4ー11.一番素直な気持ち
ものすごく遅くなってしまって申し訳ございません……!!
どうか、お楽しみいただけますよう祈っております…
――いつもは、廊下側の扉から来るのに。どうしてそっちの謎の扉から来るんだろう。
黒いシャツにズボンという、完全にラフな服装で呆然と佇むオルクスを見ながら、リーベラは現実逃避のようにそう思った。
「……君、なんでまだ起きて」
何かを言いかけたオルクスが、「しまった」という顔で口を押さえて言葉を切る。
既視感のある表情な上に、その左手薬指には例の指輪が嵌まっていて。見た瞬間、リーベラの心は沈み込んだ。
が。
――顔を見られるのも、もう最後なのだ。このまま話せずに気まずい終わりだなんて、嫌だ。
「オルクスあの、話が」
「……っ」
彼が表情を歪めながら後ろに下がるのを見て、思わずリーベラは一歩を踏み出す。
「ま、待って。行かないで」
思ったよりも切実な声が出て、自分でも驚く。オルクスが苦い顔をしつつも、その場になんとか踏み止まってくれたのを見て、彼が扉を閉めないうちに畳み掛けるべく口を開き。
「オルクス、あのね」
「……やめてくれ、聞きたくない」
彼の硬い声が聞こえてきて、リーベラの声が喉に詰まった。
――話をすることすら、拒絶されている。
(……これは、どうすれば)
拒絶されているのに話して更に嫌われるのも嫌だけれど、もう彼と話せるのは今が最後。
情けないことに一瞬頭が真っ白になって、リーベラは俯いた。
(駄目だ、呆けるな。最後なんだから、なんとか引き止めて、何かを言わなければ)
思考がまとまらないまま、リーベラが口を開こうとした時だった。
「……駄目だ、やっぱり諦められない」
オルクスの掠れ声が、2人の間にぽつりと響く。
「……え?」
恐る恐る顔を上げるリーベラの前に、影が落ちた。目を向けると、そこにはひどく強張った顔つきのオルクスがいて。
目を伏せながら、彼がのろのろと口を開く。
「――頼むから、もう一度、考え直してくれないか」
彼の深い青色の瞳は揺れていて、その声も少し震えていて。くん、とローブに加わった重みに下を向くと、彼の手がリーベラのローブの裾を震える手で握っていた。
――オルクスとの、距離が近い。
切なさと焦りと、久しぶりに彼の近くに居られる喜びと、そして迫る別離への、胸をつんざくような悲しみ。それらがないまぜになって胸を詰まらせるリーベラの前で、オルクスの喉がひくりと動いた。
「……俺の我儘なのは分かってる。本当はこの手を離すべきなのも、分かってる。だけど、やっぱり、どうしても、無理なんだ……」
普段とは違う、どこか懐かしい響きの一人称で、彼が絞り出すように呟く。
「……オルクス?」
彼は一体、何の話をしているのだろう。明らかに、何かが噛み合っていない。
「……君を怖がらせるようなことは、もうしない。今までずっと困らせて、本当にごめん。君が近づくなと言うなら近づかないし、君の望むことならなんだってする。だから、」
「ちょ、ちょっと待って」
何かが、誤解されたまま進もうとしている。怒涛の彼の言葉にリーベラが必死で待ったをかけると、彼は顔を強張らせたまま口をつぐんだ。
何とか誤解を解こうと、リーベラは前のめりに首を振る。
「違う。怖くなんか、ないよ。困っても、ないよ」
「……嘘だ。君はずっと、俺を怖がってる」
リーベラの言葉に苦し気に顔を歪めて、オルクスが首を振った。その光景を見て、リーベラの脳裏に彼の言葉が蘇る。
――『そんなに、僕が怖い?』
――『リラ、怖がらないで』
確か、彼はそう言っていたことがあったのだ。その意味が、今更やっと分かった。
(……ああ、私はなんてことを)
――あの男に嫌われるのが、拒絶されるのが、失望されるのが、見放されるのが『怖い』んですよ。
(全部、自分のせいじゃないか)
オルクスに、自分の『怯え』は伝わってしまっていたのだ。彼のせいではない、自分自身の勝手な都合の、怯えのせいで。
――オルクスは、言葉にして『怖がらないで』と伝えてくれていたのに。こんなことになるまで、私は。
「……違う。オルクスのせいじゃ、ない。私が、わ、私が……」
オルクスの心配そうな色を浮かべた揺れる瞳の中に、自分の姿が映っている。
――この距離でいられる時間も、あと少ししかない。
全部、正直になれるのも、今しかない。
「私が、オルクスに嫌われたくなかった、から。オルクスに嫌われるのが、怖かったからで」
ひくりと語尾が震え、喉に重たい空気がこみ上げ、リーベラは思わずまた俯いてしまった。
「ずっとそれで、目が見れなくて。本当に本当に、ごめんなさい」
――ああ、言ってしまった。彼はどんな、反応をするだろう。
顔を上げるのが怖い。けれどもう、怖いだなんて言ってられなくて。
意を決して顔を上げようとした、その時に。
「……嫌いになんて、なるわけないだろ」
掠れ声で、けれど優しく柔らかな声音で。オルクスの声が、頭上から降ってきた。
「……本当に?」
「本当に。――ねえ、リラ、こっちを向いて」
『リラ』と、彼しか呼ばない愛称を呼ばれて。その響きの甘やかさに、耳がしびれる心地がして。
目をそろりと上げると、彼が真剣な表情でこちらを見ていた。
その瞳の中の不可思議な波に吸い込まれるように見入っていると、オルクスがそっと囁くように、声を掛けてきた。
「……触られるのは、まだ怖い?」
「……怖く、ない」
もう、その低く甘い声を聞くだけでも心臓に悪い。動悸を必死になんとかコントロールできないものかと思っていると、頬に温かいものが触れる気配がした。
――ああ、これは、オルクスの手だ。
触れたところから、じんと熱が広がって。ずくりと心の奥が、ざわめきの音を立てた。ずっと焦がれていた彼の手の温かさに、過ぎた喜びに、リーベラの心が思わず震える。
「……リラ」
――時間を、止めてしまいたい。
「このまま此処に、居てくれないか」
――この時間のまま、ずっと、ずっと、永遠に。
「……君が側に居ないと、悪夢を見るんだ」
そう言って寂しげに微笑みながら、誤解させるようなことを言う、目の前の幼馴染は本当に罪作りだ。
王女様がいるじゃないか、と胸が軋んだけれど。
(……今だけは。今だけは、少しくらい誤解したふりをしてみてもいいだろうか)
――ああ、何もかも忘れて、このまま、ここに居られたらいいのに。
この素晴らしい時間が、瞬間が、もうすぐ終わるだなんて。
もう、二度と彼に会えないなんて。彼の隣に、別の女性がいつか立つだなんて。
そんなこと、考えたくなんてなかった。
けれど。
――『大体、居場所は分かってる。今日の夜の12時に、一人で私の元に戻っておいで』
彼が危険に晒されるのは、もっと辛い。
だから自分は、もう行かなければならないのだ。
「……ごめんねオルクス、ありがとう」
そっとオルクスの手を取り、リーベラはやんわりと彼の手を下ろして距離を取った。
――これでもう、オルクスに触れられることは、二度となくなる。
その思いが、胸にこみ上げて。じわりと目元に、熱いものが溢れてきそうになるけれど。
(……忘れるな。これは、全部自分のせいなのだから)
そう思って感情を無理やり抑えて目を上げると、目を見開いて固まる彼の顔が見えた。
「……リラ?」
「ごめん、それ以上近づいたら困る」
掠れ声で言いながら前へ一歩踏み出してくるオルクスにそう言うと、彼はぴたりと足を止めた。
――律儀に、先ほど言った言葉を守ってくれている。
そのことにすら、胸が痛んだ。彼の言葉をこうして逆手に取ることしかできない、この自分にも嫌気がさす。
だけどこれ以外に、方法がない。
移動魔法に、彼を巻き込むわけにはいかないからだ。
「……どうして?」
顔を歪めたオルクスが、こちらにそう問いかけてくる。
――ああ、なんでもっとうまく話せないのだろう、私は。そんな顔を、してほしいわけじゃなかった。
「ちょっと、行かなくちゃいけないところがあるから」
「……どこに?」
「……少し、任務の後片付けに」
嘘はついていない。これから自分は、王の元に行くのだから。
本当は、オルクスに挨拶をして、彼が寝ている間に出て行くつもりだったのだけれど。
こうなっては、仕方がない。彼の目の前で消えるしかなくて。
――私、本当に未練がましい。こんな状況でも、彼の前で、関係性に終わりを告げたくないなんて。
「……俺も、一緒に行く」
そう硬い表情で言ってくれる幼馴染と、あまりにも離れがたいけれど。
「それは駄目」
そう言うしかない、この状況が本当に憎くて、辛くて、悲しかった。
「……それは、俺が邪魔だから?」
――そんなわけが、ないじゃないか。そう思うと同時に、本音が口からこぼれ出る。
「……違うよ、大切だからだよ」
一番に守りたくて、大事で大切だから、傷ついてほしくなくて。
安全に平和な世界で、笑って、生きてほしくて。
悲しんでほしくないと、苦しんでほしくないと、ずっと思っていたのだから。
そう、だから、彼には幸せになってもらいたい。
――できればその隣にいるのは、自分でいたかったと、思うだけなら許してもらえるだろうか。
「……え」
目の前でじわりと、オルクスが目を見開く。その顔ですら、すべてが愛おしくてたまらなくて。
――ああ、やっぱり『好き』だ。
目の前にいると、否が応でもそう思ってしまう。
他にも言いたいことは、たくさんあるけれど。時間がもう、足りなかった。
(……最後に、何が言えるだろう。何を言うべきだろう)
最後だからと吹き出る思いの中で、リーベラははたと思い出す。
少し前に死ぬはずだった、あの時自分が思ったことを。
――もっと話せていればよかった。
もっと素直に、なっていればよかった。
――もう、本当にこれで最後ならば。
少しくらい、素直になってもいいだろうか。
想いを、伝えるだけなら、いいだろうか。
『人の気持ちはな、自由に遣り取りしていいんだ。物じゃないんだから』
――ああ、そうだ。そうじゃないか。そう、優しい人たちに、教えてもらったじゃないか。
言いたいことは、たくさんあるけれど。
もう最後ならば、この想い全てが集約された、あの言葉を言おう。
懐から魔法石の巾着を取り出しながら、リーベラはオルクスに向かって微笑みかけた。
(上手く、笑えているといいのだけど)
「……っ、リラ、君、何を」
「絶対、来ないで。絶対よ」
こちらにまた踏み出してこようとするオルクスを手で制し、鋭い声を出す。オルクスが顔を強張らせて立ち止まった隙に、リーベラは口を開いて畳み掛けた。
「……オルクス、私ね」
――言い逃げみたいで、卑怯かな。
だけど最後に言うのなら、一番素直な気持ちがいい。
「――あなたのこと、大好きだった」
だからね、オルクス。例え、離れたとしても。
もう二度と、会えなくなったとしても。
ずっとずっと、私は。
あなたが幸せになるよう、祈ってる。
だけどね、本当は。
ああ、やっぱり嘘はつけない。
本当は、私は。
「――本当は、あなたの側に、ずっとずっと、居たかった」
暖かい一筋の熱が瞳から流れると同時に、リーベラの視界は次の瞬間、青い閃光に包まれた。
遅くなってしまい、本当に本当に申し訳ございませんでした。
今回の原稿が過去一番手こずりました…もしかしたら後々手直しする可能性もあります…
温かいお言葉、ブクマ、いいね、ご評価、本当に本当にありがとうございます!!
今後とも精進いたしますので、ぜひお付き合いいただけますと幸いです…!




