第30話:裁く者
第30話:裁く者
■神谷 悠 視点
その朝、神谷悠は笑っていた。
久しぶりに、心の底から「嬉しい」と思ったからだ。
PC画面には、ある投稿動画が再生されていた。
そこには、女子高校生が涙を流しながら語る姿があった。
「私は、殺される前に“名前”を出します」
「先生が黙っていたこと、クラス全員が笑っていたこと、
——全部、ここに残します」
その声は震えていたが、決して弱くはなかった。
神谷は、静かに呟いた。
「……今日、嬉しい知らせがあった。
同志が、声を上げた」
彼は動画を即座に編集し始めた。
テロップには、次のような言葉が並んでいく。
「お前達は獲物じゃない。狩人だ」
「“どうせ死んだ命”なら、有効に使え」
「黙って殺されるくらいなら、自爆しろ」
「これは生存競争だ」
撮影が始まる。
画面越しに悠は話す。
「今日、ある高校生が“勇気”を持って声を上げた。
その姿勢が、すべてを物語っている」
「一方で、テレビでは“やりすぎだ”“自殺者が出た責任をどう取る”と報道されていた。
——くだらない。死んだ命に価値を与えられるのは、“記録”と“叫び”だけだ」
「泣いて葬るな。使え。
痛みを、社会に刻め。
君たちは“ただの生贄”じゃない」
「狩られるだけの存在じゃない。狩人だと、知らしめろ」
動画は30分で拡散され、1時間で20万再生を突破した。
■報道メディア側視点(朝のニュース番組)
「最近、神谷悠の影響を受けたとされる投稿者が急増しています」
「その中には、明確な加害者の名前を挙げる者、学校や企業名を出すケースもあり、
“社会的制裁”の是非を問う声が出始めています」
画面に映る識者は語る。
「正義と復讐の境界があいまいになっています。
被害者に寄り添うことは重要ですが、
“公私の報復”は冷静に線引きすべきです」
しかし、コメント欄では別の意見が支配的だった。
《神谷がいなかったら、今の社会は何も動かない》
《加害者が被害者ヅラするな。やりすぎ?むしろまだ足りない》
《叫んでくれてありがとう。私もあの日、声を上げられなかった》
テレビの論調と、ネットの反応は、完全に乖離していた。
■いじめ被害者(高校生・動画投稿者)視点
彼女の名前は梨央(仮名)。
何度も死のうと思っていた。
自分を助けてくれる大人も友達もいなかった。
でも、神谷悠の動画が、最後の支えだった。
「私も、誰かの“記録”になる。
死ぬんじゃなくて、“残す”んだ。
そう思えた」
彼女は今、別の学校に転校し、記録をもとに行政へ相談している。
訴訟の準備も進み、支援団体からのサポートも得られた。
彼女の笑顔は、かすかに揺れていたが、
確かに“希望”という名の光を帯びていた。
■神谷 悠 視点(締め)
悠は、画面の向こうで呟いた。
「誰が“正義”を決める?
それを決めるのは、裁判官か?社会か?テレビか?」
「——違う。
“痛みを知った者”だけが、“語る資格”を持つ」
「そして俺は、語る側だ。
今までも、これからも、“裁く側”で在り続ける」
お読みいただきありがとうございます。
よろしければ、下の☆☆☆☆☆から評価を入れていただけると大変励みになります!




