3-10.名前を呼んで
リーベラをひとまず手元に置くことに成功し、オルクスが調子に乗りつつある回です。
どうかお楽しみいただけますように…!
――やることが、ない。そして、逃げ場もない。
自分にあてがわれた、オルクスの屋敷の部屋の中。大きな出窓のすぐそばで、リーベラはため息をついていた。
窓部分は縦2メートルほどで、三面鏡のような配置の出窓。窓のすぐ下あたりはソファー部分になっていて、楽に3人は座れるほどのスペースがあった。
柔らかな紺青のソファー部分に座り込み、ふかふかのクッションに埋もれながら、身体を捩って窓の外をそっと覗き込む。
窓自体は嵌め殺しで開かないようになっていつつも、材質的に蹴破ることはできそうだけれど。
「……2階か。この高さ、ここからこの体と力で降りるのはちょっときついな……」
部屋の位置を改めて確認して、リーベラはぼんやりと呟いた。オルクスの屋敷はさすが公爵家と言うべき豪邸で、1フロアあたりの天井がとてつもなく高い。
今の自分では浮遊魔法も使えないし、このまま飛び降りて打ち所が悪かったら最悪なことになる。
「いやそれか、どこかで短剣をくすねて降りることも」
部屋に1人きりなのでぶつぶつと独り言を言ってみたものの、仮にも世話になっている人間の屋敷外壁を傷つけるわけにもいくまい。この案も却下だ。というか、窓を壊す時点でアウトだ。
しかも、屋敷の外にはオルクス配下の見張りの騎士が複数いる。見つかったら即連れ戻されるだろう。
「この感覚、久しぶりだな……」
部屋は中から鍵を開けられる状態ではあるけれど、先程何度か外に出て行こうとしたらシャロンに見つかり、やんわりと部屋の中に戻された。
オルクスからは、彼が王城に出勤する日はずっと部屋に居るよう言われている。恐らく、リーベラを見張るようにシャロンは言われているのだろう。
昨日の夜から朝にかけても、オルクスがこの部屋で話しているうちに寝落ちし、夜にそっと部屋のドアを開けようとすればたちまち彼が目を覚まして連れ戻しにくるしで、逃げる隙もなかった。
一体、彼の体質はどうなっているのだろうか。
そして部屋にある、廊下に面しているわけでもないもう一つの謎の扉は、びくとも動かず。抜け道も隙間も、どこにもない部屋だった。
――しかもこの部屋、高度な結界魔法がかかっている。
リーベラには、肌感覚で大体分かる。中に居る人間が内から開けない限り、そこに部屋があることすら、判別できないといった類の魔法だ。シャロンは恐らく魔女ではないものの、その結界魔法の「例外」として設定されているのだろう。
オルクスの両親は既に他界しているから、オルクス以外に公爵家の人間もいない。
廊下からは時折人の声がするので、使用人がオルクスの居ない間に屋敷の掃除をしているのかもしれない。が、リーベラのところに訪ねてくるのは徹底してシャロンのみだった。
――私は、本当は居ないはずの人間だから。オルクスもそれを考慮して、人の目に触れないようにしているのだろう。
一人きりだと、時間を持て余す。体が鈍るからと、とんぼ返りや走り込みや蹴りの練習を広い部屋内でひたすらしていたものの、それも何時間かやると飽きた。魔法を使えないかと試してみても、使えないままで。
暇つぶしに料理をしたいと言っても、「君に材料を渡すと薬を作りそう」というオルクスの一言で、先日、できないことが決まってしまったし。
――こういう時は、寝るしかない。かつての自分も同じような状況になった時、確か寝ていることがほとんどだった気がする。
寝ていれば、時間が経つし、お腹が空いていても大丈夫だから。
寝ていれば、一人であることを実感しなくて済むから。
こういうことには、かつて慣れた感覚がある。リーベラはすうと瞼を閉じ、クッションの間に丸くなった。
――馴染みのない部屋。あの王城での日々。
その夢を、走馬灯のようにリーベラは見る。
誰かが、ゆっくりと頭を撫でているような感触をぼんやりと感じながら。
『さあ、リーベラ。君が選ぶんだ。
この手を取るか、「彼」が戦場へ赴くか。
両方嫌だと言うのなら、君が代わりに行くといい』
あの日、筆頭魔女になった日。
アレスに呼び出されて、あの『3択』を突きつけられた後。
意識が暗転したと思ったら、いつの間にか王城の一角の部屋に閉じ込められていて。
任務の時以外、外に出させてもらえなくて。
訪ねてくる人間も、アレスしかいなくて。
――王城を歩くオルクスの姿を、窓からただただ、よく見てた。
任務の話の度にあの『3択』が突きつけられ、その度に自分が戦いに行くことを選び。
その度に、アレスの顔が歪むのを何度も見てきた。
でも、アレスの手を取るのも、オルクスを戦場に行かせるのも嫌だったから。ずっとずっとずっと、代わりに敵を薙ぎ倒す任務に赴いて。
そんな日々の中で、ゆっくりと心が、痛覚が死んでいって。
――そんなことが、アドニスを弟子として迎える日まで、続いた。
――あの時、アレスの手を取れば楽な道を行けたとしても。私は心底、嫌だったのだ。
(何が嫌だったのだったっけ。どうしてあそこまで、抗ったのだったっけ)
「――リラ、リラ!」
オルクスの焦ったような声と共に肩を揺さぶられる感触がして、リーベラはゆっくりと目を開けた。目を開けた途端、こちらを覗き込んでほっと息をつくオルクスの姿が目に映る。
騎士団の制服を着たまま、オルクスがいつの間にか隣にいた。
「……昼も食べないで、死んだように寝てるって聞いたから。大丈夫?」
「あ……ごめん、昼食折角用意してもらってたのに、無駄にしちゃった?」
リーベラはぼんやりと言いながら、窓の外を見る。いつの間にやら夕暮れの光が見えるから、随分と寝ていたらしい。
というか、何もしていないのに食事を出してくれようとするなんて、なんて贅沢な待遇なのだろう。身に余りすぎる。
「……働かざるもの、食うべからず」
「え?」
オルクスがリーベラの呟きに、きょとんとした顔で首を傾げる。
「オルクスあの、私何か」
「駄目。君は何もしないで」
何かを言う前に、美しい顔でにっこりと微笑まれ、退路を断たれた。取りつく島もない。リーベラは宙を仰いで諦め、クッションの上にうつ伏せに倒れ込んだ。
「……おやすみ」
「いやちょっと、僕さっき帰ってきたばっかりなんだけど?」
「こういう時はなんて言うんだっけ?」と耳へ吐息混じりに囁かれ。背筋がぞわりとしたリーベラは、パッと耳を押さえながら身を起こした。
「何か変だった、それ止めて」
「変って何が?」口角を片方吊り上げた確信犯の笑みが降ってきて、リーベラは顔を背けてクッションに顔を埋めた。
「……なんでもない」
「なんでもなくないだろ」
背後から、くつくつと喉の奥で笑うオルクスの声がする。
この訳の分からない幼馴染を、どうしたものか。まだ寝起きのぼんやりした頭で考えていると、するりと後ろで自分の長い髪が動く気配がして。
「……っ!?」
左の後ろ首筋のほんの一部分を、暖かく湿ったものに押さえつけられている。じんわりとくすぐったく肌の上を這う感触が広がり、慄きながら起きあがろうとするも。オルクスの腕が背中にのしかかっていて、びくともしなかった。
首の後ろにきゅうと甘い感覚がして、背筋が震える。
――何かこの感触、この前もあったような。
「――うん、よし。ちゃんと付いた」
「何が。ていうか重い、どいてくれない?」
押さえつけられながらリーベラが息絶え絶えに言うと、耳元で彼の笑う声がした。吐息が耳にかかり、情報処理が追いつかず頭をぐるぐるとさせているリーベラに、オルクスが追い討ちをかけるように首筋をするりと撫でてくる。
おかしい。なんだか体に、力が入らない。
「まだ寝ぼけてるね、反応が遅い。……最高だ、ずっとこのまま寝ぼけててもいいよ」
「……? 何が最高? 意味が分からないんだけど」
「うん、分からないままでいい。安心した」
謎の言葉を吐きながら、オルクスが手を離した。リーベラはうつ伏せ状態から起き上がろうとし、上手く立ち上がれずにその場にへたり込み――その腕をオルクスが、上から取って支えてくれた。
「どうしたの、大丈夫?」
「……なんか、くらくらする。さっきオルクス、何かした?」
初めての感覚だった。体がぼうっとして、ふわふわと夢見心地で暖かい。なんなら今腕を掴んでいるオルクスの手でさえ、熱を帯びて感じられて。
「……」
オルクスの動きがぴたりと止まった上に、何も返事が返ってこない。
不審に思ったリーベラが目を上げると、オルクスはもう片方の手で顔を覆って俯いていた。
「……? どうした?」
「……うん、ちょっと待って。いまやばい」
何がやばいと言うのだろう。リーベラが戸惑っていると、オルクスは俯いたままゆるゆると口を開いた。
「……リラ」
「うん?」
「そのまま、僕の名前呼んで」
一体何の要求だ。リーベラは目を白黒させながら首を捻りつつ、そっと口を開く。意図は分からないが、それくらいならお安い御用だ。
「オルクス」
「……うん。もう一回」
「……オルクス」
「……」
オルクスはそのまま動かない。緩やかな沈黙が部屋を満たし、リーベラはなんだかいたたまれなくなった。もはやなぜか、名前を呼ぶことすら気恥ずかしい雰囲気が漂っている。
「……これ、何の時間?」
「……うん、何の時間だろうね……」
オルクスがそう言いながら、やっと顔から手を離しつつ、今度は口元に片手を当ててそっぽを向いた。心なしか、耳の上がほんのり赤い。
――なんだろう。何かオルクスが、かわいい。
ふとそう心が震え、リーベラは思わず、口元を緩ませた。
ブクマ、本当にありがとうございます!(毎日言っていてすみません、嬉しいのでつい…!!)
明日も21時更新目指します。お付き合いいただけますと嬉しいです!




