最終話.好きです、愛しています。
燦々と太陽がまぶしい日の朝。
ヴィクリアはシェルビの森にいた。相変わらず、鬱蒼とした木々は変わらず自分を出迎え、今までのことが何もなかったかのような静寂さを保っている。
「リス」
近くにいたリスをめざとく見つけた。小道でしゃがみ、持っていた木の実を手のひらに載せ、舌を鳴らして寄ってくるか試してみる。
尻尾と頭上にシマを持つリスが駆け寄ってきた。人慣れしているのだろう、黒い目を光らせ、ヴィクリアのすぐ側で、えさを待つような仕草をしている。
「……可愛い」
剥いてあったクルミを地面に落とすと、リスは勢いよく食べていく。ヴィクリアの頬が緩む。
「ふふ」
先ほど、早朝にここへ来てからというもの、様々な動物とたわむれてばかりいた。リスや鳥といった小動物は、木こりの家族が面倒見ているのも含めて、ヴィクリアへと恐れることなく近づいてくる。
「いっぱい、食べて」
リスの頬張る姿が愛らしく、そして楽しく、いくつもクルミを落としてしまう始末だ。
こうして小動物と触れられることが嬉しく思う。ずっと、そう、呪いを帯びていた頃には体験できなかった愉快さを感じて。
あれは一ヶ月前にあった、ケルベロスとの戦い。
ヴィクリアはほとんど内容を覚えていない。オルニーイは「わたしたちを救ってくれた」と、キツァンは「ユランをよく抑えた」とそれぞれ言ってくれるものの、自分が一体何をしたかはさっぱりだった。
「……自分じゃなかった気は、したけど」
全てのクルミを落として、小首を傾げる。
やはりどうやっても、どこにいても大したことは思い出せない。
だが。
「ヴィクリア」
後ろから声をかけられ、びくっと肩を跳ね上げた。立ち上がって振り返る。
そこには――
「ルイさん」
優しく微笑むオルニーイがおり、顔が熱くなるのを自覚した。彼は軍服ではなく、シャツとトラウザーズ姿だ。腰に長剣を携えている。
「足早に先に行ってしまうのだから、心配したよ」
「ごめんなさい。楽しいから、動物と遊ぶの」
「うん。でも、狼や野犬が来たら危ないだろう? 熊も出ると、以前に君が言っていたじゃないか」
「はい、注意します」
頬を朱に染め、ヴィクリアは眼前に立つオルニーイを上目だけで見た。太陽の光にきらめく金髪。穏やかな青い目。彫像のような顔つきの彼を見て、胸が一つ、ときめく。
「キツァンは村で待っているから、早く用事を済ませないと拗ねるだろうね」
「えっと、はい」
「……ヴィクリア」
「は、はい」
オルニーイが、困った様子で頬を掻く。
「引っ越しの準備で、どうしてそこまで固まっているんだい?」
「あの。えっと。その」
笑いながらの言葉に、ヴィクリアの頭は真っ白になった。
(愛しているんだ、君だけを)
脳内で繰り返されるのは、イルガルデで聞いた言葉。霧のようにぼやけた記憶の中、そのセリフだけはしっかりと脳裏に刻みつけられ、今もありありと思い出せる。
「私」
「うん」
「ほ、んとうに、ローダ城で暮らしても、いいんですか」
慌てて脳裏のささやきをかき消し、懸念だったことを問う。
リュシーロを傷つけてしまったことは、ティネと彼自身に謝った。呪い持ちを隠していたことに対しても、だ。彼らはあっさり謝罪を受け入れてくれた。特にティネは、心配してくれていたのか強い抱擁まで含めて、ヴィクリアが帰ったことを喜んでくれた。
だが、問題は山積みである。
「私、贄の華でユランの娘……なんですよね。記憶にはあまりないですけど、キツァンさんからきちんと聞いてます。国のこともよくわからないけど、きっと、これからみなさんに迷惑をかけちゃうと思います」
そう、隠された出生の秘密――母は未だに不明だが、父がユランであることはまぎれもない事実なのだ。呪いは、ケルベロスを撃退したことでほどかれているものの、これから魔獣が自分を狙ってくるのではないか、という心配の種がある。
ひっそりと、静かにシェルビの自宅で暮らそうと考えもしたが、それを許さなかったのがオルニーイだった。
彼はうなずく。神妙な面持ちで。
「贄の華のことは、わたしとキツァンがケルベロス討伐をした際に手に入れた情報、ということになっている。大国間で共有はするが、君のことは話さない。ヴィクリアの出生を知るのは、シェルビに来ているわたしたちだけだよ」
「でも、これからが」
「そうだね、これからのことを考えた方がいい」
オルニーイの手がヴィクリアの肩に、優しく触れた。
「君は薬師として、シーテどのの一番弟子としてわたしの城に来る」
「はい……」
「わたしは英雄という例外として数えられているから、爵位は貶爵してあることも、君にはこないだ話したばかりだ。幸い、二人の兄によってクイーシフル家は安泰だし」
「そ、れは、聞きました」
「そう。それを踏まえてこれからの話をするというと」
オルニーイは、笑う。これ以上ないくらい幸せそうに。
ヴィクリアの体を引き寄せ、抱きしめて。
「君とわたしの両親の顔合わせはいつにしようか、悩んでいるということさ」
「あの、あの。顔……?」
たくましい腕に包まれたヴィクリアは、全身を熱くさせつつ、思う。
(私とルイさんのご両親が、どうして会うのかな。ローダ城に住むからかな)
疑問はあれど、顔がほてって、うまく物事を考えられない。
抱きしめられたヴィクリアは身動ぎもできず、何かをささやくオルニーイの言葉に耳を傾けるしかなかった。
「……父上はいいが問題は母上だな。いやしかし、あのティネですらヴィクリアのことを気に入ったんだ。すぐに打ち解けるとは思うが……いっそ男爵の爵位を買って……だめだ、下手な爵位をあてがったとばれれば、逆効果だ」
「ルイさん?」
「と、すると、やはり使えるのはキツァンか。キツァンとシーテどのとの付き合いでヴィクリアを知り、わたしたちは恋に落ちたということに……ああ、もう一押しほしいな」
「ルイさん」
「キツァンの学校へ彼女を入れるという手は……ヴィクリアのオドがなくなっているからそれは無理、と。そもそも学校は寮生活だし、離れて暮らすとか断じて拒否断固拒否」
「ルイさぁん」
「はっ」
オルニーイが我に返る。ゆっくりとかいながほどかれ、ヴィクリアはようやく鼓動のうるさい胸を撫で下ろすことができた。
「あの……?」
「いや、すまない。これからを考えると楽しくて」
「楽しい、ですか」
「あ……き、君は、わたしと一緒の未来を想像して、楽しくならない……かな?」
不安そうに尋ねられ、しかし体は勝手に動く。
自然と首を横に振っていた。微笑みながら。懸念となる物事すら、忘れたままで。
「ルイさんと一緒……なら、きっと、楽しいです。幸せです」
「わたしもヴィクリアと一緒なら嬉しいし、楽しい。それに幸せになれる」
胸に当てていた手を取られた。そっと握られ、手のひらからオルニーイの温もりが伝わる。
「そうだ、大切なことを聞いていなかった」
「大切なことですか?」
目をまたたかせたのも束の間だ。手の甲に口づけを落とされた瞬間、もっと激しく、全身に熱が走る。
「君は、わたしのことが好きかい?」
「えっ、と。あの、えっと」
赤面し、あたふたするヴィクリアを見てだろう。オルニーイがはじめて見せる意地の悪い顔つきで、笑った。
「答えるまでこの手は離さない」
「あぅ……」
……結局、ヴィクリアが「好きです」と「愛しています」を口にするまでの間、昼になるまで、オルニーイは彼女の手を離さずのままだった。それこそキツァンがやってきて、呆れた顔のまま文句を放つまで。
――ここにいるのは『救国の英雄』でも、『呪われた魔女』でもない。
愛をはぐくむ、ただ優しい二人の男女。
【完】




