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仕事2

 集合場所である川縁に着けば、そこにはアダムとイヴの世界が広がっていた。水浴びをしている者、草の上に寝そべっている者、兄弟とじゃれあっている者。男も女も皆素っ裸。盛り上がった筋肉とか割れた腹筋とかタダで見放題。全然嬉しくない。男はせめて股間を隠せ!

「皆さん服はどうしたんですか」

 問えば、ちゃぷちゃぷ足で水面を蹴りつけていたお姉さんが振り返って言った。

「今洗濯中よぉ~。乾くまでもうちょっと待っててねん」

 近くで川に石を投げ込んでいた青年も唇を尖らせてみせる。男がそんな表情してもちっとも可愛くない。

「別に無くてもいいじゃん。俺ら困ってないし」

 何でそんなこと気にするの? という清らかな視線が私に集まる。裸だなんて、と思うのは私の心が汚れているからか。うぐぅ、この場は私が不利だ。常識なんて通用しない、何という野生の園……。

「羞恥心……馬族に今一番必要なのは羞恥心だ……。神様、禁断の果実はどこ!?」

「ユキノ、お前の言葉はたまに意味不明だ」

「だってディディエスさん、って服ーッ!」

 振り返れば既に上半身裸のディディエスさんが。ズボンに掛けられた手を見て焦った私は必死に止めた。

「下は駄目! それは最後の砦なんです、そこまでいったら素直に負けを認めるべきです!」

「負け? 何の勝負だ」

「脱衣マージャンとか野球拳とか……いや、覚える必要はありませんからね!」

 ディディエスさんは頭にいくつものはてなを飛ばして首を傾げている。知らなくていい、いつまでも純粋な貴方でいて下さい。……私が教えなければいい話か。

 はあ全く、心臓に悪い。これが思春期の女の子相手だったらどうするんだ。悲鳴を上げて逃げてもおかしくないよ。私だって別に見たくないよ。

 裸祭りのインパクトのお蔭か、鼠君との一件で感じた強烈な不安感はだいぶ薄れていた。それでも腹の底に沈んだ重石は消えない。出会ってからまだ日は浅いが、恩人が他人と揉め事を起こしている場面なんて気持ちのいいものじゃない。

 漢らしくワンピースを脱ぎ去ったアカンザさんは馬に戻ると、鋭い嘶きで皆を呼び集めた。馬の姿に戻った面々が彼女の前に整列する。一族を眺めて頷いたアカンザさんは良く通る声で言った。

「そろそろ出発するぞ! 用事は終いだ!」

「族長~、次はどこ行くんですかい?」

「知らん! とりあえず適当に走ってから考える!」

「おー!」

 え、そんな、待って。

 私は慌ててアカンザさんの正面に進み出た。

「待って下さい、さっきの、あれで本当にいいんですか?」

「あぁん? 終わったことだろうが」

 今更蒸し返すなとその目が言っていた。それでも、ここで終わらせてしまうわけにはいかないと思う。鼠族を束ねるジェラール様の耳に入らないとも限らない。私は嫌だ、カピバラさんから冷たい目で見られる未来だなんて!

「不払いなんてアカンザさんが怒るのも当然だと思いますけど、鼠の人の言い分ももっともだと思うんですよ。結果的に商品を駄目にしてしまったわけですし。馬族への期待ってのもあったと思いますし」

 ここで気を付けなければいけないのは、アカンザさんへの配慮。鼠側ばかり庇っては彼女の中の私の評価を損ないかねない。そして評価が下がり続ければ……きっと話を聞いてもらえなくなる。それでは駄目だ。

 そういった打算がパッと頭を過ぎって、私の気分は下がりに下がった。目の前のこの人は、きっとこういうことを考えたりしない。どんな時にも直球でぶつかっていく。純粋だ。アカンザさんだけじゃない、馬族は皆こういうところがある。でも世の中それだけじゃ終われない。やっていいことと悪いことってのはあるし。やりたい放題するだけじゃ、そりゃ相手は怒るよ。

「もし許されるなら、私に謝りに行かせて下さい。割ってしまった分の代金を返せば、あのおじさんだって多少は怒りを治めてくれるんじゃないでしょうか。今後のお付き合いのためにも、やっぱり信頼関係って大事だと思うんです」

 ねえ、どうかわかって。世間様から見た馬族を悪者にしないで。近い内にさよならする予定だけど、拾って貰えたのが馬族で良かったって、衣食住保障なしの貴重なトンデモ体験だったって、笑ってありがとうと言いたいじゃない。私が力を貸していい方向に変わるんだったら、いくらだって頑張ってみせるよ。代わりに怒られてくるよ。

 真剣に思いを込めて、濁りのない金色の目を見つめ続けた。しかし彼女は馬鹿にしたように歯茎を剥き出して嗤った。

「信頼だぁ? ハン、あの鼠は最初っから、あたしらに期待なんかしちゃいねぇよ。何本か駄目にするのを見越して多めに運ばせたとか得意気に抜かしやがった。ったく、割れ物ならそうと最初っから言いやがれ! 急ぎだとか言いやがるから近道使ったってのに……とんだ無駄足だったぜ!」

 え? そ、そんな話あったかな。途中で脱走の機会窺ったり商品眺めたりして会話聞いてなかったから、もしかしてその時か。

「それじゃあ、全部が全部駄目になったわけじゃないんですか?」

「さあな。いちいち中身なんざ確認してねぇよ。だがあいつらにとっちゃ同じことなんだろ。一つでも欠けるとぎゃあぎゃあ言いやがる。そんなに文句があるなら自分達で運べってんだ」

 駄目だ……基本的な考え方が全然違う……。一体どうすればわかってもらえる?

 内心焦っていると、いつの間にか馬に戻っていたディディエスさんが横に並び、私の腕に顔を寄せた。

「掴まれ。長は間違っていない。お前は少し頭を冷やすべきだ」

 私がですか!?

 愕然としてそ静かな目を見返すと、彼は促すように再度頭を擦り付けてきた。

 納得いかない。何だかすごく納得いかないんですけど。でも今駄々を捏ねる空気でもないので、仕方なくディディエスさんが脱ぎ散らかした衣類を纏めてからその頭に抱き付いた。

 そうして一行は地響きを立てながら、アカンザさんが決めた方向にただ走った。私はディディエスさんのたてがみをぼんやり眺めながら、ただ胸のもやもやを感じていた。

 しばらくして、栗毛の一頭が声を張り上げた。

「長ぁー!」

「何だ!」

「そういや俺ら、服洗って乾かしてる最中だったんですけど、置いてきちまいました! どーしますー? 大したもんでもねーし、別にいらねえっちゃいらねえけどー!」

 アカンザさんの返答は早かった。

「よし、走ってすっきりしたし戻んぞ!」

「おー!」

 ……このノリが、私には本当にわからない……。





「気分は落ち着いたか?」

 皆から少し離れた草の上に下ろしてもらった私は、ぼんやりとお馬さんや肌色を眺めながら考えていた。いや、決して肌色は凝視したりしてない。むしろピントは合わせないようにしている! ……はは、誰に言い訳しているのだろう。

「ディディエスさん、私の言うこと、そんな間違ってましたかねえ?」

 胸の辺りに穴が開いてしまったような空しさがある。理解の得られない思想は異端でしかない。熱くなり過ぎちゃったかな。何だか少し疲れた。移動すると足とか腰とかにくるしね。残りの時間はゆっくりしよう。まあ、昨日とかに比べたら全然マシな揺れだったけど。

 私の隣に座った人がちゃんと外套を羽織っているのを視界の端で確認しつつ、真っ直ぐ前を向いたまま呟いた。

「私の考えがわかってもらえないのはこの際仕方ないですよね。生きてきた環境とか違いますし。……でもせめてね、喧嘩するにしても手は出さない方が良かったんじゃないかなと。アカンザさんいい人なんだから、おじさんだって話せばわかってくれたと思うんです。手が出る前に止めてあげられたら良かったのかなぁ」

「お前は……」

 横顔に彼の視線を感じる。この人は私の言葉をどんな風に受け取っているのだろう。何も言わない他の人達も、私の話は的外れだと思っているのだろうか。

 ああでも。やっぱり、このままじゃ良くないよ。アカンザさんがもういいって言っても、鼠のおじさんがわかってくれなかったとしても、双方の意見をぶつけ合うだけじゃわかり合えっこない。仲良くして欲しいと願うのは私の我侭なんだろうか。

「……私、もう一度アカンザさんに言ってみます。アカンザさんだったら、粘れば最終的には好きにしろよって言ってくれるんじゃないかと思うんです。私は辛いのは嫌。苦しいのは嫌。今の状況は胸が痛いです。だったら、少しでも痛くないように私なりに戦いたい」

 立ち上がろうとした私の手を、ディディエスさんが掴んだ。中途半端に腰を上げた体勢で見下ろした先の表情に、私は息を飲んだ。

「お前は…………」

 ディディエスさんが、笑っている……? いつも無表情かそれに近いくらいで、何考えてるか読ませないこの人が。目元を和ませ、唇の端を僅かに上げていた。その目がどこか寂しげな色を含んでいるように感じられるのは何故だろう。続く言葉をなかなか口にしようとしない彼に、しかし私は沈黙など気にならないほど、初めて見たその笑みに見入っていた。

 やがてディディエスさんはすっと視線を下ろし、唇を開いた。

「それほどに愛しているのだな……長を」

「……………………へ?」

 思わず目が点になる。何の話?

「長を悪く言われたくないのだろう? 別に隠さなくてもいいが、俺に対して想いをぶつけられても、何と返事をしたものか」

 そう来たか!!

 急に中腰になっていることが辛くなり始め、私はストンとお尻をついた。そして自分の言ったことを振り返る。別に私、アカンザさん愛してる! とか言ってない……。

 また馬族的思考の暴走かと肩を落とした私に、彼は更に言葉を連ねた。

「白い馬が好きか」

「好きですけど。それが何か」

「だろうな。お前は大層、俺の人型時の額の毛を気にしていた」

 もう片方の手で毛先をいじってみせる。悪いけど全然違うよ……それは天然かと疑っただけだよ……。

「別に白が好きだからとか、そんなんじゃないですからね? 勘違いしないで下さいよ、私は黒い馬だって大好きです」

 そう言うとディディエスさんは嬉しそうに笑みを深めた。申し訳ないが白かろうが黒かろうが、勝負に勝ちやすい馬だったら何だっていい。また何か勘違いされたら堪ったものではないので、私はこの際はっきり伝えることにする。

「いいですか、はっきり言わせて頂きますけどね。私が好きなのは、馬は馬でも同じ所をぐるぐる回っているお馬さんなんですよ」

 競馬なんて言ったってわからないだろうから、わかりやすい易しい表現で先手を打った。回転木馬すらないこの世界だ、どうだ、わかりやすかろう。

 胸を張った私だが、目を丸くした彼の言葉に凍りつくことになった。

「それは単に進む方向を決めかねているか、感覚に異常をきたした病気の馬だ。あえてそれが好きとは……凄まじく偏った好みだな……」

 健康ですまないと謝ってくるので、私はぶんぶん首を振って否定した。違うから! 何が悲しくて特に病気の馬が好きとか!

 ああ、もう……。脱力感に、気張っていた心がぐずぐずに解けていくのを感じる。

 そうだよね、私別に救世主とかじゃないもの。何の力もないただの落人だもの。元の世界では社会人だったけど、今は立派な職業、無職。フリーターですらない喋るお荷物、あるいはエセジョッキーか。他の落人さん達がやっているような、獣人のお世話すらできやしない。でもいいじゃない、やれることを精一杯やってれば。できなかったらその時また考えよう。異世界でどこまで通じるかわからないけれど、少なくとも仕事で鍛えた営業スマイルだけは全世界共通で使用可能だと信じたい。笑顔と元気さえあれば、人生辛くても何とかなるもんだ。

 よし、と気合を入れて立ち上がった私を見上げたディディエスさんが、ぽつりと呟いた。

「俺は約束は守る。だからお前も」

「はい? 何です?」

「……いや、気にするな」

 そう言って首を振る。何が言いたかったのかさっぱりだが、気にするなと言うのだから今でなくてもいいのだろう。必要なら何が何でも言ってくるはずだ。

「長の説得に行くのだろう。俺も力になろう」

「ありがとうございます。頼りにしてます」

 今はただ、アカンザさん攻略のためだけに頭を使おう。時間が経てば経つほど、おじさんへの謝罪の意味が薄れてしまう。

 ディディエスさんが立ち上がり、私の背を押して歩き始めるのを感じている間、私はない頭をフル回転させて思考に没頭していた。


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