⑦I-V幕間 優しくない世界
投稿が大幅に遅くなり、申し訳ございませんでした…。
本編1-5と1-6の間の、リーベラの知らないお話です。
今話もどうか、お楽しみいただけますように。
◇◇◇◇◇
オルクスがリーベラに服と靴を(かなり強引に)押しつけ、リーベラがその代金を取りに客間から出て行った後のこと。
「……あの、大丈夫ですか?」
先ほどの失言で、オルクスから目の笑わぬ無言の笑みを向けられて一度口をつぐんだデルトスが、勇敢にももう一度口を開く。問われたオルクスは、またも数刻前と同じような満面の笑みを浮かべた。
「……人はね、『大丈夫か』って聞かれたら大体『大丈夫』としか答えられなくなるモノらしいよ」
「つまり、大丈夫じゃないんですね」
気遣わしげな顔でぼそりと呟いたデルトスが、軽くため息を吐く。
「……だと思いました。笑顔にいつもの凄みと覇気がないです」
「そりゃ残念だ」
事実、表面上は平然とした顔で軽口を叩いてはいるものの、オルクスの心は深手を負っていた。
――まさか、ここまで避けられるとは。
久しぶりに至近距離でリーベラの顔を見られたと思ったら、ソファからずり落ちるくらいの勢いで顔を背けられた。
その後、ソファから地面に落ちかけた彼女の腕を慌てて掴んで衝突を回避したはいいものの、直後にもの凄い勢いで後ずさられた上、その拍子に手を振り払われ。
しかも。
『……そんな警戒しなくても』
『さっき助けてくれたのは礼を言う。だけど、手刀で人を気絶させた人間に言われたくない』
『……ああ、そういやそうだった』
こちらの目論見通りと言えばそうなのだが、手刀で容赦なく気絶させてくる奴だと思われていた。
――少しは、疑ってくれても良くないか?
本当のことが少しも悟られていない事自体は喜ばしいことで、むしろそうあるべきで。それが分かっていても、身勝手で矛盾しているとは分かっていても、ついそう思ってしまう。
彼女の身に害が及ぶようなことは絶対にしたくないし、するはずがないのに、と。
けれどそんな思いとは裏腹に、現実は全く優しく無い。
現実など、そもそも優しかったことなどほとんどないけれど。自分にとって世界が優しかった時代は、リーベラと何気ない会話を自然に交わせていた時間は、もはや遥か遠い過去のことだ。
その過去から遠く離れた現在で、自分たちの関係はすっかり変わってしまって。
しかもなお悪いことに、リーベラの魔法は、彼女にかけられた『呪い』は、もう解けているはずなのだ。
彼女が、16歳の時の姿に戻ったから。
感情と痛覚を鈍化させられていた状態から元に戻ったはずなのに、未だにオルクスに対する彼女の態度は余所余所しい。
つまり、オルクスに対して作られた彼女の『壁』は魔法のせいなどではなく、リーベラ本人の気持ちそのものということになる。
元に戻ったはずなのに、未だ変わらずなお遠い。
これが今の自分たちの距離だった。
唯一安堵したことといえば、自分がまだ彼女の家の鍵を所持していることを匂わせても、彼女から「鍵を返せ」と言われなかったことくらいか。
それだけが、現時点の光明で、よすがだった。
(「用はもう済んだ、早く返せ」とか言われる可能性もあったからな……)
「――オルクス様」
「ん?」
呼びかけられてオルクスが顔を上げると、先刻よりも気遣わし気な表情のデルトスと目が合った。
「何か、俺に出来ることはありますか」
「……」
しばし、流れる沈黙の間。
「……え、俺何かまずいことでも言いました?」
「いや……君、本当に今までよく無事に生きて来れたよね」
「えええ……どういう意味っすか、それ」
――それはね。この世が、優しくないからだよ。
そう、この世は全く優しくない。優しく、善良な人間だからといって神は助けてなどくれないし、むしろそうした人間は世渡り上手で悪知恵の働く人間に良いように搾取される。
――リラが、そうだから。
その能力を買われて、孤児から王城勤めの魔女になり、筆頭魔女としての地位と金を与えられた。これだけ聞けば、人々から「成り上がり」と思われるようなルートだ。
――その実情は、こんなにも違うのに。
彼女を犠牲にしてこの国が安寧を得ているのに、それを殆どの人間が知らない。
この国に住む人々の暮らしは、一見、至って穏やかで平和だ。それは水面下で民には分からぬよう、国境を、この国を守っている人間たちがいるからだ。
その筆頭に取り立てられたのが、今のリーベラの立場。実は戦いの最前線に率先して送り出される『筆頭魔女』こそが、彼女だった。
『孤児だったお前に、ここまで位と身分と金を与えてやっているのだ、感謝して国に尽くせ』と言わんばかりのこの制度。
そして実情はそんな制度だということを知っているのは、王宮の中でも実働部隊と僅かな上層の人間だけだ。
――ああ、本当に反吐が出る。
本当に全く、この世界は優しくない。
『……筆頭魔女って、これまで以上に任務増えるんだろ? これまでだって、お前やたらと任務多かったのに――』
『なに? あんた、私がちゃんと仕事出来ないかもって疑ってるの?』
『いや、違……』
「オルクス。私ね、嬉しいの。だって任務が多いってことは、それだけ必要とされてるってことでしょう?』
愚かなお人好しを、散々搾取して回る世界。
『此処に居ていいんだって思えるから、全然良いの。だって私、本当に強いもの。私に出来ることがあるのなら、何だってやる』
その世界の中で、オルクスはあの優しいお人好しの、愚かな魔女を愛していた。
それは時が経った今でもずっと、唯一変わらない想いで。
――君はあの時、『全然良い』と言ったけれど。
僕からすると、全然良くないんだ。
いっそのこと君に力が無くなればと、何度思ったことだろう。
「オルクス様、聞いてます?」
「……ああ、聞いてるよ」
オルクスからしてみれば、デルトスはリーベラと同類のお人好しだ。今の今ですら、特に事情説明すら貰えていない状況で、本気で「何か出来ることはあるか」と発言するくらいなのだから。
「君はもう少し、人を疑った方がいい。でないと、付け込まれて搾取されて終わりだよ」
「……オルクス様、ひょっとして俺のことお人好しだとでも思ってます? 俺、十分疑り深い方ですよ」
「いや、どこが?」
オルクスの記憶にある限り、思い浮かんでくるのはいつも馬車に信頼と敬愛を詰め込んでこちらへ突っ込んでくるようなデルトスの姿ばかり。どこが「十分疑い深い方」なのか。
「情報不足のこの状況で、僕を手伝おうとすること自体がそもそもね」
「それは相手がオルクス様だからですよ。俺、信用出来る人間は片手で数えられる人数しかいません」
にっこりと笑顔を返されて、オルクスは思わず黙り込む。
器用に人から距離を取って生きているオルクスは、ほんの数人の、心を許している人間からの真っ直ぐな好意に実は弱かった。
「で、どうしましょう? そろそろリーベラ様、戻ってきますよね」
「……ひとまず、ここは話を合わせてくれれば良いよ。ああ、あとこれだけ試しておこうかな」
オルクスは懐から白い手紙の用紙を取り出し、そこに馬車を此方へ寄越すように書きつけて折り畳む。それを空中へ軽く放り投げると、手紙は空中からふっとかき消えた。
魔法で手紙を望んだ場所に即時に送ることが出来る、一般にも流通していない貴重な手紙用紙をひょいと使うオルクスに、デルトスは目を丸くする。
「……それ、緊急時にだけ使う手紙ですよね? 馬車寄越すためだけに、お屋敷に送ったんですか?」
「うん、ちょこっと状況の確認をね」
「状況の確認?」と繰り返して不思議そうな表情をする部下に、オルクスは「そう」と短く返して頷いた。
「あ、後で君のお父上にも送るからよろしく。今日、君の屋敷の本邸にいらっしゃるよね?」
「ええ、今日は一日……って、何でご存知なんです?」
「そりゃまあ、仲間のスケジュールくらいは把握してるよ」
「……もしかして父上、まさか……」
何かを悟ったのか、頭を抱え出した部下を横目に、オルクスはリーベラの気配が段々と近づいて来るのを感じて静かに深呼吸をした。
「嫌な役目だな、ほんと……」
(……だけど、今は演じなければ)
何も知らないふり。無頓着なふり。面倒くさがっているふり。「面倒くさいけど、見捨てて後から言いがかりつけられるのはもっと面倒だから、とりあえず手助けしようか」の体で関わるふりを、しなければならない。
全ては、彼女に何も悟らせない為に。
「待たせてすまん、代金を……って、デルトス?」
客間にひょっこりと顔を覗かせたリーベラが、「いつの間に」と目を丸くするのをそっと見つめて。
「ご無沙汰してます」と苦笑しながら合わせてくれた部下に感謝しつつ、オルクスは苦い気持ちを抱えたまま、立ち上がったのだった。
リアルでどたばたしておりまして、投稿が遅くなってしまい重ね重ね申し訳ございませんでした…!
(定期的に読みに来てくださる読者の皆様に、本当に感謝の気持ちでいっぱいです…!!本当にすみません…)
前に予告していた題名変更ですが、今週末くらいにしようかなと思っております(改題後は「恋を忘れた『破滅の魔女』へ」になりますので、題名変わりますが何卒よろしくお願いいたします…!)
不定期になってしまいがちで本当に申し訳ございませんが、今後も投稿続けていきますので、どうかお気が向かれた時に引き続きお付き合いいただけたならとても嬉しいです…!
どうぞよろしくお願いいたします。




