日曜八時、駅前広場で待ち合わせ(作:霜月透子)
タクシー乗り場に横付けした車の中で五十嵐はかれこれ30分もぼんやりしている。客がいないのだ。流して拾うという手もなくはないが、日曜の朝っぱらから通りがかりのタクシーを呼びとめる人がいるわけもない。だからこうやって駅前で待っているのだが、日曜の朝っぱらからこの街に用事のある人がいるとも思えない。それでも五十嵐には待つことしかできないのだ。金にならない時間が過ぎていく。
待ち合わせ場所というのはいつも込み合っている。
それは駅の改札口だったり、ちょっとした広場のモニュメントの側だったりする。電話やSNSがあるのだから、待ち合わせ場所などなくてもよさそうなものなのに、待ち合わせ場所というのはやはりいつも込み合っている。
都会というには見栄を張りすぎだし、田舎というほど静かでもない。そんな中途半端な街が実は最も多い。駅前にはファストフードや東京より数年遅れで出店したカフェなどが並び、それなりに若者の遊び場となっている。最近では倒産した工場の跡地にショッピングモールができ、シネコンまでついてきた。ショッピングモールの規模でなら、都会に負けてはいない。なにしろ土地ならこっちの方があるのだから。
そんなわけで、近頃のこの辺りでの待ち合わせ場所といえばショッピングモールの一階フロアーにある吹き抜けの広場だ。デザイン性の高いベンチも多く置かれていて、建設当初から待ち合わせ場所として想定していたのかもしれない。
一方、年配者は以前からの待ち合わせ場所である駅前広場を使っている。広場とは名ばかりのちょっと広めのバスターミナルという程度で、特にベンチなどがあるわけでもないのだが、なぜか一定の人数が集まる傾向がある。
この駅前広場、いくら待ち合わせ場所といえども、日曜日の朝八時では待ち合わせどころか人通りすら少ない――はずなのだが、今日はどういうわけか三人の姿がある。しかも
若者だ。還暦近い五十嵐から見ればということだが。
五十嵐がタクシーを停めた七時半頃には既に二人の人物がいた。改札口の正面に立つ制服姿の女子高生と改札口の真横にある駐輪場のフェンスに寄りかかる咥え煙草の男だ。
咥え煙草なぞカッコづけにもならないが、そもそも彼はそういうだらしないところがある男なのだろう。服装もズルズルしていて小汚い。そんな風に思うのは歳をとったということなのかと五十嵐は深いため息をつく。
この駅でも昨年から禁煙になっている。先月まではあの男が立つ辺りに喫煙所があったが、それすら廃止された。幸い五十嵐は妻の厳しい指導の下、十年以上前に禁煙しているから不都合はないのだが、タクシー仲間は喫煙所のないこの駅で客待ちをすることを避けている。今は煙草の匂いが残るタクシーなど誰も乗りたがらないのだから、喫煙所に頼るのは至極まっとうな選択だ。
いやいや、煙草はどうでもいいのだ。待ち合わせの話だった。
残る一人は五分ほど前にやってきたばかりだ。こちらは少しばかり歳がいっていて――などと本人に聞かれたら睨まれそうだが――四十は越えているだろう。けれどもいい女だ。色気はないが、すっきりとした透明感がある。凛としているというのだろうか。少し離れた所から改札口を見つめている。
煙草男が飲んでいた煙草を爪先で踏み潰し、吸殻をそのままに改札口方向に歩きはじめる。
五十嵐は捨てられた吸殻を見て軽く舌打ちをするが、男の動きを目で追っていた。暇な時というのはどうしても動くものに目が行ってしまうものだ。
男は女子高生の前で立ち止まる。
ナンパか? 五十嵐は野次馬根性から運転席の窓を開けた。が、ここまで声が聞こえるはずもない。
二人は二言三言話し、女子高生が驚いた顔で首を横に振った。男は片手を挙げて礼らしきものをすると、今度はもう一人の女の所へと向かっていく。女はそれに気がつくと、何気ない素振りで男から離れていく。
そりゃあそうだろう。あんないい女にあんなだらしなそうな兄ちゃんが似合うはずもない。自分は妻にも加齢臭を指摘されているくせに、五十嵐は心の中で煙草男をこき下ろす。
女が距離をとろうとしても、男は構わず近づいていく。五十嵐は眉をひそめ、ドアに手をかけた。やめさせた方がいいような気がしたのだ。
だが、そこで、男が大声で女に話しかけた。
「あんた、渡瀬鏡子か?」
女はばっと振り向いた。不思議なことに女子高生の驚いた様子とよく似ていた。
「渡瀬鏡子を知っているの?」女も声を張り上げて男に問い返す。
なんだ? 共通の知り合いなのか?
そこへ女子高生が小走りで近づいていく。
五十嵐は体をほぐす振りをしてタクシーを降りた。ストレッチなどをしながら、三人の会話が聞こえる辺りまで近づいてみる。
怪しまれないか不安だったが、彼らは自分たちの会話に夢中で一介のタクシードライバーなど目に入っていないようだ。
「みなさん、渡瀬鏡子を待っているんですか?」
女子高生が問う。
「やだ。みんな同じなの?」四十女が口元に手を当てる。
「どういうことだよ。俺たちみんな同じ奴と待ち合わせしているのか?」
「いえ、私は待ち合わせというか。勝手に待っているというか……」女子高生がもじもじする。
いつの間に電車が到着したのか、一人の女が改札口を出ようとしていた。三人の視線が彼女に集まる。
あれが渡瀬鏡子なのか?
ごく普通の女に見えた。むしろ地味だ。たった一人で出てこなければいることにすら気づかないような影の薄い女。
三人は顔を見合わせると、ゆっくりと改札口に向かっていく。待っていた「渡瀬鏡子」に会うために――。
― fin ―