母の言葉(作:水崎彩乃)
――――花は、桜は綺麗だわ
響いたのは大好きで尊敬している、声。
――――でも、その美しさはとても儚く、散ってしまって踏みつぶされた桜は醜い
大好きな声で紡がれたのは、
――――あなたも同じ、
残酷な言葉。
――――散ってしまう桜ね
胸が痛くてたまらない。
聞きたくないのに、言葉は頭の中にするりと入り込んで、意味を理解してしまう。
――――だから、
声はそこで途切れた。
「ごめん……な…さ……」
目に映ったのは朝陽を遮るカーテン。
「……うっ」
体を横たえていたベッドから起き上がると頭が痛む。頭にやろうとした手が頬に触れると温かい何かで濡れていた。
あのことを未だに夢でさえ泣くほどに自分が引きずっていたことに愕然とし、もう一度頬に触れる。
やはりそこは涙で濡れていた。
手を下ろして、呆然と涙で濡れた指先を見つめる。しかしすぐに、
「……ふふっ」
笑い声が漏れた。
その顔に浮かんだのは自嘲の笑み。笑い声も同様。
一人の部屋の壁にその声は吸い込まれ、笑みは遮られていた。
「おはよう!」
「おはよー」
悪夢で休む、というわけにもいかず、学校に登校していた。
涙で赤くなっていた目は冷やしても元に戻らなくて、そのことが分かりづらくなる眼鏡にこれほど感謝した日はなかったかもしれない。
「さくら、おはよー!」
肩に手を置かれ、声をかけられる。
「里菜ちゃん、おはよう」
いつもと変わらないように気をつけて挨拶を返しながら、さくらは隣に並んだ幼馴染の宮間里菜に顔を向けた。
「ちゃん、は止めてって言ってるのにー」
「ごめん。つい…」
さくらは眦を下げ、謝った。
「まー、さくらだからいいけどー」
さくらは慌てる里菜を見て少し頬を緩ませて言った。
「うん。ありがとう」
里菜はさくらのその表情に安心した微笑みとほんの少しの寂しさを浮かべる。
それは、さくらの笑みに隠されたものを感じたから、かもしれない。
里菜とお弁当を食べた後、さくらは校内の裏庭に来ていた。正確には満開の桜の木の下に。
いつもは絶対に来なかった、桜の木の下。
やはり、夢のことを引き摺っていた。――――否、過去のことを。
忘れたかった、でも忘れられなかった過去。
否定したかった、でも否定できなかった。
怖かった、否定することが。母を否定することが。
大事な人を否定することが怖かった。
怖くて最後は聞けなかった。
――――やっぱり私はこんな人間なんだ。
そう思うほうが楽だった。
最期に寄り添う資格なんてなかった、と。
ザッ
渦巻いていた様々な思いの渦から、抜け出した。
後ろから聞こえた音に振り返ると一人の男子生徒がいる。
「ここにいるのは珍しいね」
クラスメイトだった。
さくらはその言葉に自分の重大な秘密が知られてしまったように感じる。
「…そうかな?高野君はよく来るの?」
さくらは誤魔化すような笑みを浮かべて早口で言葉を出した。
「僕はよく来るよ。だから、遠藤さんが来るのは珍しいなと思った」
高野は満開に咲き誇る桜を見上げ、さくらの隣で立ち止まった。
「あー!!」
後ろから大きな声が聞こえ、さくらの肩がびくり、とはねた。しかし、聞きなれた声だと気づき、ほっ、と息を吐く。
「もー、さくらここにいたのー?いきなりどこかに行っちゃうから、ものすごく探しちゃったよ」
さくらが振り返ると里菜が本当に疲れた顔をして、のろのろと歩いてきた。さくらは苦笑し、ごめん、と謝る。
里菜はさくらの斜め前で立ち止まると桜の花を見上げ、子供のように瞳を輝かせた。
「わぁ!!きれー…」
「……。本当にね…」
さくらは里菜の言葉に複雑な気持ちで桜を見上げて答える。
里菜はそんなさくらを横目でちらと見た。
「さくらも可愛いし綺麗だよ」
「…え?」
いつもの間延びした口調ではなく、真剣な口調の里菜にさくらはきょとんとする。
高野は初めて真剣な里菜を見たらしく、少し目を見開いて里菜を見た。
「遠藤さくらは桜の花よりも綺麗で可愛いよ」
里菜はさくらに向かって真剣に言葉を紡ぐ。
「ね、高野?」
そして、高野に問いかけた。
「僕?…うん。遠藤さんは桜の花より、綺麗だと思う。桜はすぐに散っちゃうけど、遠藤さんはそれよりずっと先まで生きてるんだから。…僕は生きてるものが何よりも一番、綺麗だと思う」
里菜はその言葉に頷き、さくらに向き直る。
「だから、昔のことなんて気にしないでよ」
「なんで……分かって…」
涙が滲む視界に向かって言うさくらに里菜が胸を張って答えた。
「だって、あたしはさくらの一番の親友で幼馴染だからね!!」
涙を零さないように耐えながら、さくらは笑う。今までで一番の笑顔で。
「ありがとう!!」
あの時、あの声の続きの言葉は聞けなかったけど、もしかしたら一番伝えたかった言葉は続きの言葉だったのかもしれない。そして、それはもっと温かい、優しい言葉だったのかな。私の解釈が間違っていたのかもしれない。
もうあの続きは聞けないけれど、私はあなたを信じています、お母さん。
私はあなたに胸を張って報告できる人生を歩みます。だから、どうか見守っていてください。
――――だから、後悔しないようにしなさい。あなたの人生なんだから、生きたいように生きなさい。散る前に最高の花を咲かせなさいね、さくら。
fin.
水崎さんは中学生とは思えない深い話を書かれるなー……と、まず感心しきりです。
桜は綺麗だけれど、散ってしまうと掃除がとても大変……と、誰かがボヤいていたのを聞いたことがありますが、そこに目が向くとは。
最後の一文はもちろん、お母さんが伝えられなかった言葉ですよね(^^)
心がほんのりあたたかくなりました。