5-3.嬉しい不公平
またも夜分遅くの更新となってしまい、申し訳ございません…!
どうか、少しでもお楽しみいただけますように。
リーベラは遅ればせながら悟った。
今まではオルクスの皮肉や嫌味に気を取られ「どうせ揶揄って面白がっているだけだろう」と流していたが、彼の行動だけを取り出してみれば、それは甘い行動ばかりで。
それが皮肉や嫌味を交えなくなった今、オルクスのただでさえ甘い行動に甘い言葉が相乗されるという、とんでもない劇薬が出来上がっていた。
――それが今しも、現在進行形で起こっている。
「ええとあの、オルクス」
「うん?」
(……手を撫でるのは、何の意味があるのだろう)
そうでも思わないとやってられない。
指を絡めて手を繋いだ状態で、器用にも彼は指の腹を使い、触れるか触れないかぐらいの絶妙な力加減でリーベラの手の甲を先ほどからずっと撫でてきているのだ。
正直、指先が掠める度にぞわぞわとするので会話に集中し辛い。
リーベラは気力を振り絞って、なんとか口を開いていた。
「その、色々手配してくれてありがとう。結婚の根回しとか調整とか、まさかそこまでしてくれてるとは思ってなくて」
「……」
オルクスの指がぴたりと止まる。
一拍置いた後、繋いだ手に無言で力をぎゅうと篭め、彼は空いているもう片方の手で自分の目を覆った。
「……君って奴は、本当に……」
「ん?」
「いや、危ないなと思って」
「何が」
オルクスの言葉の意図が読み取れずに首を傾げると、彼は苦笑しつつ目から手を離し、リーベラの顔を覗き込んだ。
「リラ。今後、僕以外の人間に、絶対に着いて行ったら駄目だからね」
「へ、あ、うん」
(……なにか、まずいことでも言っただろうか)
先ほどまでの微笑みを消し、真剣な表情と瞳で、噛んで言い含めるように語りかけてくるオルクスにリーベラは戸惑いつつ頷く。
「どんなに相手に懇願されても、色々事前に準備されてて断りづらくても、絶対だからね」
彼は海色の瞳には、何かを訴えかけるような波が切実に揺らいでいて。それを眺めながら、リーベラはふと眉を顰めた。
「どこにも行かないよ。……それに」
これだけは、言っておかなくては。
「私、断りづらくて頷いた訳じゃないよ。オルクスが相手だから、傍に居たいと思った」
――そう、もし仮に、自分なぞに先程のオルクスと同じようなことをして、同じ提案をしてくるモノ好きが居るとしても。
「他の人じゃ、駄目なんだ。これってなんだろう、不公平……いや違うか、ええと」
適切に感情を示す語彙が思い浮かばず、上手く言い表せずにリーベラは焦る。
そして言い終わらないそばから、オルクスが僅かに目を見開くのが見えて。次の瞬間、くいと手を繋いでいた腕ごと緩やかに引き寄せられ、リーベラは彼の腕の中にすっぽり収まった。
「……いいや。その『不公平』が、嬉しいよ」
自分の耳の少し斜め上辺りから、柔らかく心地よい声が聞こえる。過ぎた多幸感に、リーベラはくらりとしながら息を詰まらせた。
「僕も実は、君じゃないと駄目なんだ。そもそも、他人から向けられる好意の視線が煩わしくて苦手で……唯一例外なのは、君だけだ」
「……え」
「実はそうなんだ」
――『我が主は、女性からの視線があまりお得意ではないのです』
いつぞや、シャロンが言っていた言葉の意味を、リーベラはやっと知る。
「ね、不公平だろう?」
世の中は本当に、不公平で不平等な事ばかり。
けれど。
悲しい不公平も、嬉しい不公平も、この世にはあるものだ。
「……そうだね、不公平だ」
リーベラが微笑むと、オルクスも密やかに笑って頭をこちらに傾けて。二人の額が、こつんと軽くぶつかった。
そこから広がる甘さは、まるで脳髄までもを震わせるかのようで。
「……良かった、ありがとう。実は君に婚姻誓約書の話する時さ、結構怖かったんだ。最初は君に置いていかれたくない一心で、どんな手を使ってでも君を引き留めようとしてたんだけど――いざやってみると、嫌われたり、拒絶されるのがこんなに怖いとは思わなかった」
「……一生、嫌いになんてならないよ」
「前も言ったけど」とリーベラが呟くと、「そうだった」とオルクスが軽く笑う。触れたところから伝わるそのささやかな振動が幸せで、リーベラは夢見心地に目を瞑り。
リラ、と囁き声で愛称を呼ばれ、ゆるりと瞼を開けると彼の大きな手が頬に添えられた。
そのまま互いに引き合うように、距離がゆっくりと近づいて――
「……」
二人とも同時にぴたりと止まり、そして同時に廊下の曲がり角に目を向けた。
「……ったく」
オルクスが深いため息をつき、体を離しながらリーベラの髪を一瞬するりと撫でる。
「邪魔が入りそうだ。……また後で」
オルクスの纏う空気が、一気にがらりと変わる。
一方のリーベラと言えば、未だ切り替えが上手くいかず、黙ってこくりと頷くのが精一杯で。
(……ええと、今私は、何を)
先ほどまでのふわふわとした心地と我を忘れて熱に浮かされたような感覚を思い出し、リーベラの頬に熱が昇る。
しっかりしろと自分の頬をつねりながら、オルクスと共に廊下の曲がり角まで歩いていくと、先ほど感じた人の気配が強くなり――
「で、君たちは何の用?」
オルクスが曲がり角に回り込んでその先に声をかける。
すっかりいつもの調子に戻り、目の笑わない笑みを浮かべる彼の向こう側から、どたどたと人の倒れるような音がした。
「オ、オルクス様……いつ気付いて」
デルトスの声がする、とリーベラはオルクスの後に続いて曲がり角の向こうを覗き込む。
そこには強張った顔で後ずさりをするデルトスと、廊下の絨毯に尻もちをついたフローラと、その腕を引っ張って助け起こそうとしているエルメスの姿と、そして。
「……君か」
オルクスが、深々とため息をついて口をへの字に曲げる。
「どうも、遅くなってすみませんでした」
紺青の正装に身を包んだ、銀髪に空色の瞳の青年。昨夜、その背を見送った覚えのある彼が、ひらりと笑顔で手を振った。
◇◇◇◇◇
「――で? そっちの首尾は」
「何でそんな機嫌悪いんですか、オルレリアン公爵殿」
「君、完全に確信犯だろう……」
「何の話ですかね」
(……本当に、この二人が繋がっていたとは)
狐につままれたような気持ちで、リーベラはオルクスの隣に座り、彼と目の前のアドニスのやりとりを見る。その右手は、なぜかオルクスに握られたままの姿勢で。
因みに先ほどまで居たデルトスとフローラとエルメスは、アドニスの「これから重要な話があるので」の一言と笑顔であっさりと素直に引き下がり、帰路に着いたあとだ。
――しかも、皆アドニスのことを知っていて、あのエルメスですら敬語だった。
「ま、さくっと報告からしますとですね、首尾は上々です。お陰様で王のほぼ全ての権限がいま俺にあります」
昨日の早朝から緊急招集の会議続きの甲斐がありました、とアドニスが不敵に笑う前で、「そう」とオルクスは涼しい顔で紅茶を飲んでいる。
――これは、どういう状況なんだ。
特に状況説明もされずこの場に居るよう言われたリーベラは、恐る恐る口を開く。
「ええと……アムレンシス殿下?」
呼びかけると、アドニスがぴくりと紅茶のカップを持つ手を反応させた。
「……今まで通り、アドニスって呼んでください。師匠にその名前で呼ばれるのは何か変で」
「何か変って、なんで」
「何でもです。で、どうしたんですか、師匠?」
――見慣れた狐のような笑顔を浮かべる元弟子に、リーベラは「ああ、アドニスだ」とどことなくほっとして。
「『王のほぼすべての権限がある』って、一体どうしたの」
「ああ、昨日ちょっと話したでしょう? 俺は元の場所に返り咲いて、腐った王家に復讐するためにここに来たって。それを最終段階まで進めただけです。……今の王を引きずり下ろす材料と証拠を持って」
リーベラはその言葉に目を見開く。
つまり、彼の今の目的は。
「俺の目的は王位の生前譲位です。もう王手までかけたようなもんなんですけど、ここで一つ問題がありまして――現国王の意思確認が必要なんですよ。それが今、物理的にできなくて」
「……物理的」
「ええ、そうです。そこでここへ、師匠へお願いに上がったんですが……」
――アドニスの口調の歯切れが、だんだん悪くなっている。
そして自分の隣の青年が放つ雰囲気が鋭いものになっていくのを、リーベラは肌で感じた。
少しずつ、オルクスに繋がれた右手にかかる彼からの握力が増したのも。
(私に「お願い」すること。今の私に、できること)
この状況では、1つしか思い浮かばない。
「――王が飲んだ毒の解毒剤を、私が作ればいいんだな」
言った瞬間、オルクスがリーベラの手をぎゅうと固く握りしめた。
丁寧に描写を書くこととストーリーを進める兼ね合いが難しいですね…。
長々と続いてしまって恐縮です…
いいね、ブクマ、本当に本当にありがとうございます!! 続きを更新する元気をいただいております!!!
話はまだ少し続くので、どうかお付き合いいただけますと幸甚です…!




