第1話:告訴の始まり
第1話:告訴の始まり
■高城家 視点
その日、高城家の重厚な門扉の前に、警察車両が停まったのは朝の9時過ぎだった。警視庁の刑事二人がスーツ姿で玄関に立つと、執事が困惑しながら応対に出た。
「高城遼様のご在宅を確認したいのですが」
その一言で、屋敷の空気が変わった。豪奢な応接間に通された刑事たちを前に、高城遼の父は渋面を保ったまま書類を受け取る。
封筒を開いた瞬間、視線が鋭くなる。
「これは……刑事告訴、だと?」
警視庁の若い刑事が淡々と説明を始める。
告訴人の名は伏せられていたが、内容は明確だった。「大学時代に行われた暴行・強要・名誉毀損行為に関する刑事告訴」である。しかも、提出された証拠は動画、音声、証言を網羅しており、法的な要件を十分に満たしていた。
「ふざけるな……これは何かの間違いだ」
父の言葉に刑事は無感情に首を振る。
「すでに複数のご家庭に通知が届いております。高城遼さんも対象の一人です」
一階の階段から姿を現した遼は、青白い顔で父を見つめていた。
彼の顔からは、これまでの余裕も傲慢さも消えていた。
「おい、お前……何かやったのか……?」
父の声は怒りに震えていたが、その奥にあるのは明らかに恐怖だった。
高城家は代々続く名門の家系。政財界とのパイプも深く、決して汚点を許されることはない。
遼は何も答えなかった。ただ、自分の過去が――記録され、集められ、刃となって突き立てられている現実を前に、口を開けなかった。
母は奥の部屋で薬を散らかした状態で倒れていた。
前夜、遼の様子から何かを感じ取っていたのだろう。
彼女は遼を庇ってきた唯一の存在だった。その母が錯乱し、薬を飲んだ痕跡を見て、父の怒りは遼へと向かった。
「お前が母さんを殺したんだ!」
怒号が屋敷中に響いた。
だが、母はまだ息があった。救急搬送される中、遼は廊下の片隅に蹲り、震えていた。
その夜、父は数人の弁護士に連絡を取ったが、返ってきた答えは同じだった。
「告訴人と連絡が取れません。所在は海外。ですが、証拠は正当なので捜査が始まります」
示談を持ちかけようにも、交渉の窓口が存在しない。
相手が誰かも確定できないのだ。
だが、遼は知っていた。心のどこかで確信していた。
(神谷……神谷悠か……)
■神谷 悠 視点
薄暗い北欧のアパートメント。
デスクの前に座る青年は、ノートパソコンの前で静かに笑っていた。
「予定通り、動き出したな」
ディスプレイには複数の画面が並び、どれもZOOMミーティングの通知を示していた。
日本の法律事務所、代理人弁護士・野々村。
警視庁の若手刑事、坂本。
そして、録画された各家庭の反応をSNSで監視する自作のツール。
「ここからが本番だ」
悠は独りごちた。彼の眼差しは冷静で、まったく取り乱していなかった。
だが、その奥底には、黒く滾る怒りが確かに渦巻いていた。
彼が日本を離れたのは1年前。大学を卒業する直前、彼は突然失踪した。
その裏で、悠は全ての証拠を持ち出し、そして計画を練り上げていたのだ。
「全部、記録してある。あのナイフ、あの笑い声、焦げた髪の匂いまで――」
デスクの引き出しから、手帳を取り出す。
その中には詳細な行動記録、SNSの投稿予定、弁護士との連携スケジュール、炎上予測、すべてが書き込まれていた。
「正義を執行するのは、国家でもなければ法律でもない。俺だ」
悠の瞳が、狂気と呼ばれる一歩手前で、冷たく光った。
■芹沢家 視点
同じ頃、芹沢家でも刑事が訪れていた。
報道を恐れた芹沢の父は、すぐさま「金で解決できるか」と尋ねたが、弁護士は首を横に振った。
「相手は金では動きません。むしろ金で動く人間を忌み嫌っています」
「そんな馬鹿な……今の若者なんて、金を積めばなんとかなるだろうが……」
そう呟いた父の横で、翼は無言だった。
彼はすでに覚悟していた――自分が壊した人間が、本気で自分たちを壊しにきているという現実を。
SNSにはまだその影が現れていなかった。
だが、嵐はすでに足音を立てて近づいていた。
そして、この「告訴の始まり」は、地獄の序章にすぎなかった。
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