疾走
やってきたのは身なりのいい青年だった。中世の小間使いみたいなベストを着ている。長いこと走っていたのか、玉のような汗が額に浮かんでいた。
「ふう、ふう……良かった、まだいてくれた」
いてくれた?
私達が顔を見合わせていると、息を整えた彼はきょろきょろと私達を交互に見返した。
「あ、あれ? 馬族の人だけですか?」
はい? 知ってて話し掛けてきたんじゃないの?
ディディエスさんが固い声で「そうだが」と答えると、青年は頬を押さえて叫んだ。
「えええええ! そんな、鳥族の商人さん、帰っちゃったんですか!? 一緒にいるって聞いて来たんですけど!」
「え、あ、はい……さっき別れたばかりですけど……」
教えるとムンクの叫びそのものになった。なんかこの人倒れそうだな、と思っていると、本当にふらふらとよろめいて門番の一人の肩にしがみついた。
「そ、そんな……そんな……」
何やら尋常でない出来事が発生している模様。私達が目当てではないようだし、もう行ってもいいだろうか。薄情かもしれないけれど、下手に首を突っ込んで場を掻き回すだけなら、最初から断った方がいい。
去るタイミングを計っていると、彼が急に「そうだ!」と大声を上げた。
「この際、貴方達でもいいです。いや、よくないけど、でも一緒に来て下さい!」
「は、はあ!?」
驚いている間にガシッと両腕を取られた。絶対離す気はない、というように指が肌に食い込む。あまりの強引さに絶句していると、すぐにディディエスさんが間に入ってくれた。
「待て、勝手に話を進めるな。まず長を通せ」
「あーもう、時間がないんです! 貴方達の長はどこですか!」
マジ勘弁して下さい……。
アカンザさんに引き合わせてみたものの、青年の話はよくわからなかった。
「大変なんです! ジェラール様の所に来て下さい!」
理由を聞いても「早く」「急いで」って言うばかりで話にならなかった。かなり焦っているようなので落ち着かせようと試みたのだけれど、泣きそうな顔をして私を引っ張っていこうとする。私の腕は未だに掴まれたままで、ここに残りたい旨を各々に訴えたがことごとく無視された。つくづく思うが、皆もっと私を労わるべきだ。ストレスでハゲたらどうしてくれる。
青年がジェラール様のお屋敷の人だということはわかったが、一国の主のピンチに、私達が出て行って何ができる?
「チッ、仕方ねえな。こっから鼠んとこの屋敷まではそう遠くねえ。おいディー、てめえも来い。他の連中は明るくなってから屋敷に向かえ!」
え、行くの!?
「了解です、長」
同行を願い出る人も何人かいたけれど、アカンザさんはそれを一蹴した。
「話を聞きに行くだけだ。心配すんな」
「ちょっと待って下さい。あの、本当に行くんですか?」
「あ?」
立ち塞がるように割って入った私に、アカンザさんが怪訝そうな顔をする。
「だって、外は真っ暗なんですよ!」
「それが?」
それが、だって? 本気で言っているらしいことが信じられなかった。
「だって、灯りもないのに……」
確かに走るだけなら夜でもできる。月も出ているから、完全な暗闇というわけではない。だが、考えてもみてほしい。ここは現代のアスファルトで舗装された道路なんてない。足元には石ころが普通に転がっているし、変に轍の跡がついて凸凹している場所だってある。そんな中を駆ければ、果たしてどうなるか。明るい内なら気を付けることもできるのだろうが。
ああ神様、どうしてこんなにタイミングが悪いんですか。あと少し、この鼠さんが早く来てくれていれば、今頃私達は休む支度を始められていただろうに。
ランプを渡してしまったことが再度悔やまれる。馬族は松明なんて持っていない。日の出と共に移動し、日没と共に就寝の原始的生活に必要不可欠な品ではないからだ。
けれどもアカンザさんはいつものように笑って言った。
「心配すんな、何も荷物を運ぼうってんじゃない。おら、時間がねえんだろ」
馬になったアカンザさんに倣い、ディディエスさんも馬の姿に変わった。長がこう言う以上、もう反対などできなかった。私は散らばった服を拾い集め、布袋に押し込んでから背中に乗せてもらった。鼠族の青年も一緒に乗りたがったのだが、「お前は自分の足で来い」と拒否されてしまった。
「行くぜ!」
アカンザさんの後に続いて駆け出す。急いでいるからか、それとも周りが見えない恐怖からか、いつもより振動が強いように感じられた。外していなかった髪飾りが飛んでいきそうになり、慌ててポケットの中に入れる。せっかく貰ったものだもの、無くしてしまったら泣く。
神様神様、どうか無事に辿り着けますように! 落馬とか絶対嫌です!
遠くないとアカンザさんが言っていた通りに、ジェラール様の住むお屋敷には割合すぐに到着することができた。私達を呼びに来た鼠族の青年はまだしばらく来れないだろう。
何しに来たと言わんばかりの門番に事情を説明すると、渋々中に通された。そんなあからさまに嫌そうな態度取られると地味に傷付く。馬で悪かったな。アカンザさんも不機嫌な表情を隠しもしないから、おあいこなんだろうけど。
背筋をピンと伸ばした亜麻色の髪のメイドさんに案内された先にあったのは、何だかやけに可愛らしい部屋だった。お伽噺のお姫様のお部屋と言えばわかってもらえるだろうか。ピンク色の壁紙に天蓋付きベッド。猫足のソファーに無造作に置かれているクッションには白いレースの縁取りが。
まさかここ、ジェラール様の部屋とか言わないよね!?
内心びくびくしていると、ベッドを覗き込んでいた後姿の一つが振り返った。鼠族が保護している落人、百合さんだ。
「あれ、確か……」
「あ、ども。お久しぶりです、雪乃です」
顔を合わせたことは二、三度しかないし、会っても挨拶程度の間柄だから、久しぶりの再会といってもこんなものだろう。百合さんはさっぱりした物言いをする人で、私はそんな彼女が結構好きだ。仲良くなれたら話も合うんじゃないかと密かに思っている。
「鳥族にお願いするって話じゃありませんでしたっけ?」
彼女は亜麻色の髪のメイドさんに確認するように、一つ首を傾げた。
「どうやら彼は失敗したようです。それで代わりに来て下さったとか」
「そうなんですか」
この温度のないやり取り。相手の言葉の真偽を見定めようとするかのような、冷静な眼差し。百合さんとこのメイドさんはそりが合わないらしく、よく衝突しているらしい。働く女の戦い、私がまだ元の世界にいた頃にたくさん見てきたものの一つだ。ふと懐かしさと不安が胸を過った。私、元の世界に帰れてもちゃんと仕事に復帰できるだろうか。
「で、あたしらに何か用か鼠」
若干苛立った様子でアカンザさんが言うと、ベッドサイドの大きな塊も振り向いた。それはやはりこの屋敷の主、ジェラール様だった。二十歳ぐらいの見目の良い青年だ。以前百合さんにカッコいい人だねと言ったら、へたれだけどねと返された。付き合いの浅い私達馬族にそんなところは見せたことはない。現に今も、若干疲れを滲ませた顔をきりりと引き締めている。
「わざわざ来てもらってすまない。実は、急ぎ運んでもらいたいものがある」
私達は顔を見合わせた。
「こんな夜にかよ?」
「なるべく早い方がありがたい。無理は承知で、頼みたい」
ディディエスさんが記憶を掘り起こすような顔をした。
「返事は中身を確認してからだな。特に割れ物は要注意だ」
覚えてたんだ、偉い! 何だか色々あったせいで、忘れられているかと思った……というか、言った私が忘れてた。
「いや、割れ物じゃないから安心してほしい。運んでほしいのは……妹、なんだ」
アカンザさんとディディエスさんが揃って難しい顔をした。ディディエスさんがこそりと囁いてくる。
「ユキノ、生ものは割れ物に含まれるだろうか?」
「いや、含まれないでしょ」
「では、放り投げても大丈夫だな?」
「判断基準そこ!?」
メイドさん二人の視線が恐ろしくてそちらを見られなかった。ジェラール様の妹様をだよ、もし怪我なんてさせたらだよ。下手しなくても鼠の国には立ち入り禁止ですよねー……。
「ほ、放り投げる……君達は普段どんな方法で荷を運んでいるんだ?」
ほら、ジェラール様の口元が引き攣ってる。アカンザさんは髪を掻き上げながら億劫そうに答えた。
「どーやってって、普通に走ってに決まってんだろ」
「途中で崖を飛び越えたりはするかもしれないが」
「大抵そこで割れちまうんだよなあ」
「いくつか落としても気付かないことも多いしな」
鼠の国のお三方は固まってひそひそと相談し始めた。止めておきましょうよ、と声が漏れ聞こえる。うん、不安だよね。私でも猛烈に不安になるよ。
あふ、と欠伸をしたアカンザさんが眠そうな目をしながら言う。
「心配しなくても、今日はもう荷物を運ぶつもりはねぇんだがな。第一何で今なんだよ。明日にしろよ」
ジェラール様は苦い顔をベッドに向けた。ここからでは見えないが、話の内容から推測するに、そこに妹様がいるものと思われる。
唐突にパッとベッドが光を放った。
「は!? 何これ!」
何なに何なの、一体どういう状況!?
「ああ、お嬢様……!」
亜麻色の髪のメイドさんがベッドに縋りついた。
私はディディエスさんの脇腹を突いて説明を求めた。が、どうやら意図が伝わらなかったらしく、お返しとばかりに突かれ返された。ムカついてその手を叩き落とす。
興味なさげな馬族二人に代わり、私は恐る恐る訊いてみた。
「あの……何が起こってるんです? それで、妹様をどこに運びたいんでしょーか……?」
鼠世界のWanda様に敬礼!
何か違う箇所があったらごめんなさい(滝汗)。