西条亜美の場合
古い記憶を掘り返してみる。
「なんでカナコなの」
西条亜美はぼそっと呟いた。誰もいない教室でそれは意外にもよく響く。
「吉永、あいつカナコにストーキングしてるじゃん。ほんっと気持ち悪いんだけど」
そこまで言うと隣で「あぁ」という声が返ってきた。机を挟んで、亜美と話題の張本人のカナコは前後の席に座っている。亜美は横向きに座って足をブラブラと動かした。カナコは返事を決めかねているように、左右に目を泳がせた。髪を耳にかけるその姿が美しい。冗談なく神話に出てくる女神の様だ。猫みたいな大きな目に、口元のホクロ、すっと通った鼻筋、思わず手を伸ばしたくなる長い髪の毛。ずっと見ていたくなるようなそんな表情。後ろの席に座る鈴村夏菜子は今日も変わらず美しい。
「もーいいよ、話すのもめんどくさいし」
「だよね、あいつ断ったら余計に付いてきそうだし」
カナコは私の言葉を聞いて口角を少し持ち上げる。
「私の事好きなんだったら、これくらいしてくれないと」
頬を長い指でぐっと掴まれた。そのままカナコの顔の前まで引き寄せられる。声をだそうとしたのもつかの間、自分の唇にナニカが触れた。柔らかい、暖かなナニカ。
「何してんのよ」
「好きだよ、あみちゃん。愛してる」
耳元でそんな甘言を呟かれた。すっと潜めた声色に体が震える。
「ばかじゃないの」
「ばか?どーして?あ‼︎あみちゃん、枝毛はっけーん」
カナコが勢いよく髪の毛を1本引っ張った。驚きと小さな痛みに、きゃっ、と声をあげてしまう。
「あれ?痛かった?ごめんね」
そう言ってカナコはまた笑った。
「なんでカナコなの」
電気もついていない暗い部屋の中で、一人呟く声。本当はつい先程まで客人が来ていた。松永。さっき私を刺して、出ていった男の子。あいつの要件はもちろんカナコ。先週から行方不明になっている少女を探して家までわざわざやって来た。ばかじゃないの、終わったよ、あんた。そう忠告して上げたのに、あいつの耳にはたぶん私の声なんて届いていない。あいつはまたカナコを探しに行った。
体が段々冷えてくる。指先が痺れて、感覚がない。涙は伝って、耳にまできた。
松永はカナコに騙されてるんだよ、あいつは最低の悪魔なんだ。松永だけじゃない、みんなみんななんであいつに夢中になるの?人を弄んで、痛ぶって、笑って、一番言って欲しいことをくれる癖に、最後には一番痛いところを突いて突き落とすんだよ。狂ってる。みんな、最後にはあいつに遊ばれて捨てられるんだから。
「あぅ、、あ、、、あぁぁ」
声を出して足掻こうにも、既に涙は枯れ果てていた。