1-9.まだ使えた魔法と、喧嘩と、「またね」の挨拶
「いいから」
リーベラは有無を言わさず、オルクスの右白手袋を掴んで手早く引き抜いた。あっという間にオルクスの長い手指そのものが現れる。
「君、ちょっ……!」
「……やっぱりあるじゃないか、火傷の跡」
いつの間にこさえたのか、オルクスの節くれだった剣ダコだらけの手の平には、火傷の跡があった。それもかなり重傷のもので、火傷は広範囲。彼の手首から上の騎士服を無言で捲ると、腕の肘あたりにかけても火傷が続いていた。
「たぶん両腕とも、やらかしたな」
「……なんで分かった?」
低い囁き声が彼から聞こえてきて、リーベラは片眉を上げる。
「さっきからお前にしては動きが緩慢だし、ぞんざいすぎるんだ」
箱は投げるわハンカチは投げ出すわ、しまいにはしゃがみ込んだ時にだらんと両腕を投げ出していた。リーベラが会話の相手だということを差っ引いても、貴族の振る舞い方が身についているオルクスが、そんな動きを見せてきたことはない。
だから大方、擦れて痛みでもする傷を負ったのではとリーベラは思っていたのだ。
「ほら、これで治るぞ」
リーベラはまた念を込めてアロエベラの黄金にほんのりひかる透明なゼリー状の果実を取り出し、オルクスの腕と手の平にペタペタと貼る。
「うわ冷た」
「我慢しろ。ほら、左手も貸せ」
顔をしかめたオルクスに、左手も見せるようリーベラが要求すると、観念したような顔で彼は左手袋を脱ぎ、騎士服を肘の上まで捲った。
「随分派手に火傷したな。何やったんだ、任務でか?」
こちらも右手同様の火傷で、リーベラはポツリと疑問を呟く。
「君に言われたくはないね。その両手……特に右手、治療した方がいいよ。僕よりひどい」
「そうか?」
リーベラがペタペタとオルクスの左手と腕にもアロエベラのジェルを貼りながら答えると、オルクスは眉を顰めて息をついた。
「そうだよ。……君が今は、何も感じなくてもね」
「ん? 何か言ったか?」
よく聞こえなかったリーベラは、先程ジェルを貼ったばかりのオルクスの右腕の様子を見る。
「そら見ろ、オルクス! 傷が治ってくぞ」
「……ほんとだ」
リーベラの声に、オルクスが呆然とした面持ちで呟く。彼の酷かった火傷の後はこの短時間にもみるみるうちに癒合し、元のなめらかな皮膚を取り戻しかけていた。
「なにこれ、随分治りが早いな」
「私の魔法、まだ使えた……」
リーベラはしみじみと呟いた。まだ、自分にもできることは残っていた。それがこんなにも、心にじんわりと染みていくように気分が明るくなるとは。
「魔法……って、えーとこれは……治癒能力みたいな……?」
どこか途方にくれたような顔で、オルクスが治っていく自分の傷を見つめる。
「いや違う。植物本来の力を何倍にも引き出して、薬にする能力だ」
アロエベラには、火傷や傷部分を癒合する成分がある。その効果を何倍にも増幅させ、今回は火傷を治したのだった。
普通の人間がこうして同じようなことをしてもその治癒は遅いけれど、リーベラの魔法を使った植物の薬は効き目が早い。
「随分、地味な魔法だね」
「息をするように馬鹿にするな。派手じゃないが役には立つと思うぞ」
じとりとオルクスを冷めた目で見遣った後、リーベラはほっと息をついた。何はともあれ、これでなんとか当面の未来設計ができそうな予感がする。
「薬草師として薬を売れば、こんな私でもやっていける気がする」
「……え?」
リーベラがオルクスの治った元傷部分からアロエベラのゼリーをペリペリと剥がしていると、彼は当惑したような声を出す。
「だからお前の世話にはならなくて済む。そっちの屋敷にはいかない。――私は、ずっとここにいる」
美しく手入れされた広い庭園に、ぽつんと佇む淡いブラウンのレンガ積みの屋敷。質素で小ぢんまりとしているこの家の地下室に、封印された弟子が眠っている。
ここで、弟子の眠りを守りつつ、密やかに暮らせていけたなら。
(……私も、いつかは許してもらえるだろうか)
ぼんやりとそんなことを思い、そんな自分を自覚した瞬間にリーベラは首を捻る。
『許してもらえる』とは、一体何に対して思ったことなのだろうか。自分でもよく分からない。
「……そう」
ため息をついたオルクスが、ゆらりと立ち上がった。
「じゃあ、止めないよ。思う存分、君の好きにするといい」
突き放すような言い方だった。リーベラが顔を上げれば、彼は満面の笑みでこちらを見下ろしていて。
完璧な笑みなのに、その目は冷たく深い海の底のように冷え冷えとしていて、一切笑っていなかった。
「……僕はね、君のその考え方が大嫌いだよ」
『大嫌い』というワードに反応して、リーベラがぴくりと眉を動かす。
「不幸に浸かって酔ってないで、少しは地に足つけて生きてみたら?」
見下ろされながら、冷たい声と目で発されたその言葉に、リーベラの普段は凪いでいる心がささくれ立った。
「地に足をつけて生きようとしてるから、具体的に今後を考えようとしてるんじゃないか」
「いいや、してないね」
相手の断定たるもの言いに対抗するように、リーベラはガッと立ち上がった。
「……お前こそ」
つい、リーベラの口から低い声が飛び出す。
「お前こそ、こんなところで油を売ってないで未来の婚約者に会ってきたらどうだ。ただでさえ、騎士様は暇じゃないだろう。それとも相当暇なのか?」
「……は? 何それ」
一瞬だけ虚を突かれたような顔をした後、オルクスはまた目の笑わない笑顔に逆戻りした。
「あーあ、馬鹿馬鹿しい」
そして彼は踵を返す。
「それじゃご要望通り、僕は立ち去るとしよう」
リーベラは無言でこっくりと頷き、言った。
「ああ、じゃあな」
その途端、オルクスはものすごい勢いでリーベラの方を振り向いた。
「……なんだよ」
「またね」
突然ぽんと頭に手を置かれ、リーベラは目を白黒させながらポカンとオルクスを見上げる。
「『またね』って言ってるんだけど」リーベラの頭に置かれた手にぐ、と力がこもる。地味に重い。
「なんなんだよ! 重い!」
「ちょっとちょっとちょっと、黙って見てれば何やってるんすかオルクス様! 暴力は反対っす!」
慌てふためくデルトスの声と同時に、リーベラの頭の上の重みがふっと消えた。見れば、顔をこわばらせたデルトスがオルクスの手首を握って持ち上げていて。
「ほら、オルクス様帰りましょう! すみませんでしたリーベラ様、また今度!」
「……あ、ああ、じゃあまた」
デルトスの勢いに気圧されて、リーベラは目を丸くしたままこくこくと頷く。
「ほらオルクス様、さっさと歩く!」
「……」
オルクスがデルトスに引き立てられ、無言で歩き出した。主従逆転のような、おかしな光景だ。
ぼんやりと立ち尽くして2人を見送るリーベラを、オルクスはそれから一度も振り返らなかった。
オルクスはとあるワードにトラウマを抱えているので、最後のような暴挙に出ています。トラウマのほんのり詳細は次回と次々回にて(両方とも明日更新します)。
明日はオルクス陣営側の視点です。