真夜中25時の恋
『きみは、なぜ逃げない』
「どうして逃げなきゃいけないの?」
真夜中に浮かぶ真白の月を見上げながら始まったのは――…、
誰にも見つかってはならない秘密の恋。
はじまった恋。
はじまった25時。
それはわたしも彼も狂わせた。
――「森のおくには獣がいる」
「おそろしい牙に、おそろしい目をしている」
「ちかよれば襲われる」
一体だれが、そんなことを言い出したのだろう。
れっきとして彼はそんなことしない。
すこし赤いひとみ。すこし長い八重歯。わらうことも、泣くこともできる彼。
そんな彼を、セカイは見放した。
「あなたはなにも、悪いことなんてしていないのに」
神様はとことん意地がわるい。
人目につかない廃墟。
かすかに照らす満月のひかり。
わたしがここにはじめて来たのは、たしか雨の日だった。
薄暗いソラを頼りに、心底きらわれた廃墟が見えたあの日。ガタン、と重たいとびらを開けた。
だれもいない空間。
だれもいない時間。
それが、みずの滴るおととともに、止まるほどの衝動を駆る。
「だ、れ…、…?」
金色に近い髪の毛をもった影。よく見れば、赤い目、長い牙。
「っ、」
わたしは知っている。このおそろしい影を。
だけどちっとも、おそろしくなんてなかった。
優しすぎる目。やさしすぎる手。
ぜったいに放したくないと思った。
なぜだかは分からない。だけど、ただ、ただ……この瞬間、秘密の恋がはじまった。
「森のそとにはね建物がたくさんあるの。おおきいビルから、ちいさい屋敷まで。いつか、あなたにも見せてあげたいぐらい、空が綺麗なの」
「森のそとにはね食べ物がたくさんあるの。ここの木の実も美味しいけれど、たくさん、たくさん、食べ物があるの。明日、少し持ってきてあげる」
「帰りたくないよ、わたし……、あなたとずっと一緒にいたい」
朝日とひきかえに彼は透明になってゆく。
それと同時にわたしは、森のそとへと戻され、退屈なじかんがはじまる。
あの夜は、彼にとってすべてで。
わたしにとってもすべてだった。
だから、またそれを繰り返す。
毎晩、秘密の恋ははじまりおわる。
それがずっと、続いていくはずだったのに。
「いま……なん、て?」
終りを迎えたのは、雨の日。
視界に入った赤。
それはちっとも綺麗じゃない。黒がまじった、赤。
『もう、会えないんだ』
嘘、でしょ?
そう聞き返して、期待したこたえを求めた。
嘘だよと吐き捨てて欲しかった。
求めて、傷つけて、そのくりかえし。
この関係がこわれはじめたのは――。
『だけど』
だけど?
『もし、生まれ変われるのなら、俺はまた獣でいい』
聞こえない。聞きたくない。
泣いて拒絶して、彼を傷つけてしまうのがこわくて、耳をふさいだ。
『君と出会えるのなら』
ぽた、とおとをたてて
雫がおちた。
見れなくて、見たくなくて、目を背け続けていたけれど、やっぱり視界に入ってきて放れない赤。
彼の右脇に刺さるナイフ。つめたい体温。
重なったくちびるから垂れる赤。
「や……っやだ。死んじゃ……っやだよっひとりにしないで……っ」
ほんとは、最初から気づいていた結末なんだ。
わたしたちは、もしかしたら、別れのために出会ったのかもしれないから。
とことん残酷。
彼のくちからそれがこぼれるたび。
わたしの何かがこわれた。
彼の身体が透けるたび。
雨はひどくなった。
『ねえ……、笑って?』
「えっ、」
『大好き、だったんだ。君の……笑顔。きれい、で……。だから、生きて……、笑って』
雨がじゃまをして、ノイズにまざる。
その声は優しい、というよりも弱々しかった。
ぐっと、くちびるを噛んで、あふれでるしずくを手でぬぐう。
雨がつよくなるなかわたしは、笑った。
――「なあ、知ってるか?森のおくの醜い獣、ついに死んだってよ」
あしが痛い。うでがいたい。
だけどそれ以上に、むねがくるしい。
波紋のようにどこまでも広がる噂はついに、確証へと変わる。
彼を苦しめた噂は、さらに、またわたしを苦しめる。
彼は、なぜ死んだの?
彼とわたしたちはなにが違ったの?
もうあの手で、なみだを拭ってもらうこともできない。
もうあの声で、なまえを呼んでもらうこともできない。
もうあの腕で、だきしめてもらうこともできない。
もう会うことすらできない。
ぐちゃぐちゃになった思考をさらに、ひとびとのざわつきが掻き立てる。
ひとりで立つことすらままならない。彼がいなきゃわたしは、生きていけないのに。
『ねえ……、笑って?』
え…っ?
聞こえたその声は、わたしの幻聴なのか、それとも彼の声なのか。
『生きて……、笑って?』
ちがう。ちがうんだ。
この声は、わたしのなかの彼の声。彼はまだ生きている。わたしのなかで、生きている。
あの夜のように、ぐっと、なみだをぬぐってわたしは笑う。
彼がそれを望むから、わたしは笑う。
彼がそれを求めるから、わたしは笑う。
なみだが止まらない。けれど、ひたすら笑う。
彼が、そう望んでくれているかぎり、わたしはこれから先わらいつづけることができる。
別れのために出会う人なんていない。
わたしたちは、出会うために別れたんだ。
聞こえていますか?
「もし、生まれ変われるのなら、また……報われない恋でもいい。あなたに出会えるのなら」
頬を伝っていたなみだも、今では乾いてしまっている。
ほら、また25時をしらせる鐘が鳴る。
fin.
ひさしぶりに恋愛物の短編かきました。
なんか、切ないと言っていいのか……、よく分からない感じです←
読んでいただきありがとうございました。