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仕事8

 マシューさんと並んで会話することしばし。ディディエスさんは駆け足で戻ってきた。カップ麺を待つほども経ってなかったんじゃないだろうか。あっという間だった気がする。……ん?

「すまない、待たせた。……ユキノ、これを」

 彼は腕に白っぽい長い布を持っていた。シーツなんて荷物の中にあっただろうか……いや、これはワンピースだ。馬族のお嬢さん方が、人型になった時に着ているやつ。それともう片方の手にはサンダルと私のランプが引っ掛けられていた。

「お帰りなさい。どしたんですかそれ?」

 準備って、もしかしてこれを取りに行っていたのか。ランプは後に使う気でいたから助かるが、頼んでもいないのに一体何故。

 困惑する私に、ディディエスさんはワンピースを押し付けた。

「着てくれ。サンダルもこちらに」

 それを受け取ったはいいものの、意図がよくわからない。ワンピースとサンダル、どちらも私の持ち物じゃないのに、わざわざ借りてきたのか? こんな時に?

 私が動かないでいると、マシューさんが呆れたように声を上げた。

「おい兄さん、こんな所で脱げっつーのは、ちっとばかし問題があるな。そこの角を曲がった所に目立たない細い通路があるから、そこに行きな」

 ディディエスさんは頷いて、私の腕を引いた。

「ちょ、ちょっと……」

「いいからこれに着替えてくれ。洗ったばかりだから、汚くないぞ」

 そういや今日洗濯してたっけね。って、それはいいとして。

「そういう問題じゃなくてですね、何でいきなり着替えなんてする必要が? それとディディエスさんの接客と、どんな関係があるんです」

 彼は私の視線をかわすと、マシューさんが並べていた商品の中から、あの雪の花の髪飾りとペンダント、腕輪を手に取った。

「少し貸してくれ」

「何するんだか……まあいいさ、好きにしろよ。持ち逃げするんじゃないぞ」

「わかっている」

 ……もしかして。

「さあユキノ、時間がない」

 心臓が大きく震えた。

 私の予想が当たっているなら。私は彼を、見くびり過ぎていたのかもしれない。


 ディディエスさんに通路を塞ぐように立ってもらい、私は奥でこそこそと着替えを済ませた。ウエストは大丈夫だった。腰が細過ぎる人なんて馬族にはいない。皆さん鍛え抜かれた肉体の持ち主だ。それでも似た背格好の子から借りてきてくれたんだろう、胸の辺りが若干緩い気もするけれど我慢する。長さもくるぶしまで隠れるのでちょっと長いとは思うけれど、ロングワンピだと思えばいい。サンダルを履いて、今まで着ていた服を腕に掛けて表に出た。

 私の支度が終わると、今度は彼が私の髪を軽く掬い、側頭部に雪の花を留める。ペンダントを首に掛け、腕輪を嵌めれば――即席マネキンの出来上がりだった。

 マシューさんの元へと戻る彼の隣を歩きながら、私はまじまじと横顔を見つめてしまった。まさかディディエスさんがこんな小細工を……頭を働かせるとは思っていなかったのだ。てっきり直球でお客さんを捕まえに行って、狩か! ってツッコミを入れるハメになるのだとばかり思っていた。

 馬族の着るワンピースは布をちょっと切って形にしただけの、柄のない本当にシンプルなものだ。だからこそ、どんなアクセサリーとも合わせられる。アクセサリーを付ければ、こんな服でも見栄えがするんだよって宣伝の仕方もできるだろう。ご自宅に眠っている服も、これがあれば再利用できますよ。貴女の印象にまた違った一味を加えてみませんか――という切り出しはどうだろう。ううむ、これはもしかして、もしかするのではないだろうか。勝負は絶望的だと決め付けていたけれど、期待してもいいのかもしれない。

 大通りに戻ってくると、マシューさんは眉を上げて私の格好を上から下まで眺めて言った。

「へえ、そうしてると少し飾り気のある馬族にしか見えないな。案外似合ってるんじゃないか?」

 彼にはしばらく洋服と靴を預かっていてもらう。知り合って間がないが盗られて困るようなものはないし、獣人であるということで、何故だか無条件で人間より信頼が置けるような気がしてしまう。

「案外、ではない。実によく似合っている」

「そうかい。ああ、そろそろ始めようか」

 男達は頷き合った。勝負開始だ!

 私はランプに火を灯す。このランプ、少し前にディディエスさんに買って貰ったものなのだが、可愛いデザインでかなり気に入っている。本体は玉ねぎ形のガラスでできていて、菖蒲に似たすっと伸びた葉と小さな花模様が、邪魔にならない程度に入っている。色は入れていないので明るさを殺すこともなく、かといってシンプル過ぎず品がいい。更に細木をよじったような銅の取っ手が付いているから、持ち歩くこともできる。でもそうするにはランプに火を入れたら本体をしっかり回して嵌めないと、持ち上げたときに落ちてしまうのだけれど。

 こっちも準備ができた。さあ、存分に接客をするといいよ。私突っ立ってるから。あ、商品がわかりやすいように、ペンダント照らしておく?

「行くぞ」

「はい行ってらっしゃい……って、ええええ? あの、ディディエスさん?」

「何だ」

「何で歩く? そしてどうして私まで一緒に歩いているのでしょーか……?」

 手首を握られ、引き摺られるような格好で歩き出す。接客するのってディディエスさんって話だよね? どんどんマシューさんと離れてるんですけど、どこ行くのさ?

 ディディエスさんは首を少し傾げた。

「勝負に勝つためだ。一緒に来てくれ」

「ああ、ええ、勝つ気でいるのはいいんですけど。お店からどんどん離れていく気がするんですが」

「それが何か?」

「いや、何かって貴方。品物売るんですよね?」

「そのつもりだが」

 何だか会話が噛み合ってないぞ。私は頬がどんどん強張っていくのを感じていた。もしかしなくても、ディディエスさん、接客がどういうものだかわかってないんじゃない……?

「うわぁ……予想外だわー……」

 思わず口に出してしまう。返せ、私の期待を返せ。ちょっと見直しちゃった私の馬鹿、着替えしてる間にでも、やり方を教えてあげればよかったのに! 本当にもう……何なのこの人? カッコいいんだか悪いんだか、鋭いんだか馬鹿なんだか、色んな面あり過ぎ。そしてそれを表に出し過ぎ。私疲れてきちゃうよ。

 溜息を一つついて、気持ちを切り替えることにした。男の勝負に口を挟むのは、彼が負けてからでいい。それまでは好きにやらせてあげよう。彼が短い時間で一生懸命考えたであろう方法の行く先を、共に見届けようじゃないか。自分だけあれこれ考えて悩むのは酷く馬鹿らしい気がするから。

 ふと、私のお腹がきゅるきゅると音を立てた。

「腹が空いたか?」

 聞こえてしまったらしい。私は羞恥で逃げ出したい衝動に駆られながら呻いた。

「実は……結構空いてたりします」

 乗馬は意外に体力をごっそり持っていかれるのだ。私はまだ十分に慣れたとはいえず、腹八分目どころか五分目くらいにしておかないと、通る道や速度によっては吐いてしまう。今はダイエットになっていいけれど、そのうち栄養不足になってしまわないかが心配だった。

 彼は私の手を離すと、ふむと顎に手を当てた。

「何か買いに行くか。幸いにして、今日は金が手に入ったからな」

「え……あの、いいですいいです! そんな、私のお腹の心配より、自分の心配しなくちゃでしょう!?」

 何を言い出すんだ。そりゃあ、お腹の虫は主張してるけど。そんなことより大事なことがあるだろうに。私を理由に負けましたなんて、そんなの絶対許さないから。

 睨むと、彼はそんな私の顔を不思議そうな顔で見つめていた。何故私が怒るのか理解できない、という表情で。そういう顔をされると、どうも気力が削がれる。彼を相手に感情的になるのは間違いだと示されているような、そんな気がする。彼は馬だ。どんなにそっくりでも、人間じゃないんだ。……あるいは、私が何か勘違いをしているだけなのか。見当違いなことで腹を立てられる不快感は私にも想像がつく。それでも彼が私に対して怒りを示したことなどなかった。冷静に見えるその裏で、彼は一体何を考えているんだろう。

 わからない。わからないから――知りたい、と思った。

 再び手が伸びてきた。指が触れる直前、しかし躊躇するように少し引く。でもすぐに手首が軽く握られ、そっと引かれた。何だろう今の。何か戸惑っている?

「……空腹では、辛いだろう」

 ゆっくりとまた前を向き、歩き出す。ぽつりと零れた呟きに答えることはせず、私は並ぶことなく少し後ろを黙って歩く。

 少し風が出てきた。ディディエスさんの髪が、外套が揺れている。大きく開いた襟ぐりに容赦なく冷気が入り込み、私は大きく震えた。もうすぐ冬のこの季節、しかも日没間近な時間帯。日中温められた大地は急速に冷えていく。

「どこから回るか、決めていたわけではない。だから、お前にとってもいい場所に行きたい」

 寒さから思わず立ち止まった私を振り返った彼は、そう言うと、片手を喉元に持っていく。巻き付けられた外套の結び目を解くと、私の肩にそっと掛けた。

「……寒いか?」

 ちょっとね。でも、ディディエスさんの体温の残る外套は暖かいから、私はゆるゆると首を振る。

「ディディエスさんは、寒くないですか?」

「俺は全く。別に服などいらん」

 うんざりしたように己の格好を見下ろす。その言いようと仕草に小さく笑った。

「駄目ですよ、それは。少なくとも、私といる間は」

 私が笑ったことで、ディディエスさんの目が細まった。ほっとしたような空気が流れる。あ、もしかして、さっきまでちょっと気まずいと思ってた?

「ああ、だから、多少窮屈でも辛抱する」

 行こう、と強く握られた。今度は手首ではなく、手を。私のとは違い、とても温かかい手だった。

 いいのかな、時間ないのに寄り道したりして。まあ、私は彼が始めどこに行こうとしてたかなんてわからないけど。

 もしかして勝負してること忘れてるんじゃないかという不安を胸に抱きながら辿り着いた先は――門からほど近い、通りにテーブルを出している一軒のオープンバーだった。

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