0ー1.あの頃、拗れた僕たちは(オルクス視点)
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誰かに、ずっと見られている。そんな監視のような視線を感じ始めたのは、いつからだったろう。
――『気を付けて。大切なものを、失わないように』
警告の始まりは、1通の手紙からだった。
◇◇◇◇◇
「どうですか、次期公爵殿。師匠を助けたいのなら、俺と手を組みませんか?」
筆頭魔女となった想い人の、変わり果てた姿を目にした後。
憎くも彼女の隣に立っていた、彼女の弟子だという少年が――そいつが魔法で屋敷に居た自分の前に急に現れ、素性を明かして取引を持ちかけてきたのを、今でもよく覚えている。
今なら分かる。あの時僕たちは両方とも、最初から彼に目をつけられていたんだと。
彼はやたらと王城に詳しく、王族やその護衛しか知らない区画にも詳しかった。
彼の話の信憑性は高く、何より他ならぬリラがその手を取り、師弟の契約を交わしたというのも大きかった。
自分ではない、今のリラの隣を確保できた人間が――彼女が自分の手で選んだ人間が、目の前にいる。
そのことに胸を抉られながら話を聞いて。そしてもっと、抉られる羽目になった。
――ああ、無知とは、なんて罪。
僕はその時、初めて『筆頭魔女』の本当の意味を知った。
たった1人の犠牲と献身で、多くの人間の命と安全が守られる世界。最大多数の最大幸福。
だけれどその「たった1人の犠牲者」が、世界で一番大事なひとだとしたら。
自分にとって、「たった1人の大切なひと」だとしたら。
――そんな状況を、想像したことはあるか。
「あの人の身柄は王のものです。師匠を助けるには、この世界を、この歪んだ国と制度をひっくり返すしかない。幸いにも、俺はその力がある。――どうです、最後に決めるのは貴方だ」
世界と愛する人、そのどちらか。僕は迷わず後者を選んだ。何でもやると、その時決めた。
彼女の弟子の素性をきちんと確認するのは、簡単だった。王城で移動魔法を使わせればいい。
王城内へは、王家の血を引く魔力を持つ者以外は移動魔法を使えないのだと、前にリラから聞いていた。だから彼女も、通用門を使っていたのだと。
そんなふとした時にも彼女を思い出してしまって、もう駄目だった。
「妹に会えば更に分かる」とあの弟子に言われて、僕は秘密裏に王女の護衛時に、待ち合わせ場所へ行った。今から思えば、護衛としてあるまじき行為。けれど、どんなそしりを受けようと、リラを救うためなら何でもしたくて。
そこへ本当に移動魔法で現れた少年を前に、王女は震える体で泣き崩れた。
聞けば、彼らは幼少期、本当に仲の良い兄妹だったと言う。
だがある日、兄の空色だったはずの瞳が赤くなり、彼は隔離され。妹姫はその後、「兄が呪いにかかって亡くなった」と聞かされ、彼が捨てられて生きていたという真実も知らずに、死んだと思い込んでいたのだと。
特徴的な黒子の位置がだとか何やら言っていたが、そんなことはどうでもよかった。僕にとっては、リラを救うことだけが全てで。
そこから始まった根回しと策略、彼女にかけられた術を解く方法を探す日々。
リラを救う手立て探しは本人には言わず、自分たちだけで進めることは最初から決めていた。
「……少し見れば分かりますよ、あの人は本当に馬鹿です。とりあえず何でも、自分を犠牲にしようとする」
あの人を食ったような言動ばかりする気に食わない弟子も、そう言って賛同した。
知られれば暴走されて、彼女が何をしでかすか分からない、とも。
それは完全に僕も同意で。――だけれど、そう話す弟子の横顔が本当に気に入らなかった。
お前は彼女と会話が出来て、行動を共に出来ているからいいよなと、心の中で毒づいた。
――その時ちょうど僕は、彼女に避けられていたから。
それが一番辛かった。
リラが会話に反応を返してくれなくなったこと、感情を見せないこと、そして僕から逃げていくこと。
弟子から彼女が王城へ出かける時間や普段の様子を逐一報告させて、彼女に足繁く会いに行っても。
労いの言葉をかけても、言葉少なに頷かれるだけで、感情も見えないまま何故か逃げられる。
挨拶をしようとしても、避けられる。
居ても立っても居られず、意を決して彼女の屋敷まで行っても。魔法がかけられているのか、門に弾かれて入れなかった。
――どうして、僕を避けるんだ。
呆然とする中、ある時屋敷に、1通の手紙が来たのだ。
差出人不明の手紙の中には、たった一文。
『気を付けて。大切なものを、失わないように』
僕にとっては、大切なものはたった1つで。
その一文が、差出人不明の手紙が。僕に恐怖を抱かせた。
そして同時期、誰かから見張られているような視線を感じることが多くなって。
そんな時期に、当時王子だったアレスから、僕は呼び出しを受けた。
――「あまり周りを刺激しないでやってほしい」と、王子は僕に申し訳なさそうに頭を下げた。
「君は、存在が目立つから。君がリーベラにあまり親し気に話しかけると、彼女に全部歪みがいく。嫉妬や陰謀の渦に彼女を巻き込みたくなければ、申し訳ないが、親しく話しかけるのは控えてくれ」と。
痛々しそうな、顔をしながら。
そうして彼は、今は病で臥せっている王からリラが魔法をかけられて、痛覚と感情が鈍くなっていると、だから話しかけても良い反応が返ってこないかもしれないよと僕に教えた。
――王がその魔法をかけた理由が、リラを任務に専念させるためだとも。
「ひどい話だろう? だけど私も解き方が分からなくてね」
そう言って、彼はリラに無理をさせないように調整するよと微笑んだ。いつもの、人好きのする笑顔で。
――今思えば、全部あれはあいつの思うツボだった。あいつはリラを手放す気が、さらさら無かった。
それでも王子の言葉から、僕たちは王家が得意とする「精神魔法」――ひいては一般のどの書物にも記載されていない、王家だけが知る「禁じられた魔法」があるのではと、仮説を立てた。
禁じられた魔法は、王家が一般に禁じた魔法だ。取り締まるのも王家だが、その大元が腐っていたとしたら。
誰も咎める者はいない上に、それを占拠できるのも王家のみ。大いにありうる話だった。
王女の手引きで僕らは王家しか入れない場所や書庫、あらゆるものを片っ端から探っていき。
解決策が見つからずに歯噛みする中、更に事態は悪化した。
――僕がリラに話しかける様子が見られていたのだろう、王城内でリラの悪い噂が拡散していた。
いわく、「魔女が次期公爵を誑かそうとしている」だの、「気を引こうとしている」だの。
他にも背びれ尾びれがついて、彼女の悪い噂はそこかしこに広がっていた。
――どうして、こうなった。
僕は彼女と、碌に話せてすらいないのに。避けられてすらいるのに。
『気を付けて。大切なものを、失わないように』。
もしや僕が彼女の周りをうろついたせいで、恐らく僕を狙っているあの差出人不明の手紙の主が、彼女に害をなすのではと怖くなった。
そんな時だった。ある日彼女の弟子が、珍しく沈痛な面持ちで僕に頼んできたのは。
「あんた、幼馴染でしょう。師匠をなんとかしてください、俺じゃどうしても無理なんです」
「……無理って、何が」
――彼女の隣を今独占しているのは、お前の癖に。僕なんて、避けられているのに。
「――俺だと力不足で、話が続かないんですよ。人は、人と会話しないと、感情が動かないと、心がゆっくり衰えていくんです。俺には痛いほど、分かる。
このままじゃまずい。喧嘩でもなんでもいい、あの人の感情を動かしてください。とにかく会話が続けば続くほどいい。あの人は感情が鈍くなってるだけで、消えたわけじゃないんです。できるのは幼馴染のあんたしかいない」
――八方塞がりだった。
どうすれば彼女に避けられないのか。不安を抱えたまま、僕は王城でリラと出くわすように王城へ出向いて。
そこで彼女がフードを被ったまま、廊下を歩いているのを見た。
顔を隠していても、歩き方の癖で彼女だと瞬時に分かってしまう自分が憎かった。
「……リラ」
掠れる声で呼びかけると、彼女は一瞬足を止めかけ――そのまま歩いていこうとした。
完全に、聞こえなかったフリをするつもり。避けるつもり。
――「どうして」という思いが、頭にこだまする。
どうして、どうして、どうして。
どうして、僕を避ける。話をしようとしない。
『人は、人と会話しないと、感情が動かないと、心がゆっくり衰えていくんです』
「……リーベラ!」
耐えかねてつい大きめの声で呼びかけると、彼女がびくりと肩を震わせて立ち止まった。
「……なんで、無視するんだ」
この期を逃してはならないと大股で近づくと、彼女が何かを小声で言うのが聞こえて。
ああ、もっと近づいて声を聞きたいのに。
――『嫉妬や陰謀の渦に彼女を巻き込みたくなければ』
「……聞こえないな」
ああ、もっと優しく話したいのに。もっと言い方はあるのに。
――『申し訳ないが、親しく話しかけるのは控えてくれ』
「もっと大きな声で話してよ」
こんな喧嘩腰に聞こえるような言葉じゃなくて、もっと優しい言葉で、声音で、話し掛けたいのに。
――『気を付けて。大切なものを、失わないように』
誰か、誰かこの地獄を、何とかしてくれ。
自己嫌悪で死にそうになっていると、彼女がゆっくりと頭を上げた。
「……大きな声って、どれくらいだ」
――ああ、久しぶりに聞いたリラの声だ。聞きたいとあれほど焦がれた、彼女の声。
「ん、それくらいでいいよ」
なのに、こんな反応しか返せない今の自分と、状況が、憎くて憎くてたまらない。
「任務の帰り?」
「そうだ」
――ああ、よかった、会話が続く、けど。
「弟子は?」
「王との謁見には第三者が入れない。当たり前に連れていけない」
「そりゃ失敬。それはそうだ」
――あまりに味気ない会話だ。そして雰囲気は険悪そのもの。当たり前だ、僕があんな話し掛け方と言葉選びをしたのだから。
けれどローブの中を覗き込んで見えた彼女の目には、無表情そうに見えて、感情の波が少しだけ揺れていて。
「……じゃあ私は行くから、またな」
彼女は僕に、「またな」と言った。
『「じゃあまたな」って、次〝当たり前にまた会おう〟って、会うことを前提にした感じがする。すっごくいい言葉』
――彼女がかつてそう言った、その「またな」だけが、僕のよすがになった。
何度か試みるうちに、喧嘩腰で皮肉りながら会話をするのが、皮肉にも彼女と一番会話が続くことに気づいた。
優しく話し掛けても反応はない。喧嘩腰で呆れたように話し掛けると、彼女は僕に反応してくれる。
感情を少し、僕に向けて見せてくれる。
『相変わらず、味気ない格好してるな。少しはお洒落すれば?』
『うるさい。これしかないんだから仕方ないだろう』
『え、他持ってないの?』
『同じのを何枚も持ってるだけだ』
今から思えば、君は僕を守ろうとしてくれていたんだろう。
親しく話せば、僕に危害が及ぶのをどこかで恐れていたんだろう。
喧嘩腰の会話であれば、安全に会話ができる。そう思ったのかも。
僕も僕で、あの日から「誰かに監視されている」という視線が、親しく話してリラになにかされたらと言う恐れが邪魔をして。それが怖くて、たまらなくて。
互いに、きっと互いが害されるのを気にして、こういう会話しかできなかったんだ。
喧嘩腰にしか長く会話できない、歪で拗れてしまった僕ら。
どうして、こうなってしまったのだろう。
でも、僕は君を失ってしまうのが、何よりも怖い。
――お願いだ、心を少しでも動かして。そして少しでも、会話を続けてくれ。
本当は彼女を攫って安全なところに連れて行きたかった。けれど、監視の目が続いている僕のところへは連れて来られない。僕も彼女の元へ、僕のせいで発生する危険を引き連れていくわけにはいかない。
おかしいことだらけだったんだ。君が任務に行くとき、僕には必ず示し合わせたかのように別の仕事が割り当てられてくる。
まるでタイミングを合わせたかのように、僕と君が会うのを、僕が君を助けるのを妨害するように。
余計な動きをすれば、何が起こるか分からない中で。
毎日毎日、君が無事であれと祈り、あの憎たらしい弟子に君を守ってもらうしかなくて。
毎日毎日、弟子からの一報と、彼から聞かされる君の話を待ちながら、方法を探し続けた。
そうして、君に何かがあったら僕のすべてを持ってして叩き潰せる位置につけるように、史上最年少で筆頭騎士の座を勝ち取った。全部は、彼女の為の武器。
公爵、筆頭騎士の地位、この力もすべて。
そうしてやっとリラを完全に救えそうだと算段がついた頃に、「それ」は起こったんだ。
リラ。僕は君に、1つだけ嘘を吐いた。
『どうしてあの日、私の家の近くに居たのかなって』
『――ああ。あれは……君と話した様子がなんか、おかしかった気がして。胸騒ぎがして行ったら、小さくなった君が外に居ただろ。……本当に、びっくりした』
そう、あの日のことだ。
――きっとこの先、「あの日」以上に、僕が絶望することはないだろう。
オルクスくんにも事情があったんだよ回です。
独自設定を入れすぎて、「わけわからん、つまんね」と思われないかと戦々恐々としております…
色々書いていない設定もあるのですが、これでもだいぶ省きました…そして本文自体も書ききれなかったので次回に続きます。
よろしければお付き合いいただけると嬉しいです…!




