5ー9.それはまるで
原稿のテンポとストーリーに納得がいかず、こねくり回していたら大変遅くなりました…いつも申し訳ございません…
どうか、今日も少しでもお楽しみいただけますように。
部屋から出されたリーベラは、閉じた扉の前でしばし呆然と佇む。
混乱と安堵、そして罪悪感に切なさ、虚しさといったごちゃまぜの感情が、頭の中から溢れ出そうだった。
「リラ」
斜め上から柔らかな声音で愛称を呼ばれ、リーベラははっと我に返って声の主を見る。
「……君は本当に、いつも無茶をするね」
手が、こちらに伸びてくる。そう思った次の瞬間、リーベラはすぽりと彼の腕の中に収まっていた。
「『魔女との約束』を、あんなふうに使うとは思わなかったよ。正直、生きた心地がしなかった」
もうやめてね、と言うオルクスの声が耳元で聞こえる。
「『約束』を交わすなら、僕とだけにして。……君がどこかに行きそうで、不安すぎる」
切実な声音が頭のすぐ近くで響いて、リーベラは恐る恐る頷いた。
「……どこにも行かないって約束したし、行かないよ」
「……うん」
「……それから、さっきはいきなり黙らせてごめん」
「……本当だよ。初耳のことだってあるし」
ため息を吐きつつ、オルクスがリーベラの顔を覗き込む。その目は、不安げな波に揺れていて。
彼がリーベラの頬に手を添え、指をすうと滑らせると、こんな時だと言うのに頰に甘い痺れが走った。
「……閉じ込められてたなんて、知らなかった。道理で君になかなか会えなかったわけだ」
オルクスの顔が、苦しげに歪められる。
「君が弟子を連れて来た時に出会えるまで、君を見ることが出来なくて。その訳がやっと、分かったよ」
そうしてさらにきつく抱きしめられ、リーベラは彼の肩口に完全に顔を埋もれさせることなり。
「もうそんなことには、させないから。君を一生、側で守るよ」
「……もう十分、守って貰ってるよ」
オルクスの硬い声に、リーベラは掠れ声で囁き返した。
酷かった頭痛が、少し和らいできて。
ずっと助けようとしてくれた。話しかけ続けて来てくれた。会いに、来てくれていた。
側にいる約束を交わしてくれた。
リーベラの代わりに怒り、守ると言ってくれた。
「本当に、ありがとう。……それから、気を遣わせてごめん。オルクスたちには損な役回りばかりさせてるな……」
「それは違うよ、リラ」
オルクスのきっぱりとした声が空間に落ち、リーベラはそろそろと目を上げた。
彼の海色の瞳が真剣に、こちらを見ている。
「僕たちは僕たちの意志で、動いてる。僕たちがやりたくてやってるんだ、君が責任を感じる必要はない。――あの元国王のことだってそうだよ。あいつが勝手にやりたくてやって、自滅した。君が責任を感じるのはお門違いだ」
それにね、と。オルクスの低く柔らかな声が、ぴたりと寄り添った身体を通しても伝わってくる。
「過去を顧みるのは必ずしも悪いことではないけど、その時間にも君の『今』がすり減っていくだろう? ――王とのことじゃなくて、早く僕のことだけ考えるように、なってほしい」
リーベラはじわりと目を見開いた。
――こうしている間にも、一分一秒、全てが『過去』になっていく。
「僕は君と、ずっと一緒の未来を生きたい」
――それは目の前のオルクスも同じことで。
「お願いだから、『今』の僕を見てくれないか」
時間は流れる。今はすぐに『過去』に、一分一秒先は、『今』に。一刻たりとも止まってくれはしない。
今こうしている時間、自分はオルクスの時間とも共にあって。
「……ごめん」
過去に囚われ、今の目の前のオルクスを蔑ろにしていたかもしれない自分に気づき、リーベラはさあと青ざめた。
「いいや。……ごめんね、君がそういう人だって知ってるのに、我儘を言って。王のこと、やっぱり引っかかる?」
「ううん、我儘なんかじゃないよ」
そう首を振りながら、リーベラは思う。
(……その通りだ)
――自分はもう、一人ではないのだから。
目の前にあるこの彼との時間も、有限なのだから。
「……ごめん。ずっと、考えてた。私はオルクスが、みんなが側に居てくれたから、道を間違えなくて済んだんだって」
それは、まるで雨のように。
もたらされる一滴一滴が、少しずつ染み渡り、そのひとに作用して。
「私は運が良かった。そのおかげで、此処に立ててるんだって、思って」
――人からもたらされる「想い』が、染み渡って。
そうして今の自分が、此処に立っている。
「……それは、ちょっと違うかなぁ」
「違う?」
何が、と問い返すと、オルクスが密やかに微笑んで屈めていた身を少し起こす。
「みんな君が相手だから、側に居たんだよ。君は僕を、弟子を、みんなを守ってくれようとして、実際に守ってくれていた。――そんな君だからだよ。巡り巡ってるんだ、何もかも。……王は多分、色んなきっかけを見逃して自滅したんだ」
囁き声と共に、オルクスの手が頬からするりと下り、リーベラのおとがいをそっと支えた。
「――だから、礼を言うのはこっちの方だよ。……ありがとう、リラ」
時は止まってくれはしないけれど、まるで時が止まったかのような感覚がリーベラに襲い掛かる。
触れられている顎から甘い痺れを感じつつ、意識が朦朧として来た、その時。
「……オルクス、誰か来る」
「……放っておけばいいよ」
じりじりとした目線でリーベラを見つめながら、オルクスはその手を離さない。
「いや、放っておけばって言っても……」
我に返ったリーベラは近すぎる距離にたじろぎ、人の気配のする方向へ目を遣って。
(……あ)
今しも曲がり角を曲がり、姿を現した人物にその身を思わず固くした。
「……オルクス。何を、しているの?」
輝くような艶やかな銀髪をさらりと流した、可憐な薄桃色のドレスに身を包んだ王女がそこに居る。
その可愛らしい顔にはどこか、苦い色が広がっていて。
かつて、オルクスと腕を組んでいた彼女。
オルクスとの婚約の噂話と、実際に婚約話を持ちかけたという彼女が、そこにいて。
リーベラの喉が、微かに震えた。
「ああ、イシュタル様。ご覧の通り、今取り込み中なんですが」
そして姫からの鋭い視線にも全く動じず、にこやかないつもの笑みを浮かべて彼女に答えるオルクスに、リーベラはぎょっと目を見開く。
そして、驚愕に身を強張らせるリーベラの瞳と王女の瞳が合うと、王女はその形の良い片眉をぴくりと上げて。
「まずい」と思いつつ、リーベラは慌てて手をオルクスの胸につき、身をオルクスから引きはがす。
「――王女殿下にご挨拶申し上げます。リ……」
名前を名乗ろうとしたところで、たらりと汗が流れる。
(……今の自分の名前って、どうなってるんだっけ)
「ああ、ちょうどよかった。王女殿下、こちらはこれから僕の伴侶になる、リビティーナ・ラ・オルレリアンです」
朗らかにオルクスの口から出た言葉に、リーベラは目を驚愕に見開いて彼を見た。
「……そう。お兄様も結局、失敗したのね」
深いため息をつき、唇をきゅっと引き締めた王女が、リーベラを見つめる。
「お二人とも、残念でしたね」
オルクスがにっこりと微笑むと、王女はまたため息をついて口をへの字に折り曲げた。
(――残念って、何が?)
お兄様と言うからには、アドニスのことだろう。なんの会話をしているのだと戸惑っていると、オルクスの左腕がするりと腰に回ってきて。
身をかちこちに硬らせ、リーベラはその場に立ち尽くした。
「……貴方の、そういうところよ。本当に意中の方以外、容赦がないのね」
「下手に気を持たせてもいいことがないので」
「……」
きっぱりばっさりとした言葉に、王女が言葉に詰まり、唇を噛み締めて俯く。
(やばい。どう、どうすれば)
こういう時、対人関係に免疫のないリーベラはすっかり狼狽えていた。この場で自分が口を挟むのもお門違いな気がするし、かと言ってオルクスの発言はやたらと王女につっかかる冷ややかな物言いすぎて、放置するのも躊躇われる。
結果。
「ん?」
リーベラが肘でオルクスをつつくと、即座に柔らかい声音と微笑みが降って来た。
<なんでそんな突っかかるんだ>
口の動きだけでそう話しかけると、オルクスはにこりと極上の笑みを浮かべた。
<君にもう、誤解されるのはごめんだしね>
<ごか……っ、しないから本当に、普通に喋って>
<いつもこんなもんだよ>
口の動きだけの応酬で最後に返された言葉に、リーベラは思わず固まった。
<――君にだけは別だけど>
微笑みながらオルクスの唇の動きがその言葉を伝え、彼はすうと王女に視線を戻した。
「少し、言い過ぎましたかね」
「……もういいわ、ええ。なんでこんな冷酷男を……」
ため息をついた王女の瞳がリーベラを捉え、その瞳にさざなみが揺れるのを、リーベラは見て。
「……リビティーナさん……いいえ、リーベラさん。ごめんなさいね」
リーベラはじわりと目を見開く。
――王女は、自分のことを知っていたのだ。
「わ、私のことを、ご存知で」
「もうそれはそれは、色々と。そこのオルクスからもお兄様からも、散々お話しを聞いていてよ」
「それは、大変なご迷惑を……」
(何をしてくれたんだ、2人とも……)
そう思いながら慌てて深々と謝罪の礼をすると、王女のため息が上から降って来た。
「……この男、だいぶ歪んでるわよ。気をつけて」
「え」
(……それはどういう意味だ?)
リーベラが戸惑いつつ顔を上げる横で、壁の堅牢な扉がギイと開く。
「――あれ、イシュタル?」
「お兄様!」
出てきたアドニスが目を丸くしながら扉を閉めると、王女がその元へ足早に駆け寄った。
「今日、アレス兄様とご会談だと伺って、居ても立っても居られず……! ご無事ですか」
「そりゃもう。お陰様で、サインもこの通り」
瞳を三日月型に細めて笑い、アドニスが手に持った書類を軽く持ち上げる。
「では、これからは堂々と、一緒にまた暮らせるのですね」
「そうだね、やっとだ」
「嬉しいです……!」
(……ああ、この2人、本当に兄妹なんだ)
どうして、気づかなかったのか。
揃いの銀髪に揃いの瞳、2人並べば雰囲気も似通ったものがあって。
感極まったようにアドニスの手を握る王女に、リーベラはぼんやりとそんなことを思い。
「――で、この状況は? ひょっとしてオルクス様、俺の妹をまたいじめてたんですか? やめてくださいよほんとに」
「人聞きが悪いな。先に仕掛けてきたのはそっちだろ」
「まあ、それを言われちゃあ弱いですけど」
王女の頭にぽんと手を置きながら、もう片方の手をアドニスがこちらに差し出した。
「――その贖罪も兼ねて、『約束』は果たしますよ。誓約書、俺が直接今日付で処理させます」
「……ああ、頼んだ」
オルクスが婚姻誓約書を懐から出し、アドニスに手渡す。
「では、確かに。俺たちはこれで退散するので、あとはお2人でごゆっくりどうぞ」
じわりと微笑んだアドニスが、リーベラに向き直る。
「……師匠。さっきはありがとうございました。お陰様で、何もかもとんとん拍子に進みましたよ」
「……それなら、よかった」
「はい」
ほっとため息をつくと、アドニスが「それと」と付け足してリーベラの耳に囁きかけた。
「幸せに、なってくださいね。それが貴方を虐げてきた者たちへの、1番の復讐です」
「――……」
言葉を詰まらせるリーベラの肩をぽんと叩き、アドニスが「それじゃ」と王女を促して踵を返す。
――ああ、この弟子は、本当に。
「……アドニス、ありがとう。何もかも」
その背に呼びかけると、微かな笑みの気配と共に、アドニスが振り返った。
「どういたしまして。それに俺からも、ありがとうございました」
そうして、ゆっくりとその頭を下げる。その横で王女も無言でぺこりとリーベラに向かって一礼し、リーベラも慌てて頭を下げた。
「では、また」
「……うん、また」
『また』の挨拶と共に、彼らの背中を、リーベラはオルクスと並んで見送って。
「……なんでこう、毎回邪魔が入るかな」
彼らの姿が廊下の曲がり角へ消えていくのを見届けて、オルクスがぼそりと呟くのを聞いた。
「邪魔?」
「いいや、なんでも。……君の弟子は何て?」
オルクスの問いかけに、リーベラは少し言葉を詰まらせてから囁き返す。
「幸せに、なってくれって。それが一番の、復讐だって」
「……そう。あいつもたまにはいいことを言うね」
静かに微笑みながら、オルクスがゆっくりとリーベラの腰を引き寄せる。
そして、空いている手のひらでリーベラの頬を包み込み――
次の瞬間、リーベラの唇に柔らかいものがそっと触れた。
「――……」
唐突なことに、リーベラの息は一瞬止まって。
そして、時も一瞬止まったかのような心地がして。
一瞬、永遠の中に閉じ込められたような感覚がして。
そっと重ね合わされた唇が離れる中、呆然とオルクスを見上げると、彼は目元を和らげながら囁いた。
「……やっと、2人になれたから。ごめんね、突然」
人気のない廊下に2人佇みながら、リーベラは混乱の収まらない頭で、オルクスを見上げ。
「……ううん。その……私も好きだから、うん、問題、ないかと」
たどたどしく返すと、オルクスの微笑みに深みが増した。
「なら、よかった」
そうして、彼はリーベラの肩口に顔を埋めて、耳元で囁く。
「そう、幸せになるのが一番の復讐だ。……一生、君を大切にするから」
――だから、一緒に幸せになろう、と。
その声が、言葉が、胸の奥に染み渡っていって。
「うん。……うん」
リーベラは目元に熱いものが込み上げるのを感じながら、オルクスを抱きしめ返した。
――『それ』は、まるで雨のように。
もたらされる一滴一滴が、少しずつ染み渡り、そのひとに作用して。
『幸せになろう』
その言葉もまた、その一つで。
そうして『人』を、形作っていく。
「……ありがとう、オルクス」
「どういたしまして。――これからは、ずっと一緒だ」
そう、『想い』は、雨のように。
毎日投稿遅くなっていて申し訳ございません…
更新できていない時間にもお訪ねくださった皆様、本当にありがとうございます。
登場人物複数登場させると、会話と地文のテンポの兼ね合いが難しいですね…精進します。
明日も頑張りますので、よろしければお付き合いいただけますと嬉しいです!




