペードのロイヤルストレートフラッシュの手札を木箱に落とすと男の有り金を袋に集めていく。

 

「行くぞ」


 歓声を上げる人々を他所にガドールはロックの肩に手を置くと、人だかりから抜けて行く。ロックもその後に続いて、人だかりから離れるとガドールは大きく伸びをする。


「お前、遅せぇよ」


「ごめん、ごめん。お詫びに昼奢るからさぁ」


「よっし、言ったな。じゃあ、どっか入るか」


 ロックの言葉にニカッと歯を見せて笑ったガドールは袋を右肩に付けたファーの中にしまうと、歩き始める。靡いた茜色の髪は光を受けて、キラキラと輝いていて、長年一緒にいるというのに見慣れないなと目を細める。


「何だよ、変な顔して」


「元からこういう顔なんだよ、悲しい事に」


 ロックは顔を隠すように帽子を目深に被り直すと、ガドールの隣に並び立った――瞬間、通りに強い風が吹き付ける。不意を突かれた人々は風の勢いに負け、転んだり、持っていた紙や帽子を攫われてしまう。薬屋の言っていた異常気象とはこの事らしい。先程眺めていた露店の方も酷い有様なのか、背後から悲鳴のような声が小さく聞えて来る。


「帽子、押さえといてよかったな」


「あぁ。にしても、風強すぎるだろ。今日で何回目だよ、この突風」


「飛ばされねぇ内に店入ろうぜ」


 風に攫われた物を追いかけ、数人が二人の横を走って行く。空には飛ばされて来た物が幾つも浮遊していて、落ちて来るまでには時間が掛かりそうだ。ああはなりたくないと帽子をしっかり手で押さえると近くにあったカフェへと避難する。

 カフェに入るとすかさず店員が声を掛けて来て、席へと案内してくれる。昼時を過ぎているというのにそこそこ込み合っている店内に考える事は皆同じなのだなとガドールと顔を見合わせる。

 店員に案内される途中、店内の一角にあるテラス席に目が止まる。前までは使えていたのであろう、そこは張り紙と共に封鎖されており、時々風が吹き込んでガタガタと鳴っている。


「ご、ごゆっくりどうぞ…」


 席に案内し終えた店員は口の端を引き攣らせながら、キッチンへと注文を伝えに行く。先程までガドールの容姿に見惚れていたのだが、注文を聞くなり、マジかと言いたげな表情を浮かべるものだから思わず笑ってしまいそうになる。


「で、何かいい情報あったか?」


「前情報で聞いてた以上の話はなかったな。マフィアがいるから治安がよくないってのと。風で怪我人が多いとか。そのせいで病院も薬屋も大忙しとか」


「だから、遅かったのか」


「そうそう。まぁ、あいつはいつも遅刻魔だけど」


 ロックの話を聞いて、ガドールは頬杖を突いたまま、何か思案するように外を眺めている。何てない仕草だというのに絵になる姿に盗み見ていた周りの女性客からの視線が一層熱くなる。見られているのはガドールだというのに一緒にいるこちらの方が何だか居た堪れなくなって来る。


――美形が嫌いになりそう…。


「お、お待たせ致しました…」


 嫉妬やその他諸々の感情に囚われそうになった時、控えめな声と共に先程の女性店員がサービスカートを引いてやって来た。三段のカートいっぱいに載っているのは同じ料理で、チーズの焼けたいい匂いが胃もたれを起こしそうなレベルで濃く漂っている。


「テーブル載る?これ」


 ざっと十皿以上あるであろう、その料理はガドールの大好物であるラザニアだ。


「お前は財布の心配した方がいいんじゃねぇか?」


 熱々で湯気を放つラザニアにフォークを入れ、パクパクとスナック感覚で口へと運んでいくガドール。これには量で驚いていた女性店員も目を見開き、固まっている。その間も淡々と食べ進めて行くガドールは女性店員の持っていた皿にも手を伸ばすと、その手に空の皿を載せる。


「その摂取カロリー、何処行くの」


「さぁな、魔力にでも回ってんじゃねぇの?あ、ラザニア追加で」


「は、はい…」


 あっという間に持って来たラザニア全てを食べ尽くしたガドールは手の甲で口元を拭う。一方のロックは別の店員が持って来たオニオングラタンスープをスプーンで掬い、フーフーと吹いて冷ましている。


「さっきの話だが、やっぱどう調べても不自然なんだよ。異常気象にしたって、そんなのが起きるような地形でもねぇし。誰かが意図的にやってるとしか思えねぇ」


「って事は…」


「Numbersだろうな。それもずっと継承されずに消滅したんじゃって言われてた、風の能力。それか――」


 言い掛けて、ガドールは口を閉ざす。しかし、その先は言わずとも分かる。


「まぁ、どっちにしたって無関係って訳じゃねぇ。さっさと犯人見つけて、次の街に行こうぜ」


「そうだな…、あちッ!」


 スープを口に含んだ瞬間、熱さに身体がビクリと跳ねる。


「クク…、お子様舌」


「……そう言うお前も口んとこ付いてるからな」


 口を片手で押さえながら、そう指摘すると笑顔から一転、勢いよく口元を拭うと早く言えとこちらを睨み付けるのだった。

_____________________

 それから数時間後、今日何度目かの強風を全身に浴びながら、ガドールは人気のない屋上から下の裏路地を眺めていた。

 

「…お前、いい加減慣れろよな」


 視線を動かさず、呆れたように後ろにいるロックに声を掛ける。対して、屋上の床に突っ伏したまま、真っ青な顔色のロックは何でお前は大丈夫なんだと言いたげな目でガドールの背中を睨んでいる。


「いきなり空から投げ出されて大丈夫な奴がいてたまるか…」


「にしたって、毎回同じリアクション取るかね。…ククク、ヤバイ。思い出したら、笑いが…」


「笑ってんじゃねぇよ」


 ムッと眉を顰めながら、ロックは目の前の背中を力強く叩く。事の発端はここに来る前、カフェを後にした所まで遡る。強風の原因を探るべく、ここ数日のデータを集めた結果、次の発生源の目星を付け、先回りしようと使ったのがマジックアイテム。水晶玉の見た目をした、それはテレポート用のアイテムでロックは以前からこれが苦手だった。理由は単純。テレポートした後、毎回上手く着地出来ないからだ。


「うわッ!?」


 水晶を叩き割った瞬間、強い光と共に浮遊感に包まれる――まではいいのだが、目を開けたと同時に身体は鉛のような重さを取り戻し、一気に地面へと落ちていく。周囲の確認さえもままならない中、そんな状態にされれば誰だって叫びたくもなるだろう。


「わっぷ――⁉」


 固い地面にぶつかる寸前、もふもふとしたガドールのファーがロックを受け止める。ちなみにこれもマジックアイテムの一種で、中に色んな物を仕舞っておける便利な物だ。


「お前、わざとだろ。毎回毎回移動先が空中っておかしいだろ」


「言ったろ?初めて来る場所は座標とか設定が難しいんだって」


「魔法なんだから、そこら辺はいいようになれよ」


「俺に言われてもな。…あ~、はいはい。怖かったな、よしよし」


 ガドールは視線を裏路地からこちらに戻すと、未だに睨み続けているロックの頭を仕方ないとばかりに撫でる。声色こそ面倒そうだが、それに反して手付きは優しいもので何だか拗ねているのが恥ずかしくなって来る。


「…俺もファー買おうかな」


「似合わねぇからやめとけ。あと、返せ」


「うへぇ…、辛辣」


 下に敷いていたファーを引っ張り出すとガドールの差し出した手に返す。いつまでも突っ伏している訳にもいかないと身体を起こすと、ガドール同様裏路地へと視線を落とす。


「大丈夫なら銃の用意しとけよ」


「はーい。今日も使わないといいけど」


 傍に落ちていたトランクから真新しい拳銃を取り出すと、太陽の光を受けて鈍く光っている。弾も既に込められているそれは安全装置を外せば、簡単に人を殺せてしまう。その事実が手の中の拳銃を更に重くさせる。


「…お前は自分の事だけ考えてろ。相手の心配出来る程余裕ねぇだろ」


「正論すぎて何も言えねぇ…」


「――来たぞ」


 裏路地に誰かの足音が響く。裏路地にやって来たのは黒いロングコートを着た男らしき人物。顔はフードを被っているせいで見えないが、明らかに怪しい。


「行くぞ」


 ガドールは言うが早く、屋上から飛び降りるとロングコートの男の行く手を遮る。こちらに気付いた男は足を止め、元来た道を戻ろうとするがそちらにはロックがおり、男は挟まれる形になる。


「お前、Numbersか?それとも…」


 ガドールの問いに男は答えない。動揺もしない。ただ、冷静にロックとガドールをフードの下から交互に見据えている。


「俺の顔に覚えねぇか?こんな色男、一回見たら忘れられねぇと思うんだが」


「……」


「反応なしか、なら仕方ねぇ。知ってる事吐くまで実力行使させてもらう!」 


 言い終わると同時に地面を蹴り上げると、ガドールは男との距離を詰め、躊躇する事無く得物である警棒を振りかぶる。男はそれをいなす事もせず、真正面から重い一撃を受け止める。それでも声一つ漏らさない男は僅かによろめく程度のダメージしかない。

 しかし、そんな事は計算の内だ。不敵に笑うガドールが得物をしっかりと握り締めた瞬間、警棒を伝って電流が男を襲う。


「っ――!?」


 これには男も予想外とばかりに口元を歪ませ、その場に膝を付く。


「お前、Numbersか」


「何だ、喋れんのか。だんまり決め込んでるから喋れないのかと思ったぜ。あぁ、そうさ。俺はNumbers、Number5。ご存じの通り、雷の能力者だ」


 Numbers、正式名称・Code Numbers。おとぎ話で世界が力を与えたとされる、十二人の能力者達。能力は代々受け継がれ、新たなる能力者を生み出すとされていたが、その中で消滅したと言われた能力が二つある。その一つが今回の原因ではないかと踏んでいる、Number6。風の能力だ。


「…お前達の目的は何だ」


 低く、ドスの効いた声で男は問う。被っていたフードは先程の攻撃で爆ぜたのか、隠れていた瞳が眼光鋭く、こちらを見ていた。殺気の混じったレモン色の目は銀髪によく映えている。


「目的、ねぇ。そりゃ、風の能力者探しに決まってんだろ。もし、そうじゃなかったとしても、今回の件、俺達にとっちゃ無関係って訳じゃないんでね」


「…あいつの力は消滅などしていない。Number6の力は確かに受け継がれた」


「その口ぶりじゃ、何か知ってるみたいだな。お前、何者だ」


「お前達に教える筋合いはない。…だが、いずれ分かる」


 無機質な声でそう告げた男はおもむろにポケットへと手を伸ばす。すかさず、拳銃のトリガーを引こうと構えるも、男の方が素早く、ポケットから取り出した物を勢いよく地面に叩き付ける。どうやら、水晶だったらしく、光に目が奪われてしまう。


「チッ!逃がすかよ」


「ガドール!」


 光が晴れない内に走り出したガドールの背中を追い、ロックも走り出す。が、目が未だにチカチカするせいで視界が悪く、むやみに走ったせいで裏路地から出てしまう。


「見失った…」


 辺りを見渡すも、それらしい人物は見当たらない。あの時、ちゃんと撃っていればと後悔が脳内を過るも今はそんな事を考えるよりもガドールと合流する事が最善だろう。とりあえず、裏路地に戻ろうと踵を返そうとすると、角から飛び出して来た誰かとぶつかってしまう。


「わっ!?」


「っと…」


 相手は真新しいブラックスーツを着た、女の人だった。周りにはぶつかった拍子に落としたらしい、書類が散乱している。顔写真の付いた、その書類は手配書のようでロックは彼女がエージェントである事に気付く。


――って事は、バウンティーハンターもこの街に来てるって訳か。


 バウンティーハンターは名の通り、賞金稼ぎであり、そんな彼らをサポートしているのがエージェントだ。情報提供から賞金首の受け渡しや後始末まで何でも請け負ってくれる事から、一部では始末屋などと呼ばれていたりもする。


「ごめんなさい、大丈夫ですか?」


「いたた…、ちょっと!どこ見てるのよ!」


 キッとこちらを睨み付ける女の人は散らばった書類など気にも止めていない様子だ。強風が吹こうものなら全て攫われてしまうだろうにと思うけれど、今それを言った所で冷静さを取り戻すとは到底思えない。


「ねぇ、聞いてる!?君、年上に対しての敬意ってものがないんじゃないの?自分で言うのもなんだけどさぁ」


 ロックが書類の心配をする中、女の人はヒステリックに声を上げる。これはまた面倒な奴に絡まれたと内心思いつつ、どう撒こうかと思考を巡らせる。ふと女の人の首元に目が止まる。シャツの襟口から見える茶色の首輪はスーツに似つかわしく、妙な存在感を放っている。


――そういえば、首輪の色でランク付けされてるんだっけ。


 確か、茶色は最低ランクのEだったはず。そこまで思い出して、なるほどと何だか納得してしまう。


「何とか言いなさいよ!」


「あの~、書類一枚飛んでっちゃいましたけど…?」


「え、嘘でしょ!?」


 女の人は勢いよく立ち上がると、ロックの指した方へと顔を向ける。その一瞬の隙を付いてロックは素早く物陰へと姿を隠すと、気付かれない内に裏路地へと戻って行く。


「あ~、マジでどこ行ったんだよ…」


 数十分、走り回ってみるも人の気配どころか、自分以外の足音さえしない。こんな事なら水晶を一個くらい貰っておくべきだったか。否、仮に使ったとしても着地が絶望的なのだから意味はないだろう。


「やっぱ買うか、ファー」


「ぐぅッ…」


「ん――?」

 

 人の気配にロックは足を止める。見れば、数メートル先の壁に男がもたれ掛かるように座っていた。ホームレスだろうか、項垂れた髪に清潔感は皆無で着ている服もみすぼらしい。足に至っては靴も履いておらず、傷だらけだ。こんな不衛生な環境だ。放置していれば、傷が化膿して、最悪切断なんて事にもなりかねない。


「……ヤク中じゃないといいけど」


 近付いた途端、飛び掛かられたりしては堪ったものではない。しかし、だからといって見過ごすのも何だか居心地が悪い。何より、自分は医者だ。相手が誰であろうと助けるのが仕事だ。トランクを持つ手に力を込め、意を決してロックは男に近付いて行く。


「大丈夫?」


 すると、ロックよりも先に男に声を掛ける人物がいた。少女だ。同い年くらいだろうか、裏路地の雰囲気とは真逆の神秘的な雰囲気を纏った少女は男の前にしゃがみ込むと、様子を伺うようにその顔を覗いている。


「…病院に連れて行く。掴まって」


「止めてくれ」


 少女の伸ばした腕を男は力なく振り払う。垂れた前髪の隙間から覗く目はその容姿に反して強い敵意を宿していた。


「お前もどうせ、俺を騙すつもりなんだろ。…詐欺か?ヤクか?こんな汚いホームレスを騙して楽しいかッ!?」


「違う、あたしは…」


「うるさいッ!!」


 男が傍に転がっていたレンガ片を少女に向かって投げる。が、感情的になっているせいか、そのレンガ片は明後日の方向へ飛んでいき、鈍い音と共に地面へと落ちていく。このままでは少女の方が怪我をしてしまう。直感的にそう思い、駆け出そうとした時、少女の凛とした声が男に優しく語り掛ける。


「聞いて。あたしは貴方を助けたいだけ。騙す気なんてない」


「……俺は、信じない。お前がどれだけいい奴だとしても、俺はもう誰も信じないって決めたんだ。…放っておいてくれ」


 男の目が一瞬揺らぐ。けれど、男は頭を横に振ると少女から離れようと身をよじる。


「…待ってるだけじゃ、変わらない。待っていれば、誰かが救ってくれる。そんなのはおとぎ話の中だけ。自分から行動しないと前には進めないんだよ」


 対して、少女はなおも諦めず言葉を続ける。凛とした、その声に目を逸らしていた男も再度少女に視線を向ける。


「だって、世界は誰も助けてくれないんだから」


「……」


「現実は残酷で、だから目を背けたくなるのは分かる。でも、目を背ける事は、知ろうとしなかった事は、自分を臆病にするだけ。貴方の傷は深くなる一方だ」


 少女は真っ直ぐに男の目を見つめる。銀色のまつげの下から覗くレモン色の瞳は何もかもを見透かしているような、そんなミステリアスさを感じさせる。


「知ろうとしない人間に運命の輪は廻せないんだよ」


 一瞬の沈黙。男はゆらゆらと目を揺蕩わせた後、意を決したとばかりに口を一文字に閉じるとかさついた唇で少女に言った。


「……た、助けてくれ」


 少女の手を少し躊躇しながらもしっかりと握り締めた男はボロボロと涙を流している。その様があまりに痛々しすぎて、足を止めていたロックは改めて一歩を踏み出す。


「なぁ、俺にも手伝わせてくれよ。こう見えても医者だから、役に立つと思うんだけど」


 ロックがそう声を掛けると、男の方を見ていた少女の顔がこちらに向く。月のような銀髪に透き通る程、白い肌。整った眉に長いまつげ。そして、全てを見透かすような、汚れのない純粋なレモン色の瞳。


――天使だ…。


 我ながらファンタジーな感想だと呆れてしまう。けれど、そこには確かに天使がいた。翼も、神の力も持っていないが、少女はまさに天使のよう。綺麗な顔立ちは教会のステンドグラスのように見惚れてしまい、声は楽器のように美しく、思わず聞き惚れてしまう。まさに美少女、いや、超絶美少女というべきか。名も知らぬ少女に心奪われたロックは気付けば、彼女に恋をしていた。

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