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仕事11

 さてディディエスさんの首尾は、と。

 おばちゃんに抱き着かれて、彼は無表情で膝立ちしていた。豊満な体型のおばちゃんにぐいぐい締め付けられて息を詰めているのが見えた。私が意識を向けたのを敏感に察知したらしく、こちらに顔を向けて助けてくれと訴えている。表情筋は動かない人だけど、目はとても感情豊かだ。

 ごめんね、あともうちょっと頑張って。

 口パクで伝えると、視線が胸元のおばちゃんに落ちた。ちょ、前髪、そんなしょんぼりしたように垂れ下がらないで!

 集中集中、私は私がやるべきことをしなければ。

「朝、起きて」

 独り言兄ちゃんを攻略しようとしていた私は、真横から飛び込んできた囁きに心底驚いた。ドキドキする心臓を抑え、声の主を見る。

 奇行が目立つのであまり意識していなかったが、灰色の巻き毛の、そこそこ顔の整った人だ。ちょっと遊んでる風なんだけど、案外メガネとかかけても似合いそう。服装も白いワイシャツに黒いパンツルックとシンプルだけど、オシャレ心があるようで、下品までいかない程度に胸元を空けている。あー、シルバーアクセとか絶対合いそう。

 兄ちゃんはじっと小さな芸術品を見つめていた。酒場で会った時に浮かべていた笑みはなく、真剣な表情だ。そして時折ぽつりぽつりと独り言を口にする。内容はやはり朝起きて何をしたかを繰り返すのみだったが、不意に鼻歌を歌い出すこともあった。

「…………起きて、歯磨いて……いや、起きて、顔洗って」

 正直、これに声を掛けるのはちょっと……。ここが日本だったら警備員呼んでるレベルかも。間違いなく要注意人物として日誌に書くな。

 マシューさんを窺うと、ひょいと肩を竦められた。

 それにしてもこの人、隙がない。本当に凄い集中力で自分の世界に浸っている。

「輝き。小さな……努力。いや、努力の結晶」

 見守る私達の前で、彼が絨毯の上に屈み込んだ。今までと違う言葉を喋ったかと思えば、節くれだった細い指がシルバーのブレスレッドを拾い上げる。

「星。夜空……星の一つ」

 プレートに鎖が付いている物なんだけど、そのプレート部分に星のマークが刻まれている。

 すっと目を動かした彼は、マシューさんを見て。

「これ、いくら?」

 お、おおーーっ!?

 マシューさんが値段を告げると、兄ちゃんはようやく初めて会った時みたいにへらっと笑った。品物を受け取った彼は一度私をじっと見て、ふらふらと去っていった。

 完全に視界から消えた後もしばらく言葉が紡げない。先に沈黙を破ったのはマシューさんの方だった。

「鼠族にしては……変わった奴だったな」

「そう、ですね……。なんか、私の出る幕が全くなくて……」

 ハッとした。私の出る幕がなかった、ということはだ。

「ね、あのお客様、ディディエスさんのお手柄ですよ!」

「は?」

 そうなのだ。だって、ここまで彼を連れてきたのはディディエスさんなんだもの! やった、最低ラインクリア!

 興奮気味に捲し立てる私を、苦い顔で見下ろすマシューさん。

「連れてくるのだって私ノータッチでしたよ! 私ならもっと違う人をターゲットにするってマシューさんだってわかってくれるでしょう?」

 ね、ね、ね、と腕を掴んで揺すると、苦い顔で制止された。

「何にせよ、判定は最後の客が帰ってからだ」

 私達の視線は一つに向かう。

 ディディエスさんはもう接客どころではなくなっていた。首に抱き付かれ、頬にぶちゅっぶちゅっと熱烈なキスをお見舞いされている。最早彼は本気で嫌がっており、逃れようと足掻いている有様だった。……何があった。

 ふふんとマシューさんが鼻で笑う。

「馬鹿め、酔っ払いに真面目に付き合うからこうなるんだ」

「あー……」

 ごめん、それ私のせいだ。どうすればいいかと聞かれた時に、『あの人の話を親身になって聞いてあげて下さい』ってお願いしたから。

 接客能力なんて彼に期待してなかったから、取れる方法はこれしかないかなと思った。人は親切にしてくれた相手に心を開く。だからできるだけおばちゃんの警戒心を取り除いて、ディディエスさんは信用できる人なんだって思ってもらってから、私の髪に髪飾りを付けた時のように商品を勧めてくれと指示したのだ。色々と良くしてくれた相手の誘いを断るのって難しいじゃない、それと同じで、安くていいから何か買ってくれないかなと期待していた。ディディエスさんは真面目だから、可能な限り真剣に、おばちゃんの話に耳を傾けたに違いない。たとえ内容が一切頭に入っていなかったとしても。

「お兄さん、あんたよく見れば男前じゃないか」

「お前はとても可哀想だ」

「あたしだって昔は、そりゃあ、あらゆる男達が入れ代わり立ち代わり、あたしに会いにやってきたもんさ」

「哀れだ。時の流れは残酷だ。わかったから離せ」

「その中でも、旦那は特に熱心に通ってきててね。最初は全然相手にしてなかったんだけど、そのうちちょっといいかな、と思っちまったのさ」

「熱心だな。とても熱心だ。わかったから離せ」

「それが今は……今は……!」

「今とは現在だな。わかったから離せ」

 何これ、相槌が適当になりすぎててちょっと笑えるんですけど。

 どうやって助けてあげようか、それとももうちょっと見ていようか。そう迷っている間のことだった。

「何だい、あんたもあたしの話なんてどうだっていいって思ってるんだね!? この、……ええい忌々しい顔! こうしてやる!」

 ガッと音がするくらい顔を挟んで固定されたかと思えば。

 ぶっちゅうううう。

 マシューさんが、あーあと言わんばかりに手で顔を覆った。

 ディディエスさんの髪の毛が一瞬にして逆立っていた。

 きゅぽんとリップ音をさせて彼女が離れると、ディディエスさんの身体が静かに後ろに倒れていった。

「迷わず逝けよ……」

 こらマシューさん、合掌するな。

「ごちそうさま。お兄さん、馬族だろ? またこの街に寄ることがあったら、あたしの家においでよ。家はそこの道を曲がって真っ直ぐ進んだ所の――」

 倒れた彼の手に何かを握らせると、手にもキスを落として撫で回してから、ようやくおばちゃんは大きな身体を揺らしながら立ち去った。

 こうして、尊い犠牲を出しつつも私達の勝負は終わりを告げたのである――。


 放心していたディディエスさんを起き上がらせ、問題の拳を開かせてみると、硬貨が何枚か出てきた。マシューさんに確認してもらうと、はした金ではあるが彼の商品の中の一番安いピアスが買える程度にはあるという話だった。

 何と言ったらいいものかわからず、とりあえずお疲れ様でしたと労ってみれば、またしてもしょんぼりと俯いてしまった。

「え、えと……それでマシューさん、この勝負、どちらが勝ちですかね?」

 これ以上彼の傷には触れず、あえて話を進めてみた。私としては赤鬼おじさんが結構いい線いったと思うんだけど、結局のところどうだったんだろうか?

 マシューさんは腕組みをして難しい顔をした。

「はあ、全く……あんたは一体何なんだ。俺は一週間いたんだぞ? 何故嬢ちゃんが来た途端にいくつも売れ始める」

 それはまあ、ご愁傷様としか言いようがない。私には早く走る足や、風を切って飛ぶための翼はないけれど、鼠さん達を怖がらせる要素はないし、仕事で培った接客技術がある。ま、大して使ってなかったけど!

 勝った? 勝った?

 期待を込めて見つめていると、マシューさんはにやりと笑った。

「……残念だったな、まだ足りない。あんたらの負けだよ」

 ぐっと喉が詰まるような不快感。私が負けたの? 本当に?

 でもすぐに、マシューさんは嘘を言っていないはずだと言い聞かせて動揺を隠した。勝負する前、彼の商品を一通り私は見たが、その中で特に高そうな物の一つがこの"雪の花"だったのだ。だからこそ褒美にこれを指定したりもした。

 負け……という言葉が頭の中をぐるぐる回る。何か、何かないか。このまま負けずに済む方法。

「じゃあ、約束通りこのランプはまず頂きだ」

 絨毯の上で商品を照らしていたそれをマシューさんが持ち上げた。ランプは勝負続行の条件に入っているので、これは何があっても取り返すことはできない。せめて損失はこれだけにしたかったのだが……。

 目の前に掲げ、表面に描かれた模様や持ち手の部分の確認を終えたマシューさんは溜息をついた。

「安物だな。ま、質はそこそこってところか。制限時間を伸ばしてまで手に入れる価値があったかどうかはわからないが……」

 ――――!

「待って」

 気付けば私の口は勝手にそう動いていた。

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