4-1.「さよなら」の練習
予告しそびれ申し訳ございません、今日から最終章入ります…!
どうか今日も、お楽しみいただけますよう祈っております…!
――「俺と一緒に、来ませんか」。
そう言ったアドニスを、呆然として見上げる。そんなリーベラの目の前で、アドニスは屈託なく目を細めて微笑んだ。
「ああ、そんな気負わないでください。俺はあんたに二度も命を助けてもらったから、一生分くらいの恩があるんですよ。そのお返しだと思ってくれれば」
「……私はそんな大層なこと、できてない」
アドニスにとって、不出来な『師匠』だったはずだ。現に今だって、自分のことですら何も、把握できていないではないか。
「大層なこと、できてるんですよ。師匠が例えそうは思ってなくても、俺が思っていればそれは間違いなく、そうなんです。――と言っても、あんたは納得しなさそうですね。分かりました、もう一つ俺の提案に乗るしかない根拠を提示しましょうか」
屈託のない笑顔から、目に少し真剣な光の宿る微笑みに表情を変化させながら、アドニスがリーベラの髪に指をそっと絡め、頬をするりと撫でた。
――オルクスもよくやる仕草だと、リーベラは頭の片隅で場違いとは思いつつ、つい思ってしまった。
不思議だ、オルクスにされたときはいつも体が硬直したし、胸の奥底がどこかさわさわと落ち着かない気分になったのに。
アドニスが同じ仕草をしても、その意図が分からず少し動揺はしつつも、ほとんど何も感じない。
――同じことをされているのに、全然違うのはなぜだろう。
そしてオルクスも、今頃王女に同じようなことを、していたりするのだろうか。あの優しい手つきで、暖かい手で。
(……ああ、考えたら駄目だ。考えたら……)
「……今何か、別のこと考えてましたね」
アドニスの苦笑の声が聞こえて、リーベラははっと我に返った。
「ご、ごめん。こんな時に」
彼が先ほど言った通り、何と自分は腑抜けているのだろう。今はこの瞬間に、集中すべきなのに。
「……だから、現実をよく見ろって言ってるじゃないですか。今話してるのは俺ですよ、こっちに集中してください」
大きなため息をついてから、「いいですか」と噛んで言い含めるように切り出しつつ、アドニスはリーベラの目を覗き込んだ。
「オルクス様と王女が婚約すれば、師匠はあの腹黒王と接触する可能性が増えます。……これは大分というか、絶対にまずいですよね、あんたにとっては」
それに、とアドニスは真剣な表情で続けた。
「オルクス様が誰か他の女性と人生を共に歩む姿を、これまでと同じように見守れますか? 心から、祝福できますか?」
「……!」
アドニスの言葉が容赦なく、リーベラの心に指をねじ込むように痛みを与えてくる。
息をつめて黙り込んだリーベラに、彼は囁きかけた。
「あんたが傷つく前に、もう誰も手出しができない遠くに、俺と一緒に行きましょう。……資金等はアテもあるので、ご心配なく。あ、ちゃんとしたお金ですよ。師匠は曲がったことが嫌いですもんね」
確かに、彼の言い分は正論だった。そう、それこそ、痛いほどに。
――どのみち自分はもう、オルクスの側には、居られない。
それを突きつけられるたびに、胸が軋み、張り裂けそうに悲鳴を上げていく。
「まあ、今すぐ決めろと言うのも酷ですね。1週間の間に決めてください。選択権は師匠にありますから、無理強いはしません。――でも、もし俺と来ることにするのなら」
言葉を切って、アドニスは真剣な顔で続けた。
「今度こそ後悔のないように、『彼』に別れの挨拶をしてください。……でないとあんたは、多分一生、前に進めない」と。
◇◇◇◇◇
――1週間。1週間か。
リーベラはベッドに潜り込み、毛布を頭の上から引っ被ってうずくまった。
「明日の昼また来ますから、ここにいてください」と言い残して、アドニスは先ほど部屋から出て行った。
どうやって来るのかは不明だけれど、明日はオルクスの王城出勤日だから、リーベラは一日中部屋にいなければならない日だ。どのみち、部屋にいるしかない。
オルクスの、王城出勤日。もしかして彼は王女とも、会ったりするのだろうか。
――かつて閉じ込められた部屋の中から見ていた、オルクスが王女を護衛していた姿を思い出す。
「……なんで、よりによってこんなことばっかり、覚えてるんだろう」
呟くと、自分でも驚くくらい震えた声が出た。
『破滅の魔女』だった時代、保持できたのは短期記憶だけ。昔の記憶が、薄れるのは早かった。
その中でオルクスとのことだけは、途切れ途切れに記憶に残っていて。
『……ねえ、リビティーナさん、知っていて? 記憶が残りやすいのは、「感情が動かされた時」、「強い感情を伴った時」ってよく言うらしいのよ』
フローラが前に言っていた言葉を、思い出す。
――もし、彼女が言ったことが本当だとしたら。
自分はオルクスに関することには、あの『感情が鈍くなる呪い』をかけられてた中でも、感情が動かされていたということだ。
今だって、婚約の話を聞くだけでも、ここまで動揺するのだ。納得のできることだった。
そう、今だって。
「……っ」
リーベラはさらに丸くなり、唇を噛み締めた。
オルクスが自分から離れて、他の女性の手を取ることが、どうしてこんなにたまらなく辛いのだろう。
どうして胸が、痛いのだろう。
愛称を呼んでくれながら、優しく壊れ物を扱うように撫でてくれたあの手が、触れてくれる手が、恋しくてたまらなくて。
今になって思えば、強引にでも助けてくれようとしたことが、引き留めてくれたことが、とても嬉しくて。
――そう、嬉しかった。彼にまるで、必要とされているようで。
でも、その彼ももうすぐ、王女と婚約する。
自分は去らねばならない。その選択肢しか、残されていない。
「別れの、挨拶」
リーベラはぽつりと呟いた。
――本当に、後悔しないんですか?
確かあの時も、アドニスを救って死ぬつもりだった時も、アドニスにそう言われた。
『別れの挨拶、してないんでしょう? 幼馴染なのに』
『する必要がなかった。何か問題でも?』
――あの時の自分の『逃げ』と、向き合う時がまた来てしまった。
何も悟らせてはならない。心残りを、残してはいけない。
自分は今日この後、この世から姿を消すのだから。
そう思って自分を誤魔化して、彼との『決定的な別れ』を、彼の目の前で打つことから、あの時の自分は逃げた。
今なら分かる。アドニスに指摘された通り、自分は『怖かった』のだ。
彼との関係を、彼の目の前で、断つことを。
自分から関係性を、断つことを。
そして彼がその別れを受け入れ、自分を「もう関係のない人間だ」として、見放すことを。
――「遠くへ旅立つ」と伝えて、「そう、元気でね」なんてあっさり微笑まれたりなんてしたら目も当てられない。
「……でも、今度こそ、言わなくちゃ」
だってこれで本当に、最後なのだから。
――練習を、練習をしなくては。だってこのままでは、彼に無様な姿を最後に晒したままの別れになってしまう。
そう、練習を。
「さよなら」の練習を、しなくてはならない。
彼には2度ともう、会うことはないのだから――
喉がひくりと震え、嗚咽が漏れた。
いつもは部屋に来て、喋り倒してリーベラの側で寝落ちするオルクスも、今日は王女の相手で来ない。
――今だけ。今だけ、無様で情けない自分を許してほしい。
嗚咽に身を震わせながら、リーベラはそっと目を閉じた。
◇◇◇◇◇
翌朝、リーベラが目を覚ますとシャロンがいつものように迎えに来てくれて。
控えめなレースのついた濃紺のワンピースに着替え、護身用に持ち歩いているトウガラシ粉末の小袋を、枕元から取って懐に入れ。
いつものようにシャロンが入浴を手伝ってくれて、昨日流した涙の跡も、綺麗さっぱり消えた状態で廊下に出て。
そうして脱衣所から廊下に出た先で視界の片隅に人影を映し、リーベラは思わず立ち竦んだ。
――オルクスが、いる。
憂い顔の麗人が、背中を壁に持たせかけて、やや俯いた状態で腕組みをしながら立っていた。どこかぼうっとした様子で、目が虚ろだ。
なんだかひどく、久しぶりな感じがした。
彼に会えたという切なさの入り混じる高揚感と、相反する恐れと焦りとが、リーベラの胸に去来して。
胸がどくりと、不穏に疼いた。
――どうしよう。まだ、顔を合わせる覚悟が、心の準備が、できてない。
そろそろとゆっくり、リーベラは前に進む。もしかしたら彼もこの後、風呂に入りに行くのだろうか。
そうっと軽く会釈だけして、リーベラは彼の前を通り過ぎて。
「……リラ」
「びっ」
数歩歩いた先で急に彼から呼びかけられて、リーベラはびくりと肩を震わせた。そして自分から出た声に、おっかなびっくり口に手を当てて立ちすくむ。
――「びっ」てなんだ。他にもっとこうなんか、なかったのか。驚いた時の声にしても、可愛くなさすぎる。
オルクスの前だと、なぜこんなに無様な姿ばかり晒してしまうのか。
体を硬直させるリーベラの後ろに、彼がゆっくり近づいてくる気配がする。
――どうしよう、本当だ、怖い。彼と顔が合わせられない。
今まで自分はどう彼と話していただろうか。どんな反応が自然で、「変」でないのだろうか。
ぐるぐると考えながら、リーベラはいつしかぎゅうと拳を握り込んでいた。
ご評価・「いいね」たくさんいただき、凄く凄く嬉しいです…っ! 本当に本当に、ありがとうございます!!!
最終章とは言いつつまだ割と続くのと、需要が有れば最終話のあとにでも、番外編として話のテンポ上カットした過去話とか、がっつりsideオルクスの話を書きたいなと思っております(需要…あるのだろうか…)
どうかよろしければお付き合いいただけると大変嬉しいです…!




