5-4.最後の、けじめへ
またも遅くなって申し訳ございませんでした…。
どうか少しでもお楽しみいただけますと幸いです…!
「……流石です、師匠。話が早い。どうして分かったんです?」
一瞬だけ顔を強張らせた後、アドニスは器用にいつもの人を食ったような笑みを浮かべた。
「この前会った時、王には毒がまだ残ってたし、それに……『物理的に』王からの意思確認ができないってことは、王自身が昨日倒れてからまだ目を覚ましてないんじゃないかと」
昨日首元を押さえられた時の、彼の手の冷たさと瞳孔の開いた空色の瞳を思い出し、リーベラは思わず身を竦ませながらそう述べる。
――未だ、アレスのことを思い浮かべると反射的に身が縮こまるけれど。
隣に居ると言い聞かせてくれるようなオルクスの温かい手が、がっしりと自分の手を握ってくれているのを感じて、リーベラはそっと息を吐く。
(……うん、大丈夫。大丈夫だ)
隣に大切な人が居てくれることが、今はこんなにも、とても心強い。
「ええ、その通りです。しかも困ったことに、あの人解毒剤を処方されているのに、ちゃんと決められた通りに飲んでなかったみたいで。……だから、一発で毒を消せるくらいの優れた解毒剤が欲しいんです」
「……やっぱり、そうなのか」
リーベラは眉を顰める。
以前、アレスは言っていた。
『君が死んだと思い込み、私が毒を食らって動けなかった間に、君の弟子が我が物顔で城を歩きまわっていたそうじゃないか』と。
王はリーベラが王城に出向いたあの日に毒を食らったのではない。随分前から、毒を食らったままあの状態で居たのだ。
「恐らくはわざとでしょうね。まったく、冗談じゃねえや」
「……わざと」
「そうです。実は毒を盛ったのはこっちの陣営側の人間だと目星がついてまして……それを追及させるために、わざとそのままで居るんでしょうよ」
リーベラの表情を見て、アドニスは「あ、勘違いしないでくださいね」と微笑む。
「俺は毒を盛れなんて一切言ってませんよ。陣営が巨大になると勝手に陰謀が動き出したり、勝手な動きをし出す奴も居るんです。……本当に勝手に、余計なことをしでかしてくれた。これだから人間は嫌なんだ」
うんざりしたように皮肉な笑みを浮かべ、アドニスが毒づく。それに対し、先ほどまで冷たい空気を放ちながら黙り込んでいたオルクスが大きなため息をついた。
「……それ、つまりは元々君たちの兄弟喧嘩と、君の不始末だろう? なんでリラがそれに巻き込まれなきゃいけないんだ。なんとかしたければ、自分でやれ」
冷え冷えとした声が、その形の良い薄い唇から零れ出る。
あまりにも低く冷たい声音で、部屋の温度も聞いている者の体温も急激に下がったかと錯覚するほどで。いつもの笑顔もどこへやら、氷のような冷たさを纏った無表情なオルクスがそこに居た。
本気で怒っているときの、オルクスだった。
「しかもなんであいつを助けないといけないんだ。毒で衰弱し掛かってるなら、むしろそのまま苦しませて放置して――それでそのまま地獄に落ちればいい」
「……随分お怒りですね」
「当たり前だ。……行こう、リラ。君はもう、あの男に関わらないで」
低く唸ったオルクスがゆらりと立ち上がり、リーベラの手を言葉少なに引く。
ぐいと強めに引き寄せられながらつられて立ちつつ、リーベラの脳裏にあの日王と交わした会話が蘇った。
――ぜんぶ、巡り巡っているからね。恨んでも意味がない。そもそもは私が始めたことだ、仕方のないことさ。
なぜあの時、彼はあんなことを言ったのか。
毒を食らったまま、自らそれを放置して。
「……オルクス、待って」
――それに、私はこの役目をいい加減下りたい。もう、疲れたんだ。全部が面倒くさい。
「……リラ?」
――そういうふうに、世界はできてる。本当に、歪んでる。……だから、これで正解なのさ。
――君だって被害者なんだから、分かるだろう。いや、君が一番分かるはずなんだ。君が一番、私を理解できるはずなんだ。
(……私が、分かるはず、理解できるはず……)
反射的に拒絶感で痛んでくる頭を押さえながら、リーベラは懸命に思考を巡らせ。
そして何か引っかかるものに思い至り、じわりと目を見開いた。
(……ああ、私は本当に、「運が良かった」んだ)
そしてごくりと唾を飲み込み、乾いた喉を抱えて口を開く。
「分かったアドニス、手を貸――」
「ちょっと待って」
言い終わらないうちに、オルクスがリーベラの手を握りしめる。
「……リラ。人が良すぎるのもほどほどにした方がいい」
その固い声音に硬直するリーベラの手を引いて、オルクスは冷気を纏ったまま部屋の扉へ足を向けた。
「こんなの、君がやることじゃない」
その横顔は、あまりに冷たく静かに怒っていて。
――そう、オルクスも被害者だ。なのに自分は、彼の前で。
「ご、ごめ……」
「何か勘違いしてませんか、オルクス殿」
今度はアドニスの硬い声が部屋に落ちてきて、リーベラは恐る恐る背後を振り返った。
「……勘違い? 何が」
アドニスに応対するオルクスの声も相変わらず硬い。
二人の間を、冷たい電撃のような何かが駆け抜けていた。
「俺は、あの男を助けたくてこんなことをお願いしに来たんじゃないんですよ。むしろその逆です」
「……逆?」
「簡単に楽に死なれちゃ困るから、起きてもらわないといけないんです」
オルクスに負けず劣らずの冷たい声音が、三日月型に目を細めた青年の口から漏れ出てきた。
「だから」
冷たい声音に冷たい目の笑顔を浮かべて、かつてのリーベラの弟子はひっそりと笑う。
「今後のことについてご相談を。――きっとあなたもこれなら賛成すると思いますよ、オルクス殿?」
◇◇◇◇◇
(……一体、何の話をしているのだろう)
アドニスの訪問から、数刻後。リーベラは自身に宛がわれた部屋のソファーに座り、一人ぼんやりと窓の外を眺めていた。
手にはアドニスから頼まれた、解毒剤のガラス瓶。
王に盛られたという毒の成分を聞いて、オルクスがいつの間にかリーベラの屋敷から植え替えてくれていた薬草たちを使ってリーベラが作った解毒剤だ。一回口に含ませれば回復するはずの、ある意味劇薬と言ってもいい代物だった。
――先ほど、部屋から出て行こうとするオルクスをアドニスが止めた後。
なぜかリーベラは一旦オルクスの手で部屋まで戻され、話し合いの場から遠ざけられた。
その後、部屋へ戻って来たオルクスの後ろには、アドニスが居て。彼から、解毒剤を作ることと、そして王城への訪問を依頼された。
思うところのあったリーベラはそれに応じ、薬を作ることにして――オルクスとアドニスはまた話し合いに戻ったようなので、その終わりを待ってここに至るというわけだ。
(オルクス、すごい渋い顔してたな……)
さっき部屋へアドニスと彼が戻って来た時。彼は何か言いたそうにしつつ、結局何も言わずにそのままアドニスとの話し合いに戻って行っていた。
――怒らせて、しまっただろうか。
オルクスはアレスの所業の被害者だ。アレスに盛られた毒を解毒するために手を貸すと言うのは、その加害者を助けると言うことになるわけで。
(……やってしまった)
あとできちんと軽率な言動を謝ろうと反省していた、その時。
不意に部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。
「……リラ、入っていい?」
――オルクスの声だ、と胸が不規則にどくりと一際音を立てる。
謝ろうと決意した矢先の彼の訪問に、リーベラはあたふたとソファーから立ち上がる。
「え、あ、はい、大丈夫」
返事を返すと、チョコレートブラウンの扉がキイと開いた。
「……ごめん、待たせて」
未だ硬い表情の残るオルクスに、リーベラはぶんぶんと首を振った。
「ああいや、こっちこそごめん」
「ん? 何で君が謝るの」
訝し気な顔でこちらを見下ろすオルクスには、先ほどの冷え冷えとした氷のような雰囲気はない。少し安堵しつつ、リーベラは謝るべく口を開いた。
「あ、いや、オルクスが酷い目にあったのに、アドニスに王を助ける手助けをするみたいに答えてしまっただろ? ……考えなしに行動して、ごめん」
「……」
素直に謝ったつもりだったのだが、オルクスから返って来るのは硬い表情と沈黙のみ。リーベラが固唾をのんで見守る前で、オルクスはため息を吐きながら、右手で顔を覆った。
「……君って奴は、本当に」
なんだか既視感のある言葉と姿勢だった。
「オルクス?」
「君は本当に、他人のことばっかりだね」
ため息を吐きながら、オルクスがふわりとリーベラを抱きしめる。
「……ん?」
どういう意味だろうと戸惑っていると、耳のすぐそばで「安心して」という言葉が聞こえてきた。
「――あいつには、死ぬより辛い思いをさせてやるから」
「……オルクス?」
絶対零度の声音に身を竦ませていると、オルクスがゆっくりと身を起こし、微笑みを浮かべてリーベラを見下ろした。
(……ああ、いつものオルクスだ)
そのことにほっとして、リーベラは安堵の息を吐く。オルクスの本気の怒りを見るのは正直心臓に悪くてたまらない。
「と、いうことで」
リーベラを腕に囲ったまま、何やらいつも通りの調子を取り戻したオルクスがこの上なく美しく微笑みつつ、至近距離でリーベラの顔を覗き込む。
「僕も勿論行くから、さっさと用事終わらせて、婚約誓約書提出して帰ろうね。もう君の弟子にも話通してあるから」
「ん、う、うん」
有無を言わさぬ美しい笑顔を目の前に、リーベラは目を白黒させつつ頷いた。
どこまで書くべきか悩んでいたら、投稿が大変遅くなりました…。
いつも申し訳ございません。
昨日もいいね、ブクマ本当にありがとうございました!
本当に本当に嬉しいです……!
本編最後まであと少し、どうかお付き合いいただけますと嬉しいです!




