1-5.オルクスの部下は震え上がる
「おっと、危な」
オルクスの声と共にぱしりと上から腕を掴まれ、リーベラは床にぶつかる寸前で引き止められた。
(……目が、回る)
寝起きで受け身を取り損ね、不意に落ちかけた余韻で、視界が束の間ブレていて。リーベラは頭を抱えて目を瞑り、身体を起こした。
「随分、派手に転がり落ちたもんだ」
「悪かったな……」
からかうようなオルクスの声を受けながら目を開けると、目の前に彼の顔があった。
その手は、リーベラの腕を持ったままで。
リーベラは反射的にのけぞって、ずざざと後退りをした。
「そんな警戒しなくても」
「さっき助けてくれたのは礼を言う。だけど、手刀で人を気絶させた人間に言われたくない」
「ああ、そういやそうだった」
警戒して後ずさったと言うより、顔の近さに驚いて距離を取ってしまったのだけれど。リーベラの動揺も知らず、オルクスは涼しい顔で先ほどまで彼女が横たわっていたらしいソファーの上に座った。
その光景をぼんやりと見て、リーベラは気づく。
「……ん? ここ、私の家か?」
「やっと気づいた? そうだよ」
リーベラはオルクスの言葉を聞き流し、ゆっくりと室内を見回す。
ワインレッドのビロード布地が張られたソファーに、深いブラウン色の絨毯。絨毯と同じ色の天井に、クリーム色の壁。天井からは逆チューリップ型のランプがぶら下がっていて、至る所が無地でシンプルな家。
リーベラはほっと息を吐く。間違いなく我が家の客間だ。
「屋敷の鍵、僕が君を護衛してた時のやつから変えてなかったんだね」
長い足を組みながらオルクスが言った言葉に、リーベラは浅く頷いた。
「ああ。でなきゃ、お前に家の施錠なんて頼めない」
「それもそうか」
そう、随分前はリーベラの警護をオルクスが担当していた過去もあった。まだ彼女が『破滅の魔女』として知られる前の話だ。
当時、王命を受けて依頼をこなす宮廷魔法師の一員だったリーベラは、恨みを買うことも多かった。彼女が任務に集中できるよう、王からの特命で、当時騎士見習いながらも実力が見込まれていたオルクスが直々に護衛を務めていた――そんな時期の話。
いざという時のためにオルクスがリーベラの屋敷の唯一の合鍵を預かっていて、互いに返すとも返せとも言い出さなかったために鍵はそのままになっていたのだった。
もう、過去の話だけれど。
「あれ?」
歩き出そうと足を出しかけて、リーベラはふと自分の足元を見つめた。
「靴が、変わってる」
「あ、さっき靴と服、採寸し直して新しいの買ったんだよ。靴は履き替えさせたけど、服は後で自力で着替えて」
「はい、これ新しい服」とオルクスから白い巨大な箱を投げて渡され、リーベラは目を白黒させた。
「は……?」
「はいこれ、請求書」
オルクスが懐から紙を出し、ピッと空中に放り投げる。リーベラはその紙をキャッチして、慌てて覗き込んだ。
「服7着に靴3足……? 買いすぎでは……?」
明細を見て、リーベラは思わずぼそりと呟く。愕然としてオルクスを見ると、彼はにっこりと満面の笑みを浮かべた。
「悪いと思うなら、お金返して」
借金取りだ。この男、借金取りとしてやっていける。
「お前な……」脱力しかけたリーベラは、ため息をついて頷く。
「すぐ持ってくるから、ちょっと待ってろ」
「はいはーい。助かるよ」
ひらりと手を振り、オルクスがリーベラを見送る。彼女が客間から繋がる隣の部屋へ出て行くのを見計らって、オルクスは客間の別の入り口の方へ振り返った。
「もう出てきていいよ」
「……俺、隠れる必要ありました?」
呆れ顔で出てきたのはオルクスの腹心の部下の男性騎士、デルトスだ。茶色の髪に翠の瞳の、人懐っこい雰囲気の騎士は、恐る恐るといった声でさらに言葉を続ける。
「いいんですか? 今ので絶対、好感度さらに下がりましたよ」
オルクスは深々とため息をつき、ちらりと床に置かれた白い箱を見遣った。
「こうでもしないと受けとらないからね、あの人」
「はあ……難儀な関係性ですね」
思わず本音を漏らした部下へ向けて、オルクスが無言でにっこりと満面の笑みを浮かべる。
「……すみませんっした」
オルクスがこの満面の笑みを浮かべる時は不機嫌な時だとよく知っているデルトスは、心から震え上がって口をつぐんだ。