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小夜歌  作者: 齋藤十二
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第五話

第五話


ここから一番近い集落は、我々の足で一週間の距離にある。

昼間は50度にもなる高温となるが、深夜には氷点下まで下がる。しかも夜であっても雨天の時は30度超という不快極まりない熱帯夜となる。これが、ほとんどの地域の、クソったれな天候だ。


それでも、俺がガキの頃はここまで酷くなかった。

変化が目立ち始めたのは、地球の人口が増えるところまで増えて、どいつもこいつもが、過剰な豊かさを一斉に求めだしてからだったと思う。要するにこの星のキャパシティーを超えたんだろう。そんな風に俺は漠然と思っている。実際の理由なんぞ、俺は知らねえし、本当は人類がどうなろうと関係ない。俺だけがイイ目を見られれば、極端な話、どうだっていい。


成り行き上成立した、極上の美女との夢のアウトドア生活だが、そんなこんなで、かなり過酷なものだ。


風呂はおろか水浴びすらできない環境ゆえ、昼間の汗と脂と砂ぼこりで特に俺は見るからにべたべたと不潔なナリをしている。一見爽やかに見えるショーにしても、実際は似たようなものだ。とはいえ、そういう環境下でのセルフケアにもコツがあるようで、悔しい事に、やはり俺よりは遥かに爽やかな印象を与える。


旅慣れし、見るからにタフなショーは、黙ってその劣悪な環境に耐えるのは分かるにしても、驚くべきはマーカラだ。同じ環境下にあるはずなのに、彼女には汗の気配が感じられなかった。道行きの砂ぼこりも、サラサラと手で軽く叩けば消え落ちてしまう・・・そんな印象を受けた。


ガキの時分には、女に夢と幻想を抱く時期もある。だが大人になりゃどんな美しい女だって、俺たちと大差ない肉体を持つ生き物だと分かってくる。だが、マーカラの浮世離れした立ち振る舞いを見ていると、そういう前提が崩れていきそうになる。正直、何か妖精でも見ているような気がしたのだ。我ながらガキっぽいとは思うが。


もっとも、それはモテなかった俺が、あまり女慣れしていない所為なんだろうと思う。ショーに言わせれば「驚いた、彼女はかなり旅慣れしているのが分かる」だそうだから。


俺はといえば、荒んだ生活をしてきたのは確かだが、インフラの整った都市の貧民街での生活しか経験が無い。惨めではあるが、命の危険のある過酷な環境とは言い難い。だから当然のことながら、ここ数日の旅で一番ヘバッていたのは俺だった。歩く速度も、一番遅い俺に合わせて移動する始末だ。


何とか二人に置いていかれないよう必死に歩き続けて数日が経過した。


その夜は穏やかだった。

ショーが手際よく起こした焚火に当たる。

近くに質の良い水源があったことから、マーカラが手持ちの荷物にあったコーヒーを淹れてくれることになった。ただ、彼女自身は本当は紅茶が好きらしい。

・・・と、その程度の事は話すようになっていた。


マーカラは感情の起伏が少なく淡々としてはいるが、他者とのコミュニケーションが出来ないわけではない。むしろ性格のひん曲がった俺よりも、ずっと巧みに対応できるようだった。


そして20代前半であろう若さに似合わず、何か全てに諦観し、落ち着いた静けさのようなものも感じる・・・この静けさの正体は一体なんだろう?ふと俺はその事を思うと、胸の奥に不思議な疼痛のようなものを覚えた。あれが何だったのか、俺には最後まで分からなかったが。


「・・・ところでマーカラ」

「俺はアンノーを一番近くの空港がある街まで送るつもりだが、君は何処まで行く?」


ショーが尋ねるとマーカラは、少し考えて「その時決めるわ」と軽く言う。


「目的地はないの?」


「ええ、とりたてて」


彼女のやりとりは、総じて、そんなスタンスだった。

ただ、淹れてくれたコーヒーは、正直言ってあまり上手い淹れ方ではない様だ。

貴重な豆が勿体ないので、次からは、俺が淹れようと思う。

浮世離れしているが、苦手な事もあるのだと、当時、妙に俺は感心したものだ。


それから数日して、最寄りの集落に辿り着いた。

マーカラのおかげで、自覚無く殺人ウィルスをこの集落に持ち込まずに済んだのは幸運だった。物資の補給と共に、この集落で一泊することにした。

人口は千人くらいの、そこそこ大きな集落だ。大きくは無いが立ち寄る者に対する宿もある。


ショーが宿代を交渉している。

手持ちに比べて予想以上に宿代が嵩むらしい。

その様子を眺めていたマーカラは、一部屋で十分ではないかと言いだした。

俺としては渡りに船だが、根っからの紳士であろうショーは躊躇った。


「いや、さすがにレディーと同室ではなぁ」

本気で言っているあたりが、持って生まれた人間性なのか、育ちの良さなのか、俺には判別できなかった。少なくとも俺なら、これほどの美女がそう言うなら、即決するのだが、力関係ならショーが上だ。奴の意向に従うしかない。


「でも、手持ちが心許ないのよね? わたしも同じだわ」

いつもながらマーカラの物言いは淡々としている。


宿屋の主人は興味深げに、そのやりとりを眺めている。時折マーカラの美しい肢体を、目で追っているのが分かる。


ショーとマーカラが軽く遣り取りするうちに、ショーが財布を睨んで「ううむ」と絶句する・・・勝負あったようだ。


「じゃあ、中部屋ひとつお願いね」

マーカラは宿屋の主人に言う。主人は好色な視線を隠そうともしない。さっきまで似たようなことを考えていた俺だが、その表情に少しムッと来て、自分の事を棚に上げ、文句の一つも言ってやろうかと思った瞬間「ふふっ」とマーカラが軽く吹き出した。


それは下種な宿屋の主人への怒りなどではなく、本当に単なる無邪気な失笑だとすぐに分かった・・・分かったのだが、宿屋の主人の顔は、何故か青ざめていた。


そもそも邪心の殆どないであろうショーや、つまらない事はまるで歯牙にも留めなさそうなマーカラは、気にもせず借りた部屋へ入って行ったが、自分と同種の宿屋の主人が何故そんな表情をしたのか気になって、思わず尋ねた。


「・・・おい、あんた」

「あの女は怖ぇ・・・老婆心ながら言っておくぜ」

「・・・くれぐれも、気を付けな」


それは、主人の小馬鹿にされた故の怒りではなく、本心からの警告のように俺には思えた。だが、何故そこまでマーカラを怖がる必要があるのか、全く理解できなかったのも確かだった。


部屋には簡易だがシャワーもあり、まず先にマーカラに浴びてもらうことになった。お目付け役のショーの監視があるせいで、覗き見することは不可能だった。

続いて俺たちもサッパリさせてもらうことにし、その後夕食を食った後、誰が何処で寝るかで、ひとモメした。ショーが床で寝ると言い出し、自分だけベッドは悪いとマーカラは言い、立場の弱い俺は何も言えず・・・結局くじ引きとなって、俺が床でショーはソファー、マーカラがベッドという、分相応の待遇に落ち着いた。


そんな、大昔の平和な時代の学生みたいなことを、俺たちは自覚の無いままやっていた・・・思い返せば、俺たちにとって、短くとも、本当に幸福な時間が流れていたのだと、今になって気付く・・・・そして気付いた時には、もう遅すぎるのだと。


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