仕事6
「しっかし、馬族にしてはやけにきっちり服着てるとは思ってたんだが……あんた、落人か」
鳥さんは顎を撫でながら、私の格好を確認するように何度も視線を往復させた。
「最近多いねえ。鳥族の所にも一人いるんだが……。ふうん、彼女とは全然違うんだな」
そりゃあ、落人といっても様々だろう。でもそんなに違うもの? ああそうか、他の落人さん達って若い子が多いし。
ディディエスさんの背中から離れた私は、絨毯の前に膝をつき、真っ向から彼と視線を合わせた。まだ鳥肌が立つような寒気はあるが、会話して慣れてきた今はもう怖いとは思わない。
「よかったらその人のことについて教えてもらえませんか? 鳥族さんの元にいるっていう話は初めて聞きました」
私とは全然違うという人。その人はどんな風にして過ごしているのだろう。帰るための行動は何かしているのだろうか。それとも、もう周囲に溶け込んでいるのだろうか。
期待を込めて見つめると、彼は若干視線を下げた。
「そうだな……まず、胸がでかい」
「…………は?」
よーしいい度胸だエロおやじ。
私の様子をずっと見ていたらしい長身を見上げる。
「ディディエスさん、蹴ってもいいと思います」
「奇遇だな。俺もだ」
「ちょ、待て待て待て!」
ディディエスさんが片足を上げ始めると、エロ鳥さんは慌ててタンマをかけてきた。
「悪かった。事実を述べたまでだが、あんたが気にするとは思わなかったんだ。本当に悪かった。胸のない女に対して言う言葉じゃなかったな」
「何でしょうこのそこはかとなく感じるムカつきは」
謝られれば謝られるほど腹立たしい気がする。胸は控えめだけど平均くらいはあるんですよこんちくしょう。
鳥さんは気を取り直すように咳払いして続けた。
「それから……背は普通だった。嬢ちゃんよりは高かった気はするがな」
「はあ」
「あと、あの刺激的な踊りには痺れたね。俺はうちの若いのと一緒に挨拶程度に顔出しただけだから、全部見たわけじゃないんだが。できれば最初から見たかったもんだ。くうーっ、あんなにいい女は、もう世界のどこを探しても見付からないだろうなあ」
「………………どんな人ですかそれ」
外見の特徴にしても大雑把過ぎるだろう。全然想像つかない。この人がいい女って言うくらいなんだから、きっと大人っぽいのだろう。スーツでビシッときめた、キャリアウーマン系なのかも。それと踊りがどう関係してくるというのか……。もしかしてエロ方向?
私の非難の眼差しを理解していないらしく、鳥の人は更に言い募った。
「そうだ、嬢ちゃんも踊ってみせてくれよ! 同じ落人だったら踊れるかもしれん。もう一度見てみたいんだ」
「ハ?」
寝言は寝てから言え。
「いや、無理ですからね普通に。踊りなんて言っても、それこそ種類もたくさん……ハッ、まさか……!!」
まさかまさか……!!
私は酔うと記憶をなくすタイプだった。ある日、飲みに一緒に行った友人がおかしなことを言い出した。
『雪乃って面白いよね。何あれ昨日のやつ、忘年会用の一発芸か何か? 超うけるんだけど』
当然私は身に覚えがないので聞き返した。すると友人がとんでもないことを言ったのだ。
『あんた、リンボーダンスなんて踊れたのね』
踊れるわけないじゃんと冷静に返すと、彼女は他のメンバーにも聞いてみろとだけ言って意味深に笑った。その後のことは思い出したくない。友人に確認しに行ったことで、忘れた方が幸せだった記憶がおぼろげに脳裏に蘇ってしまった。とにかく、穴があったら入りたいどころか埋まってしまいたかった。頭が痛くなるほど熱心に忘却の神様に祈りを捧げ、闇の中に封印し、厳重に鍵をかけて沈めたというのに……!
今再び私の頭の中に、ズンズンズンというリズムに合わせて、テーブルの下を潜り抜ける酔った自分の姿が浮かび上がる。
「何で知ってるんですか……貴方スナイパーじゃなくてエスパーですか!?」
わなわなと指を突きつけると彼は首を傾げた。
「いや、俺はマシューだが」
「名前聞いてんじゃないんですけど」
何てこった、何だよ異世界! あのスナイパーアイは過去もお見通しなのか。とんだ能力者がいたもんだ。元の世界の恥はいい加減忘れさせてくれ!
頭を抱えて蹲ると、そっと肩に重みが乗った。
「りんぼーだんすとは?」
傍らにしゃがみ込んだディディエスさん。その曇りのない真っ直ぐな目が私を追い詰める。
「追い討ち? それは計算ですか? そんなに私の恥ずかしい過去を暴きたいんですか!」
「ユキノ……俺はお前がどれだけ恥ずかしい女だろうと、変わらずに愛している」
「ぎゃあ! なんつー口説き文句ですかそれ!」
ようやく我に返ったのは、鳥さん改めマシューさんの呆れた視線を感じられるまで存分に騒いだ頃。はいはい、ごめんなさいね、貴方の商売の邪魔をしたいわけじゃないんですよ。
冷静になったら急に恥ずかしくなった。スナイパーアイは恐るべき能力だ。でもさすがに相手の過去まで見れるわけないよねえ。取り乱したりして私の馬鹿。
「俺が見たのは情熱的な踊りだったが、少なくとも恥ずかしいなんて言うような代物じゃなかった。だから恐らく、嬢ちゃんが言うリンボーダンスとやらとは違うと思う」
私が意思疎通ができる状態に戻ったことを確認したマシューさんが、話を戻した。
そうか、世界を飛び回れるマシューさんが言うんだ、きっとこの世界にリンボーダンスはないに違いない。ははは、そんなの素面で踊れる女性って普通いないよね。いたら周囲の度肝を抜く。刺激的、とか言う前にぽかーん、だ。何で下をわざわざ潜っちゃってんの? って、私なら絶対突っ込むね。むしろ踊りだと認識しない。
「ですよね……ありえないですもんね……ああ良かった。で、結局どんな踊りだったんですか?」
彼は宙を睨むようにしつつ唸った。
「そうだなあ、腰を振ってキレのある動きの踊り……と言ってわかるか?」
上手い喩えが思い付かないらしい。わからんよ、と言いかけて、瞬間頭の中でライトがピコンと点灯した。腰振り、キレ。この二つの条件を突破し、恥ずかしくなく、尚且つ落人である私にだったら踊れるかもしれないとくれば!
「ウマウマダンス……!」
閃いたのは、動画サイトでこれでもかとパロディを見かけた可愛らしい踊りだった。外国の曲に合わせて満面の笑みで腰を振る数々のキャラクター達。私もお気に入りのキャラで検索を掛けて鑑賞したこともある。大きく腰を振る動作は一見簡単なようでいて、やってみると実際は大変だ。カラオケの席で友人達と、どれだけ長く真似し続けられるかという馬鹿げた勝負をしたことを思い出す。一曲分完走できた強者は一人としておらず、翌日普段使わない部分の筋肉痛に悲鳴を上げた。懐かしい。
豊満な女性が踊ったのなら、さぞかし見応えがあったでしょうよ……。
「ウ、馬々?」
首を傾げるマシューさんを、私は冷めた目で見つめた。男ってやつはどうしてこう馬鹿なの。そんなに胸揺れが好きか。また見たいか。だが残念だったな、私が踊ったところで大して面白くもなかろうよ!
内心フハハハハと勝利の高笑いを上げたところで、あまりの阿呆さ加減に空しくなってきた。
「その鳥族さんの所にいるって人と、会えたりできないですかねえ?」
できればそのダンスを習得から披露するに至った経緯と、お気に入り動画について語り合いたいものだが。
けれども私のお願いにマシューさんは難しい顔をした。
「難しいだろうなあ。あの嬢ちゃんは今卵抱いてるからな」
「卵? ……ああ、そういうお仕事ですか? でもちょっと抜け出すくらいならいいんじゃ?」
「いや、嬢ちゃんが産んだんだ。親が温めてやらないと」
「何を」
「だから卵を」
「卵ぉ!?」
え、何だそれ。産んだって何? 卵を!?
「相手が鳥族なんだ、生まれるのは卵だろうが」
あんたの世界は違ったのかと聞かれて、私は激しく戸惑った。いや、鳥は確かに卵だったと思うよ。それは間違いない。けれど、私が驚いているのはそこではない。どうして人間が卵を産むんだ。だっておかしいじゃないか、胎盤は何の為に存在するんだ。
私が口をぱくぱくさせていると、ディディエスさんが宥めるように抱きしめてきた。
「安心しろユキノ。俺とお前の子は卵じゃない、馬だ」
「余計悪いわ」
パシッと腕を叩いて緩い拘束から抜け出した。冗談じゃない、人間の赤ちゃんだって出産の時は死ぬ思いをすると聞く。それが馬? 途中で足がつっかえて絶対出てこないだろう。そもそも、お腹の中でどの程度まで大きくなるのだろうか。馬族の蹴りは大樹をもなぎ倒す。妊娠中に胎児にそれをやられた時、私は生きていられるだろうか。帝王切開出産なんて嫌だし、生まれてすぐに立ち上がり、歩くような我が子を見て自分の子だと納得できるのか。
帰りたい。強くそう思う。子供は欲しい。でも、何も馬を産む必要なんてないじゃないか。馬ならもうとっくに見飽きたよ。……そういや仔馬は一頭も見てないけど。
明日は兎の国に向けて出発する。もうあれこれ考えるのは止めにして、寝てしまうのが良い。
「そ、そろそろ戻りましょうか。アカンザさんが私達の存在を忘れて移動してしまう前に」
冗談めかして立ち上がった私に、彼は至極真面目に返答してきた。
「いや、もう夕暮れ時だ。夜道は危険だ、今から移動はないだろう。長もたかだか一時間程度で我々を忘れるほど情のない方ではない。そこの鳥男のように、一週間もただ座っているというならまた別だが」
「言ってくれるねえ、お馬さんよ」
ゆらりと立ち上った怒気に、背筋が凍るのを感じた。ただでさえ鋭い目をいっそう厳しくして、マシューさんはディディエスさんをねめつける。対するディディエスさんも他族によく見せるあの冷たい眼差しで迎え撃つ。何、君達一体何の勝負を始めているの。
「馬族は喧嘩っ早い。そして一度思い込んだら誰が何を言おうがお構いなしだ。可哀想に、こんなのに纏わりつかれて、嬢ちゃんもさぞかし迷惑してるだろうなあ」
うん、否定はしない。
「隙あらば人妻に色目を使う貴様のようなやつに言われる筋合いはない」
人妻じゃないし。色目も使われてないし。ディディエスさんごめん、本当にフォローのしようがないよ。
マシューさんは僅かな衣擦れの音を立てて立ち上がると、私に手を差し伸べた。
「このまま見過ごすのはあんたのためにならないな。どうだい、俺と一緒に鳥族の下へ来ないか?」