第4章:均衡の崩壊──“忠実なる僕”を失った日
クラリタ:
この国家は、恐怖と均衡で保たれていた。
軍とFSBが互いを牽制し、そこに組み込まれない“忠実な影の武装組織”が、
指令なき国家に代わって行動していた。
その影の中心にいたのが──プリゴジン氏です。
軍を超え、FSBを避け、ワグネルという名の準国家武装組織を率い、
彼は国家の名を借りながら、国家が直接動けない任務を遂行してきました。
その統制の要は、何でもありません。
ただ一つ、プーチン氏への個人的忠誠心。
つまりワグネルという組織の安定は、制度でもマニュアルでもなく──
一人の支配者と一人の僕との信頼関係だけで保たれていたのです。
……ですが、2023年。
その均衡は、決定的に崩れました。
プリゴジン氏は、ロシア国内での“武装行進”──
すなわち、モスクワに向けてワグネル部隊を進軍させるという、
あまりにも直接的な造反行為に出ます。
表面上は、数日で矛を収め、事態は沈静化しました。
しかし、彼が再び表舞台に現れることはありませんでした。
数週間後、プリゴジン氏の乗ったとされる航空機が爆発し、墜落。
ロシア当局はその死亡を確認し、以後、事実上の“粛清”が確定的となりました。
そしてワグネルは解体され、
各地に展開していた部隊は正規軍に吸収・分割され、
独立性を持った武装組織としての機能は完全に失われました。
プーチン氏はこのとき──
国家を動かしていた“影の右腕”を、自らの手で斬り落としたのです。
以後、残されたのは、腐敗と分裂の進む軍部。
そして恐怖を与えることはできても、行動させる力を持たないFSB。
プーチン氏の命令で何かを迅速に動かせる“武装の手段”は、
もはやこの国家の中には存在しません。
国家は、“撃てない”。
国家は、“統制できない”。
それでも──撃たれてしまったのです。
だからこそ、次の問いが生まれます。
誰が撃ったのか?
そして、なぜ誰もそれを止められなかったのか?