約束
アルティシアが撃つたび、奴の厚い鱗のようなものが砕け、血が吹き出る。
しかし、地面を濡らすのは魔獣のせいばかりではない。
奴が翼を一振りするだけで、吹き飛ばされる人や瓦礫。そして、吹き飛ばされたものの分だけ悲鳴がまた増える。
「……くそが…っ!!」
アルティシアも、普段は陸型の魔獣しか相手にしない。翼を持った、ましてこれほど大きく圧倒的な力の差のある魔獣など、どうすればいいのかなど到底思いつかないのだ。
しかし、そんなことを言ったところで状況が変わるはずもない。
今も、この場には悲鳴と怒声、混乱する人々の声が響き渡る。
やはり、先導する人がいなければ、と冷静な部分で思うが、目の前のこいつで手一杯どころではないのに、この上さらに人々を落ち着かせ、さらには指示などというのはさすがに不可能である。
ひたすらに撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。
奴の目は、こちらばかりを燃えるような眼で見ているため、被害は少ない…と信じたいところだが、これも一体いつまでもつか。
なにせ、こちらの攻撃には弾丸の数というタイムリミットがある。
もうすでに何度も入れ替えていて、どれだけ残っているのかも把握していない。
避ける。撃つ。
アルティシアの撃つ弾が鈍い音を立てて鱗を突き抜ける。
ぎょろり、と金色の眼がこちらを見た、と思うのと同時に、身体に強い衝撃を感じた。
「………っぁあぁあああああ!!!!」
一瞬気が遠くなる。息ができない。
しかし、銃を握る手に力を込めた瞬間、横腹に鋭い痛みを感じ、ゆっくりとそこを触る。薄ぼんやりとした視界に鮮やかな赤が飛び込んできて、アルティシアはすんなりと、ああ、血だ、と理解した。
どうりでぬるぬるするわけだ。
ふいにアルティシアは嗤いたくなった。
しかし、ふ、と息を吐いただけで、ごぽりと喉の奥で嫌な音がする。
吐きだせば、それもまた赤い血。
情けないことだ。あんな風に、守る、などと言っておきながら、時間稼ぎさえ、まともにできないとは。
アルティシアは血に濡れていない方の手で銃を握りなおした。
まだまだ、逃げ切れていない人々は多い。
フィーエルは逃げ切れただろうか、と考えないようにしていたことが頭をよぎる。
生き残る、と言った。守る、とも。
―――約束は守らなければならない。
* * *
瓦礫とはこんなにも重いものだと初めて知った。
「まってて!!助けてあげるからね!」
瓦礫の中からはずっと呻き声が聞こえている。
「おにーちゃん!!おにーちゃん!!」
少女も必死に手を動かし、呼びかけるが、小さな手ではフィーエルの半分ほどの瓦礫しか動かない。
ようやく、少年の身体が見えた頃には辺り一面が火に囲まれていた。
どうやら、飛んでくる瓦礫によって家が崩れ火が次々に燃え移ったようだ。
「……おい!!あんた何してんだ!!さっさと逃げろ!」
逃げようとしていたらしい男が怒鳴る。
「もうこの辺も火がまわる!動けねぇ奴らを助けてやる時間はねぇ!あんたもその子供連れてさっさと来い!!」
男はこの混乱の中でも、まともな人のようだった。
フィーエルは妹と離れてしばらく、自分が逃げるために他者を文字通り踏みつけ、罵り、押し退けていくような人しか見ていない。
「……子供が…っ!男の子がいるんです!!」
思わず叫ぶ。
少女が男に駆け寄って、縋りついた。ぐしゃぐしゃな顔が男を見上げた。
「……おにーちゃん、おにぃちゃんがいるのぉ……っ!!」
男の顔が歪んだのが分かった。
けれど、フィーエルにはその表情がどんな感情を表しているのかまで読み解くことは、できなかった。
痛ましげな表情にも、焦っているようにも、怒っているようにも見えた。
「あんたの子供か。」
男が駆け寄ってくる。
「いいえ…、でも…。」
男が小さく、ため息をついた。
「さっさと助けだして逃げるぞ。さっきも言ったが、時間がない。もうじき、ここにも火がまわる。」
そう言って瓦礫をぽいぽいと取り除き始めた。
「…ありがとう…。」
――――獣の咆哮は、未だ止むことがない。