開戦の叫び
「アルティシア…?」
駆け寄ってくるフィーエルを背後に突き飛ばす。
「きゃ、な…アル!何を……。」
こちらを振り向いたらしい姉が息を飲んだ。
乱暴だ何だと言っている余裕はなかった。
手慣れた動きで腰に下げた銃を抜く。
ばさり、という一際大きな翼の音の直後、地面が震えた。
騒がしい街の一角が静まり返る。
いつもよりも、ずっと心臓の音がよく聞こえている。
動かない。
「…逃げて………。」
どうして、誰も動かない。
このままだと、あの街のように、殺されてしまうというのに。
引き金に指をかける。
震える腕をもう片方の手で押さえた。
「……ここから逃げろ……っ!!」
その言葉に反応したように、金の瞳がこちらに向いた。
漆黒の魔獣の尾が空気を裂く、鋭い音が耳に届いた瞬間、アルティシアの周辺を瓦礫の山と化し、渦巻く炎が生まれた。
「……っぅああぁああっ!!!」
「痛いよおおぉ!!どこぉ…おかぁさんどこぉ?」
「足が……足がぁああ!!!」
「どけっ!!邪魔だ!!逃げ遅れる!!」
恐怖と絶望の悲鳴がようやく街を包み込む。
それを掻き消すような咆哮は人々の理性を失わせるには十分だった。
「ア、アルティシア…。あれは、何…?」
その声に視線だけで後ろを見る。
大好きで大好きで一番大切な人。
「魔獣だよ。」
護りたい人。
だから。
息を吐く。震えを止める。どうしようもなく引きつる顔を笑顔に変えて。
「大丈夫だよ。姉様は私が守る。」
不意に思い出す。
あの日、父も震えながらアルティシアとフィーエルに微笑んだ。今なら、父の気持ちがよくわかる気がした。
「……できるだけ、遠くに逃げて。」
「待って、行かないで!アルも一緒に逃げるのよ!」
フィーエルが、アルティシアの動きを止めるように腕を掴む。
「駄目だよ。」
アルティシアは、姉の手に自分の手を重ね、ゆっくりと下ろした。
「この街に私よりも魔獣に対抗できる人間がいるかなんてわからない。私が時間を稼ぐ。それが一番この街の人が生き残れる方法。」
姉の頬を雫が伝う。
「……どうして……っ。」
「さぁ、逃げて。私もきっと、生き残るから。」
最後にそれだけ耳元に囁いて身を翻し、大きく咆哮を上げる魔獣の目前へと突っ走る。
逆走する珍しい者に相手も目がとまったらしい。興味深げにこちらを見る、奴の額の方へアルティシアは銃口を突きつけた。
もう、後ろは振り返らない。
自分の護りたいもののために、それを意識から掻き消す。
目の前の魔獣に全ての神経を集中させた。
「…始めようか。化け物。」
開戦を告げる合図のように、炎が一際高く燃え上がった。
* * *
「………アルティシア………っ!!」
目の前で妹が戦っているというのに足が動かない。
胸に抱えた袋を抱きしめる。
実のところ、今この場所で何が起きたのか、何をすればいいのか、をわかっているのは少数であり、フィーエルのように、ただただ逃げることもできず、呆然としている人間が大半だった。
しかし、呆然としているだけでは妹が今戦っている意味がない。その程度のことはフィーエルにも理解できていた。
それに、フィーエルには妹を置いて逃げるなどという選択肢は、最初から存在していなかった。
家族に別れを告げたあの日のことが胸に刻まれているのは、どんな理由にせよ、アルティシアだけではないのだから。
それ故に、フィーエルは動けずにいた。
自分が妹と共に戦ったとしても、足手まといにしかならないことは、よくわかっている。
下手に動けば、奴の標的にされかねない。
こうしている間にも妹は恐ろしい魔獣によって傷つけられている。
「っ……どうすれば……。」
きつく目を瞑ったその時、何かが自分の袖を掴む気配がした。
はっとして見ると、10歳になるかならないかの少女が、その瞳から大粒の涙を頬に流しながら、こちらを見つめていた。
震える唇が必死に言葉を紡ぐ。
「…た、すけ…て…っ…!」
少女は瓦礫の山を指差した。
「おに、ちゃっ……まだ……いるのぉ…!」
瓦礫の山の隙間から小さな子供の手が見えた瞬間、フィーエルは自分のすべきことを理解した。
「妹が人を助ける為に戦っているのなら、私は少しでもそれを手助けするのみよ。」
自分の足を叱咤して、走り出す。
フィーエルは荷物の中身を思い、自分を奮い立たせた。
フィーエルには妹との未来しか見えてはいなかった。