1-8.僕の屋敷に住まないか
屋敷から玄関を開けて外に出たリーベラは、ふらふらと庭へと歩を進め、そこで一人立ち尽くした。
彩り豊かな花々と、鮮やかな緑に覆われた庭。吹き抜ける風が優しく植物を撫で、リーベラの肌の表面にそっと触れては去っていく。
「……ああ、落ち着く」
リーベラは空気を目いっぱい吸い込んでから、大きく息を吐く。植物独特の緑の香りがほのかに鼻孔をくすぐった。
この庭は、リーベラが日々丹精込めて手入れをしている庭だ。
人目を避けて行動していたから手入れをするのは人々が寝静まった夜か早朝で、昼にこうして眺めるのは何年ぶりかも分からないくらい、久しぶりだけれど。
「リラ」
ぼんやりと青空と植物の揺らめきを見ていたリーベラの背後から、彼女を呼ぶ声がした。
振り返れば、オルクスが屋敷の扉を開いて出てくるところで。
「大丈夫?」
「なにがだ」
リーベラが短く答えてオルクスから目を逸らし歩き出すと、彼はゆっくりと歩いて彼女の後をついてきた。
「いや、自分が役立たずだって、落ち込ませたかなと」
「いらん心配だな」
軽く肩をすくめ、リーベラは植物たちの間の小道を歩き続けた。見渡す限り様々な植物が生えているけれど、そのどれもにきちんと手入れがされており、今日も瑞々しい生気を放っている。リーベラはそれを見てひとまず安心した。
そして立ち止まり、ぽつりと呟く。
「……お前に言われなくたって、自覚してるさ。役立たずだって」
「やっぱり気にしてるじゃないか」
「さっきはっきり言葉にしたのはお前だろう」
リーベラは軽く息を吐く。自分で『役立たず』と認識するのと、他人からはっきり『役立たず』と言葉にされるのでは、そこに伴ってくる衝撃の種類がまた違う。
そして言葉を選ばず、ばっさり事実を突きつけてくる幼馴染の容赦のなさに内心少々まいったのも事実。これからどうしたもんかとリーベラがぼんやり考えていると、オルクスが不意に顔を覗き込んできた。
「怒った?」
なぜか嬉しそうな顔をしてくる幼馴染を、リーベラは訝しく見上げる。
「……なんだ、その表情」
「え? 表情?」
オルクスの表情が真顔に戻る。リーベラはげんなりとため息を吐き、ふとある植物を視界に認めてその場にしゃがみ込んだ。
「リラ。よかったら、僕の屋敷に住まないか」
「……は?」
何の前置きも前触れもなく幼馴染の騎士の口から飛び出たセリフに、リーベラは目を丸くして再度彼を見上げる。彼はいつもの飄々とした態度で彼女の隣にしゃがみ込み、自分の膝の上にだらんと腕を投げ出した。
「王に君のその姿を報告するわけにもいかないし、魔女として何もできなくなった君が、その姿でこれから一人きりで生きていくのは困難だ。僕なら、君を僕の屋敷に匿った上で生活の面倒も見られるよ」
「いや、いい」
「そうか、じゃあ早速……って、何だって?」
ぎょっとしたように目を丸くするオルクスの姿に、リーベラはまたもため息を吐いた。
この、断られることなんぞ想定していないと言わんばかりの様子。今までどんな相手にも、自分の誘いを断られたことなどなかったのだろう。その地位と顔では無理もないけれど。
「なんで? 君にメリットしかない提案じゃない?」
「逆に聞くが、さっきの提案を実現することで、お前に何の得があるんだ?」
「君に貸しが作れる」
「……そんなことだろうと思った」
オルクスに『何を当たり前のことを』とでもいうようなキョトンとした顔で首を傾げられ、リーベラは肩をすくめた。
「一方的に借りを作るのは好きじゃないんだ。均衡が崩れる」
世界は均衡を保った上に存在する。何かを得るためには、何かを引き換えにしなければならない――これは魔女の中では自明の理だ。その教えが身に沁みついているリーベラは、その均衡を常に考えて生きてきた。
という理由以外にも、断る理由はもう一つあるのだけれど。
「うん、君ならそう言うと思った。だから均衡を崩さないように、僕に貸しを作る代償として、僕の依頼を引き受けてくれればいい」
「依頼? なんだ?」
リーベラが聞き返すと、オルクスはふと押し黙った。彼女が彼の顔をじっと見つめて言葉を待っていると、うろうろと彼の深い海色の瞳が宙を泳ぎ始めた。
「あー、ええと……」
なんだか歯切れが悪い。どうせよく考えていなかったのだろうと予想したリーベラは、自分の目の前に生えている植物に手を伸ばす。
ぷっくらとした瑞々しい歯肉を抱え込んだ、ギザギザの葉を持つ植物。
大ぶりでぽってりした葉と、まっすぐ伸びた長い茎に段状に咲くオレンジ色の花が特徴の、滋養に富んだ肉厚な植物。
その名もアロエベラだ。
「つまり、その、僕と……」
「……!」
何かを口籠るオルクスをよそに、リーベラは目を見張った。
植物に手を触れているときだけ、リーベラの魔力を示す金色の光が、手からじんわりと滲み出ているのだ。
もしやと思い、リーベラはアロエベラの葉を一枚採ってそっと握り、念を込める。そして手に持った葉の表面を割くと、透明なゼリー状の果肉がほんのり金色の光を帯びながら顔を出した。
リーベラが火傷で焼け爛れた自分の右手の平にそれをペタリと貼って様子を見てみると、なんと傷が目に見えて癒えていくではないか。
「僕と、け」
「オルクスお前、腕の表面に炎症か火傷の怪我を負ってるだろ? 見せてみろ」
「そう、怪我が……って、何で?」