3-13.オルクスと王女の婚約話
遅くなってすみません、テコ入れした話と繋がる次話です。
どうか、お楽しみいただけますように……!
「こんばんは、リビティーナさん」
清らかな川の流れのように、腰辺りまで整えられた銀の髪。瞳はサファイアのような青を基調としつつ、不思議な虹色の煌めきを宿す王家特有の宝石のような目。
歳は確か22歳。目鼻立ちは可愛らしく整っていて、「愛らしい姫」という言葉がぴたりと似合う。
「――王女殿下にご挨拶申し上げます。リビティーナ……と申します」
そういえば、自分のファミリーネームは今どうなっているのだろうか。特に指定はなかったなと思いつつ、ひとまず自分自身の偽名をリーベラは名乗り、優雅に一礼した。
「わたくしはイシュタル・フレイヤ・デルフィーナ、この国の第一王女です。夜分遅くにごめんなさいね」
「いいえ、お目にかかれて光栄です。このような姿での謁見となってしまい、申し訳ございません」
王女が身にまとっているのはロイヤルブルーのふわりとしたドレスだ。
それは洗練された出で立ちと月夜に輝く銀の髪と青い瞳のその姿に、女神もかくやと思わせるほどに、美しく似合っていて。
片や自分が今着ているのは、今日着ていたダークブラウンのニットにブラックのフレアスカートだ。闇夜に紛れるその恰好は、目の前の姫とは月と太陽以上に大きな隔たりがあった。
「わたくしから押し掛けてしまったのですもの、そんなこと気にしなくていいわ」
ころころと鈴を転がすような綺麗な声でくすくすと笑い、王女はリーベラの方にずいと顔を寄せた。
「――それよりわたくし、貴女と直接話したくてたまらなかったの。オルクスから、貴女の話は聞いていてよ」
リーベラはぴくりと肩を震わせた。一体何を、話したのだろうか。
「……それは、大変光栄でございます」
だがしかし、それを質問できる身分に自分はない。リーベラは動揺した表情を気取られぬよう、長い間稼働させていなかった表情筋を揺り動かして微笑みを作った。
――随分久しぶりの表情だ。きちんと自分は、笑えているだろうか。
「だからね、直接お礼を言いたかったのよ」
「……? いえ、自分は何も」
いったい何のことだろうかと、リーベラは少し目を見張った。そんなリーベラの方に更に屈み込み、王女はにっこりと可愛らしい顔に微笑みを浮かべた。
「まだ発表前だから、あまり大声では言えないのだけれどーー心より、感謝を申し上げますわ。私の大切な殿方が、大変お世話になったそうで」
「……!」
ひくりと、喉の奥が微かに震え、リーベラの脳裏にあの日見た景色が蘇る。
街中で見かけた、オルクスと目の前の王女がとても近い距離で、腕を組みながら歩いていく姿を。
間違いなく、「大切な殿方」とは、オルクスのことだろう。
「いえ……むしろ、私の方がとてもお世話に、なって、おりまして」
言葉の語尾が、少し震えている自分に気づきながら。リーベラは深々と頭を下げた。
「……随分、慎み深い方なのね」
そう言う王女の後ろで、少し肩を竦める騎士の姿を、リーベラは視界の片隅で眺める。
相変わらず、話をしない時は表情のない、冷めた顔つきをしている、かつての弟子と同じ青年の顔を。
「あら、もうこんな時間。オルクスを待たせているから、戻らないと」
王女が手に持っていた懐中時計を見ながら溜息をつく声で、リーベラは我に返って王女へ視線を戻した。
「そうそう、あなたにはもう一つ、お願いしたいことがありますの」
「……はい、何なりと」
王族からの「お願い」は、基本的に断られることを前提にしない。彼女からすれば初対面の自分に、一体何のお願いをされるのだろうかと、リーベラはこくりと唾を飲み込んだ。
「――オルクスが、婚約発表を渋っておりますの。せっかくわたくし自ら申し出ましたのに、あの人は一体、何をそんなに渋る必要があるのかしら」
可憐な顔に苦い表情を浮かべながら、むすりと王女がため息を吐く。
その顔を眺めながら、彼女の言葉を咀嚼しながら、リーベラの胸はゆっくりと、軋んでいく。
『……オルクス様と、イシュタル王女様が婚約するって噂らしい。――昨日の夜も、オルレリアン公爵家の屋敷に王女様が内密に来て、オルクス様が出迎えてたのが目撃されてる』と、そう、エルメスから聞いていたけれど。
本当に、本当の話だったのだ。
分かっていた、はずなのに。
昼間、彼の腕に腕を絡ませて歩いていた王女。美しく、絵になる二人だった。
よかったじゃないか、とリーベラは思う。
元国王陛下の妹君である、王女との結婚。公爵家のオルクスでは申し分ないし、この後の生活も安泰だ。
ーーそれに、とリーベラは胸中で安堵する。これで、王はオルクスに手出しがきっとできなくなる。
さすがに、自分の妹君の夫を、殺すことなんてしないだろう。
そう、喜ぶべきことばかり。
唯一の友だった男の結婚。それも、華々しく祝福すべき相手との結婚。リーベラの懸念点も解決される、素晴らしい道筋。
(なのに、どうして)
リーベラの目元に、熱い何かが到来する感覚がある。
――どうして、こんなに胸が焼け付くように痛いのだろう。
痛いのだ。体の痛覚はないけれど、確かに「痛み」が、そこにあった。
「――だからね、リビティーナさん。貴女からもそれとなくオルクスに『早く話を進めろ』と、催促してみてくれないかしら。このままじゃいつまで経っても膠着状態で、私もとても困るのよ」
「ああでも、ここに来たのは内緒だから、私からお願いしたことは言わないでほしいわ」と言いながら、王女が苦笑する。
その苦笑の笑顔ですら、彼女はとても美しくて。リーベラにはその笑顔が、痛いほど眩しかった。
そしてふと彼女は、「あら」と言う顔をした。
「私、オルクスとの婚約のお話についてお話ししたかしら? いけないわ、自分が言いたいことだけ先に言ってしまって」
「――いえ、お話は存じ上げておりますので。かしこまりました」
情報源はエルメスからだが、王女の話からも整合性が取れる。リーベラはにっこりと微笑んで見せながら、ゆっくりと礼をした。
「そう、ならよかったわ。では、お願いね」
「はい、承知いたしました」
「……会えて、よかったわ。では、私は早くオルクスの元に戻らなくては」
「……はい。お時間いただき、ありがとうございました」
王女がにこりと微笑みながら踵を返す様子を、リーベラはお辞儀をしつつ見送り。身を起こす途中で、そっと肩を叩く感触に、リーベラは体を強張らせた。
「――師匠。また後で、来ます」
まだ数週間前によく聞いていた声が、やたらと懐かしく感じられるのはなぜだろう。
リーベラは目を見張りながら、目の前に立っている青年騎士を見上げる。
「……やっぱり、アドニスなの?」
「ええ、そうですよ。――話はあとで、ゆっくりと。大丈夫です、数分後にはまた来ます」
涼し気な目元に、口角を片方ニヤリと上げるクセがある笑い方。アドニスはリーベラの頭にぽんと手を置き、王女の後を大股で追っていく。
胸の痛みを抱えながら、そして弟子との再会に呆然としながら。リーベラは立ち尽くして、王女と弟子の背中をただただ、見送った。
この度は読者様を振り回してしまい、本当に申し訳ございませんでした……。
ブクマ、本当にありがとうございます!! おかげさまでこの先の原稿も頑張れます……!
明日も21時ごろ更新を目指します。ぜひお付き合いいただけますと幸いです!




