第3話:火種
第3話:火種
■神谷 悠 視点
「再生数、伸びてきたな……」
北欧の夜。静寂に包まれた部屋の中、神谷悠はノートパソコンに映る動画再生数をじっと見つめていた。
5万、10万、30万――急速に数字は跳ね上がっていく。
だが、その顔に浮かぶ表情は、喜びとも達成感とも違っていた。
「これは、ただの前座だ。ほんの火種……」
再生されているのは、匿名アカウントによって投稿された動画の一部。
当時の大学構内、人気の少ない研究棟の裏で、青年が数人に囲まれていた。
「逃げんなよ、神谷。カメラ回ってんぞ?」
動画の中の悠は、抵抗することもできずに立ち尽くしていた。
その髪に、黒瀬がライターを近づける。
焦げる音、軽い笑い声、そして――
「もっと面白くしろって、翼が言ってたよな!」
悠は画面を止めた。
何度見ても、あの瞬間は手が震える。
恐怖が、怒りが、恥辱が、胸に渦巻いては、すぐに氷のような冷静さで凍らされる。
「あのとき、俺は死んだ。だけど――」
目を閉じる。
その奥で蘇る、焼け焦げた自分の髪の匂い。笑われる声。携帯で撮られた音。
「……だからこそ、今、生きてる」
悠は別のウィンドウを開いた。
そこには、あの日の動画ファイルだけでなく、安藤智也の手による編集前の生データもあった。
日付、GPS情報、映っている人物、すべて詳細に記録済み。
(次は、安藤。記録者にして、観察者。そして共犯者)
悠はゆっくりと、SNS投稿用のテキストを書き始めた。
《撮った人間もまた、見て見ぬふりをした共犯者だ》
その言葉の下に、1枚のぼやけたスクリーンショットを添える。
安藤の顔の半分が映り込んだその写真は、まだ決定打ではない。
だが、ネットのユーザーたちは徐々に真実へと近づいていくだろう。
「火種は、撒いた。あとは、誰が燃えるかだ」
悠はカップに注がれたコーヒーをひと口啜ると、ディスプレイに背を向けた。
■安藤 智也 視点
「な、なんだこれ……」
部屋にこもっていた安藤智也は、SNSに投稿された動画と画像を見て、目を見開いた。
自分の名前はまだ出ていない。だが、あの写真、あの構図――
(あれ、俺が撮ったやつだ……間違いない)
大学の研究棟裏で撮ったあの日の動画。
高城が笑い、芹沢が煽り、黒瀬がナイフをちらつかせ――
自分は、その全てをスマホのカメラ越しに見ていた。
「俺は……やってない。ただ撮っただけだろ?」
呟いても、心の奥に沸き上がるのは焦りだけだった。
当時は、何も感じていなかった。ただの悪ノリ、冗談の一環。
「けど……なんで神谷、こんなに……」
安藤のスマホが震える。
画面には、大学時代のLINEグループからの通知。
【翼】「おい、見たか?あの動画……やばいって。誰が流した?」
【黒瀬】「ふざけんな、全部バレるぞ。あれ誰が撮ってた?」
【一ノ瀬】「安藤だろ?お前のスマホだったよな?」
(終わった……)
安藤の中で、何かが音を立てて崩れた。
仲間たちは自分を守ってくれるどころか、最初にスケープゴートにしようとしている。
「そうか……そうだよな。俺が撮った。けど、俺だけのせいかよ……!」
怒りとも悔しさともつかない感情が口から漏れる。
だが、手は震えていた。心臓の鼓動が異常に早くなる。
パソコンを開く。保存していた動画データを確認する。
そこには悠が泣きながら土下座し、ライターを向けられている映像がはっきりと残っていた。
「……消そう」
安藤はごみ箱にドラッグし、すぐにデータを削除した。
だが、その瞬間、LINEがまた震える。
【Unknown】「データはもう頂いた。ありがとう、安藤君」
「……は?」
知らないアカウントからのメッセージ。添付されたのは、自分のパソコン画面を撮影した画像――
今、動画を消す直前の画面だ。
「なんで……誰だよ……なんでわかるんだよっ!」
安藤は叫んだ。
だが、答えはどこにもなかった。
唯一、聞こえてくるのは――
《記録者も、また裁かれる》
その言葉だけが、画面に残されていた。
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