仕事4
私は思わず天を仰いだ。あー、空が青いなぁ。言われてみれば、お腹空いてきたな。今日のご飯は何だろうな。雑草かな、それともその辺に生えてる草かな。いやいや、そこの葉っぱかもしれない。わお、彩り豊かでより取り見取り……。
「なわけあるかーい! どれも同じじゃないの!!」
突然叫んだ私に驚いたようで、ディディエスさんは軽く身を揺らした。
「今晩の私のご飯はないと。その辺の雑草でも食べてろと。ほほう、そういうわけですね」
完全に目が据わっていたんじゃないかと思う。胸倉こそ掴まないものの、腰に手を当てて高い位置にある顔を睨むと、彼は若干引いたようだった。
「そういうわけでは……。いや、本当にすまない。好きなように罵倒してくれて構わない」
そう言って目を伏せる。睫毛が長いな、なんて思いながら、鼻で嗤ってやった。
「罵倒? しませんよそんなの。お腹が膨れるわけでもなし。気分が悪くなるだけです」
わかってるんだよ私、わからないとでも思ったか。接客業舐めんな、こっちは人を観察するのが仕事なんだよ。ぼーっとしているようでも細かいところまで見ようと意識はしているんだよ。
「悪気がないことくらい知ってます。前に私と買い物に行った時言ってましたよね。お金使ってみるのは初めてだって。使い方がよくわからなくて、私がどの程度必要とするのか計れなかったんだろうなってことくらい、ちょっと一緒にいればわかりますよ」
ツンとそっぽを向いてみせると、彼は困惑したように瞬きをしていた。私の言葉と態度が合ってないと思っているのかもしれない。すみませんね、異世界にはツンデレというカテゴリーがあってですね。私はそこまで極端ではないつもりだけど、そうそう他人の前で甘い顔は見せないのですよ。
私が見る限り、馬族は族長かそれ以外かの括りしかないようだった。ディディエスさんは別にアカンザさんの参謀というわけじゃない。私を通じて、今までより族長と接する機会が増えただけの普通の馬だ。あれが欲しいこれが欲しいと遠慮なく訴える私を相手に、相当困ったに違いない。ごめんなさい、困ってるのは知ってたけどそこまでお金がないとは思わなくて、知らん振りかましてました。
「ユキノ、ユキノ。あんまりディーを責めるな」
アカンザさんが私の背中を前足でちょいちょい掻いた。
「腹が減って気が立ってるんだな。じゃあ、今からでも羊の国へ行くか。あそこは牧草もたんまりあるから、あたしらも好きなんだ」
私が行きたいのは兎の国なんだけど。
「……お金がないのに、どうやって食事にありつけるって言うんですか。美味しい思いをするのは皆さんだけじゃないですか」
「そこはあれだ。『今すぐ食い物を用意しねえと、ユキノが飢えるがそれでもいいのか』って言やぁ」
「それ何て脅し文句!? 止めて下さいよ、恥ずかしいなあ!」
他族からしてみれば、それがどうした? だよ。何その俺様ぶり。ああもう、ああもう! 仕方ないな!
「わかりました。少し落ち着きましょうか。ようは私が自分で食べ物を確保すればいいって話なんですよね。了解、オーケーオーケー。とりあえず不払い許すまじ!」
「ユキノ、お前が落ち着け。旗に突進する直前の闘牛のようだぞ」
「ディディエスさんは黙ってて!」
怒られて彼は素直に口を閉じた。それにしてもこの人の立ち位置は微妙だな。私の味方をしてくれるようでいて、あまり役に立ってくれてない。一見頼り甲斐がありそうに見えるんだけどなあ。お金がないことを告白するタイミングといい、実際は何も考えてなかったりして。まあ彼のことは置いておいて。
「……アカンザさん。私がこの馬族と一緒にいる間、そしてその後も、今回みたいに支払い拒否が発生するのは嫌だと思ってくれますか」
別にどうでもいいという回答がくるようなら、せめて私がいる間だけでも。
アカンザさんは私の目を見つめながら短く言った。
「そうさな。どうせ走ればすぐに忘れるとはいえ、いい気はしねえよ」
忘れちゃならんだろう、忘れちゃあ……。
「そうだな、長の言う通りだ。俺も常に意識していないとユキノを乗せていることを忘れそうになる」
「忘れないで!? そこは脳内永久保存フォルダに入れといて下さいよ!? というか貴方は黙ってて!」
ああ、彼らと話をすると頭がくらくらする。遠い目をしかけたが、気を取り直して。
「これからきちんと改善策を話し合いましょう。とりあえず、まずは私が持ってる知識の分だけ先にお話しますから。それからどういう形にしていくのかは皆さんで決めて下さい」
こうと決めたら余所見をしない。いつだって全力で一つのことに取り組んでいく。馬族のこういう気質は好感が持てたし、適度に楽をすることを覚えた身には、大切な何かを思い出させてくれるところでもある。でもとにかく効率が悪い。全員で一つのことしかやってないから、絶対儲かってないってわかってた。まあ、私さえいなければほとんど収入なんぞなくても生きていける彼らだから、今まで文句なんて出なかったんだろうけど。
一つのことに集中したいのであれば、それでもいい。私一人のために生活を変えろと言うのは諦める。だから、請け負ったことは確実にこなして欲しい――そんなことを含めて、訴えた。
数時間前に辿ったばかりの道を再び歩き、見覚えのある店構えの前で足を止めた。振り返り、人型を取った背の高い二人を見上げて念を押す。
「さあ心の準備はいいですか、二人とも。どんなにムカついても今度は絶対に手を上げちゃいけま」
「後ろ向いてたら開けられねぇだろ。仕方ねえやつだな、あたしに任せな」
「人の話聞いてよ」
誰も背中で扉開けようなんて思ってないよ。アカンザさんはさっさと扉を開けて中に入ってしまうし、ディディエスさんは馬鹿なやつだなと薄ら微笑みながら呟いてその後に続いた。この馬族め! 私も急いでお店に入る。
「な、何しに来た! 帰れ!」
「帰れー!」
案の定。アカンザさんの顔を見た少年達がぴょんと飛び上がってどこかへ引っ込んだかと思うと、箒とハタキを手に戻ってくる。巨人と小人みたいな身長差があるのに、勇敢にも彼女の前に立ち塞がった。胡散臭そうな目で見下ろすアカンザさん。
「どけよ坊主共。邪魔すんじゃねえ、あたしは謝罪に来てやったんだ」
それ謝罪の態度違う! 超偉そう!
私は少年達以上に大慌てで彼女の前に割り込むと、涙目でぶるぶる震えている彼らと目線を合わせて謝った。
「ごめんねえ。馬のお姉ちゃんは怖い人に見えるけど、本当はいい人だから」
他人を締め上げるいい人って。自分で言ってて説得力のなさに笑いが込み上げるよ。
「今度は何もないように、私がしっかり止めに入るからね」
でもおじさんが殴られそうになったら勘弁ね、代わりに殴られるのは嫌だから。
心の声は出さずに、子供達が安心するように微笑むと、少しだけ二人の目から警戒心が消えたように見えた。よしよし、子供は素直で良し。
カウンターにおじさんの姿はなかった。建物の中にいればいいけど、もしかしたらどこかに出かけているのかもしれない。
「お父さん呼んできてくれるかな? お姉ちゃん達ね、酷いことしてごめんなさいって謝りに来たんだ」
「……本当に?」
「本当にぃー?」
「本当本当。今お父さんどこにいるのかな?」
二人は顔を見合わせた。そして大きい子が口を開く。
「父さんは今、もう馬族が来ませんようにって魔除けのお守りを作ってます」
……おじさん手先器用だな……っつーか、危なっ! 本気で私の適当な200億の鼠さんが現実になる予感! 危なー!
「魔除け? この店は何かに取り憑かれているのか?」
ディディエスさんが不思議そうに店内を見回した。
「幽霊か? 何だ、そういう事情があるなら先に言っとけよ。どうりであの親父、払えねえとかおかしなこと言うと思ったら……。まあそんな話なら、今回はチャラにしといてやるさ」
貴方達のことだよ。……突っ込んでやりたかったが、ここで正してしまうと怒り出しかねないので我慢我慢。二人が馬族で助かった……。
困惑した顔で私達を見ていた子供達は、振り返り振り返りしながら店の奥へ消えていった。そうしてすぐに、若干顔色が悪くなったおじさんが右手にお守りを握り締めながらやってきて、開口一番にこう叫んだ。
「帰れ! 悪霊退散!」
あーああ、私知ーらないっと。
「大丈夫かよ親父。さっきは悪かったな、そんな事情を抱えてるとは思わなくてよ。おいおい、顔色が悪いじゃねえか。そのうちぶっ倒れるんじゃねえ? お祓いとやらは金がかかって大変だろう。今回は別にいいさね、無料にしといてやる。でも次回は頼むぜ、こっちもこれが商売だからよ」
「我々で話し合いを設けた結果、次回からは荷の中身の確認の徹底と、運搬方法の見直しを図ることになった。割れ物は今後急ぎでは取り扱わないから余裕を持って依頼するといい。そうそう、俺が聞いた話によると、悪霊退治には玄関先に塩を撒くといいらしいぞ」
「しっかし、てめえも大変だなあ。ガキ共もいるのに可哀相に。てめえが倒れりゃ、家族が心配すんぞ。ちゃんと睡眠取ってっか?」
「眠れないのか。ならばそうだな、せっかくこんなに酒が置いてあるのだから、多少は自分でも飲んだらどうだ? 酒を飲むと良く眠れると聞いた」
「ああ、酒。そういやユキノに言われて、詫びの品を用意したんだがな。忘れる所だった……これよこれよ。先日縁ある竜族から貰い受けた酒なんだがよ、あたしらは酒は飲まねえんだ。大事な足がふらついちゃならないだろ? ああでも、こいつぁ相当キツイ代物らしいからな。病人に飲ませるわけにもいくまい。だから半額でいいぜ。珍しいから他で売っても良かったけどよ、まあ詫びの印ってことでこの辺でどうだ」
予想通り、馬族の暴走思考ぶりは凄かった。おじさんと子供達の揃ってぽかーんとした顔が目に入らないんだろうね。その後も二人で会話がどんどん盛り上がり、終いにはおじさんは酒飲みの両親から暴力を振るわれる少年時代を過ごした挙句、火事で家族と死に別れ、長じては一念発起して一代でお店を築き上げた英傑となりました。
顔色が悪いのも倒れそうなのも、原因は貴方達だよと突っ込んでやりたいのを、私は必死に耐えていた。ああ、馬鹿だ、途方もなく馬鹿だよこの人達……! でも面白いから見守っちゃう。
当のおじさんは「ああ」とか「はあ」とか目を白黒させながら相槌を打っていたが、お酒の瓶を押し付けられて我に返ったようで、のろのろと銘柄を確認した。
「ええと、はあ、これなら半額だとこの辺になりますが……」
「いいぜいいぜ、気に入ったよ親父。また贔屓にしとくれよ。今度悪霊退治に効きそうな方法を耳に挟んだら教えてやるよ」
じゃあな! と上機嫌なアカンザさん達と私はお店を後にした。最後まで、口を開きっぱなしな鼠さんの視線を背に感じながら。
これでいいのかなぁ? 首を捻ってしまうが、謝ることは謝ったし、ついでに私の食費も稼げたし、目標プラスアルファってとこなんだけど……。何か想像とずれた気持ちの悪さが。そもそも私の出番はまるでなかったな。修羅場になる覚悟もしてたんだけど。お詫びの品を売りつけるって、大丈夫だったかな……。
どうかどうか、おじさん達の怒りが削がれてますように!
日が西に傾くのを眺めながら、私は何度も何度も神様にお祈りするはめになったのだった。