1-7.役立たずになった魔女
「何が、と言っても」
リーベラは躊躇いながら口を開いた。
「まずは杖を作り直して、魔法をまた使えるようになれば何でも……」
「忘れたの? 君が杖を使っていたのは、その強すぎる力を制御して自在に使いこなすためだ。杖がなくても、君は魔法を使えるはずだよ」
オルクスの淡々とした口調に、リーベラの肩が一瞬震えた。それを見つつも、彼はさらに畳みかける。
「例えばそうだな……このハンカチ。これを浮かせてみてごらん。力の制御をミスって裂けても別に構わない」
オルクスが騎士服のポケットから、濃い藍色の布地を取り出す。リーベラはしばし黙ってハンカチとオルクスを見比べた。
「い、いいのか」
「いいって言ってるじゃん。ほら早く」
オルクスが自分のハンカチを、白手袋を嵌めたぞんざいな手つきでポイと木製のテーブルの上に放り投げる。リーベラは少し離れた立ち位置から、そのハンカチめがけて右手をかざす。
彼女の右手の平を見て、なぜだかデルトスがはっと息を呑む様子が、リーベラの視界の隅に映り――次の瞬間、彼女は呆然と呟いた。
「……なんで? 魔法が、使えない」
自分の手から、何の魔力も出てこない。今日の、この姿になる前は、金色の光をまとう魔力が確かに自分から出ていたのに。
遠く離れたテーブルの上にあるハンカチ一つくらい、浮かせるなりなんなり、息をするようにできたはずなのに。オルクスの言う通り、たとえ杖がなくてもだ。
「やっぱり、そうか」
オルクスが真面目な顔つきでリーベラの顔をじっと見遣る。彼女は手を震わせながら、そこにぼうっと突っ立っていた。
「おかしいと思ったんだ。僕が君から昔預かった鍵を使ってこの屋敷に入った場合、入った後は自動で鍵が閉まるようになってた――リラ、君の魔法でね。それが今回は、作動してなかった」
リーベラはぼんやりと目を見開く。そして思い出した。
――『不具合か?』
今日この姿になってから外に出るとき、自分自身が呟いた言葉だ。あの時、扉が自動で閉まらなくなって不思議に思ったことを、今更ながらに思い出す。
「不具合、なんかじゃなかったんだ」
リーベラの全身が震え出す。
「そもそも、私自身の魔力が、なくなってたからなんだ……」
魔法には、いくつか種類がある。そのうちリーベラが屋敷の扉にかけていたのは、持続的に一度開いた扉を自動的に都度閉められるようにする魔法。これは日々何度も繰り返されることが想定される魔法のため、定期的に見直しが必要な魔法だ。
ぐるぐると考えつつ、リーベラは最悪の事態まで考えてほっと息を吐く。
(……大丈夫だ、アドニスの封印に使ったのは永久魔法。たとえ私自身が死んでも、決して解除されることのない魔法)
だからこそ代償が大きく、リーベラは死ぬことを想定していた。そのくらいの魔法が、この屋敷の地下室にかかっている。
例え自分自身の魔力がなくなったとしても、あの魔法が破られることは――封印が解かれることは無いはずだ。
一番の懸念点が自分の中で問題解消されて、リーベラの身体の震えは一度小さくなった。
が、しかし。
「私が役立たずになったことに、変わりはないな……」
リーベラは呆然と呟いた。今までの人生、自分の魔力と魔法の力、それ一本のみで生きてきた。
なのに、それが使えないとは。
自分の存在価値を一気に失った気分だった。
「うん、だからね」
一人自分の世界に入り込んでしまったリーベラの隣に立ち、オルクスがこほんと咳払いをする。その様子を、デルトスは固唾を呑んで見守った。
「リラ、君に僕から一つ提案が。よかったら、これから僕の屋敷に……」
「……ちょっと、外の空気を吸ってくる」
リーベラがふらふらとした足取りで歩き出す。しかもその足取りはおぼつかないのに、やたらとスピードだけは速い。
「え、ちょっと、リラ?」
「オルクス様、多分完全に言葉聞こえてないです。先にそんなにショックを与えるから……」
デルトスがやれやれとため息を吐きながら肩をすくめると、凍てつくような視線が彼に降り注いできた。デルトスは顔を上げ、その場に凍り付く。
「デルトス。ちょっと留守番、よろしく」
「……は、はい」
ひくりと口を引きつらせながらデルトスは言葉少なに敬礼し、自分の上司がリーベラを追って部屋から消えていくのを見送った。
「満面の笑みなのに目が笑ってないの、まじでおっかねえあの人……」
デルトスは心から縮み上がりながら、上司の幼馴染である、あの美しい魔女の無事を祈るのであった。




