森の泉の白き竜(作:美汐)
僕はきみを救いたかった。
黙って死んでいこうとするきみを助けたかった。
そのためになら、すべて滅んだってかまわない。
なんの罪もないきみを殺してしまう国なんて、なくなってしまえばいいと思ったんだ――。
深い森の中、泉のほとりで僕は座っていた。ぼんやりと、木漏れ日の落ちる泉の揺らぎを見つめている。
すると後方から、透き通るような声が聞こえてきた。
「双樹」
そちらに目を向ける。
そこには、森の妖精のような彼女が立っていた。
蜂蜜色の髪は腰まで伸び、光に透けてきらきらと輝いている。瞳の色は新緑色で、吸い込まれそうな美しさをたたえていた。
「うん? なに、森羅」
僕は美しい彼女に向かって微笑みながら、答えた。
「なにしてるんだ?」
「ああ、ちょっと考え事」
「考え事?」
「うん。でも、もう忘れちゃった」
「なんだそれ」
へらりと笑う僕につられるように、森羅もくすりと苦笑を浮かべた。
そんな彼女に、僕は少しだけちくりと胸が痛む。
彼女は竜と人の血が混ざった竜人。
元は人だった彼女を竜人としたのは、この僕だ。
神竜である僕の血を口にしたことによって、彼女は今の彼女に生まれ変わった。
しかし、あれ以来、彼女は人であったころの記憶をなくしてしまっている。
そのことに、僕はずっと複雑な思いを抱いていた。
「それより、さっき傷ついた小鳥を一羽手当してきた」
「そっか。相変わらず優しいなぁ。森羅は」
僕は素直にそう答え、隣に座った彼女にぎゅむっと抱きついた。
「ちょっ! すぐに抱きつかない!」
僕の抱擁から逃げだそうと森羅はもがくが、僕はもう少しそのままでいたくて少しだけ力を強めた。
「だって、寂しかったんだもん」
「まったくもう。双樹はすぐに甘える」
森羅は呆れたようにそう言い、結局その抱擁から逃れることをあきらめたようだった。
しばらくそうしていると、ぽつりと彼女がこんなことを言った。
「そういえば、この間また変な夢を見たんだ」
「夢?」
僕は瞬間、どきりとする。
「うん。ほら、前にも話した、金色の温かい光の夢」
その夢の話をするときの彼女の表情は、どこか優しげで、そしてとても遠くなる。
「その夢を見ると、すごく懐かしい感じがして、すごく切ない気持ちになるんだ。どうしてなんだろう」
僕は胸が苦しくなり、ぎゅっと彼女をさらにきつく抱き締めた。
「え? 双樹?」
「……ごめん。あともう少し、このままでいさせて」
彼女がどこか遠くへ行ってしまうような気がして、そんな彼女を繋ぎ止めておきたくて、僕はそう言った。
それから森羅はなにも話さなかった。
ただ、僕にずっと寄り添ってくれていた。
僕はわかっていた。
彼女が記憶を取り戻したがっていること。
忘れてしまっているはずの記憶を、彼女自身の力で呼び戻そうとしていることを。
彼女が記憶をなくしてしまったのは僕のせいだ。
彼女がそれを取り戻そうとしているのなら、それを止める権利は僕にはない。
――だけど。
それを取り戻してしまったら、彼女は僕をどう思うだろう。
彼女は僕から離れてしまうんじゃないだろうか。
僕はゆらゆらと揺れる泉を見つめた。
それは彼女の心の揺らぎのようでもあり、僕の迷いのようでもあった。
木漏れ日が、きらきらと水の表面を光らせた。
まぶしくて、僕は目を細める。
「森羅」
僕は言う。
「ずっとずっと一緒にいようね。この先もずっとずっとこのままでいようね」
それに、彼女は困ったようにこう答えた。
「当たり前だろう。私はずっと双樹と一緒だよ」
その言葉に、僕は彼女の肩に顔をうずめた。
その願いは叶うのだろうか。
僕は彼女に許してもらえるのだろうか。
いつか、僕の目の前から彼女がいなくなってしまうかもしれないと、そう思ってしまう。
それはきっと、そう遠くない――。
僕は彼女の肩で、少しだけ涙をこぼしていた。
FIN