鬱蒲団
放課後の屋上での、小さな惨劇であった。赤い夕日がえも言われぬ程、綺麗な日であった。
「ごめんなさい私、あなたとは付き合えない」
男は、理由を聞かなかった。聞けなかった。彼女との目線の相違が、それを許さなかった。何かを言おうとして、喉につっかえた。数秒にも満たない真空だったが、男にはそれが微妙に長く、辛く感じられた。夕日が遠い地平に溶けていった。
先に沈黙を破ったのは、女の方であった。
「あ…でも、これからも友達でいてほしいです」
とってつけたような慰めは瞬間、男の尊厳に鋭い傷を残す凶器となって、降りかかってきた。それは、チクリと刺す針のような、それでいて全てをスパンと切り裂いてしまうような、とにかく、本来誰であっても即死する程の刃渡りであった。
ただ、男はそういう場合の守備面において、めっぽう強かった。他人から放たれた刃に対して咄嗟に盾を構える、或いは避けることが人一倍得意であった。
「あ、うん。急にごめんね。」
男は自らの尊厳及び体裁を保たんとした。彼にしては随分と不格好な受け身であったが、それでも男はある程度、自らの返答に満足していた。
帰路、彼はもう薄暗い空を睨みつけ、深々と息を吐いた。男は愚かであった。誰かを愛してみたかった、というより、誰かを愛するという悦楽に一度浸ってみたくなっただけであったという点で。男は愚かであった。たった一度でも、そんな好奇心に踊らされた自分に、腹をたてたという点で。その日はいつもよりゆっくりと、日が沈んだ。
その日の夕飯には味がなかった。色も薄く見えた。ただ頭に、女の顔が浮かんだ。浮かぶたび、味も色も薄れてゆく心地がした。
男は少々羽毛の潰れかけた掛け布団に身を包んだ。ただそれよりも遥かに、心中潰れた状態にありながら包まった。男の潰瘍しきった心持ちを完全に覆い隠すことは、掛け布団にはできなかった。男の目から涙が溢れた。完璧にかわしたと思い込んだ刃は、遅延的に男をえぐった。
男は愚かであった。悦楽に浸りたかっただけだと自己に言い聞かせることで、破れた真の愛に、目を向けなかったという点で。