第二十九話
いい感じに腹の虫がおさまり、俺は「そろそろ帰ろう」と切り出すと、
「せっかく出かけたんだから、どこかに行きたいわ」
「どこかってどこ?」
「どっかよ」
一番困る答えが返ってくた。
どこに行きたいか聞いているのに「どこか」という返答がくると、質問した側は大変困るのである――なんせ、こちらに特に行きたいところがないから、その質問をしたのだ。もしどこに行くか決まっていれば、そもそもそんな質問はしない。
「はやく決めてよ、どこに行くの?」
当の夏音は俺の気持ちなど知らず、こんな事まで言ってくる。本当に勘弁し欲しい。
「なぁ夏音、どういう系統のところに行きたいんだ?」
「どういう……系統?」
む、少し言葉が足りなかった。
そうだな、説明をもうもう少し付け足すとしたら。
「ほら、あるだろ? 体を動かしたいとか、癒されたいとか……あてもなくフラフラしたいとか」
「体を動かせる場所なんかあったかしら?」
「あるよ。この前いった公園と……」
「はっ!」
体育館のような室内に響き渡る夏音の声、聴いていて実に清々しいのだが、俺にはそんな余裕はない。
「かはっ」
背中から思い切り床にたたきつけられ、肺の空気が一気に抜ける――夏音に思い切り投げられたのだ。
そんな俺を立ったまま、覗き込むようにして見下ろしてくる夏音。その顔には「どう? わたしって凄いでしょ?」という顔が張り付いている。これが世間一般でいうドヤ顔という奴だろうか?
……なるほど、確かにその顔からは「ドヤぁ」という何かが発信されている気がする。
夏音にこういう顔をされるとウザイが、、少し可愛くも見える。ドヤ顔というのは不思議だ。
「どう? 天才と言われる所以がわかったかしら?」
………言ったよ。
少し違うけど、俺が想像していたような事を言っちゃったよ。
「凄い凄い、すごいんじゃねぇ?」
俺がてきとうに返事をすると、夏音はお気に召さなかったのかぷ~っと頬を膨らませながら、
「ちょっとぉ! 何でそんなにいい加減なのよ? もっとわたしを褒め称えなさい!」
「はぁ……ってかさ、何で休みの日にトレーニングしなきゃいけないんだよ!」
そう、今俺達は、シュプレンガー最下層付近にあるトレーニングルームで摸擬戦をしていたところなのだ。摸擬戦と言っても徒手空拳で行う為、実戦とはまるで別物なのだが。
これは完全に余談が、夏音と俺は現在制服に着替えている――というのも、トレーニングルームは私服で入っていいものではないため、一度自室へと取りに戻ったのだ。
トレーニングルームに入るという目的がある以上、制服に着替えなければならならいのは仕方がない……しかし、一つだけ納得いかない所が有る
なんで俺は休日にまで制服を着なければならないんだ?
意味が分からない。
「真理が提案したんでしょ!? 『シュプレンガーのトレーニングルームでも運動出来るかな』って!」
「したよ! したさ! したけどさ!」
まさか休日にトレーニングしたかるとは思わないだろう……普通。
「だったら文句言わないでよね!」
「文句は言ってねぇ……言ってねぇけどさ」
なんか解せないんだよ!
俺が自分の気持ちを完全に把握しきる前に、夏音は俺の手を掴んで強引に引っ張り起こす。
「まだやんのかよ?」
「あたりまえよ、今日はずっと勝負がしたいわ」
それは元気な事で。
こいつは俺を打ち倒すたびに、いちいち嬉しそうな笑顔を浮かべてくれる。そんなに俺を倒すのが楽しいのだろうか? どんなドSだよ……いや、違うか。
おそらくこいつは俺を倒すのを楽しんでいるのではない。
「じゃあ行くわよ!」
こいつはただ自分の性能を俺に見せ付けたいだけだろう……もしくは、凡人の俺と戦う事によって、自分が天才であることを自分で確認しているかだ。
どちらにせよ悪趣味な奴だ。
「ああ、来い」
勝ってやろう。
夏音は日ごろから天才だと言っているだけあって、確かに強い。さっきから俺なんて負けっぱなしだ……だからこそ勝ってやろう。
いや、勝たなくてもいい。勝てないまでも、夏音を苦戦させることさえ出来ればそれでいい。とにかく、夏音の自信満々だという余裕の表情を崩したい。
ならばどうする? どうすれば夏音を苦戦させられる?
何度も手合せして分かったが、夏音の技量は異常とも言っていい領域だ。まともに戦えば俺では太刀打ちできないだろう……もちろん、実戦で遅れを取るつもりはないが。
さて、そんな技量値マックスの夏音だが、弱点はないのか?
「…………」
考えている間にも夏音は勢いよく近づいてくる。そして、俺にある程度近づいたところで急激に止まり、俺に背を向ける――おそらくは左後ろ回し蹴りだ。
夏音の技は芸術的な粋までの完成度を誇っている。
芸術を壊すにはどうしたらいいか?
「っ!」
俺は夏音の攻撃をわざと避けずに腹で止める。
「え、こんなの当たるの?」
と、期待外れみたいな顔をしている夏音。
彼女は足を引き戻するが、
「なっ!?」
夏音が足を引き戻せない。なぜなら、俺が両手でつかんでいるから。
「は、放しなさいよ!」
芸術を壊すにはどうすればいいか?
簡単だ。
芸術を壊すには余計なものを混ぜてしまえばいい、そうすれば独特の調和は崩れ、芸術は芸術足り得なくなるはずだ。
故に俺は夏音の足を掴んだ――魔法少女相手なら、ビーム攻撃があるため全く意味のない行動だが、そんな事は知らない。今は夏音を苦戦させられば何でもいい。
俺は夏音の芸術的な技を崩すために、足を掴んだまま引いたり押したりと、特に意味はない行動を繰り返してみる……いや、意味ならあるかもしれない。夏音に不格好なポーズをさせるという意味がな――ふむ、当初の目的と何か違う気がするが、まぁいいだろう。
「い、いや……ちょっ」
夏音が片足でバランスを取るために、ピョンピョンはねているのが実に滑稽だ。
「ふっ」
実にやりがいがあると言うものだ。
「~~~~~~~~っ! 笑うな、このバカ!」
夏音は俺に足を掴まれたまま、地面につけている足だけで飛び上がり、そのまま蹴りを入れようとして来る。
「バカな!?」
こいつはどこまで身体能力が高いんだよ! もはや俺と同じ人間とは思えない。
少なくとも俺の二倍以上のポテンシャルがある気がする……が、その事と俺が今すべきことは無関係だ。
俺が今すべきことは、
「な、なにすんのよ!?」
俺は両手でつかんでいた夏音の足から片手を離し、左腕で挟むように固定する。そして自由になった手で、今しがたの攻撃をキャッチ……こちらも右腕で挟むように固定する。
「わっ……きゃっ!」
両足が地面に着いていない夏音は後ろに倒れそうになった為、咄嗟に俺の両肩を掴んでくる――傍から見れば抱っこにも見えなくもないが、そこはかとなく危険な体位な気がするのは、俺の気のせいだろうか?
「~~~~~~~~~~~~~っ!」
夏音も俺と同じ考えに至ったのか、顔を染めながらプルプルしている。いや、こいつの場合は単に、自分の思い通りに事が運ばなかったのが悔しくて、怒っていると言う可能性も考えられるが……どちらにしろ、こういう時の夏音は本当に可愛く見える。
はぁ、普段もこういう綺麗な夏音でいてくれ。
俺はそんな考えをよぎらせる。しかし、考えてみれば普段も普段で、今の夏音と根本的には変わらないのかもしれない。
夏音は「恥ずかしい」や「悔しい」と言った感情が表に出やすいため、今みたいな反応をする。仮に感情をすぐ表に出す夏音を綺麗な夏音とするのなら、普段の夏音も「怒り」や「不満」と言った感情をすぐに表に出しているため、綺麗な夏音と言えないだろうか……ふむ。
あぁ、なんだ。結局夏音はいつもの夏音か。
ん、待てよ? 裏を返せば、夏音はいつも綺麗な夏音って事なのか?
駄目だ、良くわからなくなってきた。
「いつまで掴んでのよ、この変態バカ真理!」
「へ?」
急に暴れ出す夏音。
気が付いたときにはもう遅かった。
「…………」
「…………」
辺りを夜の様な静けさが包む。
どうしてこうなったのかはわからない。
気が付けば、俺は夏音に覆いかぶさっていた。
夏音の顔がやたら近くにある。
夏音の可愛らしい目の奥まで、はっきりと見透かせるような距離だ。
そして口に優しい暖かさと柔らさを持ったものが――ん? なんだこの感触……ま、まて。これってまさか夏音のくちびっ、
「っ!」
そこで俺は自分が何をしてしまったのかに気がついた。
「わ、わるい!」
謝罪するのとほぼ同時に飛び起きる。
自分の顔がやたら熱い、火を噴きそうとはこういう事を言うのだろう。全身の毛孔が開いて、あせが出ている気がする。
バカか俺は!?
何故かその言葉が頭に浮かんだ。何に対するバカなのかわからない、正常な思考を保ってないあかしだ。これでは夏音に対し、感情が表に出やすいだのなんだの言えない。
と、とりあえずどうすればいい?
フォローだよな? こういう場合はフォローなのか?
と、とにかく……あぁ! 何回とにかくって言ってんだ俺は!
……おちつけ。
妹が昔言っていた気がする。
『女の子にとってのキスは大切な物』
『ファーストキスは特に大切』
ぐぉ、思い出したら余計にヤバい気がしてきた。
夏音の方をちらっと見ると、くちに手を当てて俯いている……ま、まさか泣いている?
『女の子を泣かせる男は最低』
「っ!」
更に妹の言葉が俺の胸へと突き刺さってくる。
妹よ……生前は魔法少女になって牙をむき、死後は俺の心をチクチク攻撃か!?
『女の子と二人の時に、違う女の子の事を考えるのも最低』
駄目だ!
これ以上、妹の事を思い出すのは危険だ。
夏音が本当に泣いているかはわからないが、このままでは俺が泣きそうだ。
何か行動をしよう!
しなければ駄目だ!
「え、えーっと夏音……さん?」
「…………」
無言だ。
夏音さんは無言でいらっしゃる。
どうする? こういう場合何かかける言葉は……くっ、妹! どうすればいいんだ!
『女の子にとってのキスは大切な物』
『ファーストキスは特に大切』
これだ!
俺はもう一度夏音を呼びかけ、
「なぁ……今のってファーストキス?」
聞いた瞬間、場の空気が凍った気がした。
寒い、なんか物理的に寒い気がする――これは端的に言うとアレだろう。
やらかした。
「……真理」
「っ」
まるで幽鬼のようにふらりと立ち上がる夏音、俺の体が無意識に後ろへと下がる。
怖い。
どうしようもなく怖い、魔法少女とか話にならない。
「…………」
無言でゆっくりと近付いてくる夏音。
何だよこれ!?
何だこのプレッシャーは!?
ドッとと音を経てて、背中に何かが当たる。
違う……当たったのは俺だ、俺が壁際まで後退していたんだ。
「真理」
!?
声すら出なかった。なぜなら、気が付けば目の前に夏音が立って居たからだ。
「あなた……バカでしょ……」
「えと……は、はい?」
「あぁ……もう!」
うつ向いていた顔を上げると同時に、機関銃か何かのようにほぼゼロ距離で喋りだす夏音。
「真理ってバカでしょ!? 女の子に何聞いてんの? 信じられないわ! それとも何? わたしがキスしまくってるバカ女にでも見えたの!? ファーストキスよ! 今のが初めて! 真理が初めての相手よ! どう? 光栄でしょ? わたしの初めての相手になれて光栄で……むぐっ!?」
突然だが、世の中には不可思議な事が多いらしい。突如発生した魔法少女、賢者の石の仕組み……だからきっとこれもそのうちの一つなんだろう。
俺は夏音の口を自分の口で塞いでいた。
「!?」
夏音の眼が驚愕に見開かれるが、すぐに身を委ねるように閉じられる。
それからは一瞬だったし、永遠のようでもあった。
要するに、どれくらいそうしていたかはわからない。気が付いたら持ってきていた私服に着替えて、各階層をつなぐエレベーターへと向かって歩いている最中だった。
会話は、
「…………」
「…………」
ない。
ないのだが、不思議と居心地のいい沈黙だった。
「ねぇ、真理」
そんな居心地のいい沈黙も、簡単におわってしまう。しかし、それでもよかった……なぜなら、夏音と話している方が楽しいし、もっと居心地がいいから。
「手……繋ぎたいわ」
俺は無言でうなずき、所在なさげにしていた夏音の手にを握る。
安心したように笑う夏音を見て、ようやく俺は気が付いた。
俺はいつの間にか、夏音の事が好きになっていたのだ。
いったいいつ好きになったのかはわからない。少なくとも、最初は好きではなかった。俺は夏音のことを、ただのうるさいだけの自称天才バカ女だと思っていた。おまえけに人の事を奴隷奴隷と呼ぶし、本当に最悪だ。
そんな評価が俺の中で変わって行ったのはいつだろう?
夏音を庇って死にかけた時には、もう好きだったのだろうか?
夏音に看病してもらっている内に、好きになったのだろうか?
夏音と一緒に生活している内に、俺は彼女の事を……。
関係ないか。
別に夏音の事をいつ好きになったのか何て、どうでもいいことだ。大切なのは俺が今、夏音の事を好きだと思っている事のはずだ。
ふと、隣を歩いている夏音の顔を見る。
夕日に照らされているせいか、今にも消えてしまいそうな儚さを漂わせる横顔。
このまま消えてしまうのではないか?
突如そんな不安に襲われ、俺が彼女の手を握る手に力を込めると、夏音は「どうしたの?」とでも言うかのように、こちらを見て首を傾げる。
「なんでもないよ」
「変な真理、まぁいいわ! 早く帰りましょう、ごはんつくってあげる!」
「楽しみにしてるよ」
俺は早く帰りたくなかった。
早く帰ってしまったら、夏音と手を繋いでいられる時間が減ってしまうから。
「なによぉ!」
と、急に不機嫌になる夏音。
彼女の視線の先を見てみると、階層エレベータの階数表示があった――階層エレベーターはシュプレンガーの全ての階層を繋ぐ、超大型エレベーターなのだが。
「何で全部上に向ってる最中なのよ!」
そう。三つある階層エレベーターは、その全てが上へと向かっている最中だ。
お、下がり始めたのもあるが、まだ最上層付近だ。最下層付近のここまで来るのには時間がかかるだろう。
「まぁ少しくらい待っていようって、別に急いでないだろ?」
「むぅ~、そうだけど……」
夏音は不満げにエレベーターの入り口の方へ、
「っ!?」
なんだ?
嫌な予感がする。
どうしようもなく嫌な予感が!
「夏音!」
俺が夏音の手を引っ張り、エレベーターから彼女を離した途端、エレベーターの入り口から爆炎が噴出された。
『魔法少女が侵入しました! 繰り返します、魔法少女が侵入しました! 数は……数えきれません!』
最悪の舞台の幕は、こうして開かれたのだった。




