4ー3.会いたい人に、会えた時間
またも遅くなり申し訳ございませんでした……。
今日もお訪ねいただき、ありがとうございます。
どうかお楽しみいただけますよう、祈っております…!
そのことに気づいたのは、朝食のクロワッサンを食べている時だった。
――そういえば、昨日からオルクスの笑顔を、一度も見ていない。
目の前に並べられた朝食をひたすら見つめつつバターたっぷりのクロワッサンを口に運び、リーベラはぼんやりとそう思った。
テーブルの上には、新鮮な野菜のサラダに温かいコーンスープ、ふわふわのオムレツに甘くないパンケーキ。しかも今食べているクロワッサンの他にも数種類のパンがにこんもりと置かれ、カレー風味のリゾットまである。
朝食が用意された部屋に入るなり、用意された食事の多さに困惑して棒立ちになったリーベラへ向けて、「ちゃんと食べて」と言葉少なにオルクスは念押しし。
その後、彼から一言も話し掛けられないまま、そしてリーベラも口を開かないまま、無言の朝食時間が続いていた。
アンティークの大きな置時計が刻む針の音と、時折微かに聞こえる食器の音。
朝日が柔らかく差し込む洋室の中で、聞こえる音はそれだけだ。
――オルクスが、何も喋らない。
彼の様子を見てみたいけれど、怖くて顔が上げられない。彼の反応を、見るのが怖かった。
「……リラ」
「うおはいっ!?」
沈黙に満たされていた空間の中で、不意にオルクスに名を呼ばれ。リーベラはびくりと肩を震わせ、思わず声を漏らしてしまった。
自分の声に自分で驚き、慌てて口を手で塞ぐも、時すでに遅し。
(こ、この口め……!)
先ほどオルクスに廊下で呼び止められて出した時の声よりも悪化している。もはや恐らく、女子の上げる声ではない。
「……」
オルクスはリーベラの反応に、何も言わない。リーベラは途方に暮れ、今の拍子にクロワッサンから溢れて膝上のクロスに落ちた、表面の香ばしいパリパリの皮の破片を見つめる。
いっそのこと、笑い飛ばされた方が楽だった。
でも、「変」に思われるのも嫌で。
――こんな変な声を上げた自分を、彼はどんな顔で見ているのか。
『あんたは「普通の感覚がなくなった」自分を恥じていて、あの男に嫌われるのが、拒絶されるのが、失望されるのが、見放されるのが「怖い」んですよ』
――ああ、アドニス、その通り。
私は彼に嫌われるのが、失望されるのが、呆れられるのが怖い。
――『普通』に、なりたい。
オルクスの前で胸を張って目を見て堂々と話せるような、そう、例えばあの王女様のようなひとになりたい。
昨日、オルクスは彼女と夕食を共にしたのだろうか。和やかに穏やかに、会話をしながら。
彼に嫌われるのが怖くて、口すらまともに聞けない、目と顔を見るのも怖い自分と、どうしても王女を比べてしまいながら。それでも口が自分から開けない。
(どうしてだろう。これがエルメスやフローラやアドニスなら、自然に話せるのに)
彼らに嫌われるのは、もちろん嫌だ。だけど別に委縮はしない。
けれど、オルクスを前にすると、全然勝手が違うのだ。
「……リラ。僕に何か、言いたいこととか聞きたいこと、ない?」
頭の中でぐるぐると考えが迷宮入りしそうな傍らで、オルクスが言葉を続ける声が聞こえた。
リーベラはいったん思考を止めて、そろそろと右斜め隣にいる彼の方向を見る。
どうしても顔が直視できなくて、視線は彼の白い開襟シャツのあたりで止まってしまったけれど。どうやら彼は今、朝食の手を止めてこちらを窺っているようだった。
――どういう意図の、質問だろう。しかもこのタイミングで。
言いたいこと。聞きたいこと。沢山あるけれど、どれも言えない、聞けないことばかり。
王女とはどうなっているのか。昨日二人で、何をしていたのか。今、何を考えているのか。今、自分をどう見ているのか――
聞けるはずが、なかった。
だって答えを、聞くのが怖い。
そして、言いたいこと。自分がここを去る前に言いたいことも、別れの言葉も、考えなければならなくて。
だけどまだ、できていない。
「さよなら」の準備が、できていない。
だから。
「――何も、ないよ?」
そう答えると、オルクスがまた押し黙ってしまった。もはや食器のこすれる音すらせず、またも沈黙が空間を支配する。
(……何か、何か言わないと。この場をとにかく、どうにかしないと)
沈黙に慌てふためいて思考を巡らせ、リーベラは慌てて口を開く。
「あ、あの」
「……ん。どうした?」
想定していたよりも柔らかい声で聞き返され、その声色にすら甘さを感じて、リーベラの背筋が震えた。
――もはや会話をするだけでも、心臓に悪い。
「ええと……今日ってオルクス、王城出勤日だよね。いつ頃まで、勤務なのかなって」
今日はアドニスが屋敷に来ると言っていたけれど、オルクスと鉢合わせしたりしないのだろうか。
そう思って聞いた質問だったのだけれど、リーベラは違和感にふと首を捻った。
(……そういえば、アドニスから何で第二騎士団に居るのか聞いてなかった)
しかも、オルクスが彼のことに気づいているのか、知っているのかすら聞かされていない。分からないことだらけだし、下手を打って藪蛇になってもまずい。
アドニスのことは、言わない方がいい。リーベラは直感的にそう判断して、彼の勤務時間を聞くだけにとどめる。
「……君が僕の勤務時間を気にするの、珍しいね」
オルクスからそう、答えではない返しが来て。
(――もしかしてまた、何か間違えた?)
リーベラは「ええと」と慌てて言い訳を探す。何かとっかかりがないかと数少ない記憶をひっかきまわし、「そうだ」と思い当たってまたも口を開く。もう思考がぐちゃぐちゃだ。
「前は確か、随分早朝とか、深夜に王城にいた、気がしたから」
――そう。王城にリーベラが行くときは、早朝か深夜がほとんどで。人があまりいない時間を指定されて王城に向かい、その途中でオルクスを見かけたり、会話や喧嘩を吹っ掛けられたことが何度もあったのに。
最近のオルクスは、夜には帰ってきてリーベラと会話しながら寝落ちして。そのままこうして一緒に朝食をとるという生活スタイルだ。
たまたまそういう勤務体系の期間なのだろうか、と質問をしつつ、改めて考えなおして疑問に思う。
「――ああ、それね」
オルクスの、軽く柔らかな笑みの声が聞こえて、リーベラは思わず顔を上げる。
「……あの時は、会いたい人に会えるのが、その時の王城でだけだったから。時間を調整して、勤務してた」
(……あ)
オルクスの表情を見て、思わずつきりと胸が痛む。彼が、あんまり物憂げな、切なげな表情で微笑んでいたから。
あれは、誰に対しての表情なのだろう。王城だから、やはり王女様だろうか。
二人は、当時から会っていたりしたのだろうか。
王城の廊下で時折オルクスとすれ違うだけのリーベラには、彼の生活や会っていた人々、そして人付き合いなど知りようもなかった。
その、自分の知らない彼がいるという事実を突きつけられて、胸の奥あたりが軋む。
「今日は18時頃には帰るよ」
「……そう」
「――君に話さなきゃいけないこともあるし、夕食が終わったらすぐ部屋に行くよ」
「……え」
――話さなきゃいけないことって、何だろう。
昨日の王女様のロイヤルブルーのドレスをふと思い出し、リーベラの背筋は強張って。
それから朝食を食べ終わるまで、オルクスは黙ったままだった。
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超絶自転車操業なのでリアルタイムで励みになります…!これからも頑張ります…!
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